〔フクシマ・NEWS〕 小出裕章さん 「田中正造はもっとも敬愛する人」
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☆ フクシマ・ノート 「愛敬して遠立すべし」
田中正造が敬愛した仙台人、新井奥邃(おうすい)の言葉に、「愛敬して遠立すべし」というのがある。
小出さんを敬愛する若い人たちにも、同じような思いの人が多いのではないか。
小出さんを「愛敬」し、自分もひとりの人間として、この社会の運命にかかわる「原発問題」に向き合おうとしている。ネットで連帯しながら、自分もひとりの個人として、「原発問題」を考え、「遠立」し、この困難な問題を乗り越えようとしている。
小出さんに自分をベタに重ね合わせているわけではない。香山リカ氏のいうように、原発問題に見境もなく、べったり「のめり込んでいる」わけでもない。「遠立」し、自分の問題として取り組んでいる。
「原発は安全」と嘘を言い続けて来た「クソな社会」に「適応」するのではなく、この「クソな社会」を変えようとしているのだ。
上京した田中正造は新井奥邃の巣鴨の謙和舎で心の平安を得て、谷中村へ闘いに帰って行った。空前の公害である鉱毒問題との最後の一戦を闘うために。
フクシマの「原爆公害」は足尾の鉱毒にもまさる破滅的な死の灰を撒き散らし、東日本を汚染し続けている。今や、東日本全体が「谷中村」になってしまったのだ。
田中正造を敬愛する小出さんは、福島の人々とともに闘っている人だ。その小出さんを、ニートだか引きこもりだか知らないが、「原発問題にのめり込んでいる」(香山リカ氏)若者たちが敬愛している。
仮に彼らが「これまで一般社会に適応できなかった」若者だったとして、彼らに心を寄せる精神療法家がなすべきは、なによりも、彼らを「愛敬」し、彼らと「遠立する」ことだろう。
「原発問題」に関心を持った若者たちの「のめり込み」を「病理」と考えてはならない。
Posted by 大沼安史 at 10:14 午後 | Permalink