〔フクシマ・愛媛新聞・社説〕 懲りない東電 値上げの前に体質改善せよ(24日)
東京電力は置かれた立場を理解しているのか。
福島第1原発の事故賠償と廃炉の詳細が定まらないまま、企業向けの電気料金を値上げすると発表した。
家庭向けも早い時期に値上げ申請するという。
すでに東電は「破綻状態」にある。政府の経営・財務調査委員会が、新潟県にある柏崎刈羽原発の再稼働か、料金値上げか、どちらもできない場合は2012年度に債務超過に陥ると指摘している。赤字構造が恒常化する以上、値上げは企業体として最後の自助努力というわけだろう。
しかし、独断専行が許される状況ではない。
値上げは原発停止に伴う火力発電の燃料費増加を理由としたが、元凶は原発事故なのだ。まもなく東電は公的資金の投入で実質国営化される。経営合理化と体質改善が目に見える形で示されない限り、事故の代償を負わされる企業や家庭の理解は断じて得られない。
世界に比して割高とされる電気料金制度の見直し作業も道半ばだ。
不完全ながらも電力会社を選べる企業と違い、一般家庭に逃げ道はない。
その料金計算の基準となる原価は、これまでオール電化住宅の宣伝費や社員用保養所の経費など、常識外のものが含まれてきた。膨張体質が自助努力であらたまるはずがない。
東電の判断は自前資金の確保で国有化を避けたいという邪心が先に立つ。
「値上げが嫌なら原発再稼働を」との圧力もちらつく。責任明確化のために経営陣刷新は避けられないにせよ、安直な値上げとの差し違えは言語道断だ。
もっとも、兆円単位で膨らむ賠償と廃炉費用が一個の企業に払えるとは思えない。廃炉に向けた工程表では、今後30~40年にわたって困難な作業が続くと示された。賠償と事故処理を確実に進めるためにも、いずれ一定の国民負担が避けられないだろう。
それでも国民負担は「なるべく遠く、なるべく低く」を原則とするべきだ。
東電のような大企業の不確実性を社会がどう受け止めてゆくか。市場のルールよりも民主主義のルールを優先し、国民的議論を深めてゆくには、国有化しか選択肢は見当たらない。
東電だけの問題ではない。原発停止で燃料費増加にあえぐのは、四国電力はじめ業界各社もほぼ同じ状況だ。事故賠償と東電支援の軸となる原子力損害賠償支援機構への資金拠出もしている。料金転嫁の可能性はゼロではない。
国有化で守るべきは被災者や電力システムだ。地域独占にもたれた業界形態を変え、消費者が質と料金で選べる電力市場へと導くことに政府関与の意味がある。
そして、脱原発につなげてこそ。
でなければ、世界を震え上がらせた原発事故から日本は何も学ばなかったことになる。
Posted by 大沼安史 at 10:27 午前 | Permalink

















