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2010-11-06

〔いんさいど世界〕 布施辰治 生誕130年

 韓国併合から100年――東北から日韓関係の未来を考える「日韓・東北フォーラム」が6日、仙台市民会館で開かれました。

 金正秀・駐仙台韓国総領事は、河北新報の事前インタビューに応え、こう言いました。

 「布施辰治や千葉十七などの先人の顕彰活動をはじめ、東北にも多くのテーマごとに活動実績があるが、もっと幅を広げたい」
 ⇒ http://jyoho.kahoku.co.jp/member/backnum/news/2010/10/20101021t15037.htm

 金総領事が名前を挙げた2人は、宮城県ゆかりの人。ともに、「人」として――「日本人」として、韓国(朝鮮)の人々と心を通わせ合い、堅い絆を結んだ人です。

 奇しくも、韓国韓併合100年のことしは、布施辰治の「生誕130周年」の記念の年。

 (千葉十七は言うまでもなく、憲兵として旅順監獄で、あの安重根を看守として見守り、安重根の人格・祖国愛に心打たれ、魂の交流ともいべきを時を過ごした人だ……。その監獄での出会いも今から100年前、1910年、明治43年のこと)

 そしてさらに、ことしの今月は、布施辰治の130回目の誕生月(誕生日は、11月13日)。

 韓国併合100年の「国恥」の年とあって韓国ではことし、日本による植民地支配を振り返る報道が盛んでしたが、韓国のマスコミは「日本人・布施辰治」を「日本のシンドラー」と言って忘れませんでした。

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 たとえば韓国紙、「中央日報」、「布施辰治」について、こう書いています。
 「暗鬱な日本統治下の被圧迫植民地人の手をつないでくれた人権弁護士」
 「1910年代、『韓国の独立運動に敬意を表す』と述べ、検察の調査を受け……日帝時代に朝鮮人の人権と独立運動家を弁論した代表的な弁護士」
 ⇒ http://japanese.joins.com/search/japanese.php?pageNum=&order=&query=%E5%B8%83%E6%96%BD%E8%BE%B0%E6%B2%BB

 これはほんとに、うれしいことですね。
 布施辰治という、朝鮮半島の人たちから尊敬される日本人弁護士が、私たちの郷土、宮城から出た。石巻から出た。
 誇らしいことです。

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 そこで今日は、布施辰治をめぐる、あまり知られていない、日韓友好につながるエピソードをひとつ(だけ)紹介したいと思います。

 その前に念のため、布施辰治の生涯をかんたんにふりかえると、1880年(明治13年)、石巻の蛇田村に生まれ、1953年(昭和28年)に、72歳でなくなった、弁護士・社会運動家です。

 青年時代にトルストイの影響を受け、生涯にわたって弱者の側に立ち、死刑に反対し、人間の尊厳のために戦い抜いた人です。

 (3男の杜生(もりお)さんの名前は、杜翁=とおう、と呼ばれたトルストイにちなんだ命名。杜生さんは、戦時中、治安維持法で検挙され、栄養失調と結核で、獄死しています。野間宏の小説、『暗い絵』に出て来る「木山省吾」は、この布施杜生さんのことです))

 戦前、自ら投獄されたこともある、反骨の弁護士。

 そして、なんといっても、2004年に、日本人として初(唯一)の韓国の最高栄誉、「大韓民国建国勲章」を受章した人!

 韓国政府から「建国勲章」を受けたのは、関東大震災後の虐殺事件を糾弾したり、朝鮮の独立運動家を助けたり、朝鮮の農民とともに日本人による土地の収奪と戦ったりした、主に戦前・戦時中の功績によるものですが、布施辰治は戦後も、その最晩年においてなお、老骨鞭打ち、朝鮮人のために戦っていた!

 今日、紹介するのは、この戦後のお話です。

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 亡くなる3年前、1950年(昭和25年)10月のこと。朝鮮戦争が始まって、3、4ヵ月、経った当時のことだったそうです。

 辛昌錫(シン・シャンスク)さんという北大農学部を卒業した方が上京して、造船所の前で、「青い目のやからの手先をさえられている……労働者諸君!……巡洋艦を造るな!」とビラをまいて逮捕され、「占領目的阻害行為処罰令」違反で裁判にかけられた。

 その時、弁護をかって出たのが、布施辰治でした。

 有罪なら、アメリカのかいらい、李承晩政権の下へ強制送還され、銃殺になる運命です。

 で、布施さんは法廷で、どんな弁護をしたか?

 辛さんがまいたビラの文句には「米兵」とか「米軍」の文字はなく、「青い目のやから」とあるだけ。

 青い目ならロシア人にもいるし、日本人にもいる、アメリカ人を確定的にさす言葉ではない、と主張し、裁判官に認めさせたそうです。

 主張はなぜ、通ったか? 

 布施辰治という人は、誰に対しても心を通わせようとする人だった。相手が検事でも裁判官でも。

 このとき辛さんが無罪放免になったのも、布施辰治の弁論が裁判官の惻隠の情を引き出したのではないか――と、布施辰治のお孫さんの大石進さんは、『弁護士 布施辰治』(西田書店)にお書きになっています。

(以上、紹介したエピソードは、この大石進さんの本に詳しく書かれています。ことし3月に出たこの本は、実に素晴らしい! ⇒ http://www.nishida-shoten.co.jp/view.php?num=224 
 大石進さんは、日本評論社の社長・会長も務められた方。
 布施辰治に代わって「建国勲章」を東京の韓国大使館で伝達・授与されたそうです。)

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 大石さんによれば、布施辰治は、「天命を信じる楽天主義者」だったそうです。

 「天は私に幸いせざることなし」とする人生観。

 だから、三男の獄死、自らの投獄など、苦難に耐え切ることができた!

 布施辰治はまた、以下の有名な言葉を遺しています。

 「生きべくんば民衆とともに 死すべくんば民衆のために」

 墓碑銘の言葉です。

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 たしかに、私たちの郷土の偉人ではありますが、偉そうな偉人ではなく、ほんとうにすごい人だった。

 朝鮮半島だけでなく、台湾の人たち(農民たち)からも、崇慕された人でもあるわけですから……。

 ことしは『弁護士 布施辰治』というドキュメンタリー映画も完成しました。上映会が国内各地で始まっています。
 ⇒ http://www.fuse-tatsuji.com/  

 「生きべくんば民衆とともに 死すべくんば民衆のために」

 宮城の誇り、郷土の誉れ、日韓の宝、ですね!

Posted by 大沼安史 at 10:50 午前 1.いんさいど世界 |

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