〔いんさいど世界〕 自爆・トルストイ・平和
ロシア最大の国際空港、モスクワのドモジェドボ空港国際線ターミナルでの自爆テロから1週間――。
200人以上が死傷した自爆攻撃を決行したのは、チェチェンの南に位置する、北カフカスのイスラム武装過激派、「ノガイ」ではないか、との見方が出ています。
「ノガイ」はチェチェン戦争で独立派とともにロシア軍と戦った人々。最近、指導者を殺害され、その復讐に出たのではないか?――との観測です。
昨年3月には、モスクワ地下鉄で爆破事件がありました。女性2人組によるテロ。17歳の女性が自爆した。
憎しみのスパイラル、悲劇の連鎖……解決の道はどこにあるのでしょう?
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1昨年(2009年)12月6日、チェチェンのスタログラドフスカヤ村で、一人のロシア人作家をしのぶ記念館がオープンしました。
「トルストイ記念館」。
あのロシアを代表する「文豪」の記念館が、なんとチェチェンの地に建ったわけです。
(この記念館は1980年に開設されましたが、チェチェン戦争の影響で、これまで活動停止を余儀なくされていました。今回の「開館」は、正確に言えば「再開館」なわけです)
この「(再)開館」の話はニューヨーク・タイムズでも報道された(⇒ http://www.nytimes.com/2010/01/02/books/02tolstoy.html?scp=20&sq=chechen%20%20video&st=cse )ので、トルストイのファンの方なら存知かも知れませんが、「もぐりのトルストイアン」(僕はそれほど立派な人間ではないので、「もぐり」と……)である僕としてうれしかったのは、その記事の中で、こう書かれていたことです。
「トルストイはチェチェンで広く敬われている」
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つまり、トルストイはロシア人だけれど、(独立派がロシアと戦っている)チェチェンで、トルストイは広く尊敬されている、というのですね。
そうでなければ、記念館が出来るはずがないのですが、タイムズの記事によれば、チェチェンにはトルストイの名を冠した村さえあるそうです。「トルストイ・ユルト」という村が……。
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チェチェンのスタログラドフスカヤ村の「記念館」は、トルストイゆかりの地、ゆかりの建物につくられたのだそうです。
トルストイは1851年、23歳の時、ロシア軍に志願してカフカスの戦線で戦ったそうですが、その時、2年半ほど駐屯していたのが、チェチェンのこの村であり、記念館に改築されたコサックの兵舎だったそうです。
トルストイはこのスタログラドフスカヤ村で、あの『幼年時代』という自伝的な出世作を書き、文壇にデビューするのですが、気高いチェチェンの人々を知ったのも、この村でのこと。
曾々孫のウラジミール・トルストイさん(ヤースナヤ・ポリャーナの「トルストイ記念館」館長)によれば、若きトルストイはチェチェン人の友だちがいて、付き合っていたそうです。
しかし、チェチェンの人々がなぜ、こんなにもトルストイを敬服しているかというと、たぶん、それはトルストイがチャチェン人を小説に書いているからです。
トルストイの死後に発見された、トルストイ最後の小説に『ハジ・ムラート』というのがあります。
チェチェンの孤高の英雄を描いた物語ですが、トルストイはなぜ、チェチェン人がロシアと戦うか、ちゃんと書いている。その残酷さに対する反発だと書いている。そして、チェチェンの戦士を人間として書いている。
チェチェンの人たちがトルストイを敬うのは、こういうことがあるからなんですね。
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では、そのトルストイは、現代のロシアで、どんなふうに見られているか?
昨年(2011年)――の「11月20日」(昨年といっても、たった2ヵ月前のことですが)は、実はトルストイの「100回忌」でした。1910年のその日、トルストイは、鉄道の駅舎で82歳の生涯を閉じた。
ロシアを代表する世界的な文豪の100回忌ですから、ロシアを挙げて、盛大なイベントが行われてもいいはずなのに、ほとんど、音なしで、過ぎてしまった。
昨年はロシアの劇作家、チェーホフの生誕150年の記念の年でもあったわけですが、チェーホフは華々しく回顧されたのに(メドヴェージェフ大統領がチェーホフ生誕の地を表敬訪問)、トルストイの方は、なぜかほとんど無視されてしまった。
これは年明けに出たニューヨーク・タイムズ紙の記事(⇒ http://www.nytimes.com/2011/01/04/books/04tolstoy.html?partner=rss&emc=rss
)の見出しの表現ですが、「トルストイとロシアにとって、ハッピー・エンディングはまだない」――これが、トルストイをめぐるロシア国内の状況なんですね。
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どうして、こういうことになったのか?
ロシア政府はどうして、文豪・トルストイを讃えるイベントを積極的に行わなかったか?
それを解く鍵はたぶん、トルストイの「絶対平和主義」の中に潜んでいる……。
トルストイはカフカスでの軍務のあと、クリミア戦争でも戦い、戦争の悲惨さを目の当たりにして、絶対的な平和主義者になって行くわけですが(そして日露戦争にも反対し、非戦論を叫ぶわけですが)、これまでチェチェン戦争を戦って来た、現在ロシア政権としては、トルストイの「反戦思想」が、どうにも気に入らない――だから、トルストイの偉業を讃えない――これがコトの真相なのではないでしょうか?
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トルストイが今の時代に生きていたら、チェチェンや北カフカスなどの問題で、どんな意見を述べ、ロシア政府に何を求めるか?
僕には、これを考えることが――トルストイならどうする?――と考えることが、モスクワの空港や地下鉄での惨事の再発を防いで行く、もっとも有効な近道であると思えるのですが、こうした見方は、甘すぎるでしょうか? 理想主義の夢想に過ぎないのでしょうか?
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ロシアの詩人、アナトリー・ライマンさんは、「私たちの忘れたトルストイ」という文章(⇒ http://themoscownews.com/news/20101122/188220569.html?referfrommn )の中で、こう指摘しています。
「トルストイはナイーブとは程遠い人だった。理想主義者ではなかった。彼こそ、世界の変革が人間の道徳を変えることに始まることを最初に理解した一人だった」
そして、「トルストイはロシアに――そして全世界に対して、希望を与えてくれた。トルストイは人間の心を変えることができなかったとしても、人間の心を動かしたことはたしかだ」とも。
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殺戮が続く世界――私たちの、2012年の世界。
ナイマンさんの言うように、「私たちの忘れてしまったトルストイ」を思い出すべき時のようです。