〔言葉の記録〕 「美浜」推進の元商工会長、松下正さん(79) 「ひょっとしたら、原発誘致は間違えていたのかもしれない」
中日新聞 原発、必要だったのか 「美浜」推進の元商工会長
→ http://www.chunichi.co.jp/article/fukui/20120221/CK2012022102000130.html
国内最多14基の原発が初めて全面停止する福井県。関西電力美浜原発のお膝元、同県美浜町の元商工会長松下正さん(79)は推進の旗振り役を務めてきた。原発にどっぷり漬かり、将来を描けない古里の現状に「原発は町に必要だったのか」と自問自答している。
1970(昭和45)年の大阪万博。町内初の原発となる美浜1号機が万博会場に「原子の灯」を送った。
当時、大工だった松下さんは30代後半の働き盛り。中学卒業後に修業を積み、独り立ちしていた。その年、3人目となる末っ子の次女が生まれ、町内に家を新築した。万博に3回通い、シンボルの「太陽の塔」の前で撮った家族写真は色あせた今も大切に保管している。
海水浴と漁業しかなかった過疎の町で原発計画が浮上したのは60年代半ば。以来「原発特需」に町は沸き、道路や公共施設などが次々に建設された。町民の懐は潤い、松下さんの元には新築や改築の仕事が次々に舞い込んだ。「家のローンがあっという間に返せた」と話す。
原発と二人三脚で発展する町を見て「原子力はこれからのエネルギーを支える」と信じた。50代半ばを過ぎてから、地域に推されて町議を2期務め、その後13年は商工会会長の立場で、関電に原発増設を申し入れたこともある。
そんな気持ちが揺らいだのは昨年3月11日。福島第1原発事故だ。肺がんを患い、入院中だった。医師からは「助からないかも」と告げられていた。事故の惨状を伝える病室のテレビをながめ、八方ふさがりの自分と、福島と同じ原発に頼るほかない古里の将来が重なった。
福島事故後、町内の原発3基がすべて止まり、再稼働すら見通せない。闘病生活を乗り越えた松下さんはあちこちで「仕事がない」「景気が悪くなった」などの声を聞く。やっぱり原発しかないと思う半面、それ以外に選ぶ道がなくなった古里の今が不安になる。
「ひょっとしたら、原発誘致は間違えていたのかもしれない」と松下さん。思いは揺れる。 (立石智保記者)
Posted by 大沼安史 at 12:17 午後 | Permalink

















