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2010-08-14

〔コラム 机の上の空〕 「考えを示す」国の報道言語学

 戦時中、軽井沢で日本官憲の自宅監視下にあった、フランスのジャーナリスト、ロベール・ギラン氏は14日夜の段階ですでに、「日本降伏」を知っていた。

 隠し持っていた短波ラジオで、サンフランシスコからの放送を聴いていたからだ。

 そして15日正午――。

 ギラン氏の自宅近くの隣組長の家に集まった村人の上にも、「スピーカーから荘重な声が流れ出した」。

 「しばらく沈黙が続く。それから、一度も効いたことのない声が響く(中略)皆驚く。ほとんど何もわからなかったからだ! 天皇は、天子のみが使う特別な荘重なお言葉で語られたのだ。古い、そしてまるで中国語のようなそのお言葉は、庶民の言葉とはほとんど共通点のないものだった」(ロベール・ギラン『日本人と戦争』(根本・天野訳、朝日文庫、より)

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 「庶民の言葉とほとんで共通点のない」、「中国語のような」言葉で語られた「終戦詔書」――。 

 この「玉音」に、「内閣告諭」の補足説明のアナウンスがなければ、民草は最後までチンプンカンプン、何がなんだか分からなかったはずだ。

 テキスト化された「詔書」の文言を(目でしっかり確かめ、行きつ戻りつしながら)読み進んでも、なかなか理解しにくいのだから、雑音交じりのラジオで一回限り聞かされただけでは、完全に理解しおおせた人は、ほとんどいなかったはずだ。

 ……朕は帝国と共に終始東亜の解放に協力せる諸盟邦に対し遺憾の意を表せざるを得ず帝国臣民にして戦陣に死し職域に殉じ非命に斃れたる者及びその遺族に想いを致せば五内為に裂く且戦傷を負い災禍を蒙り家業を失いたる者の厚生に至りては朕の深く軫念(しんねん)する処なり惟うに今後帝国の受くべき苦難は固より尋常にあらず爾臣民の衷情も朕善く之を知る然れども朕は時運の趨くところ堪え難きを堪え忍び難きを忍び以て万世の為に太平を開かんと欲す……

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 「漢字」は、当時の権力者の基準によれば、英語同様、まぎれもない「敵性言語」の「敵性文字」だったはずの代物だが(しかし、これだけは使わないわけにいかないので敵性言語としなかっただけのことだが……)、「詔書」ではやたら難しい「漢字」が、これでもか、これでもか、とばかりに多用されていた。

 なぜ、こうした、庶民の言葉にはない「漢語」が乱発されたかというと、それはもちろん、「詔書」の「玉音」を、荘重な響きのある、権威あるものにしたかったからだろう。

 庶民にはわからない、ことさら難しい表現での「権威付け」によるごまかし。

 だから「詔書」に、庶民にもわかる「敗戦」や「降伏」は、含まれていなかったのだ。

 「負けた」とは言いたくなかった。「降伏しました」とも言いたくなかった……。

 「終戦」はその日突然、難解な漢語を弾幕のように張り巡らせる、日本の戦争責任者による「宣伝放送」の中で、意味不明なかたちで告げられたのである。

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 表現をことさら難しくする、「権威付けのごまかし」テクニックはしかし、過去のものではない。

 「詔書」放送から65年が過ぎた今になっても、臆面もなく使われていることだ。

 たとえば、8月9日のナガサキの日のNHKのニュース「首相 核廃絶の先頭に立ち努力」(⇒ http://www.nhk.or.jp/news/html/20100809/t10013251511000.html )を見ていただこう。

  菅総理大臣は、長崎の平和祈念式典に出席したあと被爆者団体の代表と会い、唯一の被爆国として核兵器の廃絶に向けた運動の先頭に立って努力していく考えを示しました。(中略)
  また、菅総理大臣は、6日の広島での記者会見で、核の抑止力が必要だという認識を示したことについて、被爆者団体の代表が「残念な発言だ」と指摘したのに対し(後略)――

 このNHKのニュースの文章で、注意していただきたいのは、「先頭に立って努力していく考えを示しました」と「核抑止力が必要だという認識を示した」の2ヵ所。

 この「考えを示す」「認識を示す」とは一体、どんな意図の下に書かれた(採られた)言葉なのだろう?…………

 まずは、下々の者に「示す」権威付けの効果。

 そして、ぼかしとすかし。

 菅首相がもし「運動の先頭に立って努力していく」なら、それは示しただけで済むような軽い考えではなく、重大な(政治生命を賭けた)「決意の表明」でなければならなかったはずだ。

 また菅首相は、ヒロシマの記者会見で「核抑止力が必要だという認識を示した」のではなく、「核抑止力は必要」と「言明」していたのだ。

 ごまかしは許されない。

 ついでに言えば、NHKの記事の、被爆者団体の代表が「残念な発言だ」と指摘したのに対し……の部分にも重大な問題が潜んでいる。

 被爆者団体代表は、菅首相の発言の「撤回」を求めたのであって、それは残念なことですね、と感想を述べたわけではない。

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 「考えを示す」も「認識を示す」も、「詔書」同様、「庶民の言葉」ではない。

 近所のおかみさんが、私、デパートの特売会場へ一番乗りするわよ、との考えを示した、とは絶対言わないし、そのサンマ、目が死んでる、腐りかけているんじゃないの、との認識を示した、とも絶対に言わない。

 権力者の「意=つまり内心」の玉座から「示された」「考え」なり「認識」なりを恭しく持ち上げ、ぼかし・すかし・ごかましを効かせながら、われわれ下々の者に、さも偉そうに伝える「ニュース報道言語」のゴマスリ・イカサマ・テクニック。

 民草に「無条件服従」を強いる、権威主義の大本営報道はもう、いい加減にしてもらいたい。

Posted by 大沼安史 at 02:52 午後 3.コラム机の上の空 |

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