〔いんさいど世界〕 ハイチのミレーさんの話
ハイチ大地震(2010・1・12)から1年――。
23万人の命を奪い、130万人もの人々を震災難民にした、あの巨大地震から、早くも1年が過ぎようとしています。
この1年前のハイチ地震のことを、震災孤児たちは、こう呼んでいるのだそうです。
「グードウ・グードウ」
激震が襲って来たときの音なんだそうです。
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コレラが流行したりして、復旧作業は1年が過ぎようとしているのに軌道に乗っていないそうです。テント生活を続ける人は、なお100万人以上。
それでも、ハイチの人は負けずに生きている。
今日は、そんな1人――ハイチのパトリス・ミレーさん、という方を紹介したいと思います。
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Millet、ミレー。
そう、あのフランスの、「落穂ひろい」や「晩鐘」の画家、フランスソワ・ミレーと同名の人(ハイチはフランス語も公用語です)。
このハイチのミレーさんの、ハイチの子どもたちを元気づける「闘い」が、英紙インディペンデントに出てました。⇒ http://www.independent.co.uk/news/appeals/indy-appeal/independent-appeal-dead-man-walking-and-the-worlds-worst-slum-2149750.html
49歳になるこの「ハイチのミレー」さん、震災難民の子どもたちのために「サッカー」をプレゼントしている人なんです。
自分は末期がんと医師から宣告を受けているのに、こどもたちのため、ポルトープラーンスのスラム、「太陽の町」の外れで、サッカー教室を開いている方です。
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ミレーさんが末期がんの診断を受けたのは、大地震の1年前――今から2年前のことでした。
ミレーさんはもともと、建設屋さん。仲間と共同経営していた建設会社の株を売って、人生最後の一仕事に取り掛かった。
それがハイチのスラムの貧しい子どもたちのためのサッカー教室の開催でした。
自分でサッカー場を3つ、つくって。
サッカーの練習のあと、子どもたちと話し合いをする。
社会のことを、人生のことを。自分たちのの夢のことを。
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ハイチ大地震で、3ヵ所あったサッカー場のうち、きちんと整地された2ヵ所は、たちまちテント村に変わったそうです。
空港近くのスラムの、野原のような1ヵ所だけが残った。
そこでミレーさんはサッカー教室をこれまで続けて来た。
集まって来る子(8~15歳)は1日1食の子どもたち。「痛々しいほど痩せ細った」子もいるそうです。
練習後、ミレーさんからお米やパスタ、ミルクなどをもらって帰る。
お兄さんを亡くした(救助作業中、家の下敷きになったそうです)11歳のオーグスト君は、「家族みんなで、日曜日に食べるんだ」と、インディペンデント紙の記者の方に言ってました!
オーグスト君らテント生活を送る震災難民の子にとって、ミレーさんのサッカー教室は、唯一、プレーを楽しめる場。
子どもたちには食べ物だけでなく、プレー(遊び)が必要なんですね。
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さて、心配なのは、ミレーさんの病状ですが、これまで3度、危機的な状況に直面したにもかかわらず、いまは医者も驚く「小康状態」。
サッカーで甦ったのは――元気を取り戻したのは、子どもたちだけではないようです。
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それからもうひとつ――。ちょっとすごいのは、ミレーさんのチーム、U15(アンダー15)の地区大会で優勝し、なんとフロリダのトーナメント戦に出るんそうです。
ただの(?)サッカー教室と違うですね。
ボランティアですが、ちゃんとしたコーチもいる。だから、レベルが高い。
(日本のPKO部隊の自衛隊のみなさんも、チームを組んで、一度、対戦してみたらいい! そのうち、ミレーさんのとこの選手が、ベガルタ仙台に入ってきたりして!!)
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フランスの画家のミレーには、有名な「種まく人」(岩波書店のマークにもなってますよね)って絵がありますが、「ハイチのミレー」さんもまた、サッカーで未来の種をまいている人ではないでしょうか……。
人生の秋に、最後の種をまき続けるミレーさん。
その姿は、遠く離れた日本の私たちの心にも、希望と勇気の種子を、芽吹かせてくれるものです。