〔フクシマ・ノート〕 Fukushima my Love 我が愛のフクシマ
パノ・クロコさんというアメリカ人のブログに、福島に住むマリカ・ヨシダさんという、6歳の娘さんのいる、若い母親の「ノート」が掲載されていた。
→ http://panokroko.wordpress.com/2012/02/07/fukushima-my-love/
英語で書かれた、Fukushima my Love、我が愛のフクシマ、私が愛するフクシマ。
あれから10カ月経った、1月12日に、思い立って書いたものだそうだ。
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「ノート」に、マリカさんはフクシマで生きている、とはどういうことなのか、思うところをひとつずつ、記していた。
To live in Fukushima, to me
It means
私にとって、フクシマで生きるとは、
それは……
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マリカさんの最初の「それは」は、朝、窓を開け放つことができないこと。朝の空気を深呼吸できなくなったこと。
It means, no more opening the window and taking a deep breath every morning
そしてお嬢さんが言われもしないのに、自分からマスクをつけ、線量計を身につけて外に出かけるのを見ることだ。その姿を見て、胸が痛くなること。
It means, to feel a pang at the sight of my daughter leaving the house with a mask and a radiation dosimeter on, without even being told…
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そして、
積もった雪にも触れられないこと。
「フクシマ、がんばれ」と聞いて、軽い苛立ちを覚えること。
いつの間にか、浅く呼吸している自分に気づくこと。
「福島」と「フクシマ」を別々に感じること。
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娘が成長して結婚できるか、不安になること。
フクシマで生きることを選んだことで責任を放棄したように感じること。
It means, to worry if my 6-year-old girl can get married in the future
It means, to feel like abandoning my responsibilities for having chosen to live in Fukushima
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「とどまれ」と言われれば、「私たちの命のこと、考えてくれてるの」と思って怒り、「避難」と言われれば、「そんなにかんたんに言わないで。かんたんじゃないんだから」と思って怒ること。
It means, to get angry when someone tells us to “stay” feeling “What do you think of our lives?,” and to get angry when someone tells us to “flee” feeling “Don’t say it so easily! It’s not that simple!”
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「それは」を書き連ねたあとに、不意に、フラッシュバックのような、こんな過去が。
私はあの黒煙を忘れることはできない――。
I cannot forget that black smoke
黒煙とは、たぶん、3号機のあのキノコ雲のこと。
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マリカさんはこう、「ノート」を終えている。
それでも、私たちはまだ、どうにか幸せに生きています。このことを分かってほしい。
I want someone to understand that we still live happily more or less, nonetheless
怒ってます。毎日。
I get furious, everyday
祈ってます。毎日。
I pray, everyday
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クロコさんは、どうしてあなたはそんなにフクシマのことを語るのですか、と聞かれるたび、このマリカさんの「ノート」を差し出して見せるのだそうだ。
フクシマで生き続ける、とはどういうことなのか、私にもすこしだけ、分かったような気がした。
Posted by 大沼安史 at 08:36 午後 | Permalink