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2011-12-27

〔フクシマ・NEWS〕 政府事故調 中間報告 (新聞記事・本記・サイド・解説・報告要旨)

 
 ◇ 東京新聞 本記「原発事故 人災で拡大 運転員、非常冷却経験なし」 → http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2011122790070128.html

 ◇ 毎日新聞 本記「東電ミス連鎖で深刻化」→ http://mainichi.jp/select/jiken/news/20111227k0000m040007000c.html

 ◇ 毎日新聞 「政府事故調中間報告 過小評価体質を指弾」→ http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20111227ddm003040101000c.html

 ◇ 毎日新聞 サイド記事「住民ら政府の対策不足非難」→ http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20111227k0000m040105000c.html

 ◇ 毎日新聞・解説 「安全文化を軽視」→ http://mainichi.jp/select/jiken/news/20111227k0000m040102000c.html

 ◇ 毎日新聞 中間報告要旨 
  ・その1 → http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20111227ddm010040013000c.html
  ・その2 → http://mainichi.jp/select/jiken/news/20111227ddm010040021000c.html
  ・その3 → http://mainichi.jp/select/jiken/news/20111227ddm010040022000c.html

              ◆ 

            

 
 ◇ 東京新聞 本記「原発事故 人災で拡大 運転員、非常冷却経験なし」 → http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2011122790070128.html

 福島第一原発事故をめぐり、国の事故調査・検証委員会(委員長・畑村洋太郎東京大名誉教授)は二十六日、多角的に事故原因を検証する中間報告を公表した。

 非常用ディーゼル発電機のほか配電盤も地下にあったため津波で水没し、全交流電源喪失を招いたと指摘。

 吉田昌郎(まさお)所長(当時)ら東京電力側が、原子炉に注水して冷やす非常用装置が稼働していると誤認して代わりの冷却手段の準備が遅れ、被害が拡大した可能性があると述べた。 

 東電や首相官邸内の情報伝達の混乱や津波への備えの甘さ、避難指示の遅れなど、「人災」の側面にも言及。

 原子炉の重要設備が地震で壊れた跡は確認できないとして、地震が直接事故につながったとの見方は否定した。

 今後、菅直人前首相ら当時の閣僚らから聴取し、来年夏に最終報告をまとめる。

 中間報告によると、1~2号機は三月十一日、非常用発電機や配電盤が浸水し、交流と直流の全電源を喪失。3~4号機も配電盤が水をかぶるなどして全交流電源を失った。

 このため、最初に水素爆発を起こした1号機では、電気を使わずに、原子炉の水蒸気を冷やして水に戻し再び原子炉に入れる非常用冷却装置(IC)で冷却しようとした。

 ICに蒸気を送る配管の弁は、電源が失われると自動で閉まる仕組み。この時も弁は自動で閉まったが、ICを作動させた経験のある運転員はおらず、こうした仕組みを十分理解していなかった可能性が高い。弁は開いたままで、冷却が続いていると誤認、代わりの注水の準備が遅れた。

 その間に圧力容器内の圧力は上昇。代替手段での注水も難航し、ICが機能不全に陥ってから、継続的に注水できるようになるまでに十四時間を要した。その結果、空だきとなった1号機は同日夕に炉心溶融(メルトダウン)し、翌日には建屋が水素爆発した。中間報告は「原子力事業者として極めて不適切であった」と東電の対応を厳しく批判した。

 3号機は十三日未明までは冷却が続いていたが、原子炉の蒸気の力でポンプを動かして炉に冷却水を送る装置(HPCI)を、運転員が手動で停止した。蒸気が弱くなり、過熱した設備が壊れると恐れたためだった。

 運転員は炉の圧力を減らす弁を遠隔操作で開けた上で、消火用のディーゼルポンプによる注水に切り替えようとしたが、弁は開かない。このため水が入らず、注水が七時間近く途絶えた。発電所幹部らはHPCIの手動停止を知らなかった。

 中間報告は、1、3号機とも誤った認識により注水が長時間止まり、危機的な状況を招いたことを重視。「より早く別の手段で注水すれば、炉心損傷の進みを遅らせ、放出された放射性物質の量を減らせた可能性がある」と指摘した。

 政府の対応が後手に回ったことも問題視。放射能の拡大範囲を予測するシステム(SPEEDI)を住民の避難指示に生かせなかった点や、現地の対策拠点となるオフサイトセンターが機能しなかったことを批判した。

 ◇ 毎日新聞 本記「東電ミス連鎖で深刻化」 → http://mainichi.jp/select/jiken/news/20111227k0000m040007000c.html

 東京電力福島第1原発事故の原因などを調べてきた政府の「事故調査・検証委員会」(委員長・畑村洋太郎東京大名誉教授)は26日、中間報告書をまとめた。炉心溶融を防ぐための冷却装置への東電の対応に問題があったと認定し、「極めて遺憾」と指摘。政府の対策本部が機能不全に陥っていたことにも言及した。深刻な被害にいたった背景として、自然災害と原発事故の複合災害という視点がなく、政府や東電の備えの欠如があったと分析した。

 報告書は一連の事故で、(1)東電の対応(2)政府の対応(3)市民の被ばく防止(4)過酷事故(シビアアクシデント)対策--の4点で問題があったとしている。

 東電の対応では、1号機の冷却装置「非常用復水器」(IC)の稼働状況で誤解があった上、3号機の冷却装置「高圧注水系」(HPCI)の操作で不手際があったと分析している。具体的には、ICは津波到達後に機能を失ったが、現場ではICの役割を十分把握していなかった上に、吉田昌郎所長(当時)や本店は稼働していると誤解。誤解に気づく機会は何度もあったが見逃された。

 HPCIの操作では、運転員が吉田所長らの判断を仰がず、別の注水操作をしようとして稼働を停止した。その後、バッテリーがなくHPCIの再起動はできなかった。

 検証委は1、3号機で「より早い段階で現状を認識し、別の方法で注水に着手していれば炉心損傷の進行を緩和し、放射性物質の放出量は減った可能性がある」と分析。ただし、最善の対応が実施できても1、3号機の水素爆発が防げたかは判断が難しいと評価した。

 政府対策本部の問題では、原子力災害対策特別措置法に基づき、首相官邸の地下に官邸対策室が設置されたが、携帯電話が通じない上に菅直人首相(当時)らは官邸5階にいて、情報共有ができず円滑に対応できなかった点を挙げた。経済産業省原子力安全・保安院は、東電のテレビ会議システムの活用に気づかない上、職員を東電に派遣しないなど情報収集に消極的な姿勢を問題視している。

 このほか、放射性物質の拡散を分析し、被ばく防止に役立てる政府の「緊急時迅速放射能影響予測システム」(SPEEDI)に言及。地震に伴うシステム損傷で本来の機能が発揮できなかったほか、暫定分析の公表も遅れたために、被災者の避難に混乱を招いたとしている。

 シビアアクシデント対策では、巨大津波の来襲を予想できたにもかかわらず実施していなかったことから、東電など電力事業者による自主的な運用には限界があるとした。

 一方、地震による重要機器の損傷は確認できないが、現場の調査が実施できていないとして最終判断は先送りした。

 検証委は6月から調査を開始。原因解明に主眼を置き、責任は追及しない方針を打ち出し、今月半ばまでに関係者456人から延べ約900時間聴取した。時間的な制約で閣僚の聴取は終わっておらず菅前首相ら官邸中枢の具体的な関与などは来年夏の最終報告書に盛り込む。

 中間報告書は本編507ページと資料編212ページで構成。検証委のウェブ(http://icanps.go.jp/)で公表し、来年1月末まで意見を募集する。【奥山智己、岡田英】

 ◇IC(非常用復水器)とHPCI(高圧注水系)
 ICは古いタイプの原子炉に特有の緊急時用冷却装置で、福島第1原発では1号機にしかない。交流電源が失われた時に、炉内の核燃料を冷却するために使用する。HPCIは、非常時に原子炉内に注水するために備えられた緊急炉心冷却装置(ECCS)の一つで、原子炉内の水位が異常に下がった場合に働く。停電時でもバッテリーで使用できるのが利点。

 ◇ 毎日新聞 「政府事故調中間報告 過小評価体質を指弾」 → http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20111227ddm003040101000c.html

 東京電力福島第1原発事故で、26日に公表された政府の事故調査・検証委員会の中間報告書では、政府や東電が地震や津波による自然災害と原発事故が同時に起こる「原発震災」を考慮してこなかったことで、対応が後手に回った数々の事例が示された。その不適切な対応からは「想定外」では済まされない実態が浮かび上がった。

 ◇保安院、情報集めず遅い指導

 東京電力が今月2日に公表した社内調査委員会の中間報告書では、東電の不備にほとんど触れていなかった。これに対し、検証委の中間報告書では、1号機の冷却装置「非常用復水器」(IC)が稼働していたとの誤解や、3号機の冷却装置「高圧注水系」(HPCI)の操作の不手際を詳しく記載した。

 ICは全電源を失うと、原子炉内からの放射性物質の流出を防ぐため四つの弁がすべて閉まり、冷却機能が止まる設計になっている。だが、発電所幹部や本店がICの仕組みを十分把握せず、ICの停止を考えなかった。

 誤解に気付く機会はあった。津波による全電源喪失後の3月11日午後5時19分、運転員が原子炉建屋に向かうと、途中で高い放射線量で線量計が振り切れた。検証委はこの高線量は炉内の核燃料が水から露出したためで、「ICが機能していないと気付くべきだった」と指摘。運転員は午後6時ごろにICの状態を示す表示灯が回復し機能不全を疑ったが、吉田昌郎所長(当時)らは運転員に報告を求めず同日夜まで作動していると思い込んだ。

 このため、「消防車による注水に早く移れなかった可能性がある」と検証委はみる。同時に、消防車の活用は、東電が過酷事故対策の手順書で想定していなかったために、担当者は自分の作業と理解せず準備をしなかった。

 もう一つの問題は、HPCIを運転員が13日午前2時42分、無断で停止させたことだ。別の方法での注水を実施しようとしたが、事前に実行可能かを確認せずに注水に失敗。吉田所長や本店の指示、支援も仰がず、検証委は「危機管理のあり方として問題」とした。

 一方、政府や東電本店の対応についても、検証委は多くの問題点を浮き彫りにした。

 経済産業省原子力安全・保安院について、東電への指示のほとんどが「正確な情報を早く上げてほしい」というものだったと指摘。積極的に情報を収集せず、東電への指導や助言が「遅かったり、現場の状況を踏まえないものが少なくない」「東電が実施済みのことが多かった」と認定した。

 さらに、原発敷地内にいた保安院の検査官について、「事故対処に寄与したという状況は全く見受けられなかった」といい、監督官庁の「落ち度」を厳しく指摘した。

 東電は原子力災害時、原子力災害対策特別措置法に基づき事故対応にあたる保安院に事故情報を報告することを前提にしていた。ところが、官邸に東電幹部が呼び出され、携帯電話だけなど情報伝達手段が不十分だったという。体制が改善され始めたのは事故発生から2日後だった。

 原発から5キロ離れたオフサイトセンター(緊急事態応急対策拠点施設)が放射性物質を遮断する構造になっていなかったことなどから役割を果たさなかった問題も指摘。保安院の深野弘行院長は26日の記者会見で、「複合災害への備えがなかった点を改善しなければならない」と語った。【奥山智己、岡田英、関東晋慈】

 ◇東電、津波対策に着手せず

 「(東電は)15メートルを超える津波の予測を仮想的な数値で、十分に根拠ある知見とみなさず、具体的な津波対策に着手しなかった」「『自然災害の外的事象を想定し出すときりがない』など幹部の供述から、津波を含む自然災害への過酷事故対策が極めて不十分」--。検証委は、過小評価を繰り返した東電など原子力関係者の姿勢をこう批判した。

 今回の調査では、将来の地震発生を予測する国の長期評価に関連し、東電が震災前の今年3月上旬、長期評価の事務局である文部科学省に、「(東北地方に大きな津波をもたらした)貞観地震(869年)の震源はまだ特定できないと読めるようにしてほしい。貞観地震が繰り返し発生しているようにも読めるので表現を工夫してほしい」と要請したことが判明。過小評価で津波対策の先延ばしを工作したとみられる。

 原子力関係者による過小評価はこれに限らない。06年の内閣府原子力安全委員会の分科会では、炉心損傷事故が起きる確率をどこまで低く抑えればよいかを定める「性能目標」の具体的数値を巡り、リスク評価を専門とする委員が年10万分の1を主張。これに対し、電力会社などに所属する委員らの反対で1万分の1に弱められた経緯がある。

 なぜ過小評価が生じ、対策に生かされないのか。検証委は一因として、リスクと向き合う努力が足りない点を挙げた。

 原発の建設当初、国や電力会社は「現行規制で原発は安全」と地元に説明し、「安全神話」が醸成された。その後の研究の進展に伴い、一定の確率でリスクが存在すると判明したが、説明を変えると過去の否定につながることを恐れた可能性があるという。

 原発のリスク評価に詳しい平野光将・東京都市大特任教授は「研究者や地元の有力者は『安全神話』を信じていなかったはず。原子力業界が経済性を勘案しながら、手抜きをしていたのが実態ではないか」と苦言を呈した。【河内敏康】

 ◇SPEEDI分析公表遅れ 住民守る意識希薄

 無用な被ばくを避ける上で重要な避難や屋内退避、安定ヨウ素剤の服用など放射線防護対策も後手に回った。検証委は「住民の命と尊厳を重視する立場でデータの重要性を考える意識が希薄だった」と厳しく批判した。

 政府の事故対応を巡っては、原発から放出された放射性物質の拡散状況を予測し、避難などに役立てる文部科学省の「緊急時迅速放射能影響予測システム(SPEEDI)」が活用されていなかったことが、早い段階から疑問視されていた。

 中間報告書によると、放射性物質の量や種類などのデータが停電で送信できず、拡散する量を算出できなかった。一方、毎時1ベクレルが放出されたと仮定した拡散予測は事故発生当日の3月11日夕以降、1時間ごとに計算、経済産業省原子力安全・保安院や福島県などに送信されていた。

 ところが、政府機関も県も「実際の線量ではなく、具体的な措置の検討に活用せず、公表するという発想もなかった」と言う。その結果、一部の住民の避難先は放射性物質の飛散方向と重なった。SPEEDIの分析結果の公表遅れは、被ばくの少ない避難経路を選ぶ機会を奪った。

 さらに、放射性ヨウ素の体内蓄積を防ぐ安定ヨウ素剤の服用についても、原子力安全委員会が15日未明に「入院患者の避難時に投与すべきだ」と助言したが、現地対策本部の職員は被ばく回避などで県庁へ移転中で、助言が記載されたファクスが放置された。また、多くの自治体がテレビ報道で政府の避難指示の内容を知った。

 馬場有(たもつ)・浪江町長は「SPEEDIのデータが瞬時に公開されていれば、町民が不必要に被ばくする事態を避けられた。テレビを見て20キロ圏外に出なければと考え、(放射線量が高い)津島支所に移動すると防災無線で町民に知らせた。本当に悔やまれる。国は人の命をどう思っているのか」と怒りをあらわにした。

 遠藤勝也・富岡町長は「SPEEDIの存在は事故後に初めて知った。住民は怒りを通り越した感情だろう。今後は政府や東電が初動でどんなやりとりをしたのかを解明してほしい」と述べた。

 中間報告は、一連の混乱要因として、政府の意思決定が首相執務室のある官邸5階に集められた一部の省庁幹部や東電幹部の情報のみを参考にした点を挙げている。SPEEDIを担当する文科省職員は常駐していなかった。事故対応に当たる官僚は「政治主導に加え、菅直人・前首相の怒鳴り声が廊下まで響き、誰も近寄りたがらなかった」と漏らす。

 吉井博明・東京経済大教授(災害情報学)は「政府も東電も、これほど影響が広がる事故はないと決めつけていたので、SPEEDIの柔軟な活用に気づかず、毎年の原子力防災訓練も形だけになっていた」と指摘する。【西川拓、山本太一、清水勝】

 ■ことば

 ◇IC(非常用復水器)とHPCI(高圧注水系)
 ICは古いタイプの原子炉に特有の緊急時用冷却装置で、福島第1原発では1号機にしかない。交流電源が失われた時に、炉内の核燃料を冷却するために使用する。HPCIは、非常時に原子炉内に注水するために備えられた緊急炉心冷却装置(ECCS)の一つで、原子炉内の水位が異常に下がった場合に働く。停電時でもバッテリーで使用できるのが利点。

 ◇ 毎日新聞 サイド記事「住民ら政府の対策不足非難」 → http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20111227k0000m040105000c.html

 政府の事故調査・検証委員会が26日に公表した中間報告は、原子力災害が発生した際の住民の避難について、政府や電力業界が十分な対策をとっていなかったことを指摘した。福島第1原発事故で避難を強いられた住民や医療関係者からは、改めて政府の対応を非難する声が上がった。

 大気中の放射性物質の拡散を予測する緊急時迅速放射能影響予測システム(SPEEDI)の分析結果公表が遅れた結果、放射線量の高い地域に避難してしまった人は少なくない。福島県南相馬市原町区の内科医、志賀嘉津郎さん(63)も福島第1原発3号機が爆発した3月14日、妻子を車に乗せ飯舘村の小学校に避難した。

 「ガソリンも少なかったし、飯舘村は原発から約50キロ離れているから安全だと思った。SPEEDIの分析結果を速やかに公表してくれれば、飯舘村には逃げなかった」。村の小学校では、小中学生がボランティアで避難者に食事を配るなど屋外で活動していたといい、「あの子たちがどのくらい被ばくしたのか」と案じる。

 屋内退避の指示区域に入った南相馬市立総合病院は、物流が止まったため医薬品や酸素ボンベが不足して混乱に陥った。全入院患者の避難も始めたが、病院の救急車は1台しかなく、自衛隊の協力で全員の搬送を終えたのは指示から5日後の3月20日。系列の特別養護老人ホームの入所者の間では、搬送後に死亡する人も相次いだ。

 金沢幸夫院長(58)は「国は屋内退避を指示しながら、災害弱者がどうなるか全く考えていなかった。患者の移送手段や医薬品などを確保できる体制を整備しなければ、また同じことを繰り返す」と警鐘を鳴らす。

 福島県福祉事業協会が運営する富岡町や川内村の知的障害者入所施設も、移転を余儀なくされた。当初は一般の避難所に移ったが、環境の変化に対応できない入所者が続出。田村市の通所施設に移った後も、手狭で入所者が重なり合って寝る状態だった。

 事情を知った医療関係者の紹介で、4月に千葉県鴨川市の県立施設へ移った。同協会の山田荘一郎理事長は「我々の力だけで受け入れ施設を探すのは困難。国が施設を紹介してくれないと、避難は難しい」と話した。

 ◇ 毎日新聞・解説 「安全文化を軽視」 → http://mainichi.jp/select/jiken/news/20111227k0000m040102000c.html

 政府の事故調査・検証委員会が公表した中間報告書から浮かぶのは、「安全文化」が欠如した国や東京電力の姿だ。これまで、地震や津波など自然災害と原発事故が起こる複合災害の「原発震災」があれば甚大な被害をもたらすことは指摘されてきた。その警告を軽視してきた原子力関係者の過小評価体質に猛省が求められる。

 安全文化とは、反省しながら、最新知見を取り入れ安全を常に求める姿勢をいう。だが東電の場合、08年に福島第1原発に15メートル超の津波が押し寄せる可能性を予測したが、コストのかかる防潮堤の設置などの対策を進めなかった。事故発生直後も「想定外の津波が原因」という言葉を口にしている。これに対し、26日、記者会見した畑村洋太郎委員長は「一度想定を決めると、想定外を考えなくなる」と指摘、被害の甚大さを考慮すれば確率が低くても想定外を無視しない大切さを説いている。

 報告書は、経済性と安全性の問題にも触れた。近年、規制緩和の流れの中で、原発の安全確保も法に基づく規制から、電力会社の自主規制へと流れが強まっている。電力会社が自らの責任で取り組む姿勢は重要だが、検証委は「経済性と安全性のせめぎあいの中では、適切な判断にいたらない恐れがある」などと指摘し、自主規制の限界に言及した。

 一方で報告書では、安全文化を軽視した背景に言及しているのは全体の1割以下にとどまる。なぜ対策が電力会社の自主性に委ねられたのか。地震国・日本で珍しくない津波の対策をなぜ軽んじたのか。来夏の最終報告に向けて、検証委の分析が注目される。【河内敏康記者】

 ◇ 毎日新聞 中間報告要旨 その1 → http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20111227ddm010040013000c.html

 東日本大震災:福島第1原発事故 政府事故調中間報告 要旨(その1)

 東京電力福島第1原発事故を受けて設置された政府の事故調査・検証委員会(委員長=畑村洋太郎東京大名誉教授)が26日、中間報告書を公表した。要旨は次の通り。(文中の肩書は当時)

1・はじめに

(略)

2・事故の概要

1 原発の概要

 地震発生時、東電社員約750人と協力企業の従業員計約5600人が勤めていた。

2 地震と津波の発生

 原発は、東北地方太平洋沖地震と津波に見舞われた。地震規模はマグニチュード(M)9・0。立地する大熊、双葉両町で観測した最高震度は6強。津波は高さ15メートルを超え、1~4号機の区域は最大約5・5メートルの深さで浸水。5、6号機の区域は1・5メートル以下の深さだった。

3 被害概要

 地震発生時は、1~3号機が運転中で、直ちに原子炉に全制御棒を挿入、運転を止めたとみられる。

 地震と津波で外部電源と発電所に備えられていたほぼすべての交流電源が失われ、原子炉や使用済み燃料プールが冷却不能に陥った。1、3、4号機は炉心損傷で大量に発生した水素が原子炉建屋に充満したことによると思われる爆発が発生した。2号機も炉心が損傷したと考えられる。

4 事故に伴う被災

 第1原発からは大量の放射性物質が放出された。総放出量のヨウ素換算値は、経済産業省原子力安全・保安院が約77万テラベクレル(テラは1兆倍)、内閣府原子力安全委員会が約57万テラベクレルと推計。福島県では10月末までに約23万2000人が被ばく調査を受け、102人が全身除染の基準を超えた。

3・発生後の組織対応

1 原子力災害対策特措法、防災基本計画に定められた対応(略)

2 事故発生後の国の対応

 3月11日午後2時46分の地震発生直後、官邸は各省の局長級幹部らを官邸危機管理センターに緊急参集チームとして招集。

 政府は同7時3分に原子力緊急事態宣言を発出し、菅直人首相を本部長とする原子力災害対策本部(原災本部)を官邸に、現地対策本部を福島第1原発から約5キロに立地する緊急事態応急対策拠点施設(オフサイトセンター)に、原災本部事務局を保安院の緊急時対応センター(ERC)にそれぞれ設置した。

 ERCの情報入手・伝達は遅れ気味だった。さらに、東電本店やオフサイトセンターが社内のテレビ会議システムで原発の情報をリアルタイムで得ていることも把握していなかった。緊急参集チームは官邸地下では情報保全のため通常時から携帯電話が使えず、迅速な情報収集が困難だった。また、電話回線が混雑し、ファクスによる情報収集も困難だった。

 首相執務室のある官邸5階では、菅首相の要請に応じ、寺坂信昭保安院長、東電の武黒一郎フェローら幹部社員、班目春樹原子力安全委員長、原子炉メーカーの幹部らが事故対応について関係閣僚と協議した。原発の情報収集が期待された武黒フェローらは当初、官邸で連絡要員を務めるのは一時的と認識していたため情報入手を携帯電話に依存。情報を十分得られず、1号機の水素爆発をテレビ報道で初めて知る状況だった。

3 事故発生後の福島県の対応

 地震で県庁舎が使用できなくなったため、隣の自治会館3階に県災害対策本部を設置。

4 事故発生後の東電の対応

 11日午後3時42分、第1原発の吉田昌郎所長は全交流電源が喪失する原災法10条事象になったと判断し、第1原発と本店はそれぞれ緊急時対策本部を設置した。双方の対策本部はテレビ会議システムを通じリアルタイムで情報を共有し、対応を協議。本店は具体的な対策の最終判断は基本的に吉田所長に委ねた。

 政府と東電は15日午前5時半ごろ、東電本店に統合本部を設置した。

5 事故発生後のオフサイトセンターの対応

 オフサイトセンターには放射性物質を遮断する空気浄化フィルターがなく、放射線量が上昇、要員は3月15日に福島県庁に退去した。

4・事故対応

1 地震発生後、津波到達まで

 発電所対策本部は免震重要棟2階の緊急時対策室に置かれ、メーンテーブルには本部長の吉田所長、発電班、復旧班など各機能班の班長が座った。当直、発電所対策本部、本店はいずれも津波が到達して全交流電源が喪失するまで、あらかじめ定められた手順に従って操作すれば、各号機とも冷温停止できると考えていた。

 11日午後2時52分、1号機で炉内の圧力が高まった。非常用復水器(IC)2系統が自動起動した。1、2号機の冷却注水設備にはICと原子炉隔離時冷却系(RCIC)、高圧注水系(HPCI)もあった。当直は通常の手順に従い、1号機はICで、2号機はRCICで原子炉の圧力制御を行い、原子炉水位が低下した際はそれぞれHPCIを起動させようと考えた。

「福島第1原発原子炉施設保安規定」では原子炉冷却材温度変化率は毎時55度以下と定め運転上の制限としている。午後3時3分、当直は1号機の原子炉圧力の低下が速く、規定を守れないと考え、ICの2系統の弁を閉操作して手動停止した。2号機では、外部電源喪失で主蒸気隔離弁が閉まって原子炉圧力が上昇し、圧力容器から圧力抑制プールに蒸気を逃がす主蒸気逃がし安全弁が自動的に開閉を繰り返し、圧力抑制プールの水温が上昇傾向にあった。

2 津波到達後、原災法15条に基づく特定事象発生報告まで

 地震発生後、発電所対策本部は気象庁の津波情報を把握し、吉田所長は6メートルの津波が到達する恐れがあると知った。しかし、複数号機が同時的に全交流電源を喪失するとは想像していなかった。

 11日午後3時27分と35分の2回、津波が到達して13メートルの電源盤の上まで遡上(そじょう)、原子炉建屋など多くの施設が被水。同37分から同42分に6号機の空冷式ディーゼル発電機を除きすべての交流電源を失った。各中央制御室から全交流電源を喪失したとの報告を受け、想像を絶する事態に皆が言葉を失った。吉田所長は、これまで考えられてきたあらゆるシビアアクシデント(過酷事故)をはるかに超える事態が発生し、とっさに何をしていいか思いつかなかった。午後3時42分、原災法10条の特定事象(全交流電源喪失)の発生を通報した。

 1、2号機とも午後3時50分までに原子炉水位や他のパラメーターを監視できなくなった。当直は過酷事故対策用の「事故時運転操作基準」(手順書)を取り出して読んだが、全交流電源が失われる事態を想定していなかった。

 津波到達後、1号機のIC隔離弁は、開閉状態の表示灯が消えて確認できなかった。当直は津波到達前のIC操作を覚えておらず、全電源喪失によって自動で弁が閉まる(フェイルセーフ)機能についても思い至らず、津波到達直後のICの作動状況を把握できなかった。3号機は直流電源盤が被水を免れ、RCICとHPCIが起動可能だった。当直は、これらの設備だけでは冷温停止は困難なため、代替注水までの時間を確保するため、できるだけ長い間作動可能な状態に保つことを考えた。

 吉田所長は1号機のICや2号機のRCICが作動していると期待しつつも、最悪の事態を想定して原災法15条の特定事象(非常用炉心冷却装置注水不能)が発生したと午後4時45分、官庁などに報告した。午後4時45分、1号機の水位計が確認できたと報告を受け、同55分、特定事象発生の報告を解除した。その後再び1号機の水位を確認できなくなり、午後5時12分、特定事象の発生を報告した。

 午後5時15分、発電所対策本部技術班は1号機について燃料頂部に水位が下がる時間を1時間と予測。本店対策本部も午後6時15分には炉心が露出する可能性があると認識していた。この時点でICの冷やす機能が十分でなく、代替注水の実施作業に着手する必要があると容易に認識できたはずだ。

3 原災法第15条に基づく特定事象発生報告後、1号機原子炉建屋爆発まで

 1号機のICは全交流電源が失われ、弁は自動的に閉まる動作によりすべて閉となっていたと推認できる。午後5時19分、当直はICの復水タンクの水量を確認しようとしたが、1号機原子炉建屋内で線量計が最高値の毎時約2・5マイクロシーベルトを振り切ったためあきらめた。津波到達から2時間以上ICの「冷やす」機能はほとんど機能しなかった。しかし、この時点でも、ICが機能を失っている可能性があると認識した人はいなかった。

 当直の誰一人として、地震が発生するまでICを実際に作動させた経験がなかった。11日午後6時18分、当直は中央制御室で、ICの弁が全閉の状態を示すランプが点灯していることに気づいた。午後9時半ごろ、弁を開く操作をして発電所対策本部に報告した。

 同本部も午後9時台までは1号機よりも2号機で炉心溶融に至るのではないかと危機感を持っていた。保安院の保安検査官も12日未明まで免震重要棟2階にいたが、プラントデータなどを携帯電話などでオフサイトセンターに報告するのみで、指導、助言をした形跡はまったく見当たらない。

 問題点は、当直がICを作動させた経験がなく、訓練、教育を受けていなかった。また当直長から代替注水のライン構築作業について報告を受けた発電所対策本部の者は誤解した受け答えに終始し、当直長が何度訂正しても十分理解が得られなかった。最重要情報の一つが当直から発電所対策本部に正確に伝わらず、大きな認識の乖離(かいり)が生じた。

 発電所対策本部、本店対策本部でも誰一人としてICが機能していないという疑問を指摘した者はいなかった。吉田所長は「これまで考えたことのなかった事態に遭遇し、情報に追われ、重要情報を総合的に判断する余裕がなくなっていた」と供述する。結局、今回のような事態を想定し、対処に必要な教育、訓練がされていなかったと言うほかない。

 11日午後5時12分、吉田所長は発電班、復旧班に代替注水を検討するよう指示したものの、各班で役割や責任が不明確で、12日未明まで具体的な検討、準備はされなかった。同午前2時3分、発電所対策本部は消防車のホースを1号機タービン建屋の送水口に接続して注水するしかないと考えた。だが東電社員には消防車を運転操作できる者がいなかった。12日午前中、ようやく、柏崎刈羽原発の消防車などが到着した。

 12日正午、吉田所長は1号機付近の淡水がなくなった場合は海水注入を決断し、午後2時54分、注入を指示。しかし午後3時36分、1号機で水素爆発が発生し、消防ホースは破損して使用不能となった。

 11日夕方以降、1、2号機中央制御室の当直はベント(排気)を実施する可能性もあると考えた。吉田所長は12日午前0時6分ごろ、1号機のベントの準備を進めるよう指示した。本店でも異論は出なかった。午前1時半ごろまでに、清水正孝東電社長の了解を得た。官邸でも菅首相や海江田万里経済産業相、保安院の了解を得て午前3時6分にに海江田経産相と東電がベント実施を発表。だが原子炉建屋は照明がない上、線量が高く、余震も発生し思うように作業を進められなかった。

 午前7時11分、菅首相は班目委員長とともにヘリコプターで原発に行き、免震重要棟2階の会議室で吉田所長と面会。ベントを急ぐよう言われた吉田所長は午前9時ごろをめどに実施したいと答えた。

 1号機のベントに必要な弁を開けるためには高線量の建屋内に入らなければならなかった。午前9時15分、第1班が弁を手動で25%開にして戻った。第2班は線量限度の100ミリシーベルトを超える可能性があったため操作を断念。午前10時以降、中央制御室で弁を開ける操作を3度試みると、原発正門付近の線量が上昇、ベントできた可能性が高いと判断した。しかし、午前11時15分には再び線量が下がり、ベントは十分効いていない可能性があると判断を改めた。担当者にはベントをちゅうちょした事実は認められない。しかし吉田所長は11日夜まで、差し迫ったベントの必要性を感じていなかった。

4 1号機原子炉建屋爆発後、3号機原子炉建屋爆発まで

 3月12日午後7時15分までにERCは東電から1号機への海水注入開始の報告を受け、官邸地下の緊急参集チームにいた保安院職員に電話で伝えた。だが官邸5階の菅首相らには伝わらなかった。

 同日夕方以降、菅首相らは避難区域の拡大に関する議論をしていた。(菅首相からのヒアリングは未了で暫定的な調査結果)菅首相は班目委員長に、海水を入れることで再臨界の可能性があるのではと尋ね、班目委員長は「再臨界の可能性はそれほど考慮に入れる必要がない」と答えたが、菅首相は十分納得しなかった。

 菅首相は原発から半径10キロ区域の避難範囲を拡大し、半径20キロにした。それまでは半径10キロを超える地域は防災訓練も実施しておらず、自治体や地域住民への連絡、避難手段の確保なども全くされていなかった。

 官邸で海水注入について議論になり、武黒フェローが12日午後7時4分過ぎ吉田所長に電話をした。吉田所長は「もう開始している」と回答し、武黒フェローは「今官邸で検討中だから、注入は待ってほしい」と強く要請した。吉田所長は電話後、いつ再開できるか分からないのに海水注入を中断すれば原子炉の状態が悪化の一途をたどるだけと考え、自己の責任で海水注入を継続しようと判断して担当者に小声で「これから海水注入中断を指示するが、絶対に注水をやめるな」などと指示。その後、緊急時対策室全体に響き渡る声で海水注入中断を指示した。1号機に本格的に海水注入が開始されたのは午後8時20分ごろで、それまでは試験注水という整理がされた。

 3号機では12日午前11時36分ごろ、何らかの原因でRCICが停止。午後0時35分ごろ、HPCIが自動起動した。その後原子炉は減圧が顕著となった。HPCIは本来原子炉圧力が高圧状態の時に短時間に大量に注水するシステムだった。そのため当直は通常と異なる運転方法でHPCIの設備が壊れる恐れがあると不安を抱くようになった。13日午前2時42分ごろ、HPCIを手動で停止することにした。当直は発電所対策本部発電班の一部の者に相談した。しかし、それらの者は現場対応に注意を払うあまり、発電班でも共有されず、HPCIが作動しているという認識を持っていた。

 13日未明以降、官邸5階の首相応接室では海江田経産相、平岡英治保安院次長、班目委員長、東電部長らが意見交換していた。このとき、3号機への海水注入の準備をしていると情報が得られ「海水を入れるともう廃炉につながる」「発電所に使える淡水があるなら、それを使えばいいのではないか」などの意見が出た。東電部長は吉田所長に電話し「淡水が残っているなら極力淡水を使った方がいいのではないか。官邸でそのような意見が出ている」と伝えた。吉田所長はこれを重く受け止め、海水注入作業を中断して注水ラインを変更するように指示した。13日午後0時20分ごろ、淡水が枯渇。海水注入が開始されたのは午後1時12分だった。

 3号機のベントでは13日午前8時35分、当直が原子炉建屋に入り弁を手動で15%開。午前9時8分、ベントを実施した。午後2時31分、3号機建屋内で毎時300ミリシーベルトを超す高線量が計測され、吉田所長は3号機でも炉心損傷が相当進み、大量に発生した水蒸気が水素とともに建屋内に漏れ、1号機と同様に水素爆発が発生することを恐れた。ウオータージェットで建屋の壁に穴を開けようと考えたが、困難だった。

 14日午前11時1分、3号機原子炉建屋で水素爆発が発生。15日午前6時から同10分にかけ4号機原子炉建屋も爆発した。

5 3号機原子炉建屋爆発後、2号機圧力抑制プール圧力低下と4号機原子炉建屋爆発まで

 14日午後0時半ごろには2号機の圧力抑制プールの水温、圧力が上昇の一途をたどり、破損が懸念された。官邸5階では細野豪志首相補佐官、班目委員長、東芝の技術者らが2号機の対応について意見交換した。班目委員長は吉田所長にベント前に早期に注水すべきだと意見した。発電所対策本部と本店は、班目委員長の意見に反してベントを急ぐべきだとの意見で一致した。だがベント弁の開操作がうまくいかず、午後4時過ぎに清水社長は吉田所長に対し、班目委員長の意見に従って、注水作業を行うよう指示した。

 発電所対策本部と本店は午後6時22分の時点で2号機の燃料棒が全部露出したとの認識を確認した。午後7時57分にようやく2号機への連続注水が開始。吉田所長はこのままでは炉心溶融が進み、核燃料が溶け落ちて格納容器の壁も溶けて貫通し、放射性物質が外部にあふれ出すいわゆる「チャイナ・シンドローム」のような最悪の事態になりかねないと考えた。さらにそうなった場合1、3号機も作業ができなくなり、同じ事態に陥る。吉田所長は自らの死も覚悟したが、社員などの人命も守らなければならないと考え、必要な人員だけ残して原発敷地外に退避させようと判断した。

6 2号機圧力抑制プール圧力低下と4号機原子炉建屋爆発後(略)

7 原子炉格納容器外の爆発(略)

 ■ことば

 ◇原子力災害対策特別措置法
 原子力災害から国民の生命や財産を保護することを目的に00年6月施行された。10条で一定の事故や故障が生じた場合の迅速な通報を事業者に義務づけている。原子炉内に注水できず冷却機能が喪失するような重大な緊急事態に至った場合は15条に基づき通報、首相が原子力緊急事態宣言を

 ◇ 毎日新聞 中間報告要旨 その2 → http://mainichi.jp/select/jiken/news/20111227ddm010040021000c.html

 5・原発外での事故対応

1 環境放射線モニタリング

 地震と津波で、福島県が設置した24台のモニタリングポストのうち、23台が使用できなくなった。モニタリングカーでの計測は、12日早朝から開始。13日以降、県と文部科学省の職員がモニタリングカーを用いて空間線量率の測定、大気浮遊塵(じん)や土壌の採取を行った。しかし、地震で道路状況が悪化、初期活動は思うように進まなかった。

2 緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)情報の活用と公表

 政府の原災マニュアルでは、実用炉の事故の場合、保安院は緊急時対策支援システム(ERSS)を起動して放出源情報を把握し、文科省などに連絡することとしている。今回は、地震による外部電源喪失により、ERSSへのデータ送付ができなくなったため、放出源情報を基にしたSPEEDIによる放射性物質の拡散予測はできず、避難区域設定に活用することもできなかった。

 3月11日午後4時49分、文科省の指示で原子力安全技術センターは原発から毎時1ベクレルの放出(単位量放出)があったと仮定し、気象データなどを用いて1時間ごとの放射性物質の拡散予測計算(定時計算)を開始した。

 同センターは定時計算の結果を文科省、ERC、安全委員会、オフサイトセンター、福島県庁などに送付した。これらの組織は、実際の放射線量を示すものではないなどの理由から、具体的な措置の検討には活用せず、またそれを公表する発想もなかった。

3 住民の避難

 福島県災対本部は原子力緊急事態宣言を受け、原発から半径2キロ圏内に避難指示を出すことを検討。佐藤雄平知事は11日午後8時50分、大熊、双葉両町に対し、指示を出した。

 一方、班目委員長、平岡保安院次長、東電幹部が官邸5階に集められた。炉心損傷を避けるにはベントを行う必要があること、ベントを実施しても3キロを避難範囲とすれば十分であるなどの意見を踏まえ、3キロ範囲の避難、3~10キロの屋内退避の指示が決定された。

 1号機の原子炉格納容器圧力が異常上昇し、12日未明、避難範囲の再検討が行われ、避難範囲を10キロに拡大することが決められた。

 12日午後3時36分、1号機原子炉建屋で爆発が発生し、官邸5階で20キロの範囲で避難指示を出すことが決められた。同日午後8時32分、菅首相は国民へのメッセージを発表。枝野幸男官房長官は格納容器の爆発ではなく、放射性物質が大量に漏れ出すものではない旨説明した。

 14日の3号機の爆発、15日の4号機原子炉建屋3階での火災などの後、原災本部は15日午前11時、県知事と関係自治体に20~30キロ圏内の居住者に屋内退避を指示した。

4 被ばくへの対応

 東電幹部は、法令の定める線量限度を順守していては事故収束作業が難しくなると判断し、安全委員会や保安院に相談。3月14日午後、官邸で緊急作業時の線量限度を100ミリシーベルトから250ミリシーベルトに引き上げることが決められた。文科省の放射線審議会は同日深夜から翌日未明にかけメールで審議し、妥当と答申した。11月1日、限度を100ミリシーベルトに戻した。

 従業員の被ばくを契機に、東電は5月2日、敷地全域を管理区域と同等の区域と定め、警報付きポケット線量計の携行などを義務づけた。

 延べ人数で福島県人口の1割を超える20万人以上がスクリーニングを受け、102人が全身除染の対象になった。

 安全委員会は、スクリーニングで一定レベルを超えた者に安定ヨウ素剤の服用を指示すべきだとするコメントをERCに送付した。しかし、現地対策本部には伝わらなかった。安全委員会は3月15日、避難範囲内の入院患者が避難する際に安定ヨウ素剤を投与すべきだとの助言を出し、ERCはこれを現地対策本部にファクスした。しかし、現地対策本部は福島県庁への移転作業中で、ファクスに気づいたのは同日夕方だった。

5 農畜水産物や空気・土壌・水の汚染

 厚生労働省の担当者は食品対策の必要性を認識したが、原災法で一貫して行うのが適切と考え、同省所管の食品衛生法に基づく対応は考えていなかった。農水省は農産物の風評被害を防ぐためには被災地以外も含めて一般的な基準が必要と考え、3月16日に厚労省に、放射性物質に関する食品衛生法上の基準を設定するよう要望した。厚労省は、安全委員会が国内の原子力事故を想定して設定した飲食物摂取制限の指標をそのまま規制値として採用した。

 19、20日に福島県の原乳、茨城県などのホウレンソウ、群馬県のかき菜から暫定規制値を超える放射性物質が検出されたことを受け、原災本部長はこれらの出荷制限を指示した。その後も出荷制限は続いた。

 福島県は30日、現地対策本部に学校などの再開の基準を示してほしいと要望し、文科省は事故収束後の状況について国際放射線防護委員会(ICRP)が定めた基準が年間1~20ミリシーベルトだったことから、その上限を基準とした。児童生徒が屋外にいる時間を1日8時間と仮定し、毎時3・8マイクロシーベルトを一つの目安とした。5月12日以降、毎時3・8マイクロシーベルト以上が測定された学校はない。

6 汚染水の発生・処理

 4月2日午前10時ごろ、2号機取水口付近の電源ケーブルを収めるピット内に表面線量が毎時1000ミリシーベルトを超える高濃度汚染水が滞留し、ピット脇のコンクリートの亀裂から海洋に汚染水が流出しているのを作業員が発見した。

 東電は汚染水の貯蔵スペース確保のため、4月2日から集中廃棄物処理施設の水を4号機タービン建屋に移送していたが、4日朝に隣接する3号機タービン建屋立て坑内の汚染水水位が急上昇したため中止。これとは別に5、6号機の建屋内に地下水が浸水し、重要な電気機器が健全性を失う恐れがあった。東電本店で保安院、安全委員会、東電の職員は集中廃棄物処理施設の水などを海洋に放出するための事務手続きを開始。同日午後3時までに菅首相、枝野官房長官、海江田経産相の了解を得た。

 その後、東電と現地対策本部は関係する自治体、漁業協同組合連合会等に海洋放出について連絡した。事務作業開始から菅首相の了解を得るまでの間、外務省や農水省などの国内関係機関、国際原子力機関(IAEA)、各国に海洋放出予定を伝えていなかった。

7 放射性物質の総放出量の推定と国際原子力事象評価尺度(INES)

 保安院は原子炉の状態を解析するプログラムを用い、1~3号機から大気中に放出された放射性物質の総量をヨウ素換算値で77万テラベクレルと推計、6月6日に公表した。安全委員会はモニタリング結果等を用いて総量を推計し、ヨウ素換算値で57万テラベクレルとなった。

 保安院原子力防災課原子力事故故障対策・防災広報室長は3月11日、IAEAに「レベル3」と評価した旨報告した。翌12日、IAEAに「レベル4」と報告。12日の1号機爆発に加え、14日の3号機建屋の水素爆発、15日の敷地内の放射線量の急上昇などを総合し、18日に「レベル5」と判断した。

 4月12日、深野弘行・保安院原子力災害特別対策監と広瀬研吉・内閣府参与は菅首相に、暫定INES評価が「レベル7」になる旨説明した。

8 国民への情報提供の問題

 保安院の中村幸一郎審議官は12日午後2時の記者会見前、寺坂保安院長に敷地内の放射線量が高くなっていることなどから、炉心溶融の可能性が高い旨報告した。寺坂保安院長は「事実がそうなら、そのように言うしかない」と告げた。中村審議官は記者会見で「炉心溶融の可能性がある。炉心溶融がほぼ進んでいるのではないだろうか」と説明した。

 この後、寺坂保安院長は官邸で発表に対する懸念の声があったとの情報を受け、発表前に官邸の了解を得るよう広報担当者に指示。他の審議官を介して中村審議官に、発言に注意するよう指示した。

 中村審議官は同日午後5時50分の記者会見まで担当したが、その後、院長に交代を申し出て、野口哲男首席統括安全審査官に交代。野口審査官は午後9時半の記者会見で「炉心が破損している可能性はかなり高いが、正確には分からない」と説明し、炉心溶融という表現を使わなかった。

 政府は事故後、放射線の人体への影響に関し、たびたび「直ちに影響を及ぼすものではない」と説明した。この表現については、「人体への影響を心配する必要はない」と理解する者と、「直ちに影響はないが、長期的には影響がある」と理解する者があり得る。いずれの意味で用いているのかが必ずしも明らかでなく、踏み込んだ説明もなかった。

9 国外への情報提供の問題

 東電は4月4日、比較的汚染度の低い滞留水を海洋に放出することとしたが、事務作業に関与した保安院職員の中で諸外国への通報の必要性を認識、指摘した者はなく、決定後の記者会見を見ていた職員がIAEAに電子メールで連絡した。外務省が全外交団に電子メールやファクスで伝えたのは、放出開始後だった。

10 諸外国、IAEAとの連携(略)

6・事故予防と拡大防止

1 原子力施設に対する安全規制(略)

2 地震対策

 東電は06年9月の耐震設計審査指針改定後、基準地震動を算出し、原子炉建屋や安全上重要な機器・配管系について、耐震安全性が確保されていると判断した。保安院、安全委も妥当と判断した。

3 津波対策

 土木学会が02年に「原発の津波評価技術」を公表。過去の津波の痕跡などから津波を起こす地震のモデルを想定し、想定津波を選ぶ設計津波水位の評価方法が示された。評価技術に基づき、東電は福島第1の6号機の非常用ディーゼル発電機、海水ポンプの電動機のかさ上げなどを実施、保安院に報告したが、特段の指導はなかった。

 その後、安全委員会が耐震指針検討分科会を設置したが、津波や海岸工学の専門家は含まれなかった。保安院は指針改定を受け、新耐震指針に照らした評価手法(バックチェックルール)を策定、各電力会社に実施を求めた。その津波の評価手法は、土木学会の津波評価技術と酷似したもので、津波評価技術が公表された02年以降に明らかになった新知見について、保安院は体系的な調査、検証作業をしなかった。

 東電は、バックチェック指示を受け、福島第1、第2原発の作業を進めたが、国の地震調査研究推進本部(推本)が02年に示した「1896年の明治三陸地震と同様の地震は、三陸沖北部から房総沖の海溝寄りの領域内のどこでも発生する可能性がある」という知見の取り扱いが問題となった。08年2月ごろ有識者の意見を求め、遅くとも同年5月下旬から6月上旬までに、最大で福島第1敷地南部で15・7メートルという想定波高の数値を得た。この波高を知った吉田昌郎原子力設備管理部長の指示で、武藤栄原子力・立地副本部長らへの説明と社内検討が始まった。同年7月31日、武藤副本部長、吉田部長に、防潮堤の設置で津波の遡上水位を1~2メートル程度低減できるが、数百億円規模の費用と約4年が必要と説明があった。

 武藤副本部長と吉田部長は「示されているような津波は実際は来ない」と考えていた。推本の長期評価の取り扱いは評価方法が確定しておらず、ただちに設計に反映させるレベルのものではないことなどを東電の方針として決定した。東電は同年10月ごろ、有識者らを訪ね、社内検討結果の理解を求めたところ、特段否定的な意見は聞かれなかった。その一人の佐竹健治・東京大地震研究所教授は、869年の貞観地震のシミュレーションの論文を渡し、それに基づいて東電が波高を試算したところ、福島第1で最大9・2メートル、第2で同8メートルという結果を得た。

 吉田部長は、佐竹論文に基づき試算された波高の津波も実際は来ないと考えていたものの、土木学会に検討を依頼することにした。また福島県沿岸での津波堆積(たいせき)物調査も決めた。09年12月~10年3月、福島県沿岸で津波堆積物調査をした結果、貞観地震津波の堆積物が福島第1より10キロ北の南相馬市などで発見された。

 東電はその後、必要となるかもしれない津波対策の内容を、いわば頭の体操的に検討した。しかし、当時の小森明生原子力・立地副本部長には報告されていなかった。

 東電が提出した福島第1の5号機、第2の4号機の耐震安全性評価の中間報告書に対する評価について、09年6月、7月に経済産業省総合資源エネルギー調査会のワーキンググループで、委員から貞観地震津波を考慮すべきだとの意見が出された。この指摘を受け、保安院の審査官が同年8月上旬ごろ、東電に説明を要請した。東電の担当者は吉田部長に相談し、従来の東電の方針と佐竹論文に基づく試算の波高を説明する意向を述べたところ、吉田部長は波高は説明不要と指示した。

 保安院の審査官は波高が8メートル台ならば、ポンプの電動機が水没して原子炉の冷却機能が失われることを認識した。だが、保安院の室長らは対策工事を講じるよう要求したりせず、上司の森山善範審議官にも報告しなかった。

 森山審議官は10年3月、部下から「貞観地震津波は簡単な計算でも敷地高は超える結果になっている。防潮堤を造るなどの対策が必要になると思う」と報告を受けた。しかし、具体的な波高を確認せず、ワーキンググループで議論してもらうこともしなかった。

 保安院は11年2月22日、文科省から、推本の長期評価で貞観地震に関する最近の知見も踏まえた改定を同年4月ごろに予定しているとの情報を得た。同日に東電に連絡し、福島第1、第2の津波対策の現状について説明を要請した。

 11年3月7日、保安院で東電は文科省に、改定案ついて「貞観地震の震源はまだ特定できていないと読めるようにしてほしい。貞観地震が繰り返し発生しているようにも読めるので、表現を工夫してほしい」と要請したことを説明した。保安院の室長らはこのヒアリングの内容を上司に報告しなかった。

4 シビアアクシデント対策

 シビアアクシデントの一つに全交流電源喪失(SBO)がある。米スリーマイル島原発事故を踏まえ、原発の安全設計審査指針を全面改定し、「原子炉施設は、短時間の全交流動力電源喪失に対して、原子炉を安全に停止し、かつ、停止後の冷却を確保できる設計であること」とした。安全委員会の検討では、外的事象(地震、洪水などの自然災害)によるSBOの可能性は論じられていない。

 安全委員会や通商産業省は、シビアアクシデント対策を国内に導入するにあたり、規制要求にすると、現行規制の不備、欠陥を意味することになり、過去の説明と矛盾が生じるのではないかとの議論があった。しかしアクシデントマネジメントが重要であることが国際的に広く認識され、各国で採択され始めていた。このため、安全委と通産省は、規制ではなく、事業者が主体となって更なる安全を確保するとして整備を進めることとなった。

 また、通産省が92年7月に出したアクシデントマネジメントの整備に関する通達は、事業者側と文言調整がされたとの供述が得られている。同様に、通産省で「シビアアクシデント」「過酷事故」という言葉が嫌われたとの供述もある。東電関係者へのヒアリングでは、地震に対するアクシデントマネジメントの難しさを考え、通達に明示的に書かないよう調整したとの供述が得られている。

 東電は02年5月までに福島第1、第2のアクシデントマネジメントを整備し、保安院に報告。外的事象は対象外とされていた。東電が、想定を超えた自然災害が発生した場合のシビアアクシデントへの対策を検討することまではしていなかった理由について、武藤栄顧問、小森明生常務、吉田昌郎福島第1原発所長をはじめとする幹部らは、皆一様に「対処を考えたことはなかった」と述べ、「想定すべき外部事象は無数にあるので、想定し始めるときりがない」と述べた幹部もいた。吉田所長は「新潟県中越沖地震の際、柏崎刈羽原発で事態を収束させることができたことから、設計が正しかったという評価になってしまった」と述べた。

5 津波対策・シビアアクシデント対策についての基本的な考え方(略)

6 複合災害時の原子力災害対応

 保安院は09年4月、「複合災害時の原子力防災マニュアルの作成上の留意事項の素案」を、総合資源エネルギー調査会小委員会に提出した。しかし素案は、複合災害が発生する蓋然(がいぜん)性は極めて低く、現在の防災体制を基本に対策を検討することが合理的との結論を示した。地方などからも、複合災害対策の策定は大規模自然災害が原子力災害を引き起こすとの誤解を招く懸念がある、と策定自体に批判的な意見が寄せられた。保安院は10年10月、自然災害が原子力災害を引き起こす可能性はほぼゼロに等しいと判断、複合災害対策も現行に沿って取り組むという方針を決めた。

 今回の事故は、地震によって発生した津波等により原子炉を冷却する装置が使用できなくなるなど、プラント自体が壊滅的な打撃を受けたのみならず、事故発生後の対応でも、地震・津波が原因となって人手不足や通信・交通インフラに障害が起き、事故対応、避難措置に困難が生じた。原子力災害と同時に自然災害が発生する事態を想定していなかったためと考えられる。

7 原子力安全・保安院の規制当局としてのあり方

 今回の災害で、保安院は情報収集機能を適切に果たせず、事故の初期段階に、官邸や関係省庁が求める情報を適時適切に提供できず、福島第1の状況についても十分な説明ができなかった。

 保安院は、情報の収集・把握のハブとしての役割を果たす自覚と問題意識に欠けていた。

 官邸やERCにいた者が現場の作業状況を把握できず、ベントの実施について現場との認識の共有が十分できていなかったため、菅首相の福島第1原発訪問などの国側の対応に影響を与えた。

 保安院が役割を果たせなかった背景には、全電源喪失という非常事態での現場の対処や具体的な知識・知見を十分に持っていなかったという事情があるのではないか。

 原子力保安検査官は、3月12日午前5時ごろにオフサイトセンターに退避した。この時期は1号機格納容器の圧力が異常に高い状態が続くなど現場の状況確認の必要は極めて高い状況が続いていた。この時期に保安検査官が退避するという判断が適切であったかは甚だ疑問が残る。非常事態に国として事故対処を担うべき自覚に欠けたのではないか。

 現地対策本部が実施したモニタリング結果について、保安院は一部しか公表せず、ほとんどが公表されたのは6月3日になってからだった。SPEEDI情報も、広報の要否について踏み込んだ検討を加えず、ERCは公表しなかった。保安院は、非常時において情報を確実に管理し、必要性があるものについては確実に公表することの重要性について、組織全体に徹底していなかった。

8 原子力安全委員会のあり方

 原発の地震・津波対策のための指針の策定が十分かつ迅速であったかについて今後も検証を続ける必要がある

 ◇ 毎日新聞 中間報告要旨 その3 → http://mainichi.jp/select/jiken/news/20111227ddm010040022000c.html

 7・考察と提言

1 はじめに(略)

2 今回の事故と調査・検証から判明した問題点

(1)オフサイトセンターが機能不全に陥り、関係組織の連携が不十分だった。

(2)福島第1に設置された対策本部や東京電力本店の対策本部が、役割を十分に果たせず、1号機のICの作動状況の誤認や3号機への代替注水に不手際が生じた。

(3)モニタリングシステムやSPEEDIが機能を果たさず、実効性のある避難計画の策定や避難訓練が行われず、政府による避難指示をめぐり現場が混乱した。

(4)想定を大きく上回る津波を考慮した津波対策、シビアアクシデント対策が取られていなかった。

3 政府機関の対応の問題点

 政府は、オフサイトセンターが放射能汚染に十分配慮していなかったことにより使用不能に陥ったことを踏まえ、大規模災害でも機能を維持できるオフサイトセンターとなるよう、速やかに適切な整備をする必要がある。

 原災本部の置かれた官邸5階と地下の緊急参集チームとのコミュニケーションが不十分で、事故発生直後の情報の入手・伝達ルートが確立されず、国民への情報提供も含め大きな課題を残した。既存のマニュアルや想定されていた組織が十分に機能しなかった。

4 事故後の対応の問題点

 訓練、検査も含めてICの作動を経験した者は原発内にいなかった。原子力事業者として極めて不適切であったというしかない。

 3号機のHPCIが13日午前2時42分ごろに手動停止され、結果的に13日午前9時25分まで代替注水が実施されなかったことは、極めて遺憾。

 全電源喪失から1日以上たった13日未明には、3号機のHPCIなどの作動に必要なバッテリーの枯渇を、福島第1関係者は懸念してしかるべきだった。そうした懸念があれば、消防車を利用した早期の代替注水も可能だった。より早い段階で原子炉の減圧、代替注水作業をしていた場合、爆発を防止できたかについては、現時点で評価することは困難だ。仮により早い段階で減圧ができ、消防車による代替注水が順調に進んでいれば、炉心損傷の進行を緩和し、放出された放射性物質の量も少なくなった可能性がある。

5 被害拡大防止対策の問題点

 関係機関がモニタリング結果の公表に積極的に取り組まなかったのは、住民の命と尊厳を重視する立場に立って、データ公表の重要性を考える意識が希薄だったためと考えられる。

 関係機関はモニタリングシステムに関して、(1)モニタリングシステムが機能不全に陥らないよう、さまざまな事象を想定して設計するとともに、複合災害の場合も想定して機能が損なわれない対策を講じる(2)システムの機能・重要性について、関係機関や職員の認識を深めるため研究の機会を充実させる--などの対策を講じる必要がある。

 また、被害拡大を防止し、国民の納得できる有効な情報を迅速に提供できるよう、SPEEDIシステムの運用改善を講じ、複合要因に対してもシステムの機能が損なわれることのないように、ハード面でも強化策が講じられる必要がある。

 避難指示決定にあたり、文科省の関係者が(避難指示を決定した)官邸5階に常駐した形跡はなく、SPEEDIの知見が生かされることはなかった。SPEEDIの存在が前提にあれば、ベント措置と避難の方向等について、異なった議論がされた可能性がある。

 国による避難指示は、対象区域すべてに迅速に届かなかったばかりか、内容も「ともかく逃げろ」というだけに等しく、きめ細かさに欠けていた。被害の拡大防止という視点から、こうした事態に対して備えるべきことは、(1)重大な原発事故が発生した場合、放射性物質の拡大の傾向、被ばくの健康被害について、住民の啓発活動をする(2)自治体は原発事故の特異さを考慮した避難態勢を準備し、訓練を定期的に実施する(3)避難では数千から数万人規模の住民の移動が必要になる場合があることも念頭に、交通手段の確保、避難場所の確保、水食糧の確保などについて具体的な計画を立てる(4)対策を市町村任せにするのではなく県や国も積極的に関与していく必要がある--などだ。

 炉心状態や3号機の危機的状態に関する情報提供方法、放射線の人体への影響について、「直ちに人体に影響を及ぼすものではない」といった分かりにくい説明が繰り返された。どのような事情があったにせよ、急ぐべき情報の伝達や公表が遅れたり、プレス発表を控えたり、説明をあいまいにしたりする傾向が見られたことは、非常災害時のリスクコミュニケーションのあり方として決して適切なものであったとはいえない。

6 不適切だった事前の津波・シビアアクシデント対策

 一部研究者の間には、原子炉圧力容器・格納容器・重要な配管類の一部が、地震により破壊されたのではないかとの指摘もある。当委員会のこれまでの調査では、そうした事実は確認できていない。

 安全委が01年に耐震設計審査指針の改定に着手したが、分科会委員に津波の専門家はいなかった。

 東京電力は08年に津波対策を見直す契機があったが、その見直しはされず、今回の事故を防ぐことができなかった。シビアアクシデント対策は、事業者の自主保安にゆだねれば済むのではなく、規制関係機関が検討のうえ、法令要求事項とすべきものであることを改めて示したのが今回の事故だった。東電が津波に対して事前のアクシデントマネジメントを整備していなかったことは、極めて大きな問題点の一つだった。

7 なぜ津波・シビアアクシデント対策は十分ではなかったのか

 原発の安全確保は、電力事業者の自主保安を前提とせざるを得ない一方、電力事業者による安全対策が適切であるとも限らない。自主保安には限界がある。保安院は、続発したトラブルへの対応に追われ、長期的な組織運営の検討ができず、職員の専門技術向上に取り組めなかった。安全委員会も人的態勢が十分とはいえなかった。

 シビアアクシデント対策を規制要求にすると、論理的には現行の規制に不備があることになってしまい、説明に矛盾が生じるとの懸念があったと考えられる。より安全性を高めるための改良を加えようとすると、過去を否定することと受け取られるというパラドックスが生じている。絶対安全が存在しないことを認め、リスクと向き合って生きることは容易ではない。しかし、伝えることの難しいリスク情報を提示し、合理的な選択ができるような社会に近づく努力が必要ではないか。

8 原子力安全規制機関のあり方

 政府は保安院を経産省から分離し、安全委の機能も統合して、環境省の外局「原子力安全庁」(仮称)とし、12年4月に発足を目指している。原子力安全規制機関は、原子力安全関連の意思決定を実効的に独立して行うことができ、意思決定に不当な影響を及ぼす可能性のある組織から機能面で分離されていなければならない。このような独立性と透明性を確保することが必要だ。同時に、国民への原子力安全についての説明責任を持たせることが必要である。

9 小括

 事故の発生、その後の対応について生じた問題の多くは、(1)津波によるシビアアクシデント対策が欠如したこと(2)原子力事故が複合災害として発生するという視点が欠如したこと(3)原子力災害を全体的に見る視点が欠如していたこと--の三つが大きく影響していると考える。

10 おわりに

 事故後、関係者から相次いだ「想定外」という言葉に、多くの国民は責任逃れの発言との印象を持った。「想定する」とは考える範囲と考えない範囲を決め、境界を設定することである。境界がどのようにして決まったかを明らかにしなければ、事故原因の真の要因の摘出はできない。

 大事なことは、なぜ「想定外」が起こったかである。関係者は原子力が人間が制御できない可能性がある技術であることを、国民に明らかにせずに物事を考えようとした。端的に表れているのが「原子力は安全である」という言葉だ。そう言ったときから、原子力の危険な部分について考えるのが難しくなる。

 何かを計画、実行するとき、想定自体は必要だが、想定以外のことがあり得ることを認識すべきである。

Posted by 大沼安史 at 08:31 午前 |

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