〔コラム 机の上の空〕 「変わったのだ、完全に」
米国の作家で、「ボストン・グローブ」紙のコラムニストでもあるジェームズ・キャロル氏が、「エジプト革命」について同紙に書いていた。
「新しい世界のデジタルな夜明け( A new world dawns digitally)」
今月(2月)7日付けのコラムだ。
⇒ http://www.boston.com/bostonglobe/editorial_opinion/oped/articles/2011/02/07/a_new_world_dawns_digitally/
キャロル氏はアイルランドの血を引く人。ダブリンの詩人、W・B・イェイツの詩、「復活祭 1916」の有名な一説を引いて、コラムを書き起こしていた。
Changed,changed utterly,…… (変わった、変わったのだ、完全に)
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キャロル氏は、デモに参加した、無名のエジプト人の言葉も引用していた。
The street is not afraid of governments anymore.
(この道はもはや政府を恐れない)
世界は変わったのだ。ストリートさえも。
完全に。
「完全な変革」は、Power to the people(権力を民衆へ)が、I am somebody(私は人間である)と結びついて起きた、とキャロル氏は書いた。
1979年の「イラン革命」のカセットテープレコーダー。1989年の「天安門事件」でのファクス。そして、2012年の「エジプト」のインターネット。
ネットを生んだ「デジタル革命」は、エジプトの民衆の意識をつなぎ、ナイルの夜明けをもたらした。
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キャロル氏はしかし、この14日付けの同紙で、「過去」と「未来」のない、永遠の「現在」にすぎない「デジタルな時間」を――現代の私たちが囚われてしまった「デジタルな時間」を批判するコラムを書き、7日付けのコラムを補足していた(補足したとは明言していないが、これは間違いない)。
こんどは英国の作家、E・M・フォスターを引用して。
フォスターは、こう言って「時間の流れ」には2つの種類があると指摘したそうだ。
"The king died and then the queen" is a story. "The king died and then the queen died of grief" is a plot.
(「王様が死んで、女王様が死んだ」は、そこで終わってしまう単なる「おはなし」だが、「王様が死んで、そのあと、女王様が悲しんで死んだ」は、そこから物語が始まる話の筋である)
「コレがあってアレがありました。はい、おしまい」式のデジタルな事象の断絶ではなく、「コレがあったので、アレが起き、そして」と、物事がつながって展開してゆくアナログ的な時間。
それこそが、デジタル化した現代で忘れられた人間的な時間であり、貴重なものだ……それが、キャロル氏がこのコラムで言いたかったことに違いない。(これも間違いない)
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では、キャロル氏はなぜ、7日付けの「エジプト・デジタル革命」コラムから1週間後に、「デジタル時間批判」のコラムを書いたのか?
これはあくまで私の想像だが(しかし、間違ってはいない想像だと思うが)、キャロル氏は、「エジプト革命」が、ユーチューブやフェースブック、ツイッターなど、デジタル革命の産物であるネットによって駆動されたものであることを認めながら、途中から(とくにムバラクがネットを全面遮断した時点以降)、パソコン、ケータイの「画面」を離脱した、まさに地に足ついたものに変わっていたことに――人々がストリートを「広場」に向かって、自分の時間を自分で歩き、「歴史」をつくるものに変わっていたことに気付き、その重要性を指摘したかったのだ。(7日付けのコラムの見出しは、キャロル氏がつけたものでないかも知れない……)
本ブログでもすでに紹介したように、今回の「エジプト革命」は、26歳の女性の「1月25日にタハリール広場へ、集まれ! ビデオ・アピール」で始まったものだが、その彼女自身、もうパソコンの画面を見るな、広場に集まれ、と訴えていたことは、見落としてはならない点だ。
「エジプト革命」はネットによって駆動されたが、それがムバラク追放という勝利を手にしたのは、民衆がネットを離れ、「広場」に結集したからである。
人々が「広場」で、じかに心を通い合わせたからである。
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キャロル氏がコラムで紹介した、イェイツの詩の一節、
Changed,changed utterly,…… (変わった、変わったのだ、完全に)は、さらにこう続くという。
A terrible beauty is born.
(とてつもない美しさが生まれた)
「エジプト革命」が美しいのは、そこに私たちが「広場」で生まれたものに共感を感じ、新しい時間の流れを、歴史を生み出してゆくものを見出しているからだろう。
ムバラクという現代のファラオを、民衆は「広場」に集まることで、喜びのうちに追い出したのだ。筋書きを書いて、その時間を生き、演じ切ったのは、ほかならぬエジプト民衆だった。
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寺山修司さんが生きていらしたら、こう言うかも知れない。
日本の若者よ、君らもパソコンを捨て、街に出よ、と。
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ジェームズ・キャロル氏には『戦争の家』というガルブレイス賞に輝いた、ノンフィクションがある。「アメリカ軍事帝国」の「惨憺たる勃興」(アイゼンハワー)を描き切った大河ノンフィクションだ。拙訳、上下2巻、緑風出版の刊。図書館にリクエストするなどして是非、お読みになっていただきたい。
Posted by 大沼安史 at 10:19 午後 3.コラム机の上の空 | Permalink

















