〔☆☆☆ フクシマ・ノート〕 そして、非常用ディーゼル発電機は止まった…… 「流出重油タンク」のミステリー
日経新聞の電子版に、こんな記事が出ていた。
「東電、余震対策で非常用発電機を高台に移送」 ⇒
http://www.nikkei.com/news/latest/article/g=96958A9C93819695E3E6E2E2868DE3E6E2E6E0E2E3E3E2E2E2E2E2E2
―― 東電は14日、東日本大震災の余震が相次いでいることを受け、福島第1原子力発電所で非常時に電気を供給するディーゼル発電機を現在よりも海抜が10メートル程度高い地点に移す作業を始めると発表した。
「フクシマ」のディーゼル非常用発電機は各号機の海側のタービン建屋内に、2台ずつあったはずだ。それを高いところへ移す……移設作業は15日に終了と出ていたから、今日(16日)あたり、もう終わっていることだろう。
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この記事を読んで、「やはり、そうだったんだ」と、まず思った。そして、かねがね疑問に思っていたことが、胸の中で渦巻いた。
そしてその疑問の渦は、「福島第一発電所」の1~4号機部分の最も海寄りにあった――それも岸壁のすぐそばに建っていた、例の白い、2基の重油タンクに向かって行った。
ディーゼル非常用発電機の燃料タンク!
地震の振動でたぶん破壊され、津波でもっていかれてしまった、あの「消えた2つの白い燃料タンク」!
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私が日経の「高台へ移送」の記事を読んで驚いたのは、ほかでもない。
心の中に、津波をかぶって動かなくなった発電機のイメージが、いつの間にかできあがっていたからだ。
潮水をかぶって、使いものにならなくなり、うんともすんとも言わない「発電機」の姿を、なぜが思い描いていたのだ。
その「フクシマ」のディーゼル発電機が実は、生きていた! 一時的にせよ、健闘っしていた!
これはすくなくとも私にとって、きわめて重大な「発見」である。しかしそれは、怒りを通り越し、悲しくなってしまう「発見」でもある。
私の政府・東電に対する決定的な疑念は、これの「発見」によって確証されてしまった!
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いま、手元に(といってもパソコンに取り込んでいただけのことだが)、東電の報告書がある。「原子力災害対策特別措置法第10条第1項の規定に基づく特定事象の発生について」
3月11日、事故発生当日付けの文書だ。⇒ http://www.tepco.co.jp/nu/f1-np/press_f1/2010/htmldata/bi1309-j.pdf
そこに事故発生時の経過がこう書かれている。
午後2時46分頃に(地震で)タービンおよび原子炉が自動停止し……非常用ディーゼル発電機が自動起動しました。その後、午後3時41分、非常用ディーゼル発電機が故障停止し、これにより1、2および3号機の全ての交流電源が喪失したことから…………
つまり、「3・11」の大地震で発電所外からの送電がストップする中、「フクシマ」の非常用ディーゼル発電機はちゃんと生きており、原子炉自動停止のおそらくは10秒後には自動起動し、発電した電気でもって炉への給水は再開されていたのだ。
それがなぜか、55分後に「故障停止」してしまう。
全電源喪失!
このディーゼル発電機の「故障停止」さえなければ、いまの「フクシマ」の惨状はなかったのだ。「チェルノブイリ」並みの「レベル7」に至る水素爆発も、「計画避難」も「放射能汚染」もなかったのだ。
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ここまで来ると、私が日経新聞の「高台へ移設」の記事を読んで、なぜ驚いたか分かっていただけるだろう。
3月11日午後3時41分、なぜか一斉に(東電の文書には、3時41分「ごろ」、とも、「41分前後に相次いで」とも書かれていない。ずばり、午後3時41分!)ピタリ足並みを揃えて「故障停止」していたはずのディーゼル発電機が、どうやらそろいもそろって「高台に引越しできるほど」ピンピンしていたのだ?
ならば、どうして1~3号機に各2台ずつあるディーゼル非常用発電機が同時に「故障停止」しなければならなかったのか?
非常用発電機は地震に耐え、10分後に襲って来た津波にも耐え、発電を続けていたのである。
なのに、どうして? それは東電の言うように、ほんとうに「故障停止」だったのか?
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私の疑いはこうである。そしてその疑いは私だけのものでない。
その疑惑とは――ディーゼル発電機は実は、東電の言うように「故障停止」しなかった、という、断定に近いものである。
午後3時41分、たしかにいっせいに「停止」しはした。しかし、それは発電機自体の故障ではない。
たぶん、その時点で、それぞれのディーゼル発電機の内蔵燃料タンクが一斉にカラになっていたはずだから。
それはなぜか? それは発電機内蔵のタンクに対する送油管を通じた重油燃料の供給が、おそらくは40分ほど前から途絶えていたからだ。
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緊急時、ディーゼル発電機に対し燃料の重油は、重油タンクから送り込まれる。
その「重油タンク」からの供給が、ストップしていたのだ。
そしてそのわけは、肝心の「重油タンク」が「津波により流出」していたからである。
これは私の勝手な想像ではない。当日(3月11日)午後11時の「政府緊急災害対策本部」の記録に、ちゃんと書かれていることだ。
「オイルタンクが津波により流出」
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http://www.kantei.go.jp/jp/kikikanri/jisin/20110311miyagi/201103112330.pdf
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重油タンクが流されれば、ディーゼル発電機が止まのも当然だ。
したがって東電の「故障停止」は(意図的なウソでなければ)少なくとも誤まり。発電機自体は故障していなかったのだ。
「ダイイチ」のディーゼル発電機はメーカーはK重工製らしいが、重工のエンジニアのみなさんは、自分たちがつくった発電機が「フクシマ」を救おうと最後の最後まで――油を最後の一滴まで、頑張っていたことを、誇ってよい。
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さて、いま紹介した「政府災害対策本部」の「オイルタンク流出」の公式記録だが、ここにも東電の「故障停止」に似たような、重大な疑惑が潜んでいる。
「オイルタンクが津波で流出」した時間を、「15時45分」としていることだ。
15時45分――つまり午後3時45分。
ということは、東電の報告にあるディーゼル発電機が「故障停止」した「午後3時41分」の4分後。
もしも重油タンクが仮にこの時刻――3時45分に流されたのなら、ディーゼル発電機はもっとあとに停止していなければならない。
それに、なにより、津波はそんな遅くに押し寄せていない……!
ではなぜ、政府の災害対策本部はこんな小細工(?)を弄しなければならないのか?
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その決定的に重大な疑惑の解明に進む前に、ユーチューブに載った、このビデオを見ていただきたい。⇒ http://www.youtube.com/watch?v=VS1a3I7sUI4&feature=related
白い、大きな、2基の重油タンクがきれいさっぱり消えた姿が明確に見てとれる。
このビデオだけではない。
「フクシマ」の「前と後」の衛星写真を比較した、あまりにも明白な「消失」ぶりに、米国のサイトなどで驚嘆の声が上がる一方、重油の海への流出問題につながりかねないこの件に関する、日本政府の不可解な「沈黙」に対する、批判の声も出ているのだ。
岸壁のすぐそばにあった重油タンクを、津波が運び去ったのは、「証拠写真」によって明白な事実だが、津波の前の地震によって、いわゆるスロッシング現象を起きて、一気にタンクの破壊が進んだかどうか不明だ。
しかし、いずれにせよ重油タンクは、地震10~15分後の津波によって、岸壁前の敷地から海に引きずりこまれていたのである。
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さて、以上のような事実から、どんなことが言えるか? どんな疑いが最終的に浮かび上がるか?
今やもう言うまでもないことだが、東電も政府も、津波で消えた「重油タンク」に国民の目が向くのを恐れているのではないか、という疑惑だ。
石油タンクの地震に対する脆さは、今回、千葉県市原市で起きた爆発事故でもわかるように、かねがね危険性が指摘されていたこと。
1964年の新潟地震に伴うタンク爆発火災、近年では2003年の十勝沖地震に伴う苫小牧でのタンク火災……。
こんな危険なものを、東電はその危険性ゆえに炉から海よりに最も離れた、構内最北端の岸壁前においていたのだ。
地震で火災が起きたとき、津波による消火を期待したわけでもなかろうが、東電は津波の最前線に、ディーゼル発電機の燃料タンクを置き、それを政府が認めていたわけである。
東電と政府は、その発覚を恐れた……。
もうひとつ。
炉から遠く離れた、海面間際の重油タンクの流出が「フクシマ」の悲劇の最終的な引き鉄を引いたものだと知られてしまうと、「想定外」の津波に(炉が)襲われれた、という言い訳は立ちにくくなる……。
「史上最大の津波」が「炉」まで押し寄せたからだ、と言い抜けできにくくなる……。
これが政府と東電に、「故障停止」報告、「4分後」報告による「辻褄合わせ」(?)に走らせた動機のように思われる。
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ディーゼル非常用発電機の運転確保の死活的な重要性は、米原子力規制委員会が19
90年に、原発事故の事例を徹底的に洗い直して出した報告書の中で、すでに提起していた問題である。⇒ http://www.nrc.gov/reading-rm/doc-ollections/nuregs/staff/sr1150/v1/sr1150v1-intro-and-part-1.pdf
この報告書は公開もされており、保安院も東電も、知りません、ではすまない。
最後の命綱だった「フクシマ」のディーゼル発電機が震災後の被災地のマイカーのように「ガス欠」を起こしていただなんて……。
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以上、縷々、述べて来たのは、もちろん、私個人の「推測」に過ぎない。が、もしもこれが事実だとしたら……その最後の命綱を、十分な保全対策をとることなく、政府・東電自ら断ち切っていたとしたら、それがたとえ過失であっても、その罪は大きいといわねばならない。
かりに重油タンクが高台にあり、ディーゼル発電機に燃料の供給を続けていてくれたら、と思うと………… 涙が出るほど悲しい。
Posted by 大沼安史 at 08:46 午後 | Permalink