〔フクシマ・ノート〕 脱原発第2年 元日の朝に思う
ベランダに出て、新年のご来光を浴びた。
仙台の北西の、国見の高台。
霜が降りた屋根の連なりの向こうに中心部のビルが立ちならんでいて、そのさらに向こうの……仙台湾の海から昇った陽の光がまぶしい。
スイスの気象台の放射性物質拡散予報で、フクイチ発の「みえない雲」が未明から仙台平野を襲っている、とはわかっていたが、ベランダに立って、初日の出を見ないわけにはいかなかった。
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机の上にまだ、ボランティア先の出版社、仙台「本の森」で印刷してもらった年賀はがきが積んである。
迷った挙句、「明けましておめでとう」という文字は削って印字した年賀状だ。
被曝地、仙台からの賀状に、「明けましておめでとう」とは、なかなか書ききれない……。
年は明けても、被曝は終わらないのだから。
明けぬ夜も、明かない年もないが、福島第一原発の被曝災害は明かない……。
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私は新年のベランダで、東京で学生たちに「情報文化論」なるものを講義していた頃を思い出す。
BC(Before Christ)とAD(Anno Domini 主の年)。紀元前と紀元後。キリストの前と後。
そんな西暦紀元に代わって、BG・AGなるインターネット紀元が冗談半分に提起されていると、最初の講義のそれも冒頭で、私は毎年、語ったものだ。
Gは「ウィンドウズ」のビル・ゲイツのGだと。
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私はAD2012年のことしが、(AGのX年ではなく)「脱原発2年」だと思っている。
昨年末、私は東京新聞・特報部のインタビューを受けて、3・11後、2011年は「脱原発元年」になったと語った。
被曝が進む未来は「闇」としてあり続けるが、そこに私たちが持ち込むべき希望の光は、実はすでに「福島の女たち」によって、私たちの中に差し出されている。
脱原発の光で、この過酷な、私たちの生きる被曝世界を照らし、生存の可能性を切り開いていこうと(なぜか、臆面もなく)言い切ったのだ。
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フクシマという、終わりのない災害によって未来が闇に包まれた今、私たちに残されたものは、私たちの中にある脱原発の光しかない……
闇(災害)の中に、すでに光(生まれるべき社会)がある。闇に突き落とされた人たち(被災者)の中に――。
これはもちろん(ご存知の方は多いと思うが)、米国のジャーナリストであり、活動家でもある、レベッカ・ソルニットさんが、ハリケーン被災地のニューオーリーンズなどでの取材経験をもとに語った、あの「災害ユートピア」論のエッセンスである。
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ソルニットさんのいう、災害の中で生まれる人々の連帯、助け合い、支援の現場を、私は3・11の被災者のひとりとして、たとえば避難先の小学校の、暗闇の体育館で見た。
懐中電灯などの明かりが頼りの、冷え切った体育館に備蓄されていた(数に限りのある)毛布が配られた時、真っ先に支給されたのは、赤ちゃんを抱えた母親たちだった。
私の近くにロシア人らしき家族がいた。赤ちゃんを連れて避難して来た白人の夫婦だった。これから毛布が配ります、という(日本語での)アナウンスを理解できずにいる。それに気づいた、若い仙台市の女性職員が駆け寄って来て、「ディス・イズ・フォー・ユー」と言って1枚、差し出した……。
「よかった!」……その場に、共感とぬくもりが生まれた。
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私たちがフクシマの原発災害で直面する闇の深さと広がりは、私たちにとって、かつてない、途方もないものである。
震災のみ、であれば、神戸のようにやがて復旧の日も訪れようが、フクシマは違う。
フクイチ(F1)からの死の灰の放出は、終わったわけでなく、いまも、これからも続いて行く。
フクシマに終わりはなく、被曝の闇は何世代も、何十世代も(おそらくはそれ以上にわたって)、明けない。
深い闇の中で、私たちの――私たちの子どもたちの命の中で、時限の脅威が刻まれて行く。
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これから新しい年が4、5回来ると、チェルノブイリの子どもたちを襲った悲劇が、フクシマの被曝地にも生まれる……。
その闇の未来へ、ひとつ近づく、新年の年明け。
私たち被曝地の人間が――仙台はキエフ並みである――、かんたんには「おめでとう」と言えない理由はここにある。
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なかなか、明けましておめでとう――とは言えない2012年の一月一日。
しかし、今日という一日が、脱原発の第2年の始まりであることは、間違いのなく言いきれる。
なぜ、そう断言できるのか?
それは、この国見の高台で、3・11に「災害ユートピア」の出現を目の当たりにした私自身が、震災が原発災害として最悪なものになる中、フクシマの被曝地から、とくに女たちの「脱原発」を求める活動が生まれ、それが社会的な勢力をなって広がるありさまを見続けて来たからである。
ことし2012年が脱原発2年であるのは、昨年が脱原発元年であるからだ。
そしてその「元年」を宣言したのは、経産省の前に座り込んだ「福島の女」たちであり、彼女たちに共感し、彼女たちを支えた全国の人々だと――私は思う。
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座り込む――それはその場を取り戻すことである。「福島の女」たちは、経産省前という、日本の原子力権力の中枢の一画を、座り込むことで取り戻したのだ。
それは、脱原発紀元の歴史に残る、決定的な「脱」原発の「事件」(のひとつ)だったと私は思う。
原発マネーの利権の腐臭漂う「経産省前」で、人々の心に希望のぬくもりを伝える毛糸の綱を編んだ彼女たちは、その実――実は、フクシマの「複合人災」(沖縄タイムス社説)を引き起こした権力者の悪の汚辱をぬぐい去る、「除染」活動を行っていたのではなかったか?
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「座り込むこと」を、英語ではオキュパイ(Occupy)という。オキュパイには「占領」の意味もある。
米国の核の権力の従僕となりながら、戦後日本を占領し続け、属国の春を謳歌し続けて来た日本の権力者たち。
福島の女たちの経産省前への座り込みは、その占領を解除する闘いでもあったに違いない。
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日本の脱原発元年であった昨年、2011年は、ニューヨークのウォールストリートやカイロのタハリール広場などで「オキュパイ(占拠)」運動が決行されるなど、腐敗した権力に対する民衆の闘いが始まった年でもあったが、ここでその歴史的な意味を、ふたたびレベッカ・ソルニットさんに解説してもらうならば、そこには、人々が「自分自身に座り込む」――自分をオキュパイする――側面があった。
権力者によって(心も体も)占拠されていた自分を取り戻す、座り込み。
それはたしかに、経産省前の座り込みにも、あの高円寺や渋谷などで続いた若者たちのデモにも言えることだろう。
「安全神話」で洗脳され、「考え方」まで「占拠・占領」されていた自分を取り戻す闘い。
「脱原発」とはその意味で、それがそのまま、思考・思想の統制を脱却し、除染した素地に、災害で目覚めた本来の自分を座らせて、未来の闇の中へ光をもたらすものにならざるを得ない。
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ここで私が思い出すのは、昨年末、東大の児玉龍彦教授がニューヨーク・タイムズに語った言葉である。
児玉さんは今後の福島(日本)の再生には、「金(マネー)」や「努力(エフォーツ)」だけでなく「信念(フェイス)」が必要だと語ったのだ。
政府の予算や事業は要らない、と言ったわけではない。
それは当然、政府がなすべきことである。
しかし、それだけでなく「信念」が必要だと児玉さんは言った!
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私はその児玉さんの言葉をこう受け止めた。
私たちが持つべき「信念」とはどこから生まれ、どういうものでなければならないか?
繰り返しになるが、いま一度、ソルニットさんにならって言うならば、私は私たちが持つべき「信念」はフクシマという原発大災害の闇から生まれた、脱原発の光でなければならない――。
被曝疎開と除染活動を含む「脱原発」を、できるだけ金をかけ、努力を注いで何としても(いくら時間がかかっても)やり遂げるのだという信念。
この暗闇の中の光のような信念なしに、私たちはどうして、この人類史上空前の、現在・未来進行形で進む原子力大災害に立ち向かえようか?
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日本の権力者は、あの世界のもの笑いになった「収束」宣言を行うなど、国民に「フクシマは終わった」と思い込ませる再洗脳プロパガンダに躍起となっている。
国民の意識を「再占領」し、フクシマという「災害」が生み出した、人々の目覚めを踏み潰そうとしている。
いわゆる「エリート(特権層)パニック」を起こして取り乱し、フクシマの子どもたちや妊婦を被曝地に囲い込んで被曝を強制している。
彼らは「災害」のさなかに生まれる社会的な「連帯」、そして新しい社会への希望の光が怖くてならないのだ。
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今朝、私はベランダで、初日の出に向かって手を合わせた。
私は身近な人の幸せを祈るとともに、脱原発の私の信念が揺るがぬよう祈ったのだ。
私の「脱原発」は私の中に、正座し続けるものでなければならない。
私は私の中に、「脱原発」の「信念」を座り込ませる。
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そう思い定めてベランダから戻ったからには、今、こうしてパソコンの机の前に座り込み、このブログを読んでくださっている私の、みなさんに対する新年のあいさつは、こうならざるを得ない。
私はもはや言い淀むことなく、言わねばならないし、言うことができる。
脱原発第2年。
新年、明けまして、おめでとう。
Posted by 大沼安史 at 11:01 午前 | Permalink

















