〔コラム 机の上の空〕 「過ちを繰り返さない」ために
気ままな「夏休み」を楽しんでいる。ふるさと仙台に戻って2度目の夏――。
東京の大学を「中途退学」し、仙台に帰郷したのは、ひとつに、ジェームズ・キャロル氏の『戦争の家』(緑風出版)を、もうひとつに、サドベリー・バレー校のダニエル・グリーンバーグ氏の『サドベリー 教育創世記』(仮題)のふたつの大著を翻訳せんがためだった。
笑わないでいただきたい。私はそのために――その翻訳のために、それだけのために、ビンボー覚悟で仙台に帰ったのだ。
『戦争の家』(上下)を訳出し、いま『サドベリー 教育創世記』(仮題 緑風出版)を訳し、最後の校正を終えたばかり……。
肩の荷が下りて、今、ようやく、ほっとした「夏休み」である。
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今、私は「ほっとした夏休み」にあるが、だからと言って、ことし「2010年の(過ぎ去った)夏」を忘れたわけではない。
ヒロシマ・ナガサキ65周年――。
厳しい残暑が続く中、ことしの夏の、ヒロシマ・ナガサキの「暑さ」を、、私もまた忘れ去るわけにはいかないのだ。
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とくに、ヒロシマの夏――ことし2010年のヒロシマの夏は忘れ去るわけにはいかない。
そう、秋葉市長が「核廃絶に向けた絶好の機会(チャンス)到来」と言ったその時に、菅直人という「日本の首相」は言ったのだ。
「核抑止力は必要」だと。
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菅直人のこの発言を聞いて、私は反射的に、ヒロシマの「原爆死没者慰霊碑」の誓いの言葉を思い出した。
「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」
これは、自らも被爆者である雑賀忠義・広島大学教授が揮毫したもので、碑文の英訳は、
Let all the souls here rest in peace ; For we shall not repeat the evi.
――である。
この碑文に対して、さまざまな批判があり、私自身もかつて違和感を持ったひとりだが、今は、雑賀博士の「先見の明」に敬意を表したい気持ちでいっぱいだ。
ことしの「ヒロシマの日」には、アメリカの大使が初めて列席したが、この「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」の碑文は、ルース大使の胸に、ずしんと響いたはずだ。
For we shall not repeat the evi. 英訳(雑賀博士訳)の碑文は「私たち」と、ハッキリ主語を明示しているからだ。
We とは、私たちアメリカ人は、の We (でもあった)だったわけだ。
その We は、当然、日本の首相である菅直人にもかかる主語であったが、己の「権力維持」しか頭にない、この権力欲にとりつかれた男には、そこまで考えられる知力は残されていなかった。
だから菅は、被爆者の霊に対し、「安らかに眠りたい? 馬鹿言っちゃいけない。私たちはなんと言われようと、核の傘に下に入り込むからね」と言い切ったのだ。
おそろしく鈍感な、低レベルの「首相」を、日本人民は得たものである。
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ヒロシマの日の一週間前の7月30日、原爆=悪魔の兵器を生んだ、米国ニュー・メキシコ州ロスアラモスで、核廃絶を求めるデモが行われた。
⇒ http://ncronline.org/blogs/road-peace/gathering-storm-hope
私が尊敬する、ジョン・ディア神父らが行ったデモだった。
ロスアラモスの中心にある「アシュレー公園」は、ヒロシマ、ナガサキに投下された原爆が組み立てられたところ。
神父らはその場所に、抗議の「灰」を撒き、30分間、祈りを捧げたそうだ。
デモにはヒロシマで育った日本人女性も参加した。イラク・アフガン戦争に反対する、内部告発の元米軍人、アン・ライトさんも参加した。
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このデモのことを、ディア神父の記事で知って、これはなんとしても、そうあらねばならない、と思ったことがひとつある。
それは、ロスアラモスのアシュレー公園にこそ、「原爆死没者慰霊碑」の「誓いの言葉」がなければならないことだ。
Let all the souls (there) rest in peace ; For we shall not repeat the evi.
核という「悪」を繰り返さない――これは、「ロスアラモスの誓い」でなければならない。
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そこで提案! 広島市長の秋葉さんに――ヒロシマ・ナガサキの被爆者団体に、ひとつ提案したい。
ロスアラモスに、「原爆死没者慰霊碑」の「誓いの言葉」のレプリカを置く運動を繰り広げてはいかがか?
それはビキニにも、旧ソ連のセミパラチンスクにも、置かれてしかるべき「言葉」だと思うのだ。
そう、雑賀博士の高邁な「We」には、それだけの――全世界を「核廃絶」に導く力がある……。
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8月6日の「ヒロシマの日」が過ぎても、私たちが「ヒロシマ」を、なかなか忘れてしまうことができないのは(心のどこかに引きずらざるを得ないには)、たぶん、この「We」のせいだ。
「安らかに眠って下さい (私たちは)過ちは 繰返しませぬから」
慰霊碑に刻まれた「ヒロシマの訴え」は、次の「ヒロシマの日」に続く――1年後に続く、「ヒロシマの訴え」である。
ヒロシマの死者を安らかに眠らせるには、核保有国の「私たち」が核を廃棄する――それが絶対の前提であり、それしかない。
Posted by 大沼安史 at 07:50 午後 3.コラム机の上の空 | Permalink