〔フクシマ・NEWS〕 「福島のお母さん&山本太郎さんとドイツの旅」 グリーンピースが報告開始!
(1) ドイツの旅が始まりました(11月28日) → http://www.greenpeace.org/japan/ja/news/blog/staff/1/blog/38035/
福島のお母さんたちと、俳優の山本太郎さんといっしょに、脱原発と自然エネルギーの今をたずねるドイツの旅が始まりました。
グリーンピース・ドイツの事務所がある街ハンブルクで、私たちを待っていたのは、地元メディアからの取材の嵐。
空港で待ち構えていたドイツテレビをはじめ、10社以上のメディアが福島の有機栽培農家・大河原さんと、2児の母・西片さん、俳優の山本太郎さんをインタビュー。
3は、福島の現状と、避難の権利の確立、原発のない世界を訴えました。
午後には、グリーンピース・エナジー社にCEOのロバートさんを訪問。
協同組合方式で運営される同社は、自然エネルギー100%の電気を11万世帯8000法人に届けています。……
(2)お母さん、2万3000人の聴衆にスピーチ(11月29日)
→ http://www.greenpeace.org/japan/ja/news/blog/staff/2-23000/blog/38043/
ハンブルクの南東に2時間のところにあるダネンベルクでは、過去300年にわたって毎年、このような集会が行われています。
ダネンベルクの近くにある小さな村ゴアレーベンに、列車で運ばれてくる放射性廃棄物の輸送と、ゴアレーベンの放射性廃棄物の貯蔵施設に抗議するためです。……
【西片さんのスピーチ】
皆さまはじめまして。西片 嘉奈子と申します
今日はこのような場をいただきありがとうございます。私は11歳の男の子と9歳の女の子を持つシングルマザーです。3.11までは貧乏ながらも毎日子どもたちと楽しい日々を暮らしていました。
それが今では、ここドイツの地に子供たちと立っています。その理由は東京電力福島第一原発の事故が私たちの身に降り注ぎ、去年まで、いや3.10までの穏やかな日々をすべて奪われてしまったからです。
去年まで子供たちと一緒に遊んだ川原も奪われました。公園も今では草が生い茂り、誰も遊ぶことのなくなってしまった遊具が寂しくそこにあるだけです。普通の日常のすべてが、当たり前にしてきたこと全てが奪われました。
米沢市に引っ越して、窓を開けて風の通り抜ける気持ちよさ、洗濯物を外に干せる気持ちよさ、子供たちが学校から帰るとランドセルを投げ入れてすぐさま遊びに出て行く微笑ましさ、マスクをしなくてもいい爽快感。こんな普通のことがとてもありがたいことだったんだなと実感しました。
子どもたちの成長に、太陽を浴びること、虫を捕まえること、草花をつかむこと、川の中のどろの感触、木から落ちた栗のいがに指を痛めること、自然の中から学ぶことがこんなにも多き、重要だったことに気づかされました。
ある日子どもがこんなことを言いました。もう福島には帰れないと思うと。なぜ?と尋ねると、「福島にいたら病気になっちゃう。病気になったらママを悲しませちゃうし、治療にたくさんお金もかかるから迷惑かけちゃう、それにもし手術しても死んじゃったりするかもしれないから」と答えました。私がこの子と同じ年のころに、こんなこと考えたこともありません。
それが今では福島の子どもたちは皆、こんなことを考えながら生きているのです。
私は悲しくなるのと同時に、自分に腹が立ちました。今まで政治や電力、その他の利権や圧力がこの世に汚く存在していることすら知らず、また意識もせず、勉強もしてこなかった。その結果、子どもにこんな思いをさせてしまって、なんて愚かな人間だったんだろうと。
一生私は子どもたちに対して、申し訳ないという気持ちは拭えずに暮らしていくことと思います。でもけして過去は憎みません。
だって、今私がこうしてここにいるのは、過去があるからなんです。ほんのひとつでも欠けてたら今ここにはいません。3.11以降に出会った人々も、過去が会ったから出会えた私の宝です。
人間だって、犬だって、ライオンだって、カエルだって、みんな親というのは子どもを守る本能に変わりはありません。そしてそれはどんな大きな力よりも勝る強さを持っています。このことを忘れずに、未来の子どもたちのために、今私は立ち上がり、原子力のない世界を作るために全身全霊をかけて取り組みます。
それが今私に与えられた試練です。福島に住んでいたものとしてやらなければいけない人生の課題です。
【大河原さんのスピーチ】
皆さんこんにちは。私は大河原と申します。福島から来ました。
私は26年間、家族とともに農薬、化学肥料を一切使わない有機農業を営んできました。
年間約50種類の野菜や穀物を栽培し、和牛や鶏も飼っています。25年前、長女を出産した二ヵ月後に、チェルノブイリ原発事故がおき、8000キロ離れた日本でも放射能が検出され、母乳を飲ませていた私は恐怖を感じました。
家から東に約40キロにある福島第一原発。将来わが子を苦しめることになるのではないか。
私は原発について学習を始め、友人知人に原発の危険性について知らせ、講演会を開くなど活動を行ってきました。
しかし、その後5人の母となった私は、育児、畑仕事と忙しく動き回り、しだいに反原発の運動から遠のいていきました。そして近年、農民は異常気象に苦しみつづけ、原発が「温暖化防止によい」のであれば、必要悪なのかとさえ思い始めました。そして3月11日、経験したことのない揺れ、目の前で道路が割れました。家族の無事を確認した瞬間、戦慄が走りました。原発は大丈夫なのか? 思わず東の方向をみました。この後何が起きるのか、私は学習したはず。20年も前に何度もその怖さを知っていたはずなのに、私は何もしなかった・・・。
いまだに福島第一原発は放射性物質を空中に、海中に吐き続けています。国や東京電力の対応は、何を守ろうとしているのかわからないほど、期待とはほど遠いものです。
一滴の農薬も、一粒の化学肥料も使わずに耕してきた私たちの畑に今、放射能の塵が降っています。でも私はあきらめません。
いつか必ず再び豊かな農作物を収穫してみせます。
そして、この後の人生をかけて、この世界から原発をなくすための運動をします。故郷、福島で再び微笑みが戻るよう、一人の親として、一人の大人として、責任を果たしていこうと今、強く思っています。
(3)「声をださなきゃ、変えられない」(12月1日) → http://www.greenpeace.org/japan/ja/news/blog/staff/3/blog/38108/
福島のお母さんたちと、俳優の山本太郎さんといっしょに、脱原発と自然エネルギーの今をたずねるドイツの旅の3日目です。
ダネンベルク(ウェンドランド地方)では、30年以上にわたって、ありとあらゆるクリエイティブな方法で、放射性廃棄物の輸送に対する抗議が続けられています。……
一方で、原発に頼らないために市民発電所をつくり、いまでは地域の電気の100%が自然エネルギーでまかなわれています。
さらに極めつけは、『フリー・ウェンドランド国』として、ドイツ連邦からの独立を正式に宣言(!)。
パスポートや運転免許証も発行し、もちろん国旗も存在します。*
「日本でも、原発を止めようと訴えるデモはたくさんありますか」
「どうして日本人は、黙っていられるの?」
滞在中に、ダネンベルクで何度も尋ねられたこの質問――。
「子どもや家族、仕事のことを考えると、なかなかデモに参加できない」
「原発や放射能のことを友達と話すのは、気まずくなってしまう」
「原発はいやだと思っているけど、行動に移すのは難しい」
そんな状況が日本にあることを話すと、「でも、声に出さずに、どうやって変えるんだ?」との返答が――。……
Posted by 大沼安史 at 09:52 午前 | Permalink

















