〔フクシマ・NEWS〕 福田徳行記者:「警戒区域で見た過酷な現実」……「じっちゃんの冬靴も持って行がねば」
11月16日。警戒区域に指定されている大熊町で、初めて住民のマイカーによる一時帰宅が実現し、報道陣も取材が認められたため、警戒区域に入った。
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歩くこと10分。自宅から思い出の品や生活用品を持ち出す老婆と息子を取材できた。この自宅は第1原発からわずか2キロの地点。黙々と持ち出し準備をする息子は開口一番、東電への怒りをぶちまけた。
「死ぬまでに悲しみと怒りと憎しみを背負っていかなければならない。東電のやっていることは人の道を外れている。誠意を示してほしい」
息子は抗議の意味で、持参しなければならない放射線の線量計を持ってこなかったという。「東電からは国の方針で線量計を下げてくれと言われたが、自分たちが起こした事故に対して国の方針というのはおかしい」と声を荒げた。傍らでは母親が黙々と冬物をビニール袋に入れていた。
「じっちゃん(お爺さん)の冬靴も持って行がねば」
◎ 福島徳行さんはルポ記事の末尾にこう書いている。
11月16日は故郷とは何か、原発とどう向き合えばいいのかを改めて考えさせられると同時に今後、記者生活を続けていく上で一生忘れることができない1日となった。
Posted by 大沼安史 at 10:38 午前 | Permalink

















