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2010-10-08

〔いんさいど世界〕 「基本的人権としての癒し」 または「人間回復」による戦争の廃絶 

 
 アフガン戦争が今月7日で、10年目に突入した。

 まる9年が過ぎたのだ。すでに。
 10年目を迎えたのだ。早くも。

 2001年10月7日、爆撃機による空爆、潜水艦による巡航ミサイル攻撃で始まったアフガン戦争。

 イラク戦争は2003年3月20日の開戦だから、アフガンの方が2年半も早い。

 アフガン・イラク戦争を「ひとつの戦争=アフガン・イラク戦争のふたつの前線」と考えれば、この7日の開戦記念日の意味はさらに重いものになる。

 21世紀の第1年にあたる「2001年」の「9・11」から1ヵ月も経たない「10・7」に、アメリカが始めた「アフガン・イラク戦争」――。

 軍事帝国化したアメリカは、この先、どこまで戦争を続けるつもりなのか? 

 ★★★★

 7日、ワシントンのウォルター・リード陸軍病院前に、14人ほど、元兵士たちが集まり、黙祷を捧げた。

 CNNの報道によると、兵士たちは10本のバラの花を捧げたそうだ。

 9本はこれまで過ぎた9年の月日のために、もう1本は、これから続く1年のために。

 元兵士たちは連邦議会まで10キロの道のりを行進し、記者会見をして訴えた。

 心に傷を負い、心を病んだ兵士たちを、戦場に送り返さないでほしい、と訴えた。

 アフガンもイラクも戦場は地獄なのだ。耐え切れない地獄に心を病んだ兵士を送り返さないでほしい――キャンペーン「オペレーション・リカバリー(回復のための作戦)」を始めた兵士たちの訴えだった。

 ★★★★

 14人の元兵士の中に、元陸軍特科兵、イーサン・マッコードさんもいた。

 マッコードさんは2007年7月12日、バグダッド郊外で起きた、米軍アパッチ・ヘリによるイラク住民機関砲掃射・虐殺事件の現場に、いち早く駆けつけた人だ。

 ヘリに掃射されたヴァンの中から、イラク人の子ども2人(兄と妹)を衛生兵とともに救い出した人だ。

 その「救出」の模様を、機関砲を掃射したヘリのカメラが引き続き撮影していた――あの兵士だ。

 その米軍の極秘映像をことし4月、「ウィキリークス」がネットで「公開」したことで、全世界の人々の注目を浴びた人だ。

 そのマッコードさんが、「デモクラシーNOW」のエイミー・グッドマンさんのインタビューに答えていた。 ⇒ http://www.democracynow.org/2010/10/7/iraq_war_veteran_who_rescued_wounded

 このブログでも以前、紹介したように、マッコードさんはもうひとりの戦友とともに、イラクの人々に対し「謝罪の手紙」(公開状)を出した人だが(⇒ http://onuma.cocolog-nifty.com/blog1/2010/04/post-6c09.html )、マッコードさん自身、戦争体験で心に傷を負い、2007年11月の帰国後、自殺を企て(未遂)、精神病院に入院していたとは、このインタビューを聞くまで知らなかった。

 ★★★★

 マッコードさんの証言(ブログ記事、デモクラシーNOW、ABCテレビのインタビュー)によると、2007年7月12日のその日、バグダッド郊外、ニューバクダッドを担当するマッコードさんの部隊(米陸軍ブラボー中隊)は、ラスタミヤーの前進基地(FOB)から、未明のパトロールに出発した。

 「(ドアを)ノックし、サーチ(捜索)する」任務。

 パトロール活動は平穏に過ぎ、やがて朝を迎え、気温は華氏110度(摂氏43度)以上に達した。水筒の水がお湯に変わる暑さ。前進基地に引き揚げようとした時、近くの屋上から銃撃を受けた。銃声は数区画先でも上がった。

 その時だった。アパッチヘリの30ミリ機関砲の掃射音が響き渡ったのは。

 マッコードさんたちが現場に駆けつけると、イラク人男性3人が道路の角に転がっていた。人間のかたちを残していない無残な死体を見て、衝撃を受けた。

 それから臭い――現場には糞便、尿、血液、爆煙などが入り混じった、まれまで嗅いだことのない異様な臭いが立ち込めていた。

 子どもの泣き声が、蜂の巣になったヴァンの中から聞こえてきた。

 マッコードさんは20歳になる若い兵士とともにヴァンを覗くと、中に4歳くらいの女の子がいた。腹部を負傷し、血だらけの顔に――眼球にもガラスの破片が突き刺さっていた。それを見て、若い兵士が吐いた。吐いて後ずさりして、逃げ出した。

 マッコードさんは衛生兵に助けを求め、女の子を助け出し、すぐ目の前の民家に運んで、衛生兵とともに手当てをした。マッコードさんは女の子の眼球からガラスの破片を必死になって抜き取った。
 
 衛生兵が女の子を装甲車両のところへ運んで行ったので、マッコードさんはヴァンに引き返した。

 7歳くらいの男の子がいた。ぐったりしていた。運転席で父親らしい大人の男が胸を30ミリの砲弾で貫かれ、死んでいた。男の子と女の子をかばうような姿勢で死んでいた。

 マッコードさんは男の子を抱え、「死ぬなよ、死ぬなよ」と叫びながら走った。男の子の目がマッコードさんを見上げていた。

 走行車両のところにたどり着き、中に男の子を寝かせた。

 その時だった。マッコードさんを、小隊長が怒鳴りつけたのだ。子どもなんかにかまけていないで、殺さなくちゃならないやつらを見つけて来い!――と。

 マッコードさんは、負傷した兄妹の治療を、前進基地(SOB)が拒否したことを知らなかった。

 もちろん、アパッチヘリが、マッコードさんが男の子を救出する一部始終を上空からビデオカメラに収めていたことも知らなかった。

 ★★★★

 任務を終えたマッコードさんがSOBに戻ったのは、夜になってからだった。

 軍服についたイラクの子どもたちの血を洗い落としているうち、「自分が見たものに、どう対処していいかわからない」混乱に陥った。米兵の一人として、自分も関与していたことに耐えられなくなった。

 そこで上官に、精神相談を受けさせてほしい、自分の気持ちを訴えたいと頼んだが、ダメだった。

 がまんしろ、仮病だと疑われるぞ……。

 ★★★★

 帰国後、イラクでの負傷(外傷)は治ったが、心の傷は治らなかった。

 酒を浴びるように飲んで自殺を図ったが、死に切れなった。

 家の中で刃物を持っている現場を奥さんに目撃された。

 離婚。精神病院への入院。

 ようやく落ち着いた今年の4月、こども2人を車で学校に送り、家に戻ってコーヒーを飲みながら、テレビのスイッチを入れて驚いた。

 そこに、男の子を抱いて走る自分の姿が映っていた……。

 ★★★★

 10年目を迎えた「アフガン・イラク戦争」――。

 戦争の長期化で深刻化している問題がある。それはマッコードさんのように心に傷を負った兵士たちが、トラウマを引きずりながら、戦場に送り返されている現実だ。

 死なない限り――負傷しない限り、ローテーションで何度も現地に送られ、戦闘を強いられるのだ。

 「デモクラシーNOW」のエイミーさんのインタビューに応え、マッコードさんはこう言った。

 And they’re being denied their basic human rights to heal. And we’re trying to put a stop to that. It needs to end now. And we need to—we need to stop the redeployment of these troops.
 
 「兵士たちは、癒されるという基本的人権を否定されているのです。私たちはそれをやめさせたい。いますぐ、やめなくちゃならないことです。兵士たちを再び戦地に送り込むことはやめる必要があります」

 兵士もまた人間、人間として癒されなければならない。

 基本的な人権としての「癒し」!

 アフガン・イラク戦争から生れた、この新たな人権概念は重い。非常に重い。

 人権としての癒し――それは多分、戦争を否定する、平和の思想の根源になければならないものだ。

 人間は人間として癒されなければならない。

 癒しこそ、「人間の回復」の道!

 戦争廃絶の道!

  

 〔参考〕 ⇒ http://www.youtube.com/watch?v=eORycShvQn0
 http://www.michaelmoore.com/words/mike-friends-blog/feces-urine-blood-smoke-and-something-indescribable
 http://www.ivaw.org/operation-recovery
 http://onuma.cocolog-nifty.com/blog1/2010/04/post-42e9.html

Posted by 大沼安史 at 11:56 午後 1.いんさいど世界 |

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