〔フクシマ・手記〕 棄郷ノート /窓から、冬の終わりに娘と一緒に植えたチューリップが愛らしい花を咲かせているのが見えた
◇ さっぽろ自由学校「遊」のニューズレター「ゆうひろば」第130号(2011年7月)に掲載された、福島県須賀川市ご出身のピアノ講師小河原律香さんの手記を、ご本人の承諾を得て転載します。
◇
……
5月23日に娘が鼻血を出した。もう持ちこたえられない。北海道に逃げる、と決めてから行くまでの猶予が半日しかなかった。
夕方帰宅した夫に「明日北海道に行く」と告げた。彼は「そんなに鼻血が心配なら明日病院に連れていけばいいじゃないか」と言う。病院に行くためにまた被曝しろってことか。話にならない。
放射能を避けるために、家事だって煩雑を極めた。それでもどのくらい「あれ」を避けられているのかなんて分かりやしなかったし、どのくらい体が蝕まれているのかも分からなかった。分からないことは何より恐ろしい。想像ばかりが膨らんでしまうから。
窓から、冬の終わりに娘と一緒に植えたチューリップが愛らしい花を咲かせているのが見えた。昼間それを触ろうとした娘を厳しくたしなめたばかりだった。幼稚園入園に合わせて彼女の好きな色ばかりで埋めた花壇は、私が夫にせがんでつくってもらったものだ。毎朝娘を励ます力になるはずだった花が、放射能をまとって風にゆらゆら揺れている。娘がその幼稚園に通うことはなくなった。……
娘に鼻血を出させてまで福島に留まったのは、そこに希望を見出してしまったからだ。あそこにしか私たちの暮らしはないのだから、それは至極当然のことなのだけれど。何度も絶望を繰り返してようやく過去を捨てる決意ができた私には、ひとつ、とても反省していることがある。
それは、所有しすぎたことだ。土地を所有してその上にばかでかい家を建ててしまったこと。夫を持ち車を持ち、木まで持っていた!! なんという傲慢だろう。
少し考えれば分かることだ。そんなものを持ったつもりでいても、所詮まやかしだってこと。他人も土も木もなぜ動くか自分で理解できていない機械も、私には本来持てるはずもないものばかりなのだった。
結局、自分で持てる容量の赤いスーツケースに私が詰めたのは、自分のスタイルに馴染んだ衣類と結婚以来使ってきた食器だけだった。……
札幌で借りた部屋に入居した日に、新聞紙で包んだ食器を出した。役目を終えて皺だらけになった新聞紙には、この震災で何人亡くなったか、避難所で人がどう生活しているか、原子力発電所がいかに安全を保ちつつ壊れているか、なんてことが書かれていた。とても空々しく。一人ひとりがどう命を失っていったか、生きている人が避難所や放射能汚染地帯でどう摩耗しているのか、記事から読み取れないことを想像すると狂いそうだ。
それらの皺を一枚いちまい伸ばして紙袋に突っ込んだ私は、「この新聞紙、もったいないから揚げ物の油きりに活用しよう」と考えていた。
こころは静かに落ち着いていた。
どんな土地にいっても、コンクリートの家でも木造の家でも、大きい家でも小さい家でも、私は繰り返す。クッキーを作り、グラタンを焼き、娘のすこやかな成長を希うことを。
心臓が繰り返し鼓動を打つのと同じように、何度でも淡々と繰り返そうと思っている。
Posted by 大沼安史 at 10:28 午前 | Permalink

















