空から歌が聴こえる C'est Magnifique
マディソンの人々に、敬意を込めて!
⇒ http://onuma.cocolog-nifty.com/blog3/2011/02/cest-magnifique.html
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マディソンの人々に、敬意を込めて!
⇒ http://onuma.cocolog-nifty.com/blog3/2011/02/cest-magnifique.html
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州都マディソンの州議会を占拠の継続が認められた。27日の日曜日かぎりで退去を求めていた議会事務局が譲歩し、占拠は継続されることになった。
ニューヨーク・タイムズはこれを、「象徴的なことであれ、これはひとつの勝利である」と書いた。
州議会の事務局長は共和党のウォーカー知事に任命された共和党員だが、26日(土)の7万人抗議デモを受け、退去通告を撤回した。
州知事の公務員組合つぶしに抗議する、州警察の警察官でつくる「ウィスコンシン・プロフェッショナル警察協会」の最高幹部は、「冷静な判断が広がって来た……今や、このショーを演じているのは(われわれ)州警の警察官だ」と語った。
警察の組合が、プロテストの先頭に立っていることを自負する「ウィスコンシン革命」。
ウォーカー知事のネオリベ攻撃に対する民衆の怒りはとどまるところを知らない。
ウィスコンシン州立大学マディソン校の学生たちが寝袋を持って、議会の泊り込みプロテストに参加するなど、支援の輪も広がっている。
知事の自宅を抗議の民衆が包囲し、警官隊が道路を通行止めして守る状況にもなっている。
カイロのタハリール広場がマディソンの州議会前広場に移って来た!
⇒ http://www.nytimes.com/2011/02/28/us/28wisconsin.html?_r=1&hpw
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Posted by 大沼安史 at 07:46 午前 | Permalink | トラックバック (0)
米ウィスコンシン州の州都、マディソンで19日、共和党のスコット・ウォーカー新知事が強行する「組合つぶし」に抗議する大規模なデモが行われた。
労組員、学生ら8万人が結集した州議会議事堂の前で、カイロのタハリール広場で撮影された一枚の写真が、参加者の間で回覧された。
若いエジプト人の男性が、英語でこんな連帯の言葉を掲げている写真だった。
Egypt supports Wisconsin workers: One world, one pain.
エジプトはウィスコンシンを支援する。世界はひとつ、痛みもひとつ。
エジプトの民衆の決起と、ウィスコンシンの州政府職員らの抵抗を、ひとつにつないだ言葉だった。
(「デモクラシーNOW」、エイミー・グッドマンさんのコラム参照 ⇒ http://www.truthdig.com/report/item/uprisings_from_the_middle_east_to_the_midwest_20110222
/ )
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経済学者のポール・クルーグマン教授もニューヨーク・タイムズのコラムで、共和党連邦下院議員の、こんな素朴な驚きの声を紹介していた。
「まるでカイロがマディソンに移って来たみたい」だ。
共和党を支えるアメリカの保守派のイデオローグたちは、エジプトの民衆革命を非難し、ムバラクを支援するようオバマに迫った。
そんな保守派の「ネオ・リベ=コン」どもにとって、「カイロ」が「マディソン」にやって来たことは、おぞましい悪夢でしかないのだろう。
####
エイミー・グッドマンさんの上記コラムによると、19日のデモのプラカードには、「ウォーカー(州知事)は、ミッドウェストのムバラクだ」とも書かれていたという。
アメリカのミッドウェスト(中西部)、ウィスコンシンのウォーカーと、中東(ミドル・イースト)のムバラクを、ひとつに繋いだ言葉だった。
####
なぜ、エジプトとウィスコンシが、ムバラクとウォーカーが、ひとつに結びつくのか?
クルーグマン教授によれば、「オリガーキー(oligarchy 少数独裁、あるいは寡頭政治)」の問題が、両者に共通するものとしてある。
「オリガーキー」、すなわち権力を握る少数の独裁者が、デモクラシーを空洞化させ、民衆の権利を踏みにじっている……
これが、これまでのエジプトと、現在のウィスコンシンに共通するものなのだ。
タハリール広場の若者は、アメリカの(そしてウィスコンシン)の権力の正体をちゃんと見抜いていたのだ。
####
それでは「アメリカの権力」の正体である、オリガーキーとは何か?
クルーグマン教授によれば、ワシントンの政治屋どもに規制を外させ、自分らは大儲けした挙句、バブル崩壊でアメリカの経済を――ウィスコンシンの財政を――イッキに破局に追い込んだ「超リッチなプレーヤーたち(superwealthy players)」による少数独裁に他ならない。
「組合つぶし」に狂奔する、スコット・ウォーカーなる共和党のウィスコンシン州知事は、アメリカのオリガーキーを構成する、そうした「超リッチなプレーヤーたち」の「手先」に過ぎないのだ。
####
先日、ウォーカー知事が、オリガーキーの「手先」であることを自ら証明し、広く天下に知らしめた「事件」があった。
州知事選でウォーカー知事に多額な寄付をしたみられる、アメリカ有数の大富豪、「デイビッド・コーク」を名乗る男と、電話で親しく、こんな話を交わしたことが暴露されたのだ。
アメリカの調査報道ジャーナリストのイアン・マーフィーさんが「デイビッド・コーク」氏になりすまし、「組合退治」に立ち上がった知事に電話を入れ、会話の全てをネットにアップしたのだ。
「コーク」氏 野球のバット、持って行ったらいい。私なら、そうするね。
ウォーカー知事 オフィスに一本、持ってますよ。(バットでガツンとやれたら)最高ですね。私の名前を書いたバットで一発、ドカンとやってもらいますか。
………………
「コーク」氏 で、これ、私からの提案だが、連中をたたきのめしたらね、カリフォルニアに飛んでおいで。招待するから。いっぱい楽しませてあげよう。
ウォーカー知事 いいですね。そいつは素晴らしい……いろいろご支援、ありがとうございます。私たちの自由を取り戻すことですから……
「コーク」氏 全く、その通り。それにね、われわれはちょっとばかり既得権を持っているしね(笑い)
ウォーカー知事 百万遍もサンクスです。
「コーク」氏 バイバイ
ウォーカー知事 バイ
コモンドリームズ ⇒ http://www.commondreams.org/headline/2011/02/23-2
ユーチューブ ⇒ http://www.youtube.com/watch?v=WBnSv3a6Nh4&feature=related
####
名前をかたられたデイビッド・コーク氏とは、兄のチャールズ氏とともに「コーク兄弟」として知られる、アメリカの実業家であり、超富豪だ。
保守派NPO「アメリカのための繁栄」を通じるなどして、ウォーカー知事ら、とくに「茶会」系の共和党右派を資金面でバックアップ、「小さな政府」「地球温暖化デマ論」など保守派の政治運動を支えて来た人物だ。
ことし1月、カリフォルニアのランチョ・ミラージュの別荘で、保守派の会議を主催した時には、環境団体の「グリーンピース」が飛行船を上空に浮かべて抗議。
2月には、「コーク社は地球温暖化を否定する団体への資金提供を中止します」との、ニセのプレス・リリースがネットに乗る
――など、全米のリベラル・環境保護派から目の仇にされている人物だ。
アメリカ株式会社ならぬ「アメリカ多国籍企業」の看板(ポスター・チャイルド)と呼ばれているほど。
つまり、ウィスコンシンのウォーカー知事の「組合つぶし」の背後には、コーク氏に代表されるアメリカのオリガーキーが控えており、それを知っているから、(アメリカのオリガーキーの犬だったムバラクの専制下にあった)エジプトの若者も、あの連帯の言葉を書いたのだ。
世界はひとつ、痛みはひとつ。
エジプトとウィスコンシンの民衆の痛み、苦しみは同じだ――と言ったのだ。
####
英国のジャーナリスト、ニコラス・シャクソンさんが先ごろ刊行し、世界的な反響を呼んでいる『宝島(Treasure Islands)』という本がある。副題は「タックス・ヘイブンと世界を盗んだ男たち」。
米欧の多国籍企業、及び超富裕層がタックスヘイブンを使って「合法的(?)な脱税」を続け、まるまると太り続けている実態を暴き出したレポートだが、そこに、こう書かれている。
「アメリカのトップ0・1%の高額所得者に対する税率は1960年に60%だった。それが2007年には33%に下がった。所得が大幅に増えているにもかかわらず、だ。その0・1%が1960年の税率で所得税を払うだけで、連邦政府はその年、2810億ドルの増収となったはずだ」
####
世界はひとつ、痛みもひとつ――元凶もひとつ。
オリガーキー、つまりは「金権少数独裁」。
むろん、これはなにもエジプト、ウィスコンシンに限ったことではない。
年金デモが起きたフランスにも、学生デモが起きた英国にも共通することなのだ。
そしてそれは、大企業に減税し、庶民に増税する、この日本にも通じること……。
####
グローバル・オリガーキー。
この支配を打ち破る闘いは、民衆の抵抗運動として始まる。それはどこでも、いつでも同じなのだ。
世界はひとつ、痛みもひとつなら、闘いもひとつである。
Posted by 大沼安史 at 04:39 午後 1.いんさいど世界 | Permalink | トラックバック (0)
ドイツの画家、マリー・メラさんのギャラリー・サイト。
⇒ http://www.ateliermariemella.com/links/links.htm
僕のお気に入りは、flo という作品。
flo って何? ラテン語? 息? それとも、お風呂???
Posted by 大沼安史 at 07:27 午前 | Permalink | トラックバック (0)
インドのテレビ局、NDTV制作の「タハリール広場の女性たち(The women of Tahrir Square)」。
「エジプト革命」の渦中にあった(ある)3人の女性――テレビジャーナリト、人権活動家、作家)の3人にスポットをあてたドキュメンタリーです。
⇒ http://www.3quarksdaily.com/3quarksdaily/2011/02/the-women-of-tahrir-square.html
Posted by 大沼安史 at 10:33 午後 | Permalink | トラックバック (0)
カダフィがリビア民衆の決起を、「アルカイダ」に操られたものだと、突然、言い出した。
まるで、オバマに「対アルカイダ」共同戦線を呼びかけるような、トンデモ・レトリックである。
息子の一人まで調子を合わせ、父親のカダフィは新しい世界秩序づくりに取り組む用意がある、などと言い出した。
土壇場で米欧にすり寄るカダフィ。
生き残るのに必死だ。
⇒ http://www.ft.com/cms/s/0/bc99db2e-3f74-11e0-a1ba-00144feabdc0.html#axzz1EvhA3vls
####
ウィキリークスの暴露電によれば、カダフィの独裁政権は、「リビア投資オーソリティー(LIA)」という国営ファンドを通じ、石油収入を米欧での投資に回しているが、2010年初めの時点で、現金だけで320億ドルを保有、「アメリカの投資銀行数行がそれぞれ3~5億ドル、運用している」のだそうだ。
「LIA」はまた2009年に、ロンドンの「FMキャピタル・パートナーズ」に対し、数億ドルの運用を委託している。
カダフィ政権はつまり、ウォールストリートやロンドンのシティーと「油と金の絆」で結ばれていたわけだ。
カダフィが「息子たちにアルカイダの言うことを聞かせてはならない」などと、突然、言い始めたのも、こうした米欧の金融権力とのつながりを頼りに、事態の打開を図りたい、との思いに駆られてのことだろう。
⇒ http://www.abc.net.au/news/stories/2011/02/25/3148558.htm?section=business
http://www.reuters.com/article/2011/02/24/us-libya-wealth-idUSTRE71N2AT20110224
http://www.ft.com/cms/s/0/1563ae26-3fa5-11e0-a1ba-00144feabdc0.html#axzz1EvhA3vls
####
一部報道によれば、カダフィのいちばん下の息子、サイフが、(アルカイダの言うことを聞いてしまい)ベンガジで民主化を求めるデモに参加したという。 ⇒ http://presstv.com/detail/166900.html
サイフによれば、父親は自決するか南米へ逃亡するしかない。
####
しかし、カダフィ個人の運命がどうなるかなど、実はほんとうの問題ではない。
リビア再建のためにも、「LIA」を通じたオイル・マネーの流れを――カダフィ以下権力者たちが奪取したオイル・マネーの流れを――それが最終的に彼らの海外秘密口座に蓄積されている実態を解明する必要がある。
エジプトのムバラクの場合もそうだが、欧米の金融権力の指南よろしく、私財を膨らませて来た独裁者の「財テク」の実態は、なかなか表に出ない。
独裁者の血塗られたオイル・マネーが、ウォールストリート、シティーで、どんな使われ方をして来たのか、この点の追及なしに「政権交代」だけで幕を引くわけにはいかない。
####
ムバラクに次いでカダフィを打倒するだけでは不十分だ。
背後で糸を引く、米欧主導の「軍事・石油・金融複合体」こそが、打倒すべき元凶である。
「アルカイダ」だ?
冗談はよしてくれ。
世界の食料を、資源を高騰させているのは、「アルカイダ」ではない。
金もうけに目がくらんだ、ウォールストリート・カジノのハゲタカどもである。
Posted by 大沼安史 at 07:46 午後 1.いんさいど世界 | Permalink | トラックバック (0)
英紙インディペンデントのロバート・フィスク記者が23日、わずか45分の短い滞在時間ながら、リビアの首都、トリポリに入った。
⇒ http://www.independent.co.uk/opinion/commentators/fisk/tripoli-a-city-in-the-shadow-of-death-2223977.html
冬の雨が降っていたそうだ。パン屋は全てシャッターを下していたそうだ。
トリポリは食料のない街になっていた。
通りを数人の警察官と、年老いた男女が歩いているだけだった。「緑の広場」もガランとしていた。
「死の影の街=トリポリ」――氏の報告記事についたタイトルだ。
####
フィクス氏によれば、カダフィが支配下にある(はずの)トリポリで、軍の戦車や装甲車両を見かけなかった、そうだ。
これは何を意味するか?
これは僕の希望的な観測だが、リビア政府軍はエジプト軍のように様子見をしているのだ。
カダフィについたらいいか、情勢を見守っている……。
なぜ、こう考えることができるか?
ニューヨーク・タイムズのコラムニスト、ニコラス・クリストフ氏が、トリポリへ電話取材を行い、こんな事実を確認した。
リビア海軍の艦艇が東部のベンガジを攻撃するよう、カダフィの命令を受けた時、カダフィ支持派と非支持派の乗組員の間で論争が起きたそうだ。カダフィの言うとおり、反乱分子を攻撃するかどうか議論になった。
カダフィ支持派は艦内の少数派。結局、この艦艇は出動を見合わせたそうだ。
⇒ http://www.nytimes.com/2011/02/24/opinion/24kristof.html?ref=opinion
####
フィスク氏によれば、2日前、リビアの自家用ジェット機がレバノンのベイルート空港に接近、着陸許可を求めた。管制官に乗客8人の身元を明らかにしなかったことから、追い返された。
そして昨夜(23日夜)、アル・ジャジーラが、カダフィの娘、アイシャを乗せたリビア・アラブ航空機がマルタに着陸しようとして拒否された――と報じた。
カダフィの実の娘さえ、国外脱出を企てるリビアの現実。
カダフィに残された時間はあまりない。
####
フィスク氏はトリポリの空港で目の当たりにした光景を、記事の最後で紹介していた。
帰国したリビア人の男が入国窓口で、「長生きを! われらが偉大なる指導者、ムアマール・カダフィさま!」と叫んだそうだ――。
そして、笑い出した。
リビアの入国審査官たちもつられて大笑いしたという。
独裁者の末路は、爆笑がはじけるほど物悲しい。
カダフィよ、どうせ、「地獄へ逃避」するしかない身、潔く「辞任」を表明すべきではないか!!
Posted by 大沼安史 at 08:27 午後 1.いんさいど世界 | Permalink | トラックバック (0)
日本の若者も闘ったらいい。
もうウンザリだろう! こんなクソな社会は!
⇒ http://onuma.cocolog-nifty.com/blog3/2011/02/dont-let-us-get.html
Posted by 大沼安史 at 08:44 午後 | Permalink | トラックバック (0)
カダフィが「国体」護持の巻き返しに出ている。
昔、レーガンに空爆され、半ば破壊された宮殿跡から、国営放送で演説した。
1時間にわたる演説は、孤独なワンマンショーだった。
リビアは世界をリードして来た。
おれはリビアの栄誉だ。
ゴキブリどもを殺せ。
死ぬまで戦う――。
権力に恋々とする菅直人も醜いが、カダフィはそれ以上に醜悪だ。
ところで、なぜ、リビアの民衆は撃たれ、殺されたか?
それは外人「傭兵」を、カダフィが雇っていたからだ。
カダフィに金で雇われた、サブ・サハラの傭兵たちが、リビアの民衆を撃ち殺した。
同胞ではないから、引き鉄を引きやすかったのだろう。
引き鉄を引かなければ、生きていけないから。
カダフィは演説の中で、こうも言ったそうだ。
天安門事件を引き合いに。
「国体」を守るためには、多少の犠牲もやむを得ずと。
日本の――仙台の街で暮らす僕に、では何ができるか?
「アヴァーズ(「声」)」サイトに登録している僕は、国連あてのネット請願に署名した。⇒ http://www.avaaz.org/en/libya_stop_the_crackdown/?fpla
リビア民衆への空爆を止めよ! カダフィ一族の資産を凍結せよ!
####
以下に、リビア情勢を伝えるサイトを掲げた。
僕はいま「コミュニケーション連帯(コミュニカティブ・ソリダリティー)」がグローバル規模で起きて、まさに世界民衆のマルチチュードな決起が続いていると考えている一人だが、この動きは消すことはできない。
カダフィは実弾で「声」を消そうとしてるが、命は奪えても「声」は消せない。
「声」はいまや、ネット上で、「響き」となって、「残像」となって残るからだ。
ツイッター「リビア・ニュース・メディア」⇒ http://twitter.com/LibyaNewMedia
「リビア青年運動」⇒ http://twitter.com/ShababLibya
「アット・ベンガジ」 ⇒ http://twitter.com/search?q=%23Benghazi
⇒ http://www.afrol.com/articles/37407
ガーディアン ライブ・アップデート⇒ http://www.guardian.co.uk/world/blog/2011/feb/22/libya-erupts-gaddafi-live-updates
「世界は何と言っているか?」 ⇒ http://www.guardian.co.uk/news/datablog/interactive/2011/feb/22/libya-comment
「グーグル リビア情勢マップ」 ⇒ http://maps.google.com/maps/ms?ie=UTF8&hl=en&msa=0&msid=215454646984933465708.00049c59184ae1136341a
「トリポリに傭兵配備」ビデオ ⇒ http://www.libyafeb17.com/?p=1582
Posted by 大沼安史 at 08:08 午後 | Permalink | トラックバック (0)
カダフィはトッラクの座席のようなところに座って、まるで他人事のように、こう言った。
グレーの傘を、左手で差しながら。
「トリポリにいる私の姿を見せたい。ヴェネズエラにいるのではない」
「野良犬どもの(テレビ)チャンネルを信じてはならない」
「(トリポリの)緑の広場にいる若者たちに言いたいことがある。彼らと夜遅くまで一緒にいたい」
「しかし、雨が降って来た。神よ、ありがとう。これはよいことだ」
⇒ http://www.guardian.co.uk/world/video/2011/feb/22/muammar-gaddafi-tv-address-video?intcmp=239
####
降り始めた雨を、「ありがたい」と、カダフィは言った。
恵みの雨。
広場のデモ隊を濡らし、意気を殺いでくれる、とでも思ったのだろうか?
それとも、雨を理由に、広場に行かずに済んで――若者たちと対話せずに済んで、ホッとしていたのだろうか?
傘を差しながら、ぼそぼそと語る、リビアの独裁者の姿は、落ちぶれた老喜劇役者のように見えた。
国営放送で流れた28秒間の国民へのメッセージは、老人の独り言のようだった。
####
カダフィがふりまいて来た、奔放かつエキセントリックな「リビアの指導者」のイメージを、突き崩したのは、「ウィキリークス」だった。
ウィキリークスが暴露した「トリポリ大使館発の米国務省機密電」は、カダフィの実像を露にするものでもあった。 ⇒ http://www.guardian.co.uk/world/us-embassy-cables-documents/227491
2009年9月の機密電は、こう記す。
・ ウクライナ人の看護婦と一緒でも旅行できない状態だ。
・ (高所恐怖症で)上の階にいるのを怖がる。
・ 海の上を飛行機で飛ぶのが嫌だそうだ。競馬とフラメンコダンスが好き。
・ 女性警備隊にあまり依存しなくなったようだ。ニューヨークには一人、同伴させただけだった。
(カダフィは、女性だけの警備隊をつくり、自分を警護させていた)
―― カダフィは、怖がる老人になっていたのだ。ウクライナ人女性を看護婦に置いておかねばならない年寄りになっていたのだ。
独裁者が弱々しい老人になっていたことを、リビアの――とくに若者たちは、ネットを通じて知っていたのである。
####
中東報道のベテラン、英紙インディペンデントのロバート・フィスク氏は、30年以上前、トリポリでの軍事パレードで、初めてカダフィを見た時のことを書いていた。 ⇒ http://www.independent.co.uk/opinion/commentators/fisk/cruel-vainglorious-steeped-in-blood-and-now-surely-after-more-than-four-decades-of-terror-and-oppression-on-his-way-out-2221687.html
延々、7時間も続いた軍事パレード。
カダフィは黒のウエットスーツを身にまとったフロッグマンの部隊に対し、敬礼を送ったそうだ。
フィン(ひれ)をつけての行進。
ドタバタと音を立てて、歩いてゆくフロッグマンたち。
####
フィスク氏は、「残忍で、とびきり自惚れが強く、血の海に浸かりきったカダフィよ。40年以上に及ぶテロと弾圧の後、お前は権力の座を去ろうというのか?」という、22日付けの記事の中で、ベオグラードの非同盟諸国の国際会議に、ラクダ(ミルクを飲むために)を空輸した逸話など、カダフィのエキセントリックさ加減を振り返ったあと、つい数日前、実際にあったこととして、こんなエピソードを書いていた。
カダフィはアラブ人の友人との4時間にも及ぶ話し合いの中で、「顔の皺を伸ばしてくれる、いい整形外科医はいないか?」と、なんと20分間も言い続けたというのだ。
民衆のデモが起きている最中の、この言葉!
高所恐怖症のこの老独裁者は、最早、地上の現実を直視する能力を――冷静な判断力をなくしていた……
####
2008年8月のトリポリ大使館発、米国務省機密電は、カダフィを、自己流哲学者で、自分の考えを人に聞かせたくてうずうずしているような男、と描き出していた。 ⇒ http://www.guardian.co.uk/world/us-embassy-cables-documents/167961?INTCMP=ILCNETTXT3487
フィスク氏によれば、「妄想狂で幼児的なところある」カダフィは、かつて、なんと「地獄への逃避」という本を書いたことがあるという。
「まるで、いまの状況を表すようなタイトル」の本を。
####
軍に武力弾圧を命じ、血の雨を降らせた自分の残忍さに気付かなず、「雨が降って来たから、緑の広場に行って、若者と対話するのは止めた」というカダフィ。
「逃避先」は今や――ほかにはない。
Posted by 大沼安史 at 10:47 午後 1.いんさいど世界 | Permalink | トラックバック (0)
日本の人気ナンバーわん犬といえば、秋田犬の「ブサかわ・わさお」君ですね。
日本ユネスコ協会連盟から、「世界遺産保護・特別大使犬」に任命されたり、映画に主役として出演したり、東京見物で東京タワーを見たり。
そんな日本の「ブサかわ・いさお」君に負けじと、アメリカにも、新しい、わんちゃんセレブが登場しました。
名前は「ヒッコリー」。
ていねいな言い方をすれば「ヒッコリー」ちゃん。
「君」(くん)ではなく、「ちゃん」。なにしろレディーですから。
####
で、この「ヒッコリー」ちゃん。
どうしてこの子がアメリカの「NEW・ドッグ・セレブ」なのかというと、伝統の「ウェストミンスター・ケネル・クラブ・ドッグ・ショー」で見事、2011年チャンピオンに選ばれたからなんです。
ニューヨークで毎年、2月に開かれる、このドッグ・ショーは、わかりやすく言うと、「アメリカの犬の甲子園」(?……えっ、なんだからよく分からないですって――ごもっとも!)。
全米犬界に君臨するトップ犬を選出する場なんです。
優勝すれば、ハリウッドのスター並みの超VIPなセレブになれる!
全米注目の、凄いドッグショーなんです。
####
で、この「ヒッコリー」ちゃんなんですが、スコティッシュ・テリア……じゃなくて、「スコティッシュ・ディアハウンド」という犬種。
「ウェストミンスター」はことしで135年にもなる伝統のドッグ・ショーなんですが、スコティッシュ・ディアハウンドって犬種が優勝したのは、初めてことなんだそうです。
(ちなみに、2010年の優勝犬はスコティッシュ・テリア、2009年はスパニエル、2008年はビーグルでした)
「スコティッシュ・ディアハウンド」――大体が名前からしてスゴい。
スコティッシュというのは英国のスコットランドのことですが、「ディアハウンド」ですから。
ディアとは鹿。鹿をハウンドして(追いかけて)倒しちゃうような犬なんですね。
####
「ウェストミンスター」のコンテストはこの15日に開かれたのですが、「ヒッコリー」ちゃんの優勝が決まった瞬間、カメラマンたちが殺到した。
その時、女性の飼い主がこう叫んで、カメラマンたちを制したそうです。
「静かに! この犬、ディアハウンドなのよ!(つまり、あんたたち、下手するとかみ殺されるわよ!)」
す、すごい女犬がトップ・ドッグになったものですね!
ま、まるで闘犬の土佐犬!
####
ところで、この「ヒッコリーちゃん」のホームグラウンドは、バージニア州のフリント・ヒルというところの農場。
そこで彼女、ふだん何をしてるかというと、実際、追っかけ回しているんだそうです。
ウサギ。そして鹿を。
彼女、テリアとかチワワといった、かわいらし系じゃないところがいいですね。どちらかといえば、不細工なお顔立ち。でも、よく見ると、かわいい。
まるで「ブサかわ・わさお」君みたい。
田舎育ちってところも似ていますね。
カントリー(田舎)育ちの犬がトップ・ドッグになったってニューヨーク・タイムズに出てましたが、なんか拍手おくりたいような気がします。
####
で、さっき、ちょっと言いかけた、「ヒッコリーちゃん」のセレブ・フィーバーぶりですが、ニューヨークの摩天楼、エンパイア・ステート・ビルの屋上展望台に立って、おのぼりさんっぽく下界を眺めたりしている(その、晴れのお姿に対して、カメラマンたちが一斉にシャッターを切っている)。
それから、ニューヨークに「サルディ」って有名な高級レストランがあって、ここで毎年、「ウェストミンスター」の優勝犬に、ステーキをご馳走するならわしなんですが、この優勝ディナーに、「ヒッコリーちゃん」、早速、招待された。
で、その超一流レストランで、「セレブな女王さまぶり」を発揮して、全米のドッグファンから拍手かっさいを浴びた。
この「サルディ」は優勝犬に、オウナーシェフ自ら料理したステーキを銀の皿に載せてお出してしているのだけれど――それもオウナー自ら、食べやすいようにナイフで切り分けてお出しするのだけれど、「ヒッコリーさま」(いつの間にか、ちゃん、から、さま、に変わっちゃいましたが……)なんと見向きもしなかった。
飼い主が「お食べ」といって勧めても食べなかった!
す、すご。ニューヨークの最高級レストランの最高級のステーキに、よだれも垂らさなかった!
田舎者のワンコというなかれ!
う~ん。気品ありますねえ! さすが女王犬! 気位も高い。
ふつうなら、ガツガツ食べて、お皿までなめたりするものを、さすが「ヒッコリーさま」、格が違う!
####
で、最高級のステーキを、彼女はなぜ食べなかったのか、その原因追究が始まったわけですが、優勝ディナーに出されたこのステーキ、実は極上牛肉のフィレミニョン。
「サルディ」では毎年、このフィレミニョンを銀の皿で出す――これがこの店の伝統なんです。
この伝統が禍した?…………
そう、「ヒッコリーさま」は「ディアハウンド(鹿狩り犬)」。
私に向かって牛の肉を食べろだなんて! 鹿の肉を出しなさいって、抗議の意味を込めて、お食事拒否をなされた――なんて見方が出ているそうです。
####
さて、「ヒッコリーさま」、かの「ミス・アメリカ」のように、これから1年間、さまざまイベントに出場したり、セレブ生活に入るわけですが、ニューヨーク証券取引所の始業の鐘を鳴らしたり、すでに多忙の日々。
「ミッドウェスト航空」って航空会社なんか、特別ボーディングパスと専用席をご用意して、ご旅行の便宜を図るっていうんですから、凄すぎですね(でも、機内食に鹿肉を出さないと、またソッポ向かれるかもしれませんね!)。
####
なんといっても超セレブですから、「ヒッコリーさま」、ハリウッドのスターのように、ひょっとしたら、日本にいらっしゃるかも知れませんね。
もし、来日することが決まったら、もう、やることは決まってますね。
カントリー出身のブサかわ同士のご対面。
男と女。
ブザかわ同士、一目惚れでラブラブカップルになったりして!
秋田犬だって、昔は鹿狩り、していたはず。その男らしさに、「ヒッコリーさま」、いっぺんにメロメロになったりして!
⇒ http://www.nytimes.com/2011/02/16/sports/16best.html?ref=westminsterkennelclubdogshow
http://www.nytimes.com/2011/02/17/sports/17dog.html?_r=1&ref=dogs
Posted by 大沼安史 at 07:17 午後 1.いんさいど世界 | Permalink | トラックバック (0)
米国の反戦・平和放送局「デモクラシーNOW」で、カイロ発のうれしいニュースが報じられていた。
女子高校生らが「エル・ゴーナル」(ジャーナルの意味)という新聞の刊行を、紙媒体とネットで開始したのだ。
エジプトでは当局の許可がないと新聞を発行できない。「ゴーナル」編集部は、そんな締め付けを突破して、刊行に打って出た。
サナ・サイフさんという女子高生、17歳が、インタビューに、こう答えていた。
「自由のラインを拡大する絶好のチャンスじゃない。新聞、出しちゃって、どうしていけないの。それも、政府の許可なしにさ――というわけ」
「この新聞は、つまり、タハリール広場の声……ブログみたいなの」
⇒ http://www.democracynow.org/2011/2/18/its_time_to_push_the_borders
Posted by 大沼安史 at 07:01 午後 | Permalink | トラックバック (0)
英紙インディペンデントのロバート・フィスク氏がバーレーン入りし、首都マナマからレポートを続けている。
第一報。19日付け、マナマでいちばん大きな「サルマニア病院」のルポ。
18日の軍による武力弾圧の犠牲者たちが運び込まれた救急窓口のルポ。 ⇒ http://www.independent.co.uk/news/world/middle-east/robert-fisk-in-bahrain-they-didnt-run-away-they-faced-the-bullets-headon-2219267.html
####
医師たちは叫んでいた。「虐殺だ。これは虐殺だ」
医師の一人はわざわざフィスク記者を呼びとめ、軍、ひいてはハリファ王家に対する怒りを、こう説明した。「これはイスラエルがパレスチナ人にしているようなことではない。これはアラブ人(バーレーン人)が同じアラブ人にしていることだ。バーレーン政府は自分の民衆にこれをしている」
目の前で、18歳か19歳の若者が死にかけていた。頭蓋の半分を完全に破壊されていた。治療をあきらめた医師が、こちらを振り返った。医師は泣いていた。涙が血まみれのガウンに迸った。
虐殺現場から負傷者とともに病院に戻って来た職員のひとりは言った。「バーレーンの民衆は変わった。彼ら(デモ参加者)は逃げなかった。体で銃弾を受け止めた」
####
バーレーン政府は――ハリファ王家は、なぜ平和的なデモを行っていた民衆に対し、実弾を発射させたか?
フィスク氏は、上記ルポ記事の中で、こう書いた。「おそらくサウジの重い手が、そう離れたところにあるからだろう。サウジ王家はマナマのデモが、シーア派住民の多い、サウジ東部、クウェート隣接地帯に飛び火するのを恐れている」
####
第2報、20日付けのレポートで、フィスク記者はサルマン皇太子が武力弾圧から一転、シーア派との対話路線へと転換したことについて、「ホワイトハウスから電話が何度もかかったからではないか」と書いた。⇒ http://www.independent.co.uk/news/world/middle-east/blooms-replace-bullets-in-bahrain-while-the-region-hits-boiling-point-2220132.html
血の弾圧が招く、民主革命の大爆発を恐れるオバマ政権。
しかし、「サウジ(王家)はこれと正反対なことをバーレーンの王家にアドバイスして来た」とフィスク氏。
正反対なこととは、もちろん、徹底的な武力弾圧のこと。
今後、バーレーンが平和的な民主化の道に進むか、武力での徹底鎮圧に再度乗り出すかは分からない。しかし、どう転ぶにせよ、行き着く先はひとつだ。
ステータス・クオ(現状)の改変。
中東・アラブ世界が変わろうとしているのだ。
民主化運動のサウジへの波及は不可避な情勢ではないか?
####
第2報、20日付けの現地ルポ(上記記事)でフィスク氏は、再開された民衆デモで参加者たちが、×印=バッテンをつけた「サダム・フセイン」や「ムバラク」「ベン・アリ」の写真を手にし、「ハマド王制の打倒」「ハリファ王族の追放」を叫んでいた、と書いた。
国王を、王族を、サダムらと同列に引きずり下したバーレーンの民衆。
デモ隊のシーア派はバーレーンの多数派だ。スンニの王政は、よほどの譲歩をしなければ、生き残れないのではないか。
####
フィスク記者は20日付けのインディペンデント紙(電子版)に、一連のアラブ革命について、示唆に富む解説記事を書いていた。「(西側の)誰もが宗教を非難しているが、これらは世俗の民衆の反乱である」 ⇒ http://www.independent.co.uk/opinion/commentators/fisk/robert-fisk-these-are-secular-popular-revolts-ndash-yet-everyone-is-blaming-religion-2220134.html
決起した民衆に追放された、エジプトのムバラクも、チュニジアのベン・アリも、イスラム過激派が陰にいると非難して生き残りを図ったが、バーレーン政府(王政)も、「ヒズボラ」(神の党)が――つまり「イラン」のイスラム原理主義者支配者が裏で糸を引いている、と言い出している。
しかし、それは衛星チャンネルでコメントを続ける「愚かな‘専門家たち’」の発言同様、プロパガンダに過ぎない、というのが、フィスク氏の指摘だ。
あくまでも民衆のよる、不正義に対する決起。
そこに「ビンラディン」は存在し得ない、世俗的な民衆革命。
フィスク氏は皮肉まじりにこうも指摘する。
「ヨーロッパの独裁者は倒された――ファシストが、共産主義者が――。偉大なアラブ世界で、それが起きないとどうして言えるか?」
####
フィスク記者の言うように、今回の一連のアラブ世界の民衆革命は、歴史として語り継がれるはずのものだ。
そこに「イスラム」が関わるとすれば、それは「不正に対する戦いこそ、まさにコーランの精神そのもの」だからだ。
「コーラン的精神」に駆動されたアラブ・イスラム世界の民衆革命。
イスラム主義を超えた、より大きな、覚醒した民衆による、歴史のうねり。
####
フィスク記者は20日付けの解説記事の最後で、世界の読者に対して(つまり、私たちに対して)こう呼びかけた。
「宗教のことは、しばし忘れよ」と。
私たちはフィスク氏の忠告に従い、あくまでも民衆の巨大な革命運動として、イスラム世界で続いている人々の決起を見守り続けなければならない。
そこに、私たちと同じ、不正義に怒る「民衆」を見なければならない。
Posted by 大沼安史 at 08:37 午後 1.いんさいど世界 | Permalink | トラックバック (1)
エダノ操縦士 か、カン長! た、たいへんです。出力20%を切りかけています。失速状態です。
カン長 な、なんだとお~ は、はやく、オザワを切るんだ! 身軽になるんだ! 乗員資格を停止しろ!
エダノ操縦士 だ、だめです……いや、だめでした! 船外にポイ捨てしようとしましたがだめでした。
カン長 お前、ほんとに最低えだの~。お前、それでも艦をあずかる操縦士か! オザワを切るんだ、切って身軽になって、カンを浮揚させるんだ。お前ができないんなら、ヨサノ機関長に頼め! そのためにスカウトしたんだから。
エダノ操縦士 む、無理です。ヨ、ヨサノ機関長、オザワと碁なんか、打ってます……
あっ、出力10%に低下! だ、ダッチロールが始まりました。
カン長 か、構わん! 行けるところまで行くんだ。オカダ甲板長に言って、艦内放送をかけさせろ。カン長であるおれを信じろ、オレについて来い! オザワについたら、艦を「自爆解散する」と言って脅せ。脅して抑え込め!
エダノ操縦士 しゅ、出力7%に低下。あっ! だ、ダッチロールから、キリモミ状態に入りました……
アズミ通信士 SOSを打電します! こちら宇宙戦艦ヤバト、こちら宇宙戦艦ヤバト。カスミガセキ基地、応答願います。
(………………)
アズミ通信士 や、ヤバイ。応答ありません。無線、届いているはずなのに……
エダノ操縦士 もういい。相手にするな、ザイムショー基地なら答えてくれるはず。ザイムショー基地にSOSを打て!
アズミ通信士 こちら宇宙戦艦ヤバト、ザイムショー、どうぞ!
(………………)
エダノ操縦士 応答なし……か。クソっ、あいつら、「消費税20パUP星」のお土産、期待してますよ、なんて言ってたくせに。
オカダ甲板長 か、カン長、艦内放送をかけましたが、乗員の動揺は収まりません。
アズミ通信士 あ、カン長、ろ、朗報です。激励電が届きました!
カン長 な、何、励ましの電報が入ったと。ほらみろ、世界はこの私に、宇宙戦艦ヤバトのカン長の私に期待しておるのだ。私の「最小不幸地球」をつくる公約にカン動・カン激しとるのだ!
で、誰からの激励電だ?
アズミ通信士 ……そ、それがリビアのカダフィとバーレーン国王からです……
(………………)
エダノ操縦士 出力5%に低下。ヤ、ヤバトの運命やこれまで……
オカダ甲板長 も、もうダメです。カ、カン長。こういうときのナライです、カ、カン長、いさぎよく「腹をめしませ」!
カン長 ♪ 花をめしませ、なら聞いたことあるが、なにそれ、「腹をめしませ」って?
オカダ甲板長 ほんと、疎いんだからもう! ここは潔く、カン長として、リッパに腹をお切りになってください。
カン長 何だとお~、オレに腹を切れだとお~。
…………エダノ、お前、代わりに腹、切れ!
エダノ操縦士 や、やですよ。腹を切るのばかりは……。私だって国民、もうこれ以上、懐――あいや、ハラを痛めたくないですから。
カン長 くそっ、どいつもこいつも、でくの棒ばかり。クソの役にも立たないバカばっかりだ。
一同 カン長、お腹をおめしになってください。
カン長と一同 「切れ」「切らない」の押し問答を、その後、20分も続けていると……
(――そこへ、マエハラ艦長代理がシビレを切らして登場し)
マエハラ艦長代理 オカダさん、エダノさん、アズミさん。まだですかあ~ 脱出艦、用意したのに、予定の時間を10分以上、過ぎてますよお~ 「もうイラカン」の始末、ついたんでしょう! なら早くしてくださいよお~
オカダ甲板長以下 ………………
カン長 キ、キ、キ、キサマら、ヨ、ヨ、よくも裏切りやがったな。こ、こうなったら、このボタン、離さないぞ。
「自爆解散」ボタンだ。
オレに指一本でも触ってみろ。
い、一緒に、即、地獄行きだ!
☆
さよなら、サイテイエダノ・アカンナホント・モウヨサナイ・ウトカ政権!
さらば、ダメ政権!
こうなったら、最後の切り札、「田中康夫新首相」率いる「脱ダメ」政権を樹立するしかないかも……。(これはマジで――)
Posted by 大沼安史 at 02:39 午後 | Permalink | トラックバック (0)
BBCのサイトにカイロ・タハリール広場の空撮パノラマ写真が掲載された。
⇒ http://www.bbc.co.uk/news/world-12434787
マルチチュード(連帯する民衆)で埋まったタハリール広場の全景。
クリック・ポイントをクリックすると、地上の様子がウィンドウで開く。
「トイレ」をクリックすればトイレが!(2時間待ちだと、インディペンデントが書いていたっけ!)
「幼稚園」をクリックすれば、子連れの母親たちが広場で開いた「タハリール幼稚園(?」のスナップ写真を見ることができる。
これがエジプト革命!
Posted by 大沼安史 at 10:01 午後 | Permalink | トラックバック (0)
エジプトの女性作家、アーダフ・スーエイフさんが、英BBC放送でのレポートで、日本の若い人たちの励ましになりそうなことを書いていた。
ムバラクを追放した日、タハリール広場に集まった若者たちは、こう声を合わせて叫んだそうだ。
「結婚するぞ! 子ども、つくるぞ!」
スーイエフさんはこれを、数百万人の若者たちの「仕事」と「家庭」への必要性(希求)を映し出した声だと書いていた。
####
若者に仕事がない。金がない。結婚できない。子どもをつくれない!
エジプトも日本と同じなのだ。
若い世代が仕事もなく、結婚もできず、子どもを――次の世代を産み出すことができない。
エジプトも社会的な再生産――社会そのものの存続の危機に立たされていたのだ。
だから、彼・女たちは、立ち上がったのだ。
####
エジプトではもしかしたら、10ヵ月後に、ちょっとしたベビーブームを迎えるかも知れない。
亡くなったヒーロー・ヒロインの名前をもらった赤ちゃんが、元気な産声=叫び声を一斉に上げるかも知れない。
####
アーダフ・スーイエフさんはBBCでのレポートで、抗欝剤のお世話になっていた彼女の友人たち(複数)が、今回の「エジプト革命」でいっぺんに元気回復し、薬に頼らなくていいようになった、とも書いていた。
世直し=社会的な解放は、精神的な解放につながることなのかも知れない。
####
スーイエフさんの報告を読んで、「反貧困ネットワーク」の副代表で、作家であり、活動家でもある雨宮処凛さんの、こんな発言を思い出した。
熊本に熊本労働生存組合という、ニートやひきこもりの女の子たちが立ち上げた団体があります。不登校やリストカット経験者でプレカリアート運動を知って、自分たちもとりあえず組合を作ろうと。
そうやっていろいろ勉強していくと、それまで鬱とか精神医療の分野で語られていた自分たちの問題が、実は新自由主義や市場原理主義や競争社会といった問題と深く関わっているとわかった。自分が畑結局なかったり生きづらかったりするのは、自分だけが悪いんじゃなくて社会の構造のせいだったんだ、と開き治ったらいくなり元気になって、デモをやりまくっているんです……
(「世界」2月号、145~146頁)
####
エジプトの若者たちの「結婚して子どもつくるぞ」の雄叫び&雌叫びは、熊本の――そして日本全国の、若者たちの叫びと共鳴し合うものだろう。
エジプトの若者に負けず、日本の若者も、ますます「デモをやりまって」、この国をクソな「最低不幸社会」にしてしまった権力者どもを追放しなければならない。
####
先日、賃貸不動産屋のチーフの人に、「初期費用を払えなくて、アパートも借りれない若い人が増えている」と聞いた。
悲しいかな、暮らすところさえも確保できない、日本の若者プレカリアートたち!
「天下り率100%」の「わが世の春」をウハウハ謳歌している、日本の「夢バカ楽」な特権層(腐敗政治家・官僚)の「無能・無責任」のせいで、来月の卒業式の後に、そのままハローワークに直行しなければならない、日本の若者たち!
日比谷公園を日本のタハリール広場と化し、「夢バカ楽」どもを追放する世直しに、総決起の時だ!
Posted by 大沼安史 at 09:58 午後 3.コラム机の上の空 | Permalink | トラックバック (0)
米国の作家で、「ボストン・グローブ」紙のコラムニストでもあるジェームズ・キャロル氏が、「エジプト革命」について同紙に書いていた。
「新しい世界のデジタルな夜明け( A new world dawns digitally)」
今月(2月)7日付けのコラムだ。
⇒ http://www.boston.com/bostonglobe/editorial_opinion/oped/articles/2011/02/07/a_new_world_dawns_digitally/
キャロル氏はアイルランドの血を引く人。ダブリンの詩人、W・B・イェイツの詩、「復活祭 1916」の有名な一説を引いて、コラムを書き起こしていた。
Changed,changed utterly,…… (変わった、変わったのだ、完全に)
####
キャロル氏は、デモに参加した、無名のエジプト人の言葉も引用していた。
The street is not afraid of governments anymore.
(この道はもはや政府を恐れない)
世界は変わったのだ。ストリートさえも。
完全に。
「完全な変革」は、Power to the people(権力を民衆へ)が、I am somebody(私は人間である)と結びついて起きた、とキャロル氏は書いた。
1979年の「イラン革命」のカセットテープレコーダー。1989年の「天安門事件」でのファクス。そして、2012年の「エジプト」のインターネット。
ネットを生んだ「デジタル革命」は、エジプトの民衆の意識をつなぎ、ナイルの夜明けをもたらした。
####
キャロル氏はしかし、この14日付けの同紙で、「過去」と「未来」のない、永遠の「現在」にすぎない「デジタルな時間」を――現代の私たちが囚われてしまった「デジタルな時間」を批判するコラムを書き、7日付けのコラムを補足していた(補足したとは明言していないが、これは間違いない)。
こんどは英国の作家、E・M・フォスターを引用して。
フォスターは、こう言って「時間の流れ」には2つの種類があると指摘したそうだ。
"The king died and then the queen" is a story. "The king died and then the queen died of grief" is a plot.
(「王様が死んで、女王様が死んだ」は、そこで終わってしまう単なる「おはなし」だが、「王様が死んで、そのあと、女王様が悲しんで死んだ」は、そこから物語が始まる話の筋である)
「コレがあってアレがありました。はい、おしまい」式のデジタルな事象の断絶ではなく、「コレがあったので、アレが起き、そして」と、物事がつながって展開してゆくアナログ的な時間。
それこそが、デジタル化した現代で忘れられた人間的な時間であり、貴重なものだ……それが、キャロル氏がこのコラムで言いたかったことに違いない。(これも間違いない)
####
では、キャロル氏はなぜ、7日付けの「エジプト・デジタル革命」コラムから1週間後に、「デジタル時間批判」のコラムを書いたのか?
これはあくまで私の想像だが(しかし、間違ってはいない想像だと思うが)、キャロル氏は、「エジプト革命」が、ユーチューブやフェースブック、ツイッターなど、デジタル革命の産物であるネットによって駆動されたものであることを認めながら、途中から(とくにムバラクがネットを全面遮断した時点以降)、パソコン、ケータイの「画面」を離脱した、まさに地に足ついたものに変わっていたことに――人々がストリートを「広場」に向かって、自分の時間を自分で歩き、「歴史」をつくるものに変わっていたことに気付き、その重要性を指摘したかったのだ。(7日付けのコラムの見出しは、キャロル氏がつけたものでないかも知れない……)
本ブログでもすでに紹介したように、今回の「エジプト革命」は、26歳の女性の「1月25日にタハリール広場へ、集まれ! ビデオ・アピール」で始まったものだが、その彼女自身、もうパソコンの画面を見るな、広場に集まれ、と訴えていたことは、見落としてはならない点だ。
「エジプト革命」はネットによって駆動されたが、それがムバラク追放という勝利を手にしたのは、民衆がネットを離れ、「広場」に結集したからである。
人々が「広場」で、じかに心を通い合わせたからである。
####
キャロル氏がコラムで紹介した、イェイツの詩の一節、
Changed,changed utterly,…… (変わった、変わったのだ、完全に)は、さらにこう続くという。
A terrible beauty is born.
(とてつもない美しさが生まれた)
「エジプト革命」が美しいのは、そこに私たちが「広場」で生まれたものに共感を感じ、新しい時間の流れを、歴史を生み出してゆくものを見出しているからだろう。
ムバラクという現代のファラオを、民衆は「広場」に集まることで、喜びのうちに追い出したのだ。筋書きを書いて、その時間を生き、演じ切ったのは、ほかならぬエジプト民衆だった。
####
寺山修司さんが生きていらしたら、こう言うかも知れない。
日本の若者よ、君らもパソコンを捨て、街に出よ、と。
☆
ジェームズ・キャロル氏には『戦争の家』というガルブレイス賞に輝いた、ノンフィクションがある。「アメリカ軍事帝国」の「惨憺たる勃興」(アイゼンハワー)を描き切った大河ノンフィクションだ。拙訳、上下2巻、緑風出版の刊。図書館にリクエストするなどして是非、お読みになっていただきたい。
Posted by 大沼安史 at 10:19 午後 3.コラム机の上の空 | Permalink | トラックバック (1)
カイロ入りして取材を続ける、英インディペンデント紙のロバート・フィスク記者は言うまでもなく、中東報道の第一人者だ。
フィスク記者が「タイムズ」の記者として中東に赴任したのは、1976年のこと。
レバノンの停戦交渉取材でカイロ入りし、レストランで生野菜を食べて、腹痛と発熱に苦しんだ。
起き出して、街を歩いたら、バス停で倒れた。そのまま5時間、昏倒していた。
カイロはもうこりごり。「タイムズ」あての辞表もしたためた。
その時、辞めていたら、「中東問題の第一人者」は生まれず、今回の「カイロ報道」も生まれなかった。
⇒ http://www.independent.co.uk/opinion/commentators/fisk/robert-fisk-full-circle-on-tahrir-square-as-history-comes-in-gulps-2212531.html
####
そのフィスク記者(65歳)が、エジプト・ジャーナリズム界の大御所ともいうべき、不屈の記者、モハメド・ヘイケル氏(87歳)の自宅を訪ね、インタビューした。
サダトに投獄され、ムバラクに釈放され、そのムバラクを批判し続け、エジプトの国内メディアから、これまで30年間も追放されていた。
その間、精力的な執筆活動を続け、中東の現代史のさまざまな事件を、英語の本にまとめて来た。
ムバラク体制はやがて「爆発」して崩壊する――ヘイケル氏は、こう言い続けて来た。
それに賛同できないフィスク氏は、シニカルに反応し続けて来た。
ヘイケル氏は、インタビューに訪れたフィスク氏に、こう聞いたそうだ。
「まだ、自分が正しいと思うかね?」
フィスク氏は言った。「いや、私は間違っていました」
####
インタビューでヘイケル氏は言った。
「私は完璧に信じていた。体制は爆発するだろうと」
「今回のことで私が驚かされたのは、それが数百万人の運動だったということだ」
「私は自分の目で確かめられるとは信じていなかった。民衆の立ち上がりを見ることが出来るとは信じていなかった」
####
フィスク氏のインタビューに対するヘイケル氏の答えで、僕が凄いなと思ったのは、エジプトの若い世代に対する氏の発言である。
「カオスになるかも知れないと心配していた。しかし、エジプトに新しい世代が生まれていた。私たちよるも数百万倍も賢い世代が登場した。彼らは穏健に、知的に行動した」
そしてヘイケル氏は、こう続けた。
「(カオスによる)真空は起きなかった。爆発は起きなかった」と……。
つまり、ヘイケル氏は、自分の予言は当たらなかったと言ったのだ。
いい意味で、当たらなかったと。
ムバラク体制は崩壊したが、エジプト社会の「爆発」は――大混乱は起きなかったと。
####
若い世代による数百万倍も賢い革命――それが今回の「エジプト革命」だとヘイケル氏は言ったのだ。
「システムは変わらなければならない。そして人々は自分たちの求めるものを、(今回の決起で)知らしめた」
「世界も最も近代的なテクノロジーが、今回の決起に使われた」
「人々は何か違ったものを求めている」
ヘイケル氏の言わんとするところを、僕なりに解釈すればこうなる。
今回の「エジプト革命」は、これまでパターンを超えた、何か違ったものである、と。
####
僕はこのヘイケル氏の見立てに共感を覚える。
「革命」というものが、「爆発」から、「コミュニケーション連帯」による「解体構築」へ様変わりしたのではないか、と言いたい気さえする。
####
ヘイケル氏の「人々は何か違ったものを求めている」という指摘を聞いてインタビューを終えたフィスク氏を、ヘイケル氏はエレベーターのところまで見送ってくれたそうだ。
その時、フィスク氏は、ヘイケル氏にもう一度、こう言ったそうだ。
「あなたの言っていることは、正しい」
2人のベテラン・ジャーナリストの再会は、「エジプト革命」に対する見方の一致の確認で終わった。
####
僕がカイロにいた20年前、ヘイケル氏はたしか、カイロ市内中心部のナイル河畔の橋のたもとにある、白いマンション(アパルトマン)に住んでいた。
フィスク氏との会見は、タハリール広場からそう離れていない、あのアパルトマンで行われたのだろうか?
フィスク氏に「もっと若かったら、あの若者たちと広場で一緒にいたのに」と語ったヘイケル氏。
これまでとは何か違った「エジプト革命」の行方を見守り、それをぜひ本に書いてもらいたいものだ。
来るべきその本は、「爆発」の連続だった、エジプト及び中東の近現代史を振り返り、それとは違った未来を指し示すものになるはずである。
☆
ヘイケル氏 Wiki
⇒ http://en.wikipedia.org/wiki/Mohamed_Hassanein_Heikal
Posted by 大沼安史 at 08:59 午後 3.コラム机の上の空 | Permalink | トラックバック (0)
「エジプト革命」をリードした若者グループの連合体、「革命青年連盟」のメンバーのモハメド・アッバスさんが、英紙ガーディアンに、こう書いていた。
「目覚めたら、とても美しい朝だった。2月12日土曜日のエジプトの朝。生まれて初めて僕を含む数百万人のエジプト人は、ムバラクの支配なき国で目覚めた」
「勝利の夜(グラン・スワール)」から一夜明けた朝、エジプトは生まれ変わった……。
「革命」とは、世界が新しい価値を持つものとして生まれ変わることを言うのだろう。新しい価値の可能性の目覚めた人々が生み出す、新しい世界。
⇒ http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2011/feb/13/egypt-celebrate-struggle-not-over
####
新しい価値(それは、新しい世界の意味といってもいいだろう)を生み出したのは、若者をはじめとするエジプトの人たちである。
その価値(意味)を、エジプトの人々は新しい言葉として獲得した。
「エジプト革命」はその時点ですでに、勝利していた――と言えるかもしれない。
新しい言葉、新しい主体が生まれていたのだ。
####
たとえば、1月18日の時点で、「1月25日にタハリール広場へ集まれ」と呼びかけた、あの若いエジプト人女性、アスマー・マフフーズさん。
彼女は「コーラン」の一節、アッラーも「人が自らを変えない限り、人々を変えられない」(13章「雷電章」11)を引用、個人としての主体の変革を求めていた。
彼女にとっても――ほかの人々にとっても、「タハリール広場」に行くことは、自分が自ら変わることで、世界を変える試みであったわけだ。
新しい言葉を――新しい価値と意味を自ら、「広場」で語ることで、そこに新しい世界を生み出す……。
####
どんな新しい言葉(価値・意味)が生まれ、語られていたか?
それは、「FACEBOOK」で「(エジプトで)最も勇敢な少女」として評判になった、次のビデオを見るだけで、分かる。
⇒ http://www.youtube.com/watch?v=jwIY6ivf70A&feature=related
少女は勇気を振り絞って、果敢にも、こう叫び続けたのだ。
わたしたちに何をさせたいんだ、ムバラク
エジプト人全員に、自分の足にキスさせたいのか
明日、こっちの靴で踏んでやる
私たちの金で何するつもり
出て行け!「拷問大臣」
ムバラク お前は終わった、用なしだ
少女の叫びを、周りの青年たちが唱和して繰り返す。
カイロの街頭に、単純明快な、新しい言葉・価値・意味がこだました。
####
「エジプト革命」で民衆が(少なくとも第一段階で)勝利を収めたのは、こうした勇敢な声がカイロの石畳の上だけでなく、ネットを通じても(ムバラクがシャットダウンするまでに)響き渡ったためだ。
人々、それぞれの心の中で目覚めた新しい言葉が、一気に社会的に共有された。それが人々の新しい言葉となって、「広場」において表明された。
「うわさの伝播力」をはるかに上回る高速で――すなわち「速攻で」、新しい言葉は、日常会話の語彙になった。
もちろん、別に新しい語彙が発明されたわけではない。古い言葉が新しく、堂々と表明されたのだけのこと。自らの手で実現すべき価値として表明されたのだけのことだ。
「自由」「権利」――
しかし、そのことが――それだけのことが、「偉大な指導者・ムバラク」を、「最も勇敢な少女」の言う、「出て行け! 拷問大臣」に変えた。
####
「革命」――つまりに「世直し」にとって、何が決定的に重要なのか?
それは、やはり新しい価値が、意味が、新しく語られることなのだ。
「広場」において!
####
一足早く、「ジャスミン革命」に勝利したチュニジアでは、首都チュニスの夕方の座り込みで、アメル・マスルーチさんという若い女性歌手が、自分の持ち歌を歌っていた。
⇒ http://www.youtube.com/watch?v=xdny0FTBohg&feature=related
アメルさんは、パレスチナに連帯する歌などを歌って来た社会派の歌手。
一人立って歌った歌は、「私はまだ見ていない」という歌だった。
たぶん、これまで見ることのなかった、新しいチュニジアを自分たちでつかみとろうと歌った歌だ。
アメルさんは、キャンドルの炎を消すまいと手で覆いながら歌い続けていた。
ユーチューブで流れたアメルさんの歌が、言葉が、チュニジアの人々を勇気付けたことは間違いない。
####
なんてきれいなカイロの朝、そして、なんてきれいなチュニスの夕べ!
世界には、人々の心に響き渡る言葉があることを、新しい世界を生み出す言葉があることを、チュニジア、エジプトと続いた革命の伝播の中で、(世界の――極東の)私たちは知った。
なんてきれいな日本の朝も、新しい言葉・価値・意味とともに、やがて必ず、来る。
Posted by 大沼安史 at 08:24 午後 3.コラム机の上の空 | Permalink | トラックバック (0)
英BBC放送によると、13日の日曜日、カイロのタハリール広場では、軍最高評議会に今後の政治的なタイムテーブル(スケジュール)を明らかにするよう要求する人々が数百人、残留し、なおプロテストを続けている。
タハリール広場ではこの日早朝、軍と残留組との間で小競り合いが起きたとの情報もあるが、BBC特派員によれば、残留者の軍による「排除」は、手荒ではないかたちで行われたという。
広場にはしかし、それでもまだ数百人が残っており、軍最高評議会に選挙などのタイムテーブルを要求している。タイムテーブルが示されるまで、広場での座り込みを続ける構えだ。
⇒ http://www.youtube.com/watch?v=wTLawhG1zI4
ムバラクを紅海の保養地、シャルムエルシェイクに「国内追放」したとされる軍最高評議会は、「自由で民主的な国家」づくりにコミットとするとは「約束」したものの、選挙など政治体制移行のタイムテーブルを示していない。
また、ムバラク政権の内閣もそのまま状態だ。
英紙ガーディアンによれば、活動家グループの「広場」での残留プロテストは、こうした不透明な状況に抗議、今後の道筋を明確化しようというもの。
タハリール広場では「民衆評議会」が置かれ、「人民コミュニケ」の発表も行われているそうだ。
⇒ http://www.guardian.co.uk/world/2011/feb/12/egypt-military-leaders-fall-out-protesters
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もう20年も前のことだ。新聞社の特派員としてカイロに赴任した翌日、私は早朝、ホテルを出て、街を歩き回った。
路上で「アイシュ」が売られていた。エジプトの平たいパンだ。買って立ち食いした。
「アイシュ」――には「命」の意味もある。
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「カイロ」は、アラビア語では――ということは地元の人は「アル・カーヘラ」と発音する。意味は「勝利」。
今回のムバラク追放で、カイロは文字通り、勝利の街、アル・カーヘラになった。
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なぜ、「エジプト革命」が民衆の勝利のうちに、その第一幕を終えることができたか?
なぜ、圧倒的な反政府マルチチュードが全国的に生まれたか?
理由のひとつは、「アイシュ」に代表される、食べものの価格の高騰である。
エジプトでもまた、食料品の価格はこれまで3年間にわたり、上昇の一途をたどって来た。「食料インフレ」は年17%にも達している。
貧困が蔓延し、全人口の4割が一日2ドル以下で暮らすエジプト。
民衆の多くは、食べるものさえ買えず、「命」を維持することも難しい、切羽詰まった状況に追い込まれていた。
⇒ http://news.yahoo.com/s/ap/20110127/ap_on_bi_ge/ml_egypt_protests_economy
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では、エジプトの「食料インフレ」を引き起こしたものは何か?
ムバラク政権の無能もさることながら、もっと問題なのは、世界的な「フード・バブル」である。
アメリカの在野のエコノミスト、エレン・ブラウンさんによれば、「フード・バブル」は、「ウォールストリートが「ドル・キャリ(ドル・キャリートレード)」で、怒涛の「買い投機」を続けて来たせいで発生した。
⇒ http://www.globalresearch.ca/index.php?context=va&aid=23079
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ムバラクはアメリカのディクテート(意)の通りに動く、傀儡ディクテーター(独裁者)として、中東・アラブ世界での「アメリカ=ワシントン」の権益を守る、(アメリカの政治権力にとっては何者にも代えがたい)死活的に重要な役割を果たして来た。
それが皮肉なことに、アメリカ世界権力のもうひとつの源泉である「アメリカ=ウォールストリート」の金融権力の食料投機で体制的な危機に追い込まれ、総決起したエジプト民衆に石もて追われることに……。
ウォールストリートの暴走は、アメリカの政治権力が長年にわたって築き上げて来た、「ムバラク」という中東の防波堤を、一気に決壊させてしまった形だ。
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こうして見てくると、問題の根は、ムバラク政権の腐敗を超え、ウォールストリートをコントロールできない、オバマ政権の無能にあった、と言える。
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アメリカとしてはエジプトを、今後とも「中東の防波堤」として使い続けたい考えだろう。
オバマはだから、エジプト情勢を沈静化するため、「ムバラク斬り」を急いだのだ。
今回の「ムバラク辞任」は、ムバラク・スレイマン禅譲路線に反発する、エジプト軍の将軍たちの「クーデター」だとする報道も出ているが( ⇒ http://www.nytimes.com/aponline/2011/02/11/world/middleeast/AP-ML-Egypt-The-Coup-Analysis.html?ref=aponline )、将軍たちの背後にアメリカの意志があったことは間違いない。
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とりあえず全権を掌握したエジプト軍だが、最高軍事評議会の議長となった、タンタウイという元帥は高齢(75歳)の上、「ムバラクのプードル」と言われて来た人物。
ムバラク子飼いの将軍たちが率いるエジプト軍に政治・経済危機を乗り切る能力を期待することはできない。
となると、エジプトの経済危機は――食糧危機はさらに深化して行く。
そして軍首脳がもし、自由選挙の実施を拒むようなことがあれば、「エジプト革命」は第2幕の本番に突入することになる。
軍自体の統制が崩れ、パレスチナ=イスラエル問題が触媒になって、今のところは表面化していない「反米」が一気に噴出し、全アラブ世界を巻き込んだ動乱へと発展する可能性、なきにしもあらず、だ。
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カイロにいた頃、ある夜、ある場所で、エジプト人男性の歌を聴いたことがある。
ホテルのバーで、ではなく、ごく内輪の、飲食の席でのことだ。
歌った男性は、プロ歌手ではなかった。ふつうのエジプト人。
腹の底から発せられた、うめきのような歌だった。
私はアラビア語が分からないから、そこに誘ってくれた人に、歌の内容を聞いて驚いた。
欧米の支配者に対する、激しい怒りに満ちた歌だった。
Posted by 大沼安史 at 12:43 午前 1.いんさいど世界 | Permalink | トラックバック (0)
ユーチューブにアップされた、4分半ほどの短いビデオが、カイロの、エジプトの人々の心を揺さぶり、「エジプト革命」を生んだ。
ビデオはアスマー・マフフーズさん(26歳)が1月18日に収録した。
一週間後の「1月25日にタハリール広場に集まれ!」
ビデオの英語の翻訳字幕から、いくつか拾って日本語に重訳してみた。
☆
あなたの近所の人たち、あなたの同僚、友人、家族に、タハリール広場に来るように言ってください。
あなたに名誉と尊厳があるなら、来なさい。
5人、いや10人を連れて来てください。もしも、みんなが5人、10人連れて来たら、一緒にこう言いなさい。「もう、いい」と。
希望はない、なんて絶対に言わないで! 希望が消えるのは、希望がないと言ってしまった時だけです。
政府を恐れてはならない。恐れるのは神様だけでいい。
私たちと一緒に来てください。あなたの権利を、私の権利を、あなたの家族の権利を求めなさい。
私は1月25日に行きます。そして「腐敗にノー、体制にノー」と言います。
Posted by 大沼安史 at 05:34 午後 | Permalink | トラックバック (0)
英語で創作活動を続けるエジプトの女性作家、アーダフ・スーエイフ(Ahdaf Soueif)さん(60歳)が即席のインタビューに応え、英語で、エジプト及び中東の今を語ったのは、1月24日のことだった。
アーダフ・スーエイフさんは、The Map of Love(愛の地図)という、エジプトを舞台とした小説で、ブッカー賞の候補にもなった。英国の大学で言語学を専攻、PHDを取得した人。
その彼女がユーチューブにアップされたインタビューで、「若者たちが――指導者なしに、若者たちが地域で過去5年間活動を続けて来た。こういう運動は初めてのことだ」と語っていた。⇒ http://www.youtube.com/watch?v=hWpln1-sWzs&feature=feedu (該当部分は、ビデオ開始14分後から)
1月25日、若者たちが先頭に立って始まった「エジプト革命」!
その前日の彼女の発言。
「エジプト革命」を直前に「予言」していた。
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カイロ市内のザマレクに住む彼女は、一時、風邪でダウンした以外は連日、タハリール広場に通い、「エジプト革命」の動きを、現在進行形で、ガーディアン、ロサンゼルス・タイムズ、BBCなどさまざまなメディアを通じ、英語でレポートし続けて来た。
(彼女の個人サイトを参照 ⇒ http://www.ahdafsoueif.com/)
1月27日付けのガーディアン紙に掲載された彼女のレポートは、「エジプト革命」がいかにして始まったかの現場からの報告として貴重なものだ。⇒ http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2011/jan/27/ahdaf-soueif-cairo-protest
アーダフ・スーエイフさんは、こう記した。
「〈彼ら(若者たち)〉とは20ほどの若者のグループのことです。過去5年以内に結成されたものです。問題は彼らがいつ、どんなふうに結合するか、でした。それを彼らは火曜日(1月25日)に行ったのです。彼らはひとつに融合しました。彼ら、若者たちとともに、エジプトのマルチチュードがひとつになったのです。老いも若きも。(チュニジアの)チュニスで起きたことに鼓吹されて」
"They" is some 20 groups that have sprung up over the last five years. The question has always been how and when will they coalesce? They did on Tuesday;they fused, and with them multitudes of Egyptians young and old – inspired by what happened in Tunis.
フェースブックやネット及び現実世界での集会の中で、若者たちは周到な計画を練り上げていた。
カイロ市内では3ヵ所から、デモの流れが生まれた。わき道がたくさんある、アラブ連盟通りなど、人がいっぱいいる場所から歩き始めた。アラブ連盟通りのデモはまもなく2万人の「マルチチュード(大群衆)」に膨れ上がった。
「エジプト革命」の「マルチチュード」は、若者たちによって、カイロの下町のパサージュの中から生まれたわけだ。
1970年代の学生運動の経験者たちが40年ぶりに、初めて「街頭」で再会する場面もあった。
カイロだけではなかった。マルチチュードの反体制運動は南はアシュートから北はアレキサンドリアまで、全国的なものとなって一気に噴き出した。
スエズでは、1956年の「スエズ動乱」の際、抵抗運動に携わった90歳の老人が立ち上がった。
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アーダフ・スーエイフさんはまた、1月28日付けのガーディアン紙に、こう書いた。
彼女が参加したその日、28日、金曜日のデモは、インババ地区の小さなモスクで始まった。20人ほどで歩き出した。路地を歩いているうち、3000人のデモ隊になった。「パンを! 自由を! 社会正義を!」
その日午前2時、ムバラク政権がインターネットを全面的にダウンさせ、朝の9時には半数のケータイが普通になり、昼前の11時には全部、通じなくなった。
「マルチチュード」は「催涙ガスの壁」をくぐって、タハリール広場に向かった。催涙ガス対策で鼻の中に酢をしめらせたティシュを詰め、ペプシコーラで目を洗いながら。
タハリール広場で民衆が歌ったのは、エジプト国歌だった。
この日のレポートを、アーダフ・スーエイフさんは、こう結んだ。
「昔、息子がこう言ったのを思い出す。エジプトでは誰もがとても個人主義だけど、しかし、より大きな協同プロジェクトの中にいるんだ、と。私たちは今、ひとつになった。皆が一人ひとりの個人として、協同プロジェクトの中で、この国を取り戻すために」
なるほど、一人ひとりの民衆による協同プロジェクト、それが今進行中の「エジプト革命」の姿なのだ。それはエジプトの「マルチチュード」なのだ。
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アーダフ・スーエイフさんは今月(2月)8日のBBCでのレポートで、こんなユーモラスな「エジプト革命」の一面も報じていた。⇒ http://www.bbc.co.uk/news/world-middle-east-12393795
タハリール広場に集まる民衆はホームメイドのプラカードを手にやって来る。大体が「イラー(ムバラク、出て行け)」で始まる、ホームメードのスローガンが書き込まれている。
その中に、こんなのがあったそうだ。「イラー(出て行け)、もう冗談の種、なくなっちゃうよお!」
若者たちは、タハリール広場でゴミの回収にもあたっている。
拾い集めたゴミで、広場にアラビア文字を綴った。「国民民主党」――ムバラクの独裁政党の名前がゴミで書かれた!
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「イラー(出てゆけ)」のスローガンは、その後、変わったと、エジプト人の精神科医でフェミニスト作家のナワル・サーダーウィー(Nawal El Saadawi)さん(79歳)が、米国の反戦放送局、「デモクラシーNOW」のインタビュー(今月10日)で語っていた。 ⇒ http://www.democracynow.org/blog/2011/2/10/audio_nawal_el_saadawy_awaits_news_of_mubaraks_departure_but_says_we_will_bring_him_back_to_be_on_trial
新しいスローガンは「ムバラクを裁判にかけろ!」
30年に及ぶ不正による蓄財! 若者を中心に数百人もの命を奪った虐殺の罪……「ムバラクをみすみす外国に逃がしてなるものか? 逃げても捕まえて連れ戻し、裁判にかけねばならない」
ナワル・サーダーウィーさんの自宅はタハリール広場の近くにあり、夕方になると、シャワーをかりに来る人も多いそうだ。
彼女の家には、エジプトの反体制ブロッガーで、4年間、刑務所にぶち込まれていたカリーム・アメールという青年がいて、一緒に活動しているという。
ナワル・サーダーウィーさんは、「デモクラシーNOW」のキャスター、エイミー・グッドマンさんのインタビューに応え、こう言った。
「私は生まれ変わったような気がする。まるで20の娘のようだ。死ぬ前に革命を目の当たりにできたことで、私は幸せだ」
投獄、禁書、団体の解散……小学生の頃、王政打倒の闘いに参加して以来、人権のために闘い抜いて来た老女闘士は、うれしそうに言った。
「私たちは苦しんで来た。しかし、私は常に楽観的だった。(民衆の)権力は希望にあり(Hope is Power.)!」
(彼女については、Wikiを参照 ⇒ http://en.wikipedia.org/wiki/Nawal_El_Saadawi)
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ところで、ユーチューブに自らビデオをアップし、「タハリール広場に1月25日に集まれ!」と呼びかけ、「エジプト革命」を点火した、26歳のエジプト人女性、アスマー・マフフーズさんのことは、すでに紹介しているので(⇒ http://onuma.cocolog-nifty.com/blog1/2011/02/post-e52b.html#more アピールビデオ ⇒ http://www.youtube.com/watch?v=SgjIgMdsEuk )ここでは、もう一人だけ、タハリール広場に立つエジプト人女性を紹介し、このコラムを終えることにしよう。
「大トリ」で登場していただくのは、エジプトの伝説の映画女優のモーセナ・タフィーク(Mohsena Tawfik )さん。
タハリール広場の抗議行動に参加している銀幕の女神が、ガーディアンの電子版のビデオに登場し、年老いてなお美しい笑顔で、こう断言していた。⇒ ttp://www.guardian.co.uk/world/video/2011/feb/09/egypt-protests-revolution-people-video
http://www.guardian.co.uk/world/2011/feb/04/day-of-departure-hosni-mubarak?INTCMP=SRCH
「私たち(の革命)を止めることができるものは何もない」
代表作はユーセフ・シャーヒン監督の映画「ツバメ」(1972年)。
彼女が出演した、同じシャーヒン監督の「アクキサンドリア……WHY」は、78年のベルリン国際映画祭、銀熊賞(審査員グランプリ)を受賞したという。
エジプトの若尾文子さんか、吉永小百合さんクラスの伝説的大女優もまた、民衆の一人として広場に立っている。
モーセナ・タフィークさんは言った。「革命は最初の一歩を踏み出したばかり。かんたんには終わらない。エジプトはアメリカやイスラエルによって戦略的に重要な国であるからだ。彼ら(ムバラクら)もかんたんにはしき下がらないだろう。しかし、いま私たちは知っている。私たちがどれだけ強いか、どれだけ高貴か、どれだけ美しいか、私たちは知ったのだ」
「……私たちがどれだけ強いか、どれだけ高貴か、どれだけ美しいか、私たちは知った」
タハリールという歴史の舞台で彼女が言った、この言葉もまた、伝説になる言葉だろう。
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さて、クリスチャンの方なら、ご存知だと思うが、新約聖書の「マタイによる福音書」に、こんな一節がある。
それは、信者でもなく、聖書読みでもない私にとって、いったいどういうことを意味するのか、謎だったところだ。
「南の女王が、今の時代の人々とともにさばきの場に立って、彼らの罪を定めるであろう」(8・42)
このマタイ福音書の「南の女王」とはおそらく、ウォールストリート批判の寓話である、あの「オズの魔法使い」の「南の(善い)魔女」(ドロシーをカンザスに帰してくれる」の下敷きになった(はずの)ものだが、マタイがあまりに唐突に語りだすものだから、いったい何のことやら、私には分からなかったのだ。
しかし、こうして、「エジプト革命」の先頭に立つ、女性たちの活動ぶりを目の当たりし、その発言を耳にすると、奇跡を信じる私としては、やはりこう思わざるを得ない。いや、正直、こう思いたい……。
マタイが遺した「南の女王」の福音は、2000年後の世界に対する予言(預言)ではなかったのか、と。
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小説家のアーダフ・スーエイフさんの予言は「前日」のことだったけれど、マタイの2000年前の言葉も、「過去」から示されたものという点では同じである。
権力の腐敗と暴虐の構造は、新約の昔も、21世紀初めの今も変わらない。
そして新約の時代の群衆(マルチチュード)がイエスに付き従う姿は、いまのエジプトの群衆(マルチチュード)の姿に重なり合う……。
マタイの言葉はだから、今の私たちにも、解かれつつある謎として迫って来るのだ。
「南の女王が、今の時代の人々とともにさばきの場に立って、彼らの罪を定めるであろう」(マタイ・8・42)
「ムバラクを裁判に!」と、人権運動家のナワル・サーダーウィー女史は言ったが、彼ら=ムバラクらの罪は、「エジプト革命」という歴史の法廷において厳しく裁かれなければならない。
Posted by 大沼安史 at 10:13 午後 3.コラム机の上の空 | Permalink | トラックバック (1)
菅総理大臣は、民主党の小沢元代表が強制的に起訴されたことを受けて10日午後、総理大臣官邸で小沢氏と会談し、今後の裁判が終わるまで自発的に党を離れるよう要請したのに対し、小沢氏は、みずから離党する意思はない(あなたこそ、党の責任者として、〔私のような〕自分の党から離党すべき人間を出したことを遺憾に思うなら、党首として責任を取り、党首=首相を辞任すべきだ)という考えを示しました。
⇒ http://www.nhk.or.jp/news/html/20110210/t10013986021000.html
う~ん。さすがNKH、あかんなあ・ほんと・うとか首相の民主党党首としての責任を追及しているあたり、さすが。
有罪確定ならともかく、強制起訴で党から出て行け、という、あかんな・ほんと首相よ、「民主党の小沢氏」に一票を投じた、岩手の有権者を、バカにしすぎではないか!
疑わしきは罰せずだからあなたも、あの不倫事件の追及を受けずに済んだのではなかったか!
Posted by 大沼安史 at 07:35 午後 | Permalink | トラックバック (0)
すごい歌だ。勇気の歌だ。
♪ わたしはどこに行くか、知らない。でも、グッドバイだけは言わせてちょうだい! そしてわたしを出発させて!
⇒ http://onuma.cocolog-nifty.com/blog3/2011/02/goodbye.html
♪ わたしの名前は「グッドバイ」
わが名はグッバイ……。
似ている……。
Posted by 大沼安史 at 09:21 午後 | Permalink | トラックバック (0)
エジプトの民衆プロテストが開始されて半月が過ぎた。
エネルギーは衰えない。⇒ http://www.guardian.co.uk/world/2011/feb/08/egypt-protest-crowds-mubarak-power
なぜ、だろう?
エジプトの作家であり精神科医のナワル・サーダーウィ女史(79歳)は言った。⇒ http://www.democracynow.org/blog/2011/2/7/we_became_one_in_the_street_leading_egyptian_feminist_nawal_al_saadawi_says_egyptians_are_more_united_than_ever
「私は医者だ。精神科医だ。そして作家だ。私は自分を観察できる。その私が疲れを感じない」
女史は続けてこうも語った。「これがいつもの状況なら、私は疲れ果てているだろう。しかし、私は今、幸せだ」
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サーダーウィー女史は、カイロのタハリール広場で、こんな場面を目撃した。
「広場に血が流れた。しかし、負傷者を、医師たちは、医師たちの委員会は、広場のそばの病院に運びました。医師たちはみなボランティアです。そして民衆が――あっと言う間に、数分以内に、脱脂綿や包帯、薬品を持って来たのです。たったの数分で……信じられます?」
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信じられないことが起きたのだ。信じられないことが今も起きている。
英紙ガーディアン(電子版)の「スライド・ショー」の写真を見ていただきたい。
ムバラク打倒を叫ぶ民衆に祝福される、結婚したてのカップルの笑み。⇒ http://www.guardian.co.uk/world/gallery/2011/feb/08/egypt-protest#/?picture=371549188&index=10
国旗の小旗を振る少女の懸命な視線。⇒ http://www.guardian.co.uk/world/gallery/2011/feb/08/egypt-protest#/?picture=371538399&index=8
最年少の犠牲者、8歳で命を奪われたモハメド・エーアブ・アルナガール君の写真入りポスターを掲げ、小さなロウソクを手に無言の抗議をする人々。⇒ http://www.guardian.co.uk/world/gallery/2011/feb/08/egypt-protest#/?picture=371561857&index=15
エジプトは犠牲者の死を悼みながら、未来に向け、新しく生きようとているのだ。
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タハリール広場は夜も眠らないと、ニューヨーク・タイムズのルポ記事に出ていた。歌が、演説が、詩の朗読が、朝まで続いているのだ。⇒ http://www.nytimes.com/2011/02/07/world/middleeast/07square.html?ref=egypt
モハンマド・アリという男性が、タイムズ紙の記者にこう言った。
「勝つか負けるか分からない。やつらには権力がある。しかし、われわれは弱くはない」
そして、こう付け加えた。「民衆の言葉は銃よりも強い」
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「エジプト革命」を点火したのは、26歳の女性だった。⇒ http://www.democracynow.org/2011/2/8/asmaa_mahfouz_the_youtube_video_that
アスマー・マフフーズさん。
タハリール広場に1月25日に集まれ! 腐敗したムバラク政権に抗議しよう!
アスマーさんはユーチューブのビデオで、こう訴えたそうだ。
「私はタハリール広場に行く。私は広場に一人で立つ。そして旗印を掲げる……私たちと一緒に行こう。あなたの権利を、私の権利を、あなたの家族の権利を要求しよう。私は1月25日に行く。そして言う。腐敗はもうたくさん、独裁はもうたくさん!――と」
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今回の「エジプト革命」の主役は、若者たちだ。
若者たちの奔放なエネルギーは、ムスリム同砲団のような反政府組織さえも超える勢いを示している。⇒ http://www.nytimes.com/2011/01/27/world/middleeast/27opposition.html?_r=1&ref=global-home
しかし、若者だけが前に出ているわけではない。
若者も老人も、子どもも親も、男も女も、宗教的な人も、世俗的な人も、富者も貧者も、あやゆるエジプト人が街頭に出ているのだ。 ⇒ http://www.independent.co.uk/opinion/commentators/fisk/robert-fisk-secular-and-devout-rich-and-poor-they-marched-together-with-one-goal-2201504.html
それだけムバラクの独裁が社会全体を窒息させていたわけだが、それにしてもこの社会連帯の縦横無尽さは凄い。
「ムバラク派(少数派)=旧体制」と「全エジプト(多数派)=新体制」の2重権力状態が出来ている。
狭義の階級闘争を超えた、全民衆的な決起!
タハリール広場は、新しいエジプトの、新しい首都だ。
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ではなぜ、全民衆的な決起がエジプトで起きているか?
それはムバラクという独裁権力が実は「アメリカ帝国」の傀儡に過ぎないことを――エジプトは実は「アメリカ帝国」によって支配された国であり、そうである以上、反ムバラクの戦いは全民衆的な規模にならざるを得ないからだ。
そう、そうなのだ。アントニオ・ネグリの言う、「帝国」に抗するあの「マルチチュード」(群衆)が、エジプトに出現したわけだ。⇒ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%81%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%89
しかし私は、この「マルチチュード」という言葉を聞くと、反射的に新約聖書を思い起こす。
福音書に書かれたキリストに従う「群衆」を、英訳聖書ではどう表記しているか?
そう、そうなのだ。multitudes と書かれているのだ。
ローマ帝国支配下のパレスチナと、アメリカ帝国支配下ののエジプトと。
そこに現れたマルチチュード!
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エジプトはアメリカの全世界支配の要である。だから、オバマ政権は取り乱し、安定を取り戻そうと焦っているのだ。
そこに現れたマルチチュード!
しかし、そのマルチチュードは、ナイルの流域に限定されたものではない。チュニジアへ、シナイ半島へ、サウジへ、欧州へ、アメリカへ、アジアへつながるものだ。
時代は――世界は変わろうとしているのだろう。
カイロのタハリール広場は、世界民衆のマルチチュード連帯の輪の中心に息づくものとなった。
新しい時代と世界は、タハリール広場の連帯から、新しい政治はタハリール広場の民衆委員会から生れつつあるのだろう。
⇒ http://www.independent.co.uk/opinion/commentators/fisk/robert-fisk-exhausted-scared-and-trapped-protesters-put-forward-plan-for-future-2205079.html
Posted by 大沼安史 at 08:40 午後 3.コラム机の上の空 | Permalink | トラックバック (0)
英紙インディペンデントのロバート・フィスク記者が、オバマ大統領の特使としてカイロ入りした元駐エジプト大使、フランク・ワイズナーの「トンデモ発言」と、この元米外交官の「トンデモ・コネクション」を暴露した。
⇒ http://www.independent.co.uk/news/world/americas/us-envoys-business-link-to-egypt-2206329.html
ワイズナーの「トンデモ発言」とは、オバマが辞めろといっているムバラク大統領について、(オバマの特使として立場にもかかわらず、4日のカイロでの記者会見で)「ムバラク大統領がリーダーシップを発揮し続けることが決定に重要だ。(今回の事態は)大統領にとって自分の伝説を綴る格好の機会だ」と語ったこと。
米国務省もワイズナー自身も「個人の資格での発言」としているが、とんだファルス(笑劇)ではある。
問題はしかし、むしろワイズナーの「トンデモ・コネクション」の方だ。
フィスク記者によれば、ワイズナーはなんと、ムバラクを顧客とするアメリカの法律事務所の顧問を務めているのだという。
つまり、ムバラク(のロビー事務所)に雇われた男が、カイロに乗り込んだわけ。雇い主にモノ申しに!
ムバラクのロビイストが、「ムバラク・ヨイショ」発言をする。ワイズナーとしては当然のことをしたまで……?!
こうなると、もう「ドタバタ喜劇」というしかない。
思いがけない「エジプト革命」の勃発に、アメリカの指導部は混乱し、浮き足だっているようだ。
Posted by 大沼安史 at 08:18 午後 | Permalink | トラックバック (0)
日本の国技、大相撲での八百長スキャンダルに、ロンドンの賭け屋(ブッキー)が「嘘でしょ!」と、驚きの声を上げていた。 ⇒ http://www.bookmakersinc.co.uk/bookmakers/bookie-japan-shockedassumowrestlersadmittedtomatchfixing/
「八百長」になぜ「ブッキー」たちが神経を尖らせるか? 誰も賭けなくなって、商売上がったりになるからだ。
「ブッキー」はだから神経だけでなく耳も尖らせる……。
アメリカではアメフトのプロ球団が、地獄耳の「ブッキー」と連携して、自分のチームのプレーヤーの「不正」に目を光らせているそうだ。
・△・⇒*△*⇒★△★
SUMOは日本のナショナル・スポーツ(国技)だ。
単なるスポーツを超えた、国技! 日本の代名詞、相撲!
その「国の技」――「国技」が揺れている。
その、揺れる日本のSUMOを、世界が注視している。
フランスにはシラク元大統領をはじめ、相撲をひいきにする人が多い。そのフランスを代表する新聞が、こんな見出しで記事を掲げた。⇒ http://www.lemonde.fr/sport/article/2011/02/03/le-sumo-a-nouveau-ebranle-par-des-affaires-de-corruption_1474325_3242.html
Le sumo à nouveau ébranlé par des affaires de corruption
八百長で「揺さぶり」をかけられる大相撲
力士という巨漢が、おろおろ、よろめいているイメージが重なる……。
・△・⇒*△*⇒★△★
フランスだけではない。英国のBBC放送も(⇒ http://www.bbc.co.uk/news/world-asia-pacific-12342670 )、米国のニューヨーク・タイムズも(⇒ http://www.nytimes.com/2011/02/05/world/asia/05sumo.html?_r=1&scp=2&sq=sumo&st=cse )――おそらくは世界各国の主だったメディアが、「八百長相撲」を報じている。
日本人としては、なんとも情けない事態だ。
それも、今に始まったことではなく、昔から問題視されていたこと。
腐敗のマグマが積もり積もって、今回の「春場所」中止となって爆発した。
・△・⇒*△*⇒★△★
冒頭に紹介したロンドンの「ブッキー」のネット記事に、菅直人首相の発言が引用されていた。
「これが事実なら国民に対する裏切りだ」
マニフェストで選挙に勝ったあと、マニフェストを放り投げた菅直人が「国民に対する裏切り」とは、よくも言えたものだと思う。
NHKのネット報道でも、枝野官房長官が、内閣総理大臣杯の授与を見送るかどうかの問題について「八百長がまん延している状況は、公益性を持った団体と言えるかどうかは問題だ」と言ったそうだ。⇒ http://www.nhk.or.jp/news/html/20110204/t10013853161000.html
この発言を聞いて、沖縄の人はおそらく(国民の多くもたぶん)、普天間・辺野古問題(その他)と重ね合わせ、「政治的な八百長がまん延している状況で、菅直人政権は公共性を持った団体と言えるのか?」と思ったことだろう。
これは別に「揚げ足」でも、単なる「あてこすり」でもない。
日本の「国政」(政治風土)と、日本の「国技」の間に、好ましくない共通性があると指摘したいだけだ。
アウンノコキュウ・メクラマシ・サキオクリ・ダンゴウ・ソデンノシタ・マルナゲ・セキニンノガレ・ヨコヤリなど、腐敗の48手が幅を利かせ来たから、菅政権が居直りを続け、大相撲協会が延命していられるのだ。
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アメリカの経済学者、スチーブン・レヴィット、マーク・ダガンの両氏が、学会誌の『アメリカン・エコノミック・レビュー』誌に「勝つことは全て、ではない――スモーレスリングの腐敗」という学術論文を発表し、確率論的に「八百長」の存在を明らかにしたのは、今から8年以上前、2002年10月のことだった。⇒ http://pricetheory.uchicago.edu/levitt/Papers/DugganLevitt2002.pdf
このうち、シカゴ大学教授のレヴィット氏は、ニューヨーク・タイムズのステファン・ダブナー記者とコンビを組み、「Freakonomics(フリーコノミクス=異常経済学)」というブログを通じ、社会的な事象に鋭く切り込むことで有名なエコノミスト。⇒ http://freakonomicsbook.com/
レヴィット教授は、ダブナー記者との共著で、この「SUMOの八百長疑惑」論文のエッセンスも取り込んだ研究結果を、『フリーコノミクス』という本にして出版、これが世界的なベストセラーになり、「SUMO八百長」問題も世界中に知れ渡ることになった。
この本の邦訳は『ヤバい経済学』とのタイトルで2007年に出版され、相撲界の八百長を、数字で示した本として注目されたことは記憶に新しい。
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さて、大相撲で、レヴィット教授らが注目したのは、千秋楽の一番。
7勝7敗で千秋楽を迎えた力士が、8勝6敗の力士に勝つ確立は80%に達することを確かめたのだ。(勝率は50%以下でしかないはずなのに……)
(これに対して、相撲ファンのアメリカ人ブロガーが、レビット教授らの本が出た当時、追い詰められた7勝7敗力士が勝つのは、それだけ気迫のこもったタチアイをするからだ、などと批判的な意見を書いていたが、実態が暴露された今となっては、身びいきに過ぎた……。 ⇒ http://faroutliers.blogspot.com/2005/05/freakonomics-of-sumo.html )
同じチャンコで育ち、同じ土俵でシコを踏んで来た仲間の「負け越し」を、自分が勝って決めるのは人情にしのびないのは分かるが、こうした力士の目にも涙の義侠心がいつの間にか慣例化し、ヤクザに付け入られるようになったのは、子どもの頃からの相撲ファンとして、僕も残念でならない。
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「国政」の方は、例の「あかんなあ・ほんと・うとか~」で、再生の見通しは立っていないが、大相撲は「国技」――この国の技であるのだから、万難を排して再生に取り組んでいただきたい。
取り組みを前に土俵に塩を撒く――その意味を、再確認すべき、国技千秋楽の幕が開いた。
Posted by 大沼安史 at 12:01 午後 1.いんさいど世界 | Permalink | トラックバック (0)
カイロのタハリール広場で撮影された写真。
祈りを捧げるイスラム教徒を、クリスチャンが「人間の鎖」で守っている。
「希望の輪」!
⇒ http://globalvoicesonline.org/2011/02/04/egypt-inside-tahrir-square/gv-post3-2/
Posted by 大沼安史 at 01:27 午後 | Permalink | トラックバック (0)
現地で取材活動にあたる英紙インディペンデントのロバート・フィスク記者によれば、カイロのタハリール広場に陣取った民衆が、「新政府」の在り方について旧権力を話し合う、交渉団を選んだ。 ⇒ http://www.independent.co.uk/opinion/commentators/fisk/robert-fisk-exhausted-scared-and-trapped-protesters-put-forward-plan-for-future-2205079.html
交渉団に選ばれたのは、25人。
ムーサ・アラブ連盟事務局長、ノーベル賞受賞者でオバマにアドバイスしてきたエジプト系アメリカ人、アーメド・ズワイリ、ムスリム同胞団に近いイスラム神学者、モハマド・セリム・アワ、ワフド党のバダウィ党首、携帯会社を経営するビジネスマン、ナジブ・スエズの各氏らが含まれている。
交渉団は24時間以内にスレイマン副大統領に会見する予定だそうだ。
交渉団の選出法、及び広場に生れた「委員会」の実態は明らかではないが、フィスク記者はこの動きを「大規模街頭デモを、ムバラク打倒後の未来を産み出す政治的マシーンに変える、最初の真剣な動き」としている。
Posted by 大沼安史 at 12:02 午後 | Permalink | トラックバック (0)
ムバラクがオバマが要求した「即時退陣」を拒否した。
ムバラクは、アメリカのTV局にインタビューに答え、「私が今辞めたら、カオス(混沌)が起きる」と述べ、次の総選挙まで居座る考えを示した。
⇒ http://www.guardian.co.uk/world/2011/feb/04/mubarak-stands-fast
ムバラクは見栄を切って言った。「私は逃げ出しはしない。わたしは(エジプトの)土になる」
これについて、英インディペンデントのジョハン・ハリ記者は、こんな見方を示した。
推定250億ドルもの資産(財産)の国外持ち出しと、自分の身の安全を保障してくれる後継者擁立のため、時間稼ぎをしている――と。⇒ http://www.independent.co.uk/opinion/commentators/johann-hari/johann-hari-we-all-helped-suppress-the-egyptians-so-how-do-we-change-2203579.html
ムバラクとしては自分の身を守るために「駆け引き」に出ているのだろうが、アメリカが恐れているのは、エジプトのカオス(混沌)ではない。中東全体――とくに湾岸・石油地帯のカオスを恐れているのだ。
「中東・石油カオス」を回避するためには、アメリカの権力は何でもする。
たとえばエジプト軍にクーデターを起こさせ、ムバラクを殺害する――なんてことも平気でする。
間もなく、オバマ政権はムバラクに対して最後通牒を発するだろう。
オバマ政権はムバラクが拒否することを願っている。
口封じできるからだ。
中東における秘密の全てを――あるいは9・11に関する全ての秘密を。
しかし、この程度のことは、ムバラクにしろ、当然、予測できるはずのもの。
ここから、ひとつ決定的な疑問が湧く。
ムバラクはなぜ、強気でいることができるのか?
僕(大沼)の推理はこうだ。
ムバラクは「俺を追い落としたら、中東・9・11関連のあらゆる機密文書を暴露する」とオバマ政権を脅しているのではないか!
ムバラクは、暗殺された前任のサダトの後継者だ。今回もまた、狡知を尽くし、おのれの延命のためにあらゆる策謀に打って出ることだろう。
ムバラクの「暴露」を封じ込めつつ、ムバラクをどう消すか?――これが今、ホワイトハウス・ラングレー・ペンタゴンが知恵を絞っていることだろう。
Posted by 大沼安史 at 06:35 午後 | Permalink | トラックバック (0)
「ムバラク支持派」とされる武装集団がカイロのタハリール広場に集まった民衆に対し、機関銃による掃射を浴びせ、少なくとも5人が死亡、数百人が負傷した。⇒ http://www.independent.co.uk/news/world/africa/five-killed-as-egypt-protesters-come-under-fire-2202827.html
カイロ入りしている英紙インディペンデントのロバート・フィスク記者は、この事態を「ムバラクの反革命」と呼んだ。
⇒ http://www.independent.co.uk/opinion/commentators/fisk/robert-fisk-blood-and-fear-in-cairos-streets-as-mubaraks-men-crack-down-on-protests-2202657.html
「ムバラク支持派」の武力行使は凄惨な結果を引き起こし、フィスク記者は、広場から漂う「血の臭い」を嗅げるほどだった、と書いている。
エジプト陸軍はエジプト民衆に発砲せず、と宣言していたが、「ムバラク支持派」による武装攻撃に対し、タハリール広場の民衆を守ろうとしなかった。
今回の「ムバラク支持派」のデモ隊攻撃が、ムバラク政権の指示によるものかどうかは不明だが、この「武力反革命」によって、エジプト情勢は、決定的な段階を迎えた。
エジプトは、ムバラクを処刑する(ムバラク体制を一掃する)、徹底した革命へと向かわざるを得ない。
今後、エジプト情勢が「全面革命」の様相を呈することは、アメリカによって最悪の悪夢である。
オバマ政権はおそらく、ムバラク国外追放=逃亡(による事態の収拾)に向け、強力な圧力をかけるはずだ。
それにムバラクが抵抗すれば――オバマ政権によって(あるいはイスラエルによって)おそらくは、何者かを使った「ムバラク暗殺」が決行されるはずだ。
アメリカにとって、ムバラクの(政治)生命など、ものの数ではない。
ムバラクはそれをちゃんと知っているから、自分からエジプトを脱出するかも知れない。
「ムバラク支持派」の「反革命」は、「エジプト革命」を加速する――それだけのことである。
Posted by 大沼安史 at 07:03 午後 | Permalink | トラックバック (0)
ムバラク政権がインターネットを遮断する中、グーグルとツイッターが、電話で「ナマ声」をアップする「スピーク・ツー・ツイッター」システムを立ち上げた。
⇒ http://japan.cnet.com/news/society/20425718/
パソコンが使えなくても、そこに電話をかければ、自分の意見をツイートできるシステム。 ⇒ http://twitter.com/speak2tweet#
英紙インディペンデントが、そのいくつかを英訳で紹介しているので、以下に掲げたい。⇒ http://www.independent.co.uk/opinion/commentators/fisk/robert-fisk-secular-and-devout-rich-and-poor-they-marched-together-with-one-goal-2201504.html
・ カイロのタハリール広場にいるわれわれは200万人。ムバラクが去るまで、ここを立ち去らない。
・ ここで引き下がったら、よりひどいことになるだけ。道は一本しかない。最後まで進まなければならない。でも、私は風を感じる。新しい風、違った風。風さえも、私たちが歩く地面さえも変わっている。
・ 私はエジプト人だ。地球上のあらゆる人々の助けが必要だ。でも、独裁者に責任をとらせるべきは、私たちエジプト人だけではない。世界の全てが世界の独裁者たちに責任をとらせるべきだ。
Posted by 大沼安史 at 01:16 午後 | Permalink | トラックバック (0)
エジプト軍は言った。民主主義を求める民衆に対して、その武力を行使しない、と。
軍は民衆を撃たない――この,、エジプト軍の言明は、歴史的ともいっていい画期的なものである。⇒ http://www.guardian.co.uk/world/2011/jan/31/egyptian-army-pledges-no-force
60安保の際、CIAエージェントの岸信介は自衛隊の治安出動を再三にわたって求めた。その要求を蹴ったのが、赤城宗徳防衛長官だった。
軍を、民衆を殺す道具として。使いたがる権力者!
だから僕は、日本の自衛隊のみなさんにも、今回のエジプト軍の決定を重く受け止めていただきたいのだ。
いずれ、日本の民衆を決起し、永田町・霞が関を取り囲む日が来るだろう。
その時、自衛隊が権力の側に立たず――権力の「撃て」の命令に従わず、民衆を側に立って民衆を守り抜く……そういう場面が必ず来るはずだ。
そのときのためにも、日本の自衛隊諸君――今回のエジプト革命を注目していただきたい。
日本の権力の腐敗を見据え、(民衆ではなく)権力者を打倒できるのは、自衛隊員よ、君たちである。
Posted by 大沼安史 at 08:26 午後 | Permalink | トラックバック (0)
防衛省は、自衛隊は、海上自衛隊は――恥ずかしくないのだろうか?
国を、国民を守るのが、あなたたちの「務め」であるはずなのに、このザマはなんだ!?
海上自衛艦イジース艦「あたご」の「父子船撃沈事件」の裁判――。
起訴された自衛官2人が、最終陳述でこう言ったそうだ。
(毎日新聞によれば)衝突時の当直士官・長岩友久被告(37)は「不正な捜査で作り上げた航跡で起訴された」と検察側を批判。直前の当直士官・後潟(うしろがた)桂太郎被告(38)も、検察側が論告で「両被告の過信が最大の原因」と指摘したのに対し「過信を改める(べきな)のは検察官」と声を強めた――という。⇒ http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110201ddm012040111000c.html
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私は、この起訴された2人が気の毒でならない。まるで、あのBC級戦犯に対する裁判。
手を下した現場の人間だけが、槍玉にあげられる裁判。
問題は、この2人の個人的な「過失」(かりにあったとしても)ではない。問題は防衛省=海上自衛隊の統制上の問題であり、組織的な過失である。
2人に責任をかぶせて、恬として恥じない、防衛省=菅直人政権のあくらつ非道さよ!
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被告の立場に立たされた2人の胸のうちを思うと気の毒でならない。
ほんとうの責任は彼らにはない。
仮にあの「父子船」が一方的に「体当たり」して来たとしても、それをかわせなかった、「あたご」それ自体に問題があるのだ。
敵の不意打ちミサイル攻撃に対しても対処できる、ハイテク・イージス艦ではなかったのか?
敵のテロ攻撃に――たとえばミサイル攻撃に、常時監視の目を光らせ、敵味方の行動を瞬間的に識別した上で、即対応するのが最新鋭のイージス艦の役割であるだろう。
それを「あたご」はできなかった。
それは艦長の責任であり、海上自衛隊のトップの責任であり、防衛大臣の責任である。建造メーカーは、建造費を国庫に返納すべきであるだろう。
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今回の「あたご」による「父子船撃沈」事件で浮き彫りになったのは、海上自衛隊のハイテク・イージス艦は、領海内においてすら、日本国民を守るどころか、日本の国民を海の藻屑と化して平然としていることである。
海上自衛隊のトップも、防衛相も、本来なら引責辞任ものである。
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「あたご」に撃沈された父子船の父と息子は、いまだ行方不明のままだ。
防衛省よ、海上自衛隊よ、君らに日本国民をほんとうに守りたい気があるなら、行方不明の父と子を徹底して捜索したまえ!
打ち切りなどせず、父と子の遺体を見つけるまで探し続けたまえ!
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何が「最新鋭のイージス艦」なものか!
生活の海に出漁する父子船を、体当たり撃破しおって、なにが「海上自衛隊」なものか!
父子船を撃沈してしまったことを恥じ、自己批判し、罪に服すべきは、防衛大臣以下、当局者の責務ではないか!
父と子を撃沈しおって、それが最小不幸社会の自衛艦船とは片腹痛い!
父と子をいっぺんに失う――こんな(極大的)不幸なことは、ない。
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父と子の船の名前は「清徳丸」。
清く、徳のある、そういう漁をする船だという思いでつけた船名であるだろう。
そのつつましやかな「清徳丸」が、勝手にぶつかって来たんだと言い張る、自衛隊=防衛省のこの卑しさよ!
君たちは日本国民を――「清徳丸」の父と子さえも守ることをできなかった。
できなかったのだから、できなかったと素直に認め、申し訳ないと謝るのが、モノゴトの筋ではないか!?
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何が自衛隊なものか?
自分たちを守りたいだけのことではないか!
Posted by 大沼安史 at 07:52 午後 1.いんさいど世界 | Permalink | トラックバック (0)