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2010-06-13

〔いんさいど世界〕 W杯南ア大会始まる 平等で・平和な・核兵器のない世界へ、WAKA WAKA!(やれっ、やるのよ!)

 ワカ・ワカ WAKA WAKA――今や世界の合言葉ですね。

 開幕前夜の記念コンサートで、南米コロンビア出身の歌姫、シャキーラさんが歌った、WAKA WAKA。
 アフリカ・カメルーンの言葉で、「やれっ、やるのよ!」と言う意味だそうです。(英訳は、Do,do it!)
 ♪ ワカ・ワカ ⇒ http://www.youtube.com/watch?v=-qmB4ZZF_uA

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 ご存知のように、11日、ヨハネスブルグ・ソウェトのスタジアムで開かれたW杯開幕式に、新しい、人種差別なき南アフリカを生み出した反アパルトヘイト(人種隔離政策)運動の指導者、ネルソン・マンデラ氏の姿はありませんでした。

 91歳の高齢をおして出席するはずでしたが、曾孫娘のゼナニさん(13歳)が前夜祭のコンサート帰りに輪禍に遭い、亡くなられたからです。

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 ゼナニさん――13歳の黒人少女の死のニュースは、南アの人々の心に、そして世界中の人々の心に、あの「ソウェトの悲劇」を思い出させたはずです。

 そう、W杯の前夜祭・当日の開幕式・開幕戦が行われたソウェトのオーランド地区は、34年前の(1976年の)「6月16日」、黒人の少年少女や学生たちが500人以上も、白人治安部隊の銃撃で命を奪われた悲劇の現場だったからです。

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 南アの白人少数派によるアパルトヘイト支配がなおも続いていたら、今回のW杯はありえませんでした。
 
 アパルトヘイトの頃は、動物園にも「有色人種・アジア人・犬の立ち入り禁止」の札が立っていたのです。

 その「アジア人」の中に、日本人も含まれることは言うまでもありません。

 それをなくした、ANC(アフリカ民族会議)のマンデラ氏らの闘い……。
 南アのもう一人の黒人指導者、ツツ大司教は言いました。「マンデラ氏なしに、これ(W杯)はありえなかった」 ⇒ http://www.independent.co.uk/news/world/africa/a-day-of-joy-for-his-people-a-day-of-grief-for-mandela-1998306.html

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 南アでのW杯開催にはこうした歴史的な背景があるのですが、「アパルトヘイト」の撤廃もさることながら、この「虹の国」は実は「核兵器を開発し、自ら廃棄した世界唯一・最初の国」でもあるのです。

 南アの白人少数派(アフリカーナ)による国民党政権は、アパルトヘイト体制の延命を狙って「核武装」に走った政権でした。

 南アはつまり、「人種差別」と「核」の国だったわけです。

 それがマンデラ氏らの運動によって、今の姿に生まれ変わった。

 唯一の被爆国、日本の私たちが讃えるべきは、「人種隔離の廃棄」だけでなく、「核兵器の廃棄」でもあるのです。

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 最近、「The Unspoken Alliance (語られざる同盟)」という本が米国で出版され、評判になっています。⇒ http://mondoweiss.net/2010/05/excerpt-from-the-unspoken-alliance-israels-secret-relationship-with-apartheid-south-africa.html

 著者は、米国の権威誌、フォリーン・アフェアーズのエディターを務める、サーシャ・ポラコウ・サーランスキー(Sasha Polakow-Suransky)氏。

 この本は南アの旧体制とイスラエルの核開発における協力関係を、南アの機密文書を元に暴露したもので、内容の一部を英紙ガーディアンが紹介( ⇒ http://www.guardian.co.uk/world/2010/may/23/israel-south-africa-nuclear-weapons )するなど、国際的な波紋を広げた労作なのですが、私(大沼)が何よりも驚いたのは、著者のサーシャさんが、私の教育学研究の恩師である、バレリー・ポラコウ氏の息子さんだったことです。

 バレリー・ポラコウ氏はアパルトヘイトの南アから米国に逃れて来た白人の女性教育学者。
 ブラジルの有名な教育学者、故パウロ・フレイレ氏から「学問的な娘」と呼ばれた人です。

 (シカゴ大学出版会から出た彼女の本(『失われゆく子供期』 ⇒ http://www.amazon.co.jp/%E5%A4%B1%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%82%86%E3%81%8F%E5%AD%90%E4%BE%9B%E6%9C%9F%E2%80%95%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E6%98%BC%E9%96%93%E4%BF%9D%E8%82%B2%E3%81%AE%E5%8D%B1%E6%A9%9F-V%E3%83%BBP%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC/dp/4760602623/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1276389001&sr=8-1
を私は、早大の久米稔先生との共訳で出版しました)

 その息子さんが、母親の国(父親の国でもある)の核開発のことを明るみに出した!

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 そこで早速、その The Unspoken Alliance を取り寄せ、一読したわけですが、それによると、南アの旧体制は1982年4月に、ヒロシマ型原爆の開発に成功しているのだそうです。(同書152頁)。

 南アの核開発に協力したのはイスラエルで、南アが核開発に成功する8年前の1975年には、ジェリコ・ミサイルに搭載可能な核弾頭(3タイプ)の供与を南ア側に打診したこともあるといいいます。(同書81頁~、南アはこれを購入しませんでした。あまりにも高価なためだったようです)

 南アの旧体制(国民党政権)は最終的に、1990年になって時のデ・クラーク大統領が「廃棄」を決め、翌91年にはNPT条約に加盟するのですが、その当時、南アがどれほど核兵器を保有していたか(一説には核爆弾20発、核砲弾100発以上)、どのように廃棄されたか(イスラエルが引き受けたか?)――は不明のまま。

 いずれにせよ、南アの旧政権がアパルトヘイト支配体制の最終崩壊過程の中で、核廃棄に踏み切ったことは間違いありません。

 そんな南アの核の全史を明るみに出した、バレリーの愛息、サーシャ!
 それも南アW杯の直前に!

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 核開発した国が核を全廃した例は、もちろん南アが初めてです。旧ソ連のウクライナやカザフなどが、ソ連崩壊後、ロシアに「返還」した例はありますが、核開発国が核をなくした例は他にはありません。

 核廃絶は日本の願いであり、世界の願いです。

 その意味で、南アW杯の開催には、「核廃絶」という世界的なゴールに向けた、試合の開始という歴史的な意味合いが含まれている、と言えるでしょう。

 来年は中東非核会議が開催され、イスラエルの核の問題が取り上げられるはず。

 北朝鮮も、核を廃棄し、平和裏に政権交代した南アの歴史に学ばなければなりません。

 平等で・平和な・核兵器のない世界へ、WAKA WAKA!(やれっ、やるのよ!)の時代が来ているのです。  

Posted by 大沼安史 at 10:11 午前 1.いんさいど世界 |

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