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2010-04-27

〔いんさいど世界〕 君知るや南の国……の勇気 米軍基地を国外追放した人々の話

 1991年9月16日のことだった。
 フィリピンの国会・上院の議場に、ジョビト・サロンガ議長の声が、厳かに響いた。
 「条約は否決されましたた」――。
 上院の決定は、傍聴席から、歓声と涙で歓迎された、とニューヨーク・タイムズの特派員は書いている。⇒ http://www.nytimes.com/1991/09/16/world/philippine-senate-votes-to-reject-us-base-renewal.html?scp=51&sq=Jovito%20Salonga&st=cse 

 

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 否決された「条約」とは、「比米友好協力安保条約」。その20日前に、アキノ政権が米側の圧力に屈し、調印した「安保条約」。フィリピンにある米国の海軍基地、スービック基地の使用を、とりあえず向こう十年間、認める「友好協力安保」条約だった。

 フィリピン上院は、その批准を12対11で否決したのだ(批准には上院議員の3分の2、16議員以上の賛成が必要)。

 フィリピンの民衆の意志が、議会の採決として、米軍基地に「ノー」といい、その日、16日に使用期限が切れるスービック基地に国外退去を迫ったのだ。

 アメリカがフィリピンに確保していたもうひとつの巨大基地、クラーク空軍基地は、前年のピナツボ火山の噴火で閉鎖が決まっていなければ、スービックとあわせ、一緒に三行半を突きつけられるところだった。

 フィリピンの民衆は、議会の議決というデモクラシーの力で、アメリカの軍事基地を「国外追放」したのである。(返還は同年11月26日)

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 恥ずかしいことに、僕はこの歴史的な出来事を、すっかり忘れていた。当時、僕は新聞社の外報部に所属していて国際問題をフォローしていたから、今、たしかに、思い出すことができるが、まったく忘れていた。
 
 雑誌「世界」5月号での、元沖縄県知事、大田昌秀さんの指摘を目にするまでは。

 思うに、この健忘症は、僕の個人的な問題ではない。おそらく僕たち日本人は、目隠しされ、記憶を喪失させられているのだ。

 日本の主流メディアは、沖縄の米軍基地問題と絡め、このフィリピンで起きた「米軍基地国外移転の前例」を、どれだけ積極的に報じて来たろう。 

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 サロンガ議長もまた、ダメ押しの「反対の1票」を投じた人だが、なぜ、米軍基地の継続使用に反対か、その理由を以下のように語ったそうだ。

 「私は友人たちから、それじゃあ大統領になるチャンスを失うよ、と警告されました。しかし、そんなことは問題ではない。そんなのは無意味な結果でしかない。重大な危機の時代に、私たちの殉教者や私たちの英雄はすすんで命を捧げました。おがげで、私たちはほんとうに自由になる可能性を手にしたのです」
 「私はこれまで言って来ましたし、これからも言い続けます。私は人生の中で、二度、死の影の谷(the valley of the shadow of death)を歩き通して来ました。肩書きや地位は、私にとって最早、意味のないことです。政府の中にいようといまいと、民衆のためにほんとうに奉仕するのが、より重要なことです」
 “I have been warned by well-meaning friends that my stand on this treaty may hurt my chances of becoming President. No matter. That is an insignificant consequence. In times of great crisis, our martyrs and heroes offered their lives that our people might become truly free.
“I have said it before and I will say it again. After walking through the valley of the shadow of death twice in my life, titles and positions do not mean that much to me anymore. What is more important is to be of real service to our people, with or without any position in government.”
 比・インクワアラー紙 ⇒ http://newsinfo.inquirer.net/inquirerheadlines/nation/view/20070824-84396/Out_of_shadow_of_death%2C_emerged_the_nationalist

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 サロンガ氏は1920年6月22日の生まれ。現在、89歳。

 氏が語った、2度に及ぶ「死の谷」とは、太平洋戦争中における日本軍による拷問・投獄と、戦後のマルコス政権下での爆弾による暗殺未遂事件を指す。

 サロンガ氏は米国に亡命し、法律学を修めた人物。米国にも知己の多い政治家だが、にもかかわらず、米軍基地に「ノー」と言ったのだ。

 なぜか?
 それはサロンガ氏が「反米の左翼」だったからではない。気骨ある愛国者だったからだ。
 自分の国に核武装した広大な米軍の基地があり、米兵による犯罪が横行するなど、自国の主権が侵されていることに、これ以上、耐えることはできなかったからだ。たとえ米国の反感を買い、自分は大統領になれなくとも。

 フィリンピンの「真の独立」を勝ち取ることを、独立運動の元闘士は選んだのである。 

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 スービック基地は米軍のアジア最大の海軍基地。軍港だけなく、飛行場から演習場まで抱え、ベトナム戦争の出撃基地にもなっていた。

 クラーク空軍基地は沖縄・嘉手納基地の数倍もの規模。

 米国は戦前、戦後を通じ、フィリピンを太平洋の不沈基地として、いいように使って来たのだ。
 
 フィリピンはしかし、日本とは違っていた。首都圏への米軍基地設置を認めず、「おもいやり予算」も支払わなかったのだから(逆に補償費を請求していた!)。

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 当時のいきさつを、今、米紙や比紙の記事、あるいは大田昌秀さんが「世界」で紹介していた、元「赤旗」の特派員、松宮敏樹氏の詳細なレポート、『こうして米軍基地は撤去された―フィリピンの選択 』(新日本出版社)などを読んでで振り返ると、今の沖縄・普天間基地移設問題をめぐる、日本の政府の右往左往ぶり、ポチぶりが余計に際立つ。

 日本政府は、できないことはできない、普天間基地の海兵隊は国外退去していただきたい、それを拒否するというなら、(日米安保を廃棄、と言わないまでも)「思いやり予算」を見直します――くらい、どうして言えないのか? 
 松宮氏のレポートによると、フィリピンの「米軍基地問題」をめぐっては、日本のマスコミが「知日派」などと持ち上げている、あのアーミテージ氏が、交渉の席で怒りに怒って、フィリピン側をさんざん恫喝したそうだ。

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 それでも負けなかったフィリピン!

 松宮氏の著書に掲載された一枚の写真が、フィリピンの人々の思いの全てを物語っているように思えた。

 上院前に詰めかけた人々の写真――。「横断幕」に、こんなシンプルな言葉が英語で。

 NO TO U.S.BASES――courage

  「米軍基地にノー」と大きく書かれた下段の隅に、小さな文字で「勇気」と!

 20年前の、南の小さな島国の人々が振り絞った大きな勇気に、日本は学ばなければならない。

 ◇ スービック、クラーク基地、及び両基地の「その後」については、以下を参照。
 クラーク空軍基地 日本語Wiki  ⇒ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%82%AF%E7%A9%BA%E8%BB%8D%E5%9F%BA%E5%9C%B0

 返還後 ⇒ http://www.asyura2.com/09/warb2/msg/574.html

 スービック海軍基地 日本語Wiki  ⇒ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%93%E3%83%83%E3%82%AF%E6%B5%B7%E8%BB%8D%E5%9F%BA%E5%9C%B0

 返還後 ⇒ http://sankei.jp.msn.com/world/asia/091019/asi0910190803001-n1.htm

Posted by 大沼安史 at 08:28 午後 1.いんさいど世界 |

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