【決定稿】(7月11日午前7時5分)
米ロの「スパイ交換」が9日、ウィーンを舞台に行われ、「美人すぎる」アンナさんをヒロインとした「ロシア・スパイ団捕り物劇」に幕が引かれた。
そんな慌しい「幕引き」を、大真面目に報じたニューヨーク・タイムズの記事を読んで、思わず笑ってしまった。
記事(⇒ http://www.nytimes.com/2010/07/10/world/europe/10russia.html?_r=1&hp )の「書き出し」がおかしかったからだ。
In a seeming flashback to the cold war, Russian and American officials traded prisoners in the bright sunlight on the tarmac of Vienna’s international airport on Friday, bringing to a quick end an episode that had threatened to disrupt relations between the countries.
「まるで冷戦の悪夢を思い出させるフラッシュバックのようなものだった。ロシアとアメリカの当局者は9日、ウィーン国際空港の光あふれる滑走路の上で、囚人を交換、両国の関係を脅かしていた諜報劇にすばやく終止符を打った」
「冷戦の思い出させるフラッシュバック」と書いたニューヨーク・タイムズ記者の「生真面目さ」というか「青さ」加減がおかしくてならなかったのだ。
白昼の幕引き交換のどこに、「冷戦」時代の諜報戦の不気味な闇と苛烈さがあるというのか?
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英国の新聞なら、こんな「青い」書き方はしないだろうな、と思って、インディペンデント紙のサイトをのぞいたら、案の定、こんな記事(⇒ http://www.independent.co.uk/opinion/commentators/tony-paterson-vienna-plays-host-to-cold-war-drama-reimagined-as-farce-2023154.html )が出ていた。
トニー・パターソン記者の解説記事、Vienna plays host to Cold War drama reimagined as farce (ファルス〔笑劇〕として再想像された冷戦ドラマのホストを演じたウィーン)。
コメディー(喜劇)、しかも大笑いのファルス(笑劇)だと、インディペンデント紙は言い切っていたのだ。
「1989年以前の(冷戦期の)基準で考えれば、ウィーンでのスパイ交換は喜劇だった。それも、ドラマ(劇的なところ)に欠けたコメディー」
さらには「冷戦時代のウィーンは、東の共産主義と西欧資本主義が交差するスパイ活動のセンターだった。しかし、この街、ウィーンはその後、諜報の舞台との評判を、グラハム・グリーンやオーソン・ウェルズに頼るようになっている。今や、ほんものの諜報活動はほとんど話題にもならない」とも。
パターソン記者が(原作)作家のグラハム・グリーンや(出演)俳優のオーソン・ウェルズに言及しているのは、もちろん、ウィーンを舞台にした、シタールのテーマソングでも有名な、あの映画、「第三の男」(⇒ http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD14196/comment.html )を想起しているからだ。
(あるいは、映画「第三の男」にも「(アリダ・ヴァリ扮する)美人すぎるアンナ」が登場することを想起しているからだ)
そう、たしかに、パターソン記者の言う通りである。今回の「白昼のファルス」は、あの「第三の男」のような、ぞくぞくするようなサスペンスの影はどこにも見当たらない。
「第三の男」のウィーンは、三文喜劇の、滑走路ドタバタ野外白昼スワッピング劇場と化してしまった……!
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なぜ、今回の「ロシア・スパイ団」摘発、及び、スワッピングによる「幕引き」に、スリルとサスペンスがないか、というと、FBIが捕まえた「スパイ」たちが、ちっとも「それらしく」ないからだ。
逮捕された10人の中にはたしかに、ロシア人である素性を偽った者が含まれ、「活動資金」をもらった者もいるかもしれない。しかし、「何をスパイしていたか」という肝心のポイントになると、とたんに曖昧模糊としてハッキリしない。、
本ブログ既報のように、あの「美人すぎる」アンナ・チャップマンさん(28歳)など、FBIのオトリ捜査官を怪しんで、ニューヨーク市警に自ら駆け込み、「通報」して「逮捕」される憂き目にあっているのだ。
インディペンデントと並ぶ英国の高級紙、ガーディアンも、ウィーンでの「スパイ交換(スワップ)」を報じた記事( ⇒ http://www.guardian.co.uk/world/2010/jul/09/russian-spies-swap-us
)の中で、逮捕された10人について、括弧付きで「スリーパー(“sleepers”)=潜伏スパイ、冬眠スパイ」と書いているのも、ほんものの「プロのスパイ」ではない、と睨んでいるからだろう。
筆者(大沼)の現時点での「推理」によれば(偉そうな言い方で、すいません)、「眠れる10人のスパイ」たちは、(おそらく米ロの核軍縮つぶしをねらうアメリカの軍事産業、あるいはそのロビイストのの依頼を受けた)「スパイ企業」に操られていた人身御供の犠牲者たち。キプロス島で「消えてしまった」、あの「第十一(11人目)の男」は、ロシア当局のスパイの元締め役を演じていただけのこと――
そんな「スパイ企業」(アメリカのジャーナリスト、イーモン・ジャヴェズ氏によると、冷戦崩壊後、ワシントン郊外やロンドン郊外に続々と生まれているそうだ。それも、CIAやMI5、KGB出身者が設立し、協力し合ってもいるという)が「筋書き」を書き、「配役」までそろえた「据え膳」にFBIが食いつき、ちゃっかり自分たちの手柄に変えようと「いただいて」しまった――
こう考えると、今回のわけのわからないドタバタ劇に一本、筋が通り、すとんと腑に落ちるような気がするが、いかがなものか?
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であるなら、上記ガーディアンの記事にあった、「顔を立てた(スパイたちの)引渡し a face-saving handover」との謎めいた表現の意味も理解できる。
そう、そうなのだ。ハッキリ言ってしまおう。
今回のウィーン・スワッピングは、ロシア政府がアメリカの「顔を立てた」のだ。そしてオバマは「FBI」の「顔を立てた」のだ。
10人を「スパイ交換」で引き取ることで、ロシアはアメリカの顔を立て、間抜けなFBIのスパイ摘発劇の後始末(尻拭い)させたのだ。そしてオバマが、FBI(など、オバマの足をひっぱるワシントンのタカ派どもに)に対し、「バレバレになって、お前らの顔が泥まみれにならないうにちに、お前らの顔を立ててやったんだ」と、「恩」をかぶせることができるよう仕組んだのだ。
そしてオバマがこれに呼応し、米ロ関係のリセット路線を守り抜いた……。
プーチンのロシアは柄にもなく(失礼!)、実にエレガントな、災い転じて福となす解決法を演じたものである。
う~ん、これはもう、ハラショーな「アッパレ」ものではないか!
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こうなると、スパイ問題&スパイ小説に関心を持つ、全世界の人々の注目の的――である、「あの人」に、是非ともここで登場していただき、その「ご意見」に耳を傾けねばなるまい。
そう、スパイ問題の世界的なアイドルである「あの人」といえば、もちろん、英国の元スパイ(MI5、MI6出身)で世界的なベストセラー作家のジョン・ル・カレ氏( 日本語Wiki ⇒ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%AC )。
「寒い国から来たスパイ」で有名な、あのル・カレ氏が、なんと9日付のガーディアン紙に、今回のスパイ交換についてエッセイを寄せているのだ。もう、さすがガーディアン!、あっぱれ、というしかない。( ⇒ http://www.guardian.co.uk/world/2010/jul/09/spy-swap-john-le-carre )
ル・カレ氏は、スパイ経験者として、こう書いている(拙訳ですが……)。
「かつてスパイは、動機というものを持っていた。資本主義があり、共産主義があった。どちからを選択することができた。そう、そこには金も女も脅迫もあった。そして昇進の望みが叶わなかったとき、上司を裏切り、背を向けなければならないこともあった。また、神の意志のようなものを感じることも。世界のゲームに参加しているような気にもなったりして……。こういった高貴で下劣な、あらゆる動機のレパートリーがあった。しかし、スパイは最終的に、ある大義を奉じるか、それに反対するか、そのどちらかで活動を始めるしかなかった」
そして、こう根本的な疑義を呈する。「しかし、一体全体、彼ら(今回の「スパイ団」のこと)の大義はなんだったのか?」と。
言われてみればその通りである。「スパイ団」と連中の、どこにどんな大義があったのか、ル・カレ氏でなくても考え込んでしまう。
そうした上でル・カレ氏は、さらに2つの疑問を追加して、観察の目を鋭く凝らすのだ。
その1、「なぜ、10年も“無能な子どもたち(incompetent children)”を泳がせ、後を追い、盗聴しながら、なぜ、今になって逮捕したのか?」
その2、「なぜ、ウィーンなのか?」
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この2つの疑問に対して、ル・カレ氏は、新たな疑問をぶつけることで、答え=真相に迫ろうとする。
・ 陰謀論者の言うように、アメリカの幾多の情報機関内の右翼分子が、オバマが対ロ接近を図ろうとしている今、冷戦の妖怪を解き放ったということか?
・ 私たちはウィーンと聞いて、あの映画『第三の男』の謎の男、ハリー・ライムのシタールのテーマソングを思い浮かべるが、米ロ情報機関の当局者たちはともに、私たちが再び、あの核戦争のシェルターに逃げ込むことを期待しているのではないか? これは、なかなかズル賢い企てではないか」
こう布石を打っておいてル・カレ氏は、「もし、そうであるなら……」と、最後のまとめに入る。
「もし、そうであるなら、米ロの情報機関は(あの映画「第三の男」のように)困惑しきっているはずだ。あの映画に出てくる第三の男、ハリー・ライムとそのかわいげのない仲間たちは、実はスパイ活動に従事していなかったのだ。彼ら、低級のゴロツキどもは、混ぜ物のペニシリンを売りさばいていた。子どもたち(ここにも、children が!!!)に毒を盛って稼いでいた……。そう、そう考えつけば、(「第三の男」の舞台である)ウィーンを交換場所に選んだのも、あながち悪い選択ではなかったことになる」
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このル・カレ氏の最後の決め台詞、「そう、そう考えつけば、(「第三の男」の舞台である)ウィーンを交換場所に選んだのも、あながち悪い選択ではなかったことになる」を読んで、鳥肌の立つ思いをするのは、筆者(大沼)だけだろうか?
思うにル・カレ氏は、今回の「ロシア・スパイ団」10人の「子どもたち」の背後に、彼らに毒を盛った「低級なゴロツキ」、すなわち、現代のハリー・ライム、「第三の男」がいる、と示唆しているのである。
ル・カレ氏は見抜いているのだ。現代の「第三の男」の正体を見抜いているのだ。
その「第三の男」とは、10人のあわれな「子どもたち」をスパイに仕立てたゴロツキ(crooks)どもであると。
ル・カレ氏は見抜いているのだ。オバマとメドヴェージェフ(プーチン)の政権が交換場所に、敢えて「ウィーン」を選んだ意味を見抜いているのだ。
オバマとメドヴェージェフが「ウィーン」を見せ場に選んだのは、このオーストリアの都が「第三の男」を含意し、その「黒幕」の存在を世界に対してメッセージとして示しそうとしたからだ、とル・カレ氏はちゃんと見抜いているのである。