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2010-08-06

〔コラム 机の上の空〕 原爆・ガジェット・夏の花……ヒロシマ65年

 ヒロシマを、その「一発」が壊滅し尽くしたその日、原爆を開発した米西部ニューメキシコ州のロスアラモスの研究所に、「原爆攻撃成功」の知らせは入らなかった。

 ロスアラモスの上級研究者が1人、オッペンハイマー所長の命で、攻撃当日の6日、ワシントン入りしていたが、翌日、1945年8月7日午前11時にトルーマン大統領がラジオを通じで発表するまでは、ロスアラモスにも知らせてはならない、との緘口令を受け、「攻撃大成功」を連絡することはできなかった。

 「原爆」はすでに、開発した科学者グループの手からもぎとられ、やがてアイゼンハワーが大統領退任演説で「軍産複合体」と命名することになる、ワシントンの権力者の「持ち物」と化していたのだ。

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 沙漠の秘密研究所、ロスアラモスの科学者たちは、「原爆」を「ガジェット」と呼んでいた。

 ワシントンの軍の権力は、ヒロシマに使用された実戦用原爆第一号に「リトル・ボーイ」という、卑猥な響きさえする、怪しげな名前をつけていた。

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 最近、日本で、「カタカナ英語」として使われ始めた、この「ガジェット(gadget)」とは、ちょっとした気の利いた仕掛け、アイデア製品を指す言葉だ。

 なるほど、「原爆」もまた、ちょっとした仕掛けに変わりない……。

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 ヒロシマの9ヵ月前、1944年の暮れ、ロスアラモスで、原爆を開発する科学者たちが討論会を開いた。そのテーマが、「文明に対するガジェットの衝撃(The Impact od the Gadget on Civilization)」。

 討論会を呼びかけたのは、オッペンハイマーのバークリーの教え子で、サイクロン研究部門の責任者をしていた、ロバート・R・ウィルソンだった。

 クエーカー教徒のウィルソンは、欧州戦線でトイツの敗北が明らかになった現在、「ヒトラーの核」に負けじと着手したロスアラモスでの原爆開発は、最早無用のものではないか、と考えていた。

 ロスアラモスのサイクロン棟で開かれた討論会には、オッペンハイマーも顔を出し、20人ほどの出席者を驚かせたという。

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 文明を破壊しかねない恐るべきガジェット、原爆……「原爆開発の倫理性」を問う、ロスアラモスの科学者たちの集会は、これだけではなかった。ロスアラモスの「劇場」や「礼拝堂」などで何度か持たれていた。

 そんな懸念する科学者たちの集まりで、所長のオッペンハイマーはその「ソフトな低い声」で「雄弁」に語り、科学者たちを説得しようとした。
 「原爆は、全ての戦争を終わらせるものになる」――そこにわれわれが開発する意味がある、それがオッペンハイマーのロジックだった。

 しかしウィルソンら一部科学者たちの恐れと慄きは、消えなかった。

 この科学者の不安、批判はやがて、原爆対日公開実験(でもって日本に降伏させる)を求める「シラードの嘆願書」への署名運動になってゆくものだが、ロスアラモスで原爆の開発段階から、その倫理性を問う声が科学者たちの間で起きていたことは、忘れてはならない歴史的な事実である。

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 ロスアラモスで「トリニティー」原爆実験が行われたのは、ヒロシマの3週間前、1945年7月16日のことだ。

 実験成功で所内がパーティー気分に包まれていた時、座ったまま独り塞ぎこんでいる男がいた。
 ロバート・R・ウィルソンだった。

 同僚のリチャード・ファインマンが「どうして?」と聞いた。「とんでもないものをつくってしまったからだ」と答えた。

 しかしそれは、実はオッペンハイマーの本心でもあった。
 「トリニティー」実験から間もないある朝、オッペンハイマーは路上で顔を合わせたウィルソンに、パイプをふかしながら、こう2度、呟いたそうだ。

 Those poor little people, those poor litte people.

   カワイソウナヒトタチ、カワイソウナヒトタチ

 自分がロスアラモスの所長して産み出したとんでもないガジェットで大量に殺戮される日本人を思っての呟きだった。

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 「ヒロシマ」の知らせを聞いて、ロバート・R・ウィルソンは衝撃を受けた。

 「何の話し合いもなく、日本人に対する実験デモンストレーションもなく、原爆を日本で爆発させた時、私は裏切られた気がしました」

 そして3日後の「ナガサキ」の知らせを聞いて、ウィルソンは吐き気を覚えた。

 「ヒロシマ」と「ナガサキ」――ロスアラモスは、「明らかに、重苦しい雰囲気に包まれた」という。

 オッペンハイマーが「原爆はとんでもない兵器だ。これで戦争はできなくなったと言った」との噂がロスアラモスに流れた。内部通牒者はFBIに、オッペンハイマーが「切れた(a nervous wreck)」と報告した……。

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 ヒロシマ65周年にあたって、私が今朝方から、このコラムを書き出したのはほかでもない。

 それは、ロスラモスの開発現場での、ロバート・R・ウィルソンを中心する科学者の苦悩、苦闘があったことを(このブログにおいても)確認したかったからだが、より直接的には、ロスアラモスの科学者たちが「原爆」を「ガジェット」と呼んでいたことを、遅ればせながらつい最近、知ったからだ。
 この「原爆=ガジェット」には、単なる「隠語」以上の、深い意味が込められている……そんな気がしたからだ。

 ヒロシマを殲滅した「原爆」も――その後に開発された「水爆」も、所詮、人間がつくったガジェットに過ぎない……。それも、大量破壊と大量殺戮のためのガジェット……

 だから、そんな悪魔のオモチャのようなもの、捨ててしまえ、止めてしまえ、という思いが、少なくともロバート・R・ウィルソンら、ロスアラモスの一部科学者の間にはあったのではないか、と思い至ったからだ。

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 ロバート・R・ウィルソンは戦後、初代のフェルミ研究所の所長になるなど実験物理学の道を一貫して歩き、2000年に85歳で亡くなった科学者だが、氏が同時にまた、彫刻家としても建築家としても名を成したことは、原爆開発に携わった自分の経歴に対する反省と無関係なものとは思えない。

 彫刻と建築!

 破壊でもなく殺戮でもない、彫刻と建築!
  
 つまり、創造。
  
 いま私には僅かな資料を手がかりに、ウィルソンの心中を推し量るしかできないのだが、たとえば、彫刻づくりの中で浮かんだその心象に、氏がつくった、忌まわしきガジェット=原爆で攻撃された側――すなわちヒロシマの人々の、対極における心象につながるものが全くなかったとは、言い切れないだろう。

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 「夏の花」の原民喜は、言葉を彫琢して、こう遺した。

    遠き日の石に刻み
       砂に影おち
    崩れ墜つ 天地のまなか   
       一輪の花の 幻

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 原爆は一輪の花を殺すことはできても、一輪の花を育てることはできない。
 原爆も所詮、ガジェット。

 原爆は悪魔のオモチャのようなものだから、後継世代である私たちは、それを捨て去ればいいのだ。

 ロバート・R・ウィルソン氏の死去を伝える、ロサンゼルス・タイムズの訃報に、こんなエピソードが載っていた。

 戦後、数年経った頃のこと、11歳になる息子さんが、ウィルソン氏に向かって、学校から帰るなり、こう怒りをぶつけたそうだ。

  "How could you do it, Pop? How could you?"

  父さん、なんてことしてしまったの? あんなひどいこと、どうしてできたの?

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 原爆は、一輪の夏の花に如かず。

 核のガジェットの山を築き、その権力の頂に立って、傲慢にふるまい続けてきたアメリカ軍事帝国の権力者らを許すわけにはいかないが、そのアメリカの「核のガジェットの傘」の中に駆け込み、足元に咲く、ヒロシマの夏の花を踏みにじり続けて来た戦後の日本の権力者らも許すわけにはいかない。

〔注〕
 ロバート・R・ウィルソンに関するエピソードは、American Prometheus: The Triumph and Tragedy of J. Robert Oppenheimer (Vintage) Kai Bird , Martin J. Sherwin 共著から引用しました。(邦訳あり)

 また、以下のネットで利用できる文献も参照しました。
 ⇒ http://articles.latimes.com/2000/jan/21/news/mn-56340

  Wiki英語 http://en.wikipedia.org/wiki/Robert_R._Wilson
    日本語 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%90%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%82%BD%E3%83%B3

 なお、リチャード・ファインマンについては Wiki ⇒ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BBP%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%B3 を参照。

Posted by 大沼安史 at 10:24 午前 3.コラム机の上の空 |

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