〔フクシマ・東京新聞〕 汚染されても故郷 悲嘆と葛藤抱え定住決断へ 大熊町から前橋へ 小林一行さん(60)
福島第一原発が立地する福島県大熊町。小林一行さん(60)の自宅と田畑一ヘクタールは、原発から約七キロにある。警備員などを兼業しながら耕してきた田畑は、約五年前から人に貸している。
「農地をいくら除染しても、『大熊町産』では売れるわけがない」と言い切った。
「国が責任を取り、土地を買い上げてほしい。そうしなければ、今後の生活設計が成り立たない」。最近、この思いが募るばかりだ。
小林さんは現在、前橋市の臨時職員として、同市鶴光路町の市下川淵公民館に勤める。市内に住む妹夫婦を頼って避難してきた。
「あの日」は、隣町の富岡町で、水道メーター検針のアルバイトの打ち合わせをしていた。地面が揺れるとすぐに車で自宅へ向かい、危うく津波から逃れた。
自宅にたどり着くと、母(86)、妻(39)、十四歳の一人娘は無事だった。ただ、原発の間近にいるにもかかわらず、防災無線から避難の呼び掛けは一切なかった。避難指示が流れたのは、十二日早朝。家族と共に着の身着のまま飛び出した。
同日は福島県三春町の避難所で一泊し、十三日に妹の家へ。約一週間後、前橋市内の公営住宅に引っ越した。
市では七月上旬から働き始め、住民への文書配布や職場の清掃などが仕事。妻も近くの公民館で働く。
小林さんは今、一家のあるじとして大きな決断を固めようとしている。
「(放射性物質などの影響による)娘の体のことを考えれば、今は大熊には戻れない。娘が高校を卒業するまでは、前橋にいたいと思う。ここに定住することも選択肢の一つに浮かんでいる」。来年三月までの仕事の契約を、延長してもらうつもりだ。
一方で、こんな思いも込み上げる。
「放射性物質で汚染されても、故郷に変わりはない。その故郷が、骨を埋められないような所になってしまうとは。震災と原発事故さえ、なければ」
悲嘆と葛藤は、これからも続く。 (菅原洋記者)
Posted by 大沼安史 at 04:56 午後 | Permalink

















