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2010-08-03

〔コラム 机の上の空〕 平和のポリフォニー

 「市民の意見」の最新号に、吉川勇一さんの講演録が載っていた。題して「鶴見俊輔さんの『小田実の組織論』について」。

 吉川さんは、鶴見さんの「小田さんの組織論の根底には『ポリフォニー』という考え方がある」の指摘に触れ、その運動・組織論的な意味を、こう語っていた。

 「『ポリフォニー』とは本来、多声音楽という意味ですが、最初から絶対的な方針があるのではなく、議論や運動の中で異なった価値観や考え方が次々に現れ、それが2重3重に絡まりあいながら、一つの運動を形作っていくという、言わば多元主義とでもいうべき考え方です」

 「モノフォニー」の「斉唱」ではなくて、一人ひとりの声が交響する「ポリフォニー」。

 吉川さんの講演録を読み、僕は「なるほど」と納得した。40数年前、一度だけ参加した、(仙台の一番町をフランスデモで、手をつなぎながら歩いた)「べ平連」のデモの「居心地の良さ」を思い出しながら。

 ポリフォニーとしての運動体、「べ平連」!
 「一人でも始める、一人でも止める」べ平連は、「一人でも歌う」ことができた「ベ平連」だった!

 歌う人が多ければ多いほど、その分「多声」になり、深く響きあうポリフォニーになる。
 しかし、原点にあるのは、あくまでも個人。「べ平連」は、「始めに、歌うその人あり」「そこに、歌うその人あり」の組織だった。

 ♪♪♪♪

 そこに、歌うその人あり……視覚芸術(ヴィジュアル・アーツ)を専攻するニューヨーク、クーパー・ユニオン大学の学生、エミリー・エノコウィッツさん(21歳)も、ポリフォニカルな歌を歌う人だ。

 彼女のブログ、「渇望する画素(Thirsty Pixels)」(⇒ ⇒ http://thirstypixels.blogspot.com/ )をのぞいたら、7月22日のエントリーに、ビデオが貼り付けられていた。

 クリックすると、彼女の歌が流れ出した。I Miss You Palestine(わたしの大事なパレスチナ)。

 彼女が、友人に聞かせようと自分でつくり、自分で歌った歌だ。どうせなら、ブログを見てくれる、世界中の人に聞いてもらおう、とアップしたという。

 彼女のメガネの左のレンズに、絵模様が描きこまれていた。

 エミリーさんはことし3月31日、ヨルダン川西岸のラマラの南で活動中、イスラエル兵が発射した催涙ガス弾を顔面に受け、左目を失明したのだ。
 ⇒ http://www.democracynow.org/2010/6/3/emily

 ワシントンのポトマックにある自宅に戻ると、再びエネルギーが湧き上がり、生きる喜びの中で、I Miss You Palestine の歌が浮かんだそうだ。

 ♪♪♪♪

 ニューヨーク・タイムズに、エミリーさんの近況を伝える記事が出ていた。それを読んで、僕は別の意味でも驚かされた。⇒ http://www.nytimes.com/2010/07/28/world/middleeast/28israel.html?_r=2&scp=1&sq=Emily%20Henochowicz&st=cse

 エミリーさんは、実はユダヤ人。お父さんはイスラエルの生まれ、ホロコーストを生き抜いた両親から生まれた人だった。

 その彼女が、西岸でパレスチナ人の側に立ち、イスラエルに対する抗議行動に参加していたとは……!

 彼女が「被弾」したその日は、ガザ救援船をイスラエル軍特殊部隊が急襲した、あの日だった。

 ♪♪♪♪

 さて彼女の歌に戻ると、僕は彼女の歌をビデオで聞いて、その歌い方に素直に感動したのだが、それは多分、そこに何か、実にナチュラルなものを感じとることができたからだと思う。

 今の日本の若者言葉で言えば、「フツーにすごいじゃん!」。

 彼女の歌には、彼女のシンプルな怒り、素直な共感、率直な自己表現だけがあったような気がする。その彼女のシンプルさが逆に、僕の心に新鮮な感動を広げたようなのだ。

 衒わず、気取らず、まるでややスローなジャズを口ずさむように「わたしの大事なパレスチナ」を歌っきったエミリーさん!

 澄んだ泉のような彼女の歌声は、それを聞いたパレスチナの人々の心に響き、あるいはイスラエルのユダヤ人たちの胸の中でも鳴って、ついには平和のポリフォニーになりうるものだ――といったら、大げさ過ぎるだろうか?

 いや、こういう言い方はよくない。
 率直に言おう。彼女の歌声はフツーに平和のポリフォニーを生み出すものである、と。

 ♪♪♪♪

 先の講演録で吉川勇一さんは、「ポリフォニーの理念」として「多元性を大事にする」ことを挙げていたが、蛇足で僕なりの解釈を付け加えれば、平和運動のポリフォニーには(音楽的な用語で言うと)「個人の即興性」がなければならない、と言ってよいような気がする。

 自分の中から自然に湧き上がる……その時はそれしかありえない、なにものかがなければ、個人の歌も、平和のポリフォニーも生まれないような気がするのだ。

 ♪♪♪♪

 昨年8月、西岸の町、ビリンを訪れた南アフリカのデズモンド・ツツ氏は、非暴力のレジスタンスを続けるビリンのパレスチナ人たちを、こう言って励ましたそうだ。⇒ http://www.nytimes.com/2009/08/28/world/middleeast/28bilin.html?_r=1

 「ガンディーも、ルーサー・キング師も、みんな、a simple man だった」と。

 みんな偉人でもなんでもなく、シンプルな人間なのだ。シンプルな人間でありさえすればいい。

 シンプルな人間はシンプルに生き、自分をシンプルに歌うことができるから。自然体で、平和の歌をシンプルに歌うことができるから。

 「シンプルさ」もまた、多元性(と即興性)と並んで「ポリフォニー」を生み出すものだろう。

 かつて「ベ平連」には――小田実さんには、たしかに、それがあった。
 そして今、「わたしの大事なパレスチナ」を歌う、エミリーさんという、若いユダヤ人女性のシンプルな思い!

 「平和のポリフォニー」は時と場所を超え、いつもどこでも、シンプルに歌い継がれていかなければならない。  

Posted by 大沼安史 at 09:08 午後 3.コラム机の上の空 |

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