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2010-05-09

〔いんさいど世界〕 「長崎の鐘」はきょうも鳴る、「ピース・フロム・ナガサキ」  

 
 ニューヨークの国連本部で開かれている「核不拡散条約(NPT)再検討会議」で7日、ナガサキの被爆者、谷口稜曄(すみてる)さん(81歳)が被爆体験を語った。
 長崎新聞 ⇒ http://www.nagasaki-np.co.jp/kiji/20100509/02.shtml
 中国新聞 ⇒ http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201005090018.html

 谷口さんは各国政府代表や国連職員ら約300人を前に、13分間、スピーチをした。演説の原稿を英語の通訳に読み上げてもらったあと、最後に。谷口さんが、原爆で背中全体を真っ赤に焼かれた被爆直後の自身の写真を掲げ、日本語で語った。「わたしはモルモットではない。見せ物でもない。でも目をそらさず、もう一度見てほしい」

 爆心地から約1・8キロでの被爆だった。うつぶせのまま、入院生活は3年7カ月も続いた。傷口にウジ虫が湧き、貪った。「殺してくれ」と叫んだ――。

 谷口さんは訴えた。「私を最後の被爆者とするため、廃絶の声を世界に届けたい」。会場から総立ちの拍手が続いた。

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 ナガサキは史上2番目の、原爆攻撃による被爆地だ。ヒロシマに続く人類史上・第2の悲劇を、これで最後にしてほしい、私を最後の被爆者にしてほしいと、谷口さんは言ったのだ。

 ここだけは英語の通訳に代読させず、日本語で言った!

 それは長崎の被爆者を代弁する訴えだったろう。
 谷口さんはおそらく、長崎弁で――土地の言葉の響きでもって言ったのだ。ナガサキの被爆者の言葉で言ったのだ。

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 その3日前の今月4日、同じNPO再検討会議の席で、福山哲郎外務副大臣が日本政府を代表して演説した。

 全て「英語」による演説だった。
 外務省によれば、福山副大臣は、演説の中で、例えばこう語ったそうだ。

 …… Japan calls on them to take, as soon as possible, such measures as providing stronger negative security assurances that they will not use nuclear weapons against non-nuclear-weapon States that comply with the NPT. ⇒ http://www.mofa.go.jp/announce/svm/state100504.html

  「ネガティブ・セキュリティー・アシュアランス」――????

 外務省の、「仮・日本語訳」(なぜ、まだ仮訳なのか不明だが……)は、この部分をこう訳している。

 …… NPTを遵守している非核兵器国に対して核兵器を使用しないという強化された消極的安全保証(外務省仮訳は保「障」ではなく保「証」を使っている)をできる限り早期に供与することを要請します。⇒ http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/enzetsu/22/efuk_0504.html

  「ネガティブ・セキュリティー・アシュアランス」(negative security assurances)とはつまり、「消極的安全保証」の訳語だったわけだ。

 「消極的安全保証」???――それにしても、これは日本語か?
 唯一の被爆国・日本の政府代表の言うべき、日本語か?

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 これは僕が、ジェームズ・キャロル氏の『戦争の家――ペンタゴン』(緑風出版)を訳出する中、学んだことだが、米国の軍事権力は、米空軍が創設した「ランド研究所」などの「核の詭弁家」を動員し、「対抗戦力」がどうのと、「核の傘」がどうのと、わけのわからない「専門語」を作っては、世界の民衆を幻惑して来た。

 「消極的安全保証」なるものも、その手の「専門語」のひとつ。NPT条約に加盟した、非核兵器国に対する核兵器の使用禁止措置を指す。

 反対に「積極的(ポジティブ)安全保証」とは、「非核兵器国が核兵器の攻撃や威嚇を受けた場合、その国を核兵器国が援助する保証」を指す。

 10日付の朝日新聞によれば、この福山副大臣の演説は、再検討会議のカバクシュラン議長(フィリピン)から、「『核の傘』の下の国には(消極的安全保証は)与えるべきでない」との、手厳しい批判にさらされたそうだ。

 当然である。日本政府は唯一の核攻撃国、世界最大の核武装国家、アメリカに擦り寄り、「核の傘」=「積極的安全保証」を否定するどころか、その抑止力なるものを肯定する、被爆国らしからぬ振る舞いをして来た張本人であるからだ。

 その日本政府の代表が「消極的安全保証」を呼びかけ、だと?……何をバカな、というわけである

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 昭和20年8月9日――。

 「時計は十一時を少し過ぎていた。病院本館外来診察室の二階の自分の室で、私は学生の外来患者診察の指導をすべく、レントゲン・フィルムをより分けていた。目の前がぴかっと閃いた……」

 爆心から300~700メートル離れた長崎医科大学で被爆(36歳)、6年後に43歳で白血病で亡くなった永井隆博士は、その手記、「長崎の鐘」で、プルトニウム爆弾炸裂の瞬間をこう書いた。

 「長崎の鐘」――弟をヒロシマで亡くしたサトウ・ハチローが作詞し、歌にもなった永井博士の手記のタイトル、「ナガサキの鐘」とは、浦上天主堂の鐘である。

 高さ50メートルの鐘楼の鐘は瓦礫の底から掘り出され、その年のクリスマスの夕べに吊り上げられ、朝夕晩、「昔ながらの懐かしい音」を響かせ始めた。

 永井博士は「長崎の鐘」の終わりに、こう書いた。
 「(満州)事変以来長いこと鳴らすことを禁じられた鐘だったが、もう二度と鳴らずの鐘となることがないように、世界の終わりのその日の朝まで平和の響きを伝えるように、『カーン、カーン、カーン』とまた鳴る。人類よ、戦争を計画してくれるな」

 「原子野に泣く浦上人は世界に向かって叫ぶ。戦争はやめよ」

 「ねがわくば、この浦上をして世界最後の原子野たらしめよたまえと。鐘はまだ鳴っている」

 原爆に背中を焼かれた「ナガサキの少年」、谷口稜曄さん、65年後の訴え――「私を最後の被爆者に」は、永井博士の「ナガサキを最後の被爆地(原子野)に」という訴えと、「長崎の鐘」の音の響きの中でひとつになるものだ。

 カトリック信者の永井博士も礼拝の際、見上げであろう浦上天主堂のマリア像も、鐘とともに瓦礫の中から、掘り出された。
 その「被爆マリア像」も今、谷口さんら日本の代表団とともに、ニューヨークにいる。

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 永井隆博士は原爆症の苦しみの床にあって、亡くなるまで手記を書き続けた人だ。「全集」(サウンパウロ)第2巻には、仰向けになって筆を走らす博士のお写真が載っている。

 病床で博士が必死になって書き遺した、信じがたい量の文は、そのひとつひとつが「原子野に叫ぶ者の声」である。

 「長崎の原子野に転がっている石さえ、『平和を……』と叫んでいます」(「私たちは長崎にいた」より)

 「長崎市民は、『ピース・フロム・ナガサキ』と、世界に向かって叫びました」(同)

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 石さえも平和を叫ぶナガサキ。
 石さえも、ナガサキのコトバを語るのに、被爆国の願いを語らず、「核の傘」にすがり続ける、コトバなき日本の政府の代表よ。

 先日、お亡くなりになったナガサキの被爆歌人、竹山広さん(浦上第一病院に入院中、25歳で被爆)は、こういう歌を遺している。

  十一時二分の空に鳴る鐘の天の叱咤とおもふまで鳴る 

 「長崎の鐘」は、いまだに核を廃絶できないでいる、世界を叱咤する鐘でもある。 

 
 

Posted by 大沼安史 at 07:56 午後 1.いんさいど世界 |

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