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2010-04-24

〔コラム 机の上の空〕 風景は平和である

 僕は「チョコが届く(はずの)日」の生まれだ。バレンタインデー、2月14日の生まれ。

 ことしのその日、僕は61歳になった。記念に、感謝の気持ちを込めて、以下の文章を――「もう一人の「龍馬」が、そしてわが敬愛する『コバキン』さんが、教えてくれたこと」を、このブログに載せた。
 ⇒ http://onuma.cocolog-nifty.com/blog1/2010/02/post-31e7.html

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 その文章を、吉川勇一さん(元べ平連事務局長)らが発行する「市民の意見」誌が、その最新号(119号)に載せてくれた。
 見開き2頁。
 新しい、長い題をつけた。「描き置かれた平和 二枚の絵の語りかけるもの――尾田龍馬、小林金三氏の風景画によせて」

 尾田龍馬氏は愛媛・宇和島出身、昭和19年、25歳で戦病死した画学生。「コバキン」さんこと小林金三氏は札幌在住の画家。

 拙文は、お二人の風景画に触発されてブログに書いたものだったが、それが吉川さんらの目にとまったのは、尾田龍馬氏(その絵を僕は、「市民の意見」誌のバックナンバーで見た)についてもさることながら、僕が「コバキン」さんのことに触れていたからだろう。

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 画家・小林金三氏は、有名なジャーナリストである。60年安保当時、安保反対の論陣を張った北海道新聞(道新)の論説委員。新聞各社の論説トップを率いて、北京に乗り込むなど日中友好にも取り組んだ方だ。ベトナム戦争をベトナム民衆の視点で書いた『ベトナム日記』(理論社)など著書も多数。

 拙文で僕はコバキンさんのことを「私の新聞社の先輩」とだけ書いたが、コバキンさんが道新の小樽支社長だったころ、実は僕はその「部下」(と言っていいかどうか分からないが、とにかく支社報道部の記者)だった。

 僕(当時、20代のまだ前半だった)の記憶にあるコバキンさんは、小樽支社長時代、すごいことを二つ、した。

 ひとつは、小樽にある開発局など各官庁の出先のトップを集めて昼飯会を定例開催し、斜陽・小樽を復活させる街づくりを話し合ったことだ。
 そこで生まれた「融雪溝」は、市役所が二の足を踏んで流れてしまったが、それが実現していたら、冬の小樽の市民生活は、いまごろどんなに楽になっていたことか。
 もうひとつは、「小樽市民大学」の開催。コバキンさんは東京支社での論説委員時代に培った人脈を活かし、岡本太郎氏らをひっぱって来て、連続文化講演会を開いたのだ。その時の会場の熱気を、僕はいまも憶えている。

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 個人的に忘れられないのは、札幌地裁小樽支部で「在宅投票復活訴訟」の判決言い渡しがあった時のこと。
 高橋裁判長が、在宅投票制度を国が廃止したのは憲法違反だ、と違憲判断を下したのだ。
 「違憲判決!」――裁判を担当していた僕は地裁支部から支社の報道部に電話連絡し、記事を「吹き込んだ」。
 その時、電話に出たのが、なんと支社長のコバキンさん。興奮した僕を落ち着かせ、電話送稿を原稿用紙に書き取って下さった。

 もうひとつ忘れられないのは、小樽で僕が経済を担当していた時のこと。
 小樽のある有力な企業が「倒産するらしい」といううわさが流れた。若い僕は、これは大変だとばかりに確認に走り、それがうわさをさらに拡大させた。「倒産だと道新の記者が言いふらしてる」

 その時、収めてくれたのが、コバキンさんだった。支社長室に呼ばれて入ると、そこにその企業の社長さんがいた。一代でたたきあげたその社長は、何も言わず、僕のことをすこし哀れむ目で見た。

 社長さんは、「道新社会福祉振興基金」に相当な額の寄付をしてお帰りになった。翌日の道新小樽版に、社長さんがコバキンさんに「金一封」を手渡す写真と記事が載った。

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 僕は先輩、友人に助けられ、人生をよくやく生きて来た者だが、コバキンさんのことを、故郷・仙台に戻って初めての誕生日の記念にブログに書く気になったのも、そんな感謝の心のなせる業だったに違いない。

 コバキンさんは大正12年(1922年)、北海道・三笠の生まれ。満州・建国大学の出身(建国大学時代のことを『白塔』(新人物往来社)という本にお書きになっている。中国語訳も出たそうだ)。

 先日、札幌のご自宅に、「市民の意見」最新号をお送りすると、お手紙が返って来た。
 そこに、こうあった。「尾田龍馬氏はたぶん、小生同様、学徒出陣一期だと思われます。文系だけが20歳になると徴兵されました」

 「敗戦後、小生は国家という存在、組織、施政に先ず大きな不信感を持ちました。と同時に多数意見(挙国体制)必ずしも正しいとは限らないコトを身にしみて感じ取れました。それだけに同世代を死に追いやった戦争指導者を絶対許せないと思いました」

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 お手紙によれば、コバキンさんは今、「私の周辺と大陸」と題した「米寿個展」を目指されている。

 札幌の手稲山の見えるアトリエで絵を描くコバキンさんを想い、BGMで聴いてもらいたいな、と願って、僕が一番大好きな、ステファン・グラッペリのCDをお送りした。

 コバキンさんは「米寿個展」に向け、何を描こうとしているのだろう。

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 ブログに書いた記事が、「市民の意見」に再掲され、今、多くの「会員」の皆さんの目に触れている。

 こんな風な読まれ方をしたのは、ブログを始めてから初めてのことだ。
 
 いま、コバキンさん、尾田龍馬氏の風景画を論じたその記事のエッセンスを一筆で描き込み、新しい題名にするとすれば、当然、こうなる。

 「風景は平和である」

 風景の破壊は平和の破壊である。だから、風景を描くことは平和を描くことである……。

 お二人の風景画はそんなふうに描かれ、描かれつつあるのだと思う。

 もう一度、言おう。今度は僕たち自身の問題として言おう。
 

  「風景は平和である」と。
 

Posted by 大沼安史 at 11:12 午前 3.コラム机の上の空 |

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