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2011-10-22

〔フクシマ・NEWS〕 飯舘村の酪農家、長谷川健一さんの話 3月15日 雨は雪に変わった……

 現代農業 → http://www.ruralnet.or.jp/gn/201109/iidatemura.htm

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 ……こういうときのために、わが家には発電機がありまして、自家発電でさっそく牛の乳を搾り、テレビも見ました。牛は毎日、乳を搾ってやらないと乳房炎という病気になってしまうので、仲間の酪農家のところ何軒かにも私の発電機を運び、順繰りに搾乳しました。停電は3日間くらい続きました。(以下に続く)

 3月12日の東京電力福島第一原発1号機の爆発に続き、3号機が水素爆発したのが14日午前11時頃のことです。

 テレビを見ていたら心配になってきたので、夜の9時頃に役場に情報を聞きに行ってみました。

 行政にはもともとどこでも放射能測定器が1台備わっているようで、飯舘村にもありました。

 担当職員に聞いてみると「えらいことだべ。40(マイクロシーベルト/時)を超してんだ」と小声でいうわけです。

 私は放射能のことなど当時はまったくわかりませんでしたが、それがとんでもない数字だというのはわかりました。

 彼は「事態の全容がわかるまでは口外するな」といわれていたようなのですが、私は「何言ってンだ! 緊急事態だろうが!」と怒鳴り、大慌てで帰って集落の班長さんたちに知らせました。

 私は前田地区(54戸205人)という行政区(集落)の区長をしており、この地区を守る責任があります。

 翌日の夕方、冷たい雨が降る中でしたが、地区全体の緊急集会を開きました。

 行政からの指示は何もありませんでしたが、私のわかる限りの情報を伝え、「放射能が来てるよ。外出するな。マスクしろ。帰ったら玄関前で上着を脱いで、すぐに風呂に入れ」などなど独断で指示しました。みんな不安に思っていたようで、全戸出席の集会でした。

 ただ、今思うと、この15日は北西の風が吹いて、放射能がちょうど飯舘村の上空にやってきたモンダイの日でした。

 集会に出かけてきたせいで、放射能が一番強いときの雨にみんなが当たってしまったわけで、申し訳なかったなーとも思います。

 この日の雨はだんだん雪に変わって、積もったままいつまでも残り、その後も放射線を村に発し続けました。……

Posted by 大沼安史 at 02:41 午後 |

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