〔木下黄太さんのブログ〕 メリークリスマス。少しでもましな未来となりますように。祈るだけです。
……クリスマス・イブにこんな話しか紡げない自分が大変に申し訳ないです。
僕が、今しているいろんな事柄が、少しでも現実に実を結べばよいと思っていますが、それがどうなるのかは、僕にもわかりません。
最近、リスクコントロールという概念を用いて、新聞記者が書いている文章があって、「少しの危険を過剰に言うことで、善意の押し付けで、心理的負荷を相手に与えてはならない」という趣旨のことを書いていました。
これは、放射能被害を懸念することはやりすぎで、おかしなことになっている、ということを言われたいと理解しました。
僕ははるかにリスクの低い、狂牛病などの対応でメディアがとった役割を認識しているだけに、自己矛盾どころの言い草ではないなと思いました。
というか、本当のリスクが目の前にぶら下がったときに、人はそれをなかったことにしようとするリスクこそ、とてつもなく大きいものだと。
そういう観点から考えれば、女子高校生の手紙に対して、その人間が非実在と言い張る人間たちの珍妙さには恐れ入りましたし、もっとひどい健康被害の紹介を伝えているときよりも、この話に過剰に反応している人々の感覚は僕には奇妙なものでした。
その存在をなかったことにしたいという、特に中年男性たちの過剰な言説を見ると(ツイッターという日本で半匿名メディアの功罪でしょうが)、この人たちは「女子高校生」という記号に過剰反応しているのだろうと思いましたし、この期に及んでもなお、こういう記号が大切な人々の存在こそ、日本の病が、特徴的に立ち顕れた感じがしています。僕には反吐が出ます。゜奴等の言葉が。気持ち悪いのです。
ツイッター上のことで言えば、僕の文章批評をしてきたフランスに避難した主婦の方(自称)がいました。その文章が、僕が自分の大切な人間を説得するために、書き続けた文章を、別の人がほめてきたコメントに対して、貶めるコメントを書いてきたため、怒った迄です。
情報の話ではありません。自分の大切な人間を説得するために、書いている文章の批判を分かる形でされているだけですが、見ず知らずの人間で、しかも通常僕の情報を利用している立場であるとしか思えない人間が、安全地帯にいて、そういう中身の文章と分かっているときだけ、面白がって、高みにたって批評してくる。
こちらか怒ると「一主婦のつぶやき」と逃げて、「応援しているのに」と言い訳します。
応援してもらったこともないし、あったこともない人間。はっきりいって、おいしく僕からの情報を得ているだけの人間です。
情報を得るなら、得ている相手への礼儀くらいわきまえろという話です。
そんなことも理解せずに、自分が他人の心の奥底を傷つけるような行為を平気でしている。だから激怒しているだけです。いまだに理解せず、「僕が弱い」といい続ける、こういう人間を僕はとことん軽蔑します。死ぬまで軽蔑します。
ネット上の嫌がらせに特化している数十人のグループとは違って(この人たちは僕の中ではもはやお笑いの対象になってきました)、近いスタンスを取る人間のほうが、こうした行為をおこなうと、問題の根は深いです。
今回の放射能による健康被害を一番理解しないのは、原発推進側の人間(分かっているが認めない立場)よりも、反原発側でそういう人たちが根が深いと感じているのと、相似形だろうと思います。
何か、嫌なこと、困難なことばかり書きました。ごめんなさい。イブには、何かプレゼントがあればよいのですが、何一つ楽しい話はありません。何一つです。クリスマスにはすこしはよい見通しでも出せないかと、きのう、きょうとずっと考え続けましたが、本当になんにもありません。
健康被害のスピードが進んでいる実感だけは、はっきりとあります。一年、二年早い気がします。α線、β線核種の影響ではないかと推測しています。この冬から春にかけてどういう状況になるのか気になります。本当に気が重くなります。
メリークリスマス。少しでもましな未来となりますように。祈るだけです。通じないかもしれませんが。
Posted by 大沼安史 at 12:10 午後 | Permalink