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2011-03-31

〔フクシマ・ノート〕 2011年の「1984年」

 東京都内で集会など市民活動の場である公共施設を「使用禁止」にする動きが広がっている、という。小笠原信之のブログで知った。⇒ http://geocities.yahoo.co.jp/gl/nbsn001/ 

 日本国憲法の21条の第1項(集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する)にあるように、人々が集まって話し合う(集会)は憲法が保障する基本的な権利である。デモクラシーの土台である。

 公共施設は、地域の人々が震災・ツナミ・原発被災地への支援を話し合う場でもあるはずだ。

 それを「使用禁止」にするとは……。「節電」を言うなら、発電機で持って来て発電したらいい。

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 そう、その通り。小笠原信之のいう通りだ。

 「全体主義のコミュニティー」づくりを――「政府発表」以外の意見・批判の封じ込めを、許してはならない。

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 NHKのラジオを聞き、民放のテレビを見ていると(と言っても店先での視聴だが)、お笑い番組か甲子園の野球ばかり。

 あくまでも他人事。「励まそう」「励まされた」と言ってはいるものの、「フクシマ」などは特に、はるか彼方の、無関係な土地での出来事のようだ。

 あのジョージ・オーウェルの「1984年」のように、世界のどこかで戦争が続いているのに、ロンドンは「支配者の発表=公式見解」一色に染まり、「戦争とは平和」の異常な日常が正常に繰り返されている。

 「2011年の東京」は「1984年のロンドン」ではないか。

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 しかし、そんな権力者による「情報統制の圧力容器」にも亀裂が走り出している。

 飯館村「IAEA避難基準・倍超え」放射能汚染問題をニューヨーク・タイムズがスクープ報道し、それがツイッターなどの「非公式メディア」を通じて日本にも流れ込み、政府を「発表」に追い込んだ、本日の事態の急展開は、その一例である。

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 前にもこのブログのどこかで書いたが、今、日本で進行しているのは、「エジプト革命」の日本版でもある。

 政府が発表したがらない「情報」を、マスコミが伝えない「真実」を、民衆がネットを通じた草の根の連帯でもって共有し、政府・マスコミの統制を乗り越えて行く。

 その先に生まれるものは――もちろん、現実世界における、あのタハリール広場並みの、人々の「大集会」である。

 公共施設の「使用禁止」といった小細工を弄しても、結局は無駄である。

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 人々は集まる者なのだ。

 話し合う者なのだ。

 話し合って、危機を乗り越える者なのだ。 

Posted by 大沼安史 at 05:46 午後 |

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