〔フクシマ・脱原発アフォリズム〕 悲劇を悲劇として認識できないことほど悲劇的なことはない
「脱原発メッセージ集」編集人さん → http://togetter.com/li/230408
# 日本では、まるでデモや集会といった社会運動に参加しないことこそが市民的礼節であるかのように思われているように感じる瞬間がある。
# 原発推進派によるプロパガンダは人々の危機意識や恐怖につけ込む悪徳商法のやり方とどこが違うのだろうか。
# 消費税10%値上げしたら政権は吹っ飛ぶだろうが、電気料金10%値上げしても東電は吹っ飛ばない。これ不思議。
# 仮にいま原発を全部止めたとしても、放射能の問題は何世代にもわたって残る。そう考えると、脱原発運動は全原発の廃炉を最終目標にすることで終わってしまってもいいのか、という疑問すら浮かぶ。それほど事態は深刻なのだという認識。そこから出発するしかない。
# チェルノブイリ関係の映像を見ると、その悲劇のリアリティを実感できる。だが、日本でまったく同じようなことが起きつつあるのだというリアリティをもつことがはるかに困難であるのはなぜだろうか。ずっと反原発を叫んできた自分ですらこの有様なのだ・・・。
# 悲劇を悲劇として認識できないことほど悲劇的なことはない。
Posted by 大沼安史 at 10:26 午前 | Permalink

















