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2012-01-09

〔フクシマ・東京新聞〕 新天地の暮らし 笑顔で支え合う家族 南相馬から避難し、茨城・八千代町で再出発した酒井さん一家6人 大家さんが「冷蔵庫や洗濯機を譲ってくれた」!

 → http://www.tokyo-np.co.jp/article/ibaraki/20120109/CK2012010902000054.html

 今年の年賀状。ディズニーアニメのキャラクター、ドナルドダックの画像を囲み、中学三年生の長男(14)から三男(1つ)まで四人の子どもの笑顔が弾む。「避難先でも、みんな仲良く暮らしています」。そんな思いを届けたくて印刷した。

 子どもたちをかわいがってくれた以前の担任教諭へ、今も放射能の不安の中で暮らす故郷・福島の人たちへ。

 「震災で生活は一変した。でも何とか頑張れたのは、子どもたちの笑顔」。酒井由美子さん(34)は、三男の隼翔(はやと)ちゃんを抱っこし、目まぐるしかった震災後を振り返った。

 自宅があったのは、東京電力福島第一原発から約三十キロの福島県南相馬市原町区。次男大輔君(9つ)が通っていた小学校では児童の兄弟二人が津波にのみ込まれた。少年野球の監督も亡くなった。

 原発事故後、ワンボックスカーに布団と食料を積み込み、家族六人で自宅を離れた。同県会津若松市の体育館へ身を寄せた後、農家のアルバイトを受け入れていた八千代町に避難した。由美子さん、建設業を営んでいた夫周一さん(40)ともに農業の経験はなかった。

 「一家が食べていける仕事が必要だった。一番下の子のミルクも底を突き、落ち着いて住む家が欲しかった」

 長靴を履き、顔をタオルで覆い、キャベツやカボチャ作りに従事した。契約は夏までだったが、由美子さんは慣れない仕事で体重が五キロ減った。周一さんは3Lサイズの体形がLサイズまで落ち、体調を崩した。

 原発への思いは複雑だ。福島県で東電の下請けで働いていた父は、各地の施設を渡った。周一さんも東電の関連施設から多くの仕事を請け負っていた。ただ事故後の対応には納得がいかない。

 避難後の一番の心配事は、子どもたちだった。教室に居場所はあるか、福島からの転校でいじめに遭わないか。だが、すぐに吹き飛んだ。大輔君は友達とゲームに夢中になり、パソコン好きの長男浩志君はクラスメートと仲間づくりを始めた。

 八千代町では胸を打つことばかりだった。冷蔵庫や洗濯機を譲ってくれた借家の大家さん、支援物資を届けてくれる町の職員。

 その一方で、少し落ち着くようになると不安が押し寄せてきた。「自宅に戻れるのか、ずっとここで暮らした方がいいのか」

 それでもハイハイしていた隼翔ちゃんが、ヨチヨチ歩きするまでに成長。長女美玖(みく)ちゃん(5つ)は幼稚園に通い、浩志君は今春、町内の高校を受験することになった。由美子さんも育児の合間に勉強し、念願だった医療事務の資格を取得した。周一さんは震災復興の仕事で宮城県で単身赴任が続いているが、家族一丸となり、新天地での暮らしをしっかりと刻んでいる。(原田拓哉記者)

Posted by 大沼安史 at 04:27 午後 |

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