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2010-04-13

〔追悼コラム 机の上の空〕 井上ひさしさんの屋根の下で

 井上ひさしさんがお亡くなりになった。今春、お仕事を再開されるものと信じていたから、ショックだった。

 今朝、仙台の東北放送のラジオ番組で、予定を変え、井上ひさしさんの思い出を語った。

 控え室での事前の打ち合わせで、僕は声を詰まらせ、ディレクターの水嶋氏を心配させてしまった。

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 台本のないブッツケの本番。僕は井上さんがお亡くなりになった鎌倉市佐助のご自宅のことから話し始めた。

 僕ら、仙台と一関(岩手)の仲間が、「本の森」というミニ出版社を創立した、13年前のこと。僕は井上さんの鎌倉の自宅を訪ねたことがある。

 木造の大きな家。中に入って見上げると、陣屋のような巨大な梁が縦横に走っていた。

 「頑丈な家でした。井上さんの家は、まさに本の山。本は重いので、頑丈なつくりにしたのでしょうね。鎌倉の新居に移る前に住んでいた千葉の家、本の重みで床が落ちちゃいましたから……。そう、千葉の家に戻った井上さんが買って来た本を一冊、上に乗せたら、そのとたん床が抜けたそうです……」

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 井上ひさしさんは鎌倉の自宅が本であふれかえると、トラックで故郷、山形県川西町の町立図書館に送り出していた。一度、川西に行って覗いたことがあるが、書庫、文庫のレベルを超えた、本格的な図書館だった。そこに並んだ、本を見て、井上さんの本選びのセンスのようなものを感じた覚えがある。

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 井上さんの「本好き」を紹介しようと、思わず口にしたエピソードだったが、アナウンサーの根本氏が笑ってくれたこともあり、僕にとってはよかった。センチになって、言葉を詰まらせずに済んだからだ。

 調子に乗った僕は、「井上さんは東仙台のカトリックの施設から、仙台一高に通っていたのですが、昔はのんびりしたもので、井上さんは昼間から、仙台の一番町にあった名画座で、ちょっしゅう映画を観ていたそうです。で、ある時、井上さんの隣に妙齢の女性が座り、なんと井上さんの腕をつかんだんだそうです――婦警さんでした」などと、余計なことまで口走ってしまった。

 やはり、心のどこかが、苦しかったようだ……。

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 番組の本番途中、スタジオのデスクに、水嶋ディクレターが、1冊の文庫本を差し入れてくれた。新潮文庫の『井上ひさしと141人の仲間たちの作文教室』。水嶋氏がたまたたま、カバンに入れていたものだ。

 実は、この文庫本、元になった単行本は、僕ら、「本の森」が創立記念で出版したもの。(今なお「本の森」で発売中。ロングセラーです! ⇒ http://homepage2.nifty.com/forest-g/book/070.html

 井上さんが中学時代を過ごした一関で開いた「作文教室」の録音テープを「起こして」まとめた本だ。

 そして何を隠そう、「テープ起こし」の栄誉に預かった者こそ……北海道の新聞社を中途退社し、ふるさと仙台に戻ったばかりの、弱冠(?)46歳の「僕」であった……。

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 僕らの「本の森」は、この井上さんの「1冊」があったから――そして、井上さんの背中の一押しがあったから、生まれ、これまで続いて来たわけだが、ラジオ番組で、僕は、井上さんの一関での作文教室が、井上さんのボランティアだったことを語り、併せて井上さんに教えていただいた「恩おくり」という言葉を紹介した。

 「恩おくり」――誰かから受けた恩をその人に返せなかった時、他の人に自分が受けた恩を伝える「恩おくり」。

 「井上さんは中学生の時、お世話になった一関に、作文教室で『恩送り』したのですね」

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 井上さんは仙台でも作文教室を開き、「恩おくり」してくださったが、仙台に対しては、実は『ムサシ』というお芝居でも、こっそり、別のかたちで「恩送り」してくださったのです――と僕は続けた。

 「仙台名物の笹かま(ぼこ)をPRも、ちゃんとしてくださったのです」と(どんなふうなPRか?……これはお芝居を観て、確認なさってください)。

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 番組で僕はもうひとつ、井上さんから直接聞いた「仰天の新事実」を伝えた。

 僕が井上さんに(あの大長編の『吉里吉里人』について)、書くのにどれだけかかったのですか、と聞いた時のことだ。

 井上さんの嬉しそうな返事に、僕はあやうく腰を抜かしそうになった。

 「1週間です!」(ほんとに井上さんは、僕にこう言った!)

 たぶん、肉付けと推敲は抜いてのことと思われるが、それにしても凄すぎである。井上さんは、「遅筆堂」どころか、たいへんな「筆力」の持ち主だった!

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 僕は新聞記者時代から、井上ひさしさんの「日本語」をお手本にし、今なお真似ているが、このブログ、「机の上の空」のタイトルも実は、井上さんが親しかった司馬遼太郎さんの「坂の上の雲」と、井上さん自身の「下駄の上の卵」の「パクリ」。

 いま、日本の僕らの机の上に青空はあるのか? 机上の空論、何が悪い?――とばかりに意気込んでつけたタイトルである。

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 でも、享年75歳……。いくらなんでも、あまりに早すぎる。
 芝居の台本書きと「9条の会」の平和運動を両肩にかつぎ、遂に力を使い果たされたのだろうが、それにしても惜しまれる。
 
 朝日新聞で、内橋克人さんが経済評論家らしく、「日本社会、日本人の心のインフラ、心の基盤を作り続けた」とコメントしていたが、僕もその通りだと思う。

 生意気にひとつ、僕なりに付け加えさせていただけば――あの鎌倉の家の梁が目に浮かぶものだから……――、井上さんは心の基盤ばかりか、日本人の心の上部構造を言葉で築き上げた人だと、僕は思うのだ。

 井上さんは病院から帰って間もなく急変し、お亡くなりになったと聞くが、その時、井上さんは自分が立ち上げた言葉の梁の堅牢さを、自分の目でしかと確かめ、それを見上げながら息をお引取りになったのではないか。

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 井上ひさしさんは僕らに、寸分の狂いもない、汚れのない言葉で組み上げた、頑丈で安心できる「日本の文化の屋根」を遺してくれたのだと、僕は思う。

 そして、その屋根の下で生きることができる幸せに、僕は感謝する。

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 一度、井上さんをJR仙台駅まで、車でお送りしたことがある。

 別れ際、僕の方を振り返って、どういうわけか、僕を名前で呼んでくれたことがある――その声を、あの笑顔とともに、僕は忘れない。

  
 ○ 本ブログの井上ひさしさんに関する記事

 〔コラム 机の上の空〕 小林多喜二、「復活」の組曲
 ⇒ http://onuma.cocolog-nifty.com/blog1/2010/03/post-5d58.html

 〔コラム 机の上の空〕 「再戦、御無用!」 「英霊」たちが教える「九条流」免許皆伝の極意  井上ひさしさんの『ムサシ』(台本)を読む
 ⇒ http://onuma.cocolog-nifty.com/blog1/2009/05/post-ab63.html 

Posted by 大沼安史 at 05:02 午後 3.コラム机の上の空 |

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