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2010-04-30

〔いんさいど世界〕 ナポレオンが驚いた「平和の天国」 オキナワ

 日系カナダ人女流作家、ジョイ・コガワさんが昨年(2009年)の「ナガサキの日」(8月9日)に、ストックホルムで行ったスピーチが、沖縄の米軍基地問題の本質を暴くものとして、ネットで引用・転載され、反響を呼んでいる。

 カナダ・バンクーバーの「平和哲学センター」のブログ ⇒ http://peacephilosophy.blogspot.com/2010/04/three-deities-speech-by-joy-kogawa.html

 や、米国の市民団体、「ネットワーク・フォア・沖縄」の「連帯メッセージ」 ⇒ http://closethebase.org/2010/04/25/solidarity-statement-from-the-members-of-the-network-for-okinawa/

 が、コガワさんの紹介した、「ナポレオンと沖縄」のエピソードに触れ、沖縄の置かれた「過酷な現在」を告発している。

         #

 スピーチの関係箇所を、拙訳・原文付きで「再現」すると、こうなる。

 「東洋に、ある小さな島(沖縄のこと)があります。そこでは、世界で最も長寿で、強く平和な人々が住んでいます
 “There is a certain small island in the east, where the world’s longest living and intensely peaceable people live.

 「わたしの兄(あるいは弟)は、キリスト教長老派の司祭として、1990年代の数年間を沖縄で過ごしました。彼は私にこんなことを教えてくれました。1815年のこと、大英帝国の軍艦のバジル・ホール艦長が沖縄の那覇に寄港しました。そしてそこで発見した、あることに驚いたのです。話はさらに続きます。英国への帰還の途中、ホール艦長はセント・ヘレナ島に立ち寄り、流刑中のナポレオンと会話を交わしたのです。
 “My brother, a retired Episcopalian priest, was in Okinawa for a few years in the 1990’s.  He told me that in 1815, Captain Basil Hall of the British navy steamed into Naha, Okinawa and was amazed at what he found.  The story goes, that on his way back to England, he dropped in to the island of St. Helena and had a chat with Napoleon.

 「艦長は『私は平和の島に行って来たところです』と、ナポレオンに告げました。『その島には一人の兵士もおらず、ひとつの武器もないのです』
 “’I have been to an island of peace,’ the captain reported.  ‘The island has no soldiers and no weapons.’

 「ナポレンオンは言いました。『武器がないだって? そんな。でも、剣の二振りや三振りはあるだろうに』
 “’No weapons?  Oh, but there must be a few swords around,’ Napoleon remarked.

 「いえ、ありません。剣は王によって禁じられているのです」
 “’No.  Even the swords have been embargoed by the king.’

 「その時、『ナポレオンは驚いて』こう言ったそうです。「兵士もいなければ、武器も、剣もない。そこはきっと、天国に違いない。
 “Napoleon, we’re told, was astonished. ‘No soldiers, no weapons, no swords! It must be heaven.’

 「この戦乱の続く地球という星の、ほんのひとかけらの地上で、ユニークな平和の文化が育っていたのです。
 “A unique culture of peace had developed in one tiny part of our warring planet…

 「……琉球の人々は従属しない人々だと、日本は結論づけました。兵士なき王国の存続は不可能なことでした。沖縄はたしかに、その平和の歴史とともに、この地球がようやく持つことのできる天国に近い文化を持ち続けて来たのです。たぶん、それゆえ、憎悪の軍事力の特別なターゲットにされて来たのです。
 “…… A disobedient people, Japan concluded.  A kingdom without soldiers was clearly impossible. Okinawa, with its history of peace, must surely have had a culture as close to heaven as this planet has managed. And perhaps therefore a special target for the forces of hate.”

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 ジョイ・コガワさんは1935年6月6日、カナダ・バンクーバーの生まれ。現在、トロントに住む、カナダを代表する日系の作家だ。戦時中、日系人強制収容所に入れられた体験を持つ。 Joy Kogawa Wiki ⇒ http://en.wikipedia.org/wiki/Joy_Kogawa

 僕は彼女がトロントの地域通貨運動にかかわっていることは知っていたが、今回、「平和哲学センター」のサイト(そこにトロントで、「9条」について語る彼女の写真が載っている)を覗くまで、カナダで「9条」(もちろん、日本国憲法)を守る運動の先頭に立っていることは知らなかった。

 もちろん、彼女がストックホルムで演説で触れた、沖縄(琉球)がナポレオンもビックリの、平和な天国の島だったことも知らずにいた。

 そう、たしかに、ジョイ・コガワさんの言うとおりである。

 平和な沖縄を戦火で破壊し尽くしたもの――それはあの「沖縄戦」であり、今なお冒涜し続けているもの――それは本土政府によって押し付けられた「米軍基地」である。

 付記: ジョイ・コガワさんはいま、「ナガサキ」をテーマにした本をお書きになっているそうだ。僕はコガワさんの代表作、「オバサン」を持ってはいる(部屋のどこかにあるはずだが、発見できない)。少し読んでその英語の描写力に舌を巻いた憶えがある。「ナガサキ」の本が出たら、何はさておき、読んでみるつもりだ。

Posted by 大沼安史 at 06:52 午後 1.いんさいど世界 | | トラックバック (0)

〔NEWS〕 琉球新報が社説で本土マスコミ、中央官僚を批判

 沖縄への「ごり押し」局面を迎えた米軍基地問題で、琉球新報が30日に社説を掲げた。「鳩山首相来県 民の声は『普天間撤去』だ」 
⇒ http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-161485-storytopic-11.html

 「最低でも県外」とあおりながら「実は県内」と詭弁(きべん)を弄(ろう)すなら、県民への背信行為というほかない――当然の指摘である。

 琉球新報の社説はしかし、「県民は鳩山首相になお望みを託している。普天間県外移設や、野党時代とは言え『常時駐留なき安保』を主張したリーダーは、首相経験者では異例だからだ」として、首相のギリギリのリーダーシップに期待をつないでいる。

 そして、こう本土マスコミ、政治家、官僚たちを厳しく批判する。

  この国では政治家やメディアが米国の心証を害する鳩山首相を異端扱いしている。閣僚や官僚の抵抗を前にたじろく首相を「リーダーシップが欠如」と批判し、普天間の「5月末決着」が実現しなければ退陣を迫るありさまだ。

 「日米同盟」を金科玉条のものとして過大評価せず、外交・安全保障政策の選択肢の一つと相対化して見る感覚、長期にわたり外国軍隊が常時駐留することに疑念を挟む感覚のどこがいけないのか。

 首相に民意否定を促す官僚群。政権内の「辺野古回帰」は紛れもない民意の封殺であり、主権在民の否定、民主主義国家の自殺行為だ。こんな乱暴は断じて許せない。

 ――まったくもって同感である。
 
 鳩山首相よ、沖縄の「民の声」を聞いて、「政府案撤回」を言明するのだ。仕切り直しをするのだ。「安保見直し」に取り掛かれ!

Posted by 大沼安史 at 05:10 午後 | | トラックバック (0)

2010-04-29

〔NEWS〕 「沖縄に米軍基地はいらない」 米市民団体「ネットワーク・フォア沖縄(NO)」がワシントン・ポストに全面意見広告 沖縄タイムズが日本政府案を一蹴する社説

 米国の市民団体、「ネットワーク・フォー沖縄(略称NO)」が28日付けのワシントン・ポスト紙に全面意見広告を出した。
 ⇒ http://closethebase.org/2010/04/28/official-press-release-april-28-2010/

 男の子がフェンスにしがみついて米軍機の着陸を見ている写真に、「あなたの裏庭に30もの軍事基地を欲しいですか?」というキャプションがつけられている。痛烈な批判である。

 「NO」のインタビュー窓口に名を連ねている人の中に、アン・ライトさんがいた。
 アメリカ陸軍の元大佐で元外交官。イラク戦争に反対した人だ。
 こういう人が「沖縄の米軍基地にNO」と言っている……ワシントンにいる日本のメディアは彼女にインタビューすべきである。

 一方、沖縄の地元紙、沖縄タイムスは社説を掲げ、政府が打ち出した「くい打ち&徳之島」案について、「地元の合意を得る余地はまったくない」と一蹴した。⇒ http://www.okinawatimes.co.jp/article/2010-04-29_6123/

 琉球新報によれば、徳之島町長は、首相に「面会したいというなら、面会して断りたい」との意向を示している。⇒ http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-161475-storytopic-3.htm

 アメリカの市民と沖縄と徳之島の人々の連帯の環が生まれた。そのうち、普天間基地へ、徳之島の猛牛たちが突撃アピールを敢行するかも知れない……。

Posted by 大沼安史 at 06:02 午後 | | トラックバック (1)

2010-04-27

〔いんさいど世界〕 君知るや南の国……の勇気 米軍基地を国外追放した人々の話

 1991年9月16日のことだった。
 フィリピンの国会・上院の議場に、ジョビト・サロンガ議長の声が、厳かに響いた。
 「条約は否決されましたた」――。
 上院の決定は、傍聴席から、歓声と涙で歓迎された、とニューヨーク・タイムズの特派員は書いている。⇒ http://www.nytimes.com/1991/09/16/world/philippine-senate-votes-to-reject-us-base-renewal.html?scp=51&sq=Jovito%20Salonga&st=cse 

 

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 否決された「条約」とは、「比米友好協力安保条約」。その20日前に、アキノ政権が米側の圧力に屈し、調印した「安保条約」。フィリピンにある米国の海軍基地、スービック基地の使用を、とりあえず向こう十年間、認める「友好協力安保」条約だった。

 フィリピン上院は、その批准を12対11で否決したのだ(批准には上院議員の3分の2、16議員以上の賛成が必要)。

 フィリピンの民衆の意志が、議会の採決として、米軍基地に「ノー」といい、その日、16日に使用期限が切れるスービック基地に国外退去を迫ったのだ。

 アメリカがフィリピンに確保していたもうひとつの巨大基地、クラーク空軍基地は、前年のピナツボ火山の噴火で閉鎖が決まっていなければ、スービックとあわせ、一緒に三行半を突きつけられるところだった。

 フィリピンの民衆は、議会の議決というデモクラシーの力で、アメリカの軍事基地を「国外追放」したのである。(返還は同年11月26日)

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 恥ずかしいことに、僕はこの歴史的な出来事を、すっかり忘れていた。当時、僕は新聞社の外報部に所属していて国際問題をフォローしていたから、今、たしかに、思い出すことができるが、まったく忘れていた。
 
 雑誌「世界」5月号での、元沖縄県知事、大田昌秀さんの指摘を目にするまでは。

 思うに、この健忘症は、僕の個人的な問題ではない。おそらく僕たち日本人は、目隠しされ、記憶を喪失させられているのだ。

 日本の主流メディアは、沖縄の米軍基地問題と絡め、このフィリピンで起きた「米軍基地国外移転の前例」を、どれだけ積極的に報じて来たろう。 

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 サロンガ議長もまた、ダメ押しの「反対の1票」を投じた人だが、なぜ、米軍基地の継続使用に反対か、その理由を以下のように語ったそうだ。

 「私は友人たちから、それじゃあ大統領になるチャンスを失うよ、と警告されました。しかし、そんなことは問題ではない。そんなのは無意味な結果でしかない。重大な危機の時代に、私たちの殉教者や私たちの英雄はすすんで命を捧げました。おがげで、私たちはほんとうに自由になる可能性を手にしたのです」
 「私はこれまで言って来ましたし、これからも言い続けます。私は人生の中で、二度、死の影の谷(the valley of the shadow of death)を歩き通して来ました。肩書きや地位は、私にとって最早、意味のないことです。政府の中にいようといまいと、民衆のためにほんとうに奉仕するのが、より重要なことです」
 “I have been warned by well-meaning friends that my stand on this treaty may hurt my chances of becoming President. No matter. That is an insignificant consequence. In times of great crisis, our martyrs and heroes offered their lives that our people might become truly free.
“I have said it before and I will say it again. After walking through the valley of the shadow of death twice in my life, titles and positions do not mean that much to me anymore. What is more important is to be of real service to our people, with or without any position in government.”
 比・インクワアラー紙 ⇒ http://newsinfo.inquirer.net/inquirerheadlines/nation/view/20070824-84396/Out_of_shadow_of_death%2C_emerged_the_nationalist

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 サロンガ氏は1920年6月22日の生まれ。現在、89歳。

 氏が語った、2度に及ぶ「死の谷」とは、太平洋戦争中における日本軍による拷問・投獄と、戦後のマルコス政権下での爆弾による暗殺未遂事件を指す。

 サロンガ氏は米国に亡命し、法律学を修めた人物。米国にも知己の多い政治家だが、にもかかわらず、米軍基地に「ノー」と言ったのだ。

 なぜか?
 それはサロンガ氏が「反米の左翼」だったからではない。気骨ある愛国者だったからだ。
 自分の国に核武装した広大な米軍の基地があり、米兵による犯罪が横行するなど、自国の主権が侵されていることに、これ以上、耐えることはできなかったからだ。たとえ米国の反感を買い、自分は大統領になれなくとも。

 フィリンピンの「真の独立」を勝ち取ることを、独立運動の元闘士は選んだのである。 

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 スービック基地は米軍のアジア最大の海軍基地。軍港だけなく、飛行場から演習場まで抱え、ベトナム戦争の出撃基地にもなっていた。

 クラーク空軍基地は沖縄・嘉手納基地の数倍もの規模。

 米国は戦前、戦後を通じ、フィリピンを太平洋の不沈基地として、いいように使って来たのだ。
 
 フィリピンはしかし、日本とは違っていた。首都圏への米軍基地設置を認めず、「おもいやり予算」も支払わなかったのだから(逆に補償費を請求していた!)。

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 当時のいきさつを、今、米紙や比紙の記事、あるいは大田昌秀さんが「世界」で紹介していた、元「赤旗」の特派員、松宮敏樹氏の詳細なレポート、『こうして米軍基地は撤去された―フィリピンの選択 』(新日本出版社)などを読んでで振り返ると、今の沖縄・普天間基地移設問題をめぐる、日本の政府の右往左往ぶり、ポチぶりが余計に際立つ。

 日本政府は、できないことはできない、普天間基地の海兵隊は国外退去していただきたい、それを拒否するというなら、(日米安保を廃棄、と言わないまでも)「思いやり予算」を見直します――くらい、どうして言えないのか? 
 松宮氏のレポートによると、フィリピンの「米軍基地問題」をめぐっては、日本のマスコミが「知日派」などと持ち上げている、あのアーミテージ氏が、交渉の席で怒りに怒って、フィリピン側をさんざん恫喝したそうだ。

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 それでも負けなかったフィリピン!

 松宮氏の著書に掲載された一枚の写真が、フィリピンの人々の思いの全てを物語っているように思えた。

 上院前に詰めかけた人々の写真――。「横断幕」に、こんなシンプルな言葉が英語で。

 NO TO U.S.BASES――courage

  「米軍基地にノー」と大きく書かれた下段の隅に、小さな文字で「勇気」と!

 20年前の、南の小さな島国の人々が振り絞った大きな勇気に、日本は学ばなければならない。

 ◇ スービック、クラーク基地、及び両基地の「その後」については、以下を参照。
 クラーク空軍基地 日本語Wiki  ⇒ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%82%AF%E7%A9%BA%E8%BB%8D%E5%9F%BA%E5%9C%B0

 返還後 ⇒ http://www.asyura2.com/09/warb2/msg/574.html

 スービック海軍基地 日本語Wiki  ⇒ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%93%E3%83%83%E3%82%AF%E6%B5%B7%E8%BB%8D%E5%9F%BA%E5%9C%B0

 返還後 ⇒ http://sankei.jp.msn.com/world/asia/091019/asi0910190803001-n1.htm

Posted by 大沼安史 at 08:28 午後 1.いんさいど世界 | | トラックバック (0)

2010-04-25

〔いんさいど世界〕 道新の高田記者らにおくるエール 

 僕は北海道新聞(道新)の記者として昔、北海道警察(道警)を「回った」ことがある。
 
 その僕の古巣の道新が――道警裏金事件をすっぱ抜いた道新が、道警の元総務部長氏に訴えられている。
 残念なことだ。

 (* タイトルを変えました)

 僕は道警のサツ回りをした人間(道新記者)の1人として、参考になるかどうか知らないが、僕の経験を――疑問を、道新の後輩諸君のために書く。

 もし、道新の若い現役の記者たちが、これから僕が書きしるすことを「問題」だと感じるなら、ぜひ取材していただきたい。

 僕はサツ回をりして疑問に思ったのは、警察官の「時間外労働」がどう賃金に反映しているか、である。

 幹部を除く一般の警察官の勤務はほんとうにキツイ。

 僕はサツ回りとして、警察の当直室によく当直の署員たちと一緒に泊り込んだものだが、新聞の締め切りもあり「遅番」の――午前1時、就寝組の泊り込みだった。

 泊り込みの署員は次の日も、そのまま勤務に就く。
 とりわけ厳しいのは「早寝」組の署員だった。午後7時からの就寝、午前1時からの当直勤務……眠れるはずがない。

 僕はこの、とてつもなくヘビーな「超過勤務」が、手当的にどう補償されいたか、いまでも気になる。

 僕のこれは「第6感」だが、この一般の署員たちの「超過勤務手当」を、警察の幹部たちが流用し、一部は「署長交際費」などに流用していたのではないか、と疑っている。

 僕は道警のある署で、「天引き」された残りの時間外手当を、平等に分け合っている署員の姿を(そうとしか思えない姿を)見たことがある。
 警察官って、かわいそうだな、と思ったことがある。

 僕の知るかぎり、道警の一般警察官は、ほんとうに大変だった。人事異動で、転勤するときなど、みんなで応援で引越しの手伝いに出ていた。引越し業者にまかせる、その予算すらもらえなかった。

 その一方で、一部の警察幹部の姿には腹立たしい思いをした。

 僕が直接、目の当たりしたケースでは、道警の方面本部長になったある警察署長の場合である。

 その署長は、ぼくのいる飲み屋に「髭の署長」で現れた。マジックで髭を書いて来たのだ。

 その署長は、殺人・死体遺棄事件が起きた時、「行方不明」になっていた人だが、飲み屋のママが僕にこう言った。

  「あの男(署長)にはね、「私、毎月、20万円、請求しているのよ」

 いまから、40年前の「毎月20万円」。これが事実だとしたら、それはどこから出ていたのか?

 もうひとつ、道警の一般警察官が嘆いたことを書いておこう。

 それは警察庁キャリアの道警本部長の「栄転」に伴う「檀家回り」のことだ。

 着任したときは、ろくに挨拶回りもしないくせに、退任が決まると、あいさつ回りをきちんとこなす。
 「餞別集め」――家が2.3軒、建つ額だと聞いた。

 どのくらいの額に達しているか――それは税務署に聞いたらいい。きちんと申告され、処理されているはずだから……????

 僕は最近、元道警総務部長なる人物の、道新相手の訴訟の一部始終をネットの報告 (⇒ http://www.geocities.jp/shimin_me/hokkaidou1.htm#26 )で知って、道新の幹部(S氏、H氏)とのやりとり、そして道警キャップK氏とのやりとりを密かにテープに録音して、それを起こしたものを「証拠」として持ち出したことを知り、怒りがこみ上げた。

 穏便になんとか済ませよう、この人の立場を、気持ちを分かってあげよう、という好意と善意と信頼関係を踏みにじる、スパイもどきの裏切りではないか! 

  (そういえば、僕は道警の公安のある幹部に、「現場」を押さえながら、これだけは頼む、見逃してくれ、と言われたことがある。そして武士の情け?で、記事には書かなかったことがある。信頼関係を大事にしたのだ。あの「北教祖」に関することで。あの飲み屋の二階での「飲み代」も、今にして思えば、例の裏金だったろう?……)

 道新の現役の記者諸君! こうした幹部の下で行われて来た、一般警察官に対する「搾取」実態を暴くのだ!

 歴代道警本部長の「餞別」申告(していたら、の話だが……)の実態を暴け!

 僕は昔、道警のある警察官に、ほんとうにお世話になったことがある。僕があまりにもズルサのない、アホなことを心配してくれ、「それじゃダメだよ」を注意してくれた人だ。

 その人は、こんな武勇伝の持ち主だった。
 警察署の幹部が昼休みにひと風呂入って戻って来たとき、その幹部の机の上に飛び乗って、「ふざけるな、この野郎」とやった。

 警察の「裏金」は、市民警察にいまだなりえていない、本庁統制の警察階級社会の悪しき病弊である。

 僕は道新の若い記者諸君に訴える! 高田記者らと連携し、道警の一般警察官のため、闘ってくれたまえ!

 道警の下積みの警察官たちは、道新の闘いにかげで声援をおくっていることを、忘れてはならない。

 道警裏金事件 ⇒ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%B5%B7%E9%81%93%E8%AD%A6%E8%A3%8F%E9%87%91%E4%BA%8B%E4%BB%B6

Posted by 大沼安史 at 06:47 午後 1.いんさいど世界 | | トラックバック (0)

空から歌が聴こえる  MY WILD IRISH ROSE

 自転車でひとっ走り、花見をして来た。バラの歌を。サクラには申し訳ないが……

 ⇒  http://onuma.cocolog-nifty.com/blog3/2010/04/my-wild-irish-r.html

Posted by 大沼安史 at 04:51 午後 | | トラックバック (0)

〔いんさいど世界〕 アメリカ復員兵の謝罪と自死

  アメリカ軍の復員兵たちがイラクの人々に「謝罪」している。戦争の罪をわびる「公開状」に、次々と署名している。

 先に本ブログ( ⇒ http://onuma.cocolog-nifty.com/blog1/2010/04/post-6c09.html )で紹介した、米軍ヘリ掃射虐殺事件。
 バグダッド郊外の現場に事件直後、駆けつけ、生き残った幼い兄と妹を救い出した米軍地上部隊の兵士ら2人がネットで掲げた「公開状」に、同じ思いを共有する復員兵たちが、次々に「サイン」しているのだ。
 ⇒ http://org2.democracyinaction.org/o/5966/p/dia/action/public/index?action_KEY=2724&start=25

 すでに3000人を突破している。それだけの復員兵が、すでに自分たちの「罪」を認め、イラクの人たちに誤っている。

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 先のブログの繰り返しになるが、復員兵2人は、「謝罪文」にこう書いたのだ。

 「ビデオで写し出された行為は、この戦争の日常茶飯事です。これが米国主導の、この地域で行われているものの本質です」
 「私たちは、あなた方の愛する人を殺傷した責任を認め、アメリカ人に対しては『神と祖国』の名において訓練され、遂行されているものとは何なのかを訴えているのです」

 アメリカの権力に代わって、「責任」を引き受け、謝罪するアメリカの兵士たち。

 公開状に名を連ねた人の中には、現役の兵士もきっといるはずだ……。

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 アメリカ軍の復員兵たちが次々に「自殺」している。せっかく生還しながら、「アメリカ」で生きることを、あきらめている。

 最近、ショッキングな記事が、それも米陸軍向けの新聞、アーミー・タイムズに載った。

 米復員省の調査結果を報じた記事( ⇒ http://www.armytimes.com/news/2010/04/military_veterans_suicide_042210w/ )を読んで、驚いた。

 2009年会計年度(昨年9月末まで)に、イラク・アフガンの復員兵1868人(男性1621人、女性247人が自殺を企て、98人(男94人、女4人)が死亡しているのだそうだ。

 (数字が錯綜してよくわからないことろもあるが)、記事によれば、復員兵(ただし、米復員省のケアを受けていたものに限る。これにはイラク。アフガン以外の戦争経験者も含まれるものとみられる)の自殺の企ては、月平均、実に950件。そのうち、7%が成功し、失敗した人の11%が9ヵ月以内に再び自殺を企ているという。

 記事はさらに、1日平均、なんと「18人!」(うち 5人は復員省のケアを受けていた人だ)もの復員兵が自殺している、と報じている。

           #

 アメリカ復員兵の謝罪と自死――アメリカの復員兵(兵士)たちは、そこまで苦しんでいるのだ。

 「戦争」という名の殺戮と破壊、すなわち、人が人を殺すということは、そうそうかんたんに出来ることではない。直接手を下さない戦争の指導者であれば、かんたんに「攻撃せよ(殺せ)」と命じることはできるが、現場の兵士たちはよほど自分を殺してかからないと、人を殺せるものではないのだ。

 アメリカの軍事学者、デーヴ・グロスマン氏によれば、人を躊躇せず殺せる兵士は、たったの2%に過ぎない。訓練を受けても、そうなのだ。

 「限界」(もちろん、それが、あるとしてのことだが)を超えてしまったアメリカの軍事権力による「テロとの戦い」!

           #

 2007年7月、友軍ヘリが機関砲を掃射した虐殺現場に駆けつけた兵士がそこに見たものは――あるいはイラクで日々、見続けたものは、イラクの民衆の生活の場を戦場と化し、そこで「人間性を超えた」行為を――「戦闘」の名の下に続ける自分たちの姿であり、その自分たちの「戦闘」によって悲惨の極に突き落とされたイラク民衆の嘆きであったはずだ。

 イラク民衆の日常生活を「地獄」と化した自分たち!――アメリカの復員兵たちの「謝罪」は、そうした自覚に根ざすものだからこそ、深く、痛切である。

 復員兵たちの「自殺」の続発も、少なくともその動機の一部に、イラクやアフガンの地でなした行為に対する罪の償いを含むものではないか? 

           #

 2009会計年度に連邦予算の分析によると、歳出(支出)の26.5%が軍事費(直接的)に投下されている。突出した比率である(たとえば教育には、たったの2%)。⇒ http://www.nationalpriorities.org/taxday2010

 これを裁量可能な支出ベースで見ると、恩給費などを含む軍事関連費は55.3%と、半分を超えているのだ。 ⇒ http://www.commondreams.org/view/2010/01/26-2

 恐るべきことだ。

 アメリカは、「殺戮と破壊」を最大の公共事業とする、歪んだ「戦争国家」になり果てている。

 アメリカの軍事権力=「戦争の家」は、アメリカ人兵士の心を苦しめ、アメリカ社会をさいなんでいる。

 謝罪も、自己破壊も、「戦争の家」がなすべきことだ。

Posted by 大沼安史 at 12:44 午後 1.いんさいど世界 | | トラックバック (1)

2010-04-24

〔コラム 机の上の空〕 風景は平和である

 僕は「チョコが届く(はずの)日」の生まれだ。バレンタインデー、2月14日の生まれ。

 ことしのその日、僕は61歳になった。記念に、感謝の気持ちを込めて、以下の文章を――「もう一人の「龍馬」が、そしてわが敬愛する『コバキン』さんが、教えてくれたこと」を、このブログに載せた。
 ⇒ http://onuma.cocolog-nifty.com/blog1/2010/02/post-31e7.html

           #
 
 その文章を、吉川勇一さん(元べ平連事務局長)らが発行する「市民の意見」誌が、その最新号(119号)に載せてくれた。
 見開き2頁。
 新しい、長い題をつけた。「描き置かれた平和 二枚の絵の語りかけるもの――尾田龍馬、小林金三氏の風景画によせて」

 尾田龍馬氏は愛媛・宇和島出身、昭和19年、25歳で戦病死した画学生。「コバキン」さんこと小林金三氏は札幌在住の画家。

 拙文は、お二人の風景画に触発されてブログに書いたものだったが、それが吉川さんらの目にとまったのは、尾田龍馬氏(その絵を僕は、「市民の意見」誌のバックナンバーで見た)についてもさることながら、僕が「コバキン」さんのことに触れていたからだろう。

           #
 
 画家・小林金三氏は、有名なジャーナリストである。60年安保当時、安保反対の論陣を張った北海道新聞(道新)の論説委員。新聞各社の論説トップを率いて、北京に乗り込むなど日中友好にも取り組んだ方だ。ベトナム戦争をベトナム民衆の視点で書いた『ベトナム日記』(理論社)など著書も多数。

 拙文で僕はコバキンさんのことを「私の新聞社の先輩」とだけ書いたが、コバキンさんが道新の小樽支社長だったころ、実は僕はその「部下」(と言っていいかどうか分からないが、とにかく支社報道部の記者)だった。

 僕(当時、20代のまだ前半だった)の記憶にあるコバキンさんは、小樽支社長時代、すごいことを二つ、した。

 ひとつは、小樽にある開発局など各官庁の出先のトップを集めて昼飯会を定例開催し、斜陽・小樽を復活させる街づくりを話し合ったことだ。
 そこで生まれた「融雪溝」は、市役所が二の足を踏んで流れてしまったが、それが実現していたら、冬の小樽の市民生活は、いまごろどんなに楽になっていたことか。
 もうひとつは、「小樽市民大学」の開催。コバキンさんは東京支社での論説委員時代に培った人脈を活かし、岡本太郎氏らをひっぱって来て、連続文化講演会を開いたのだ。その時の会場の熱気を、僕はいまも憶えている。

           #
 
 個人的に忘れられないのは、札幌地裁小樽支部で「在宅投票復活訴訟」の判決言い渡しがあった時のこと。
 高橋裁判長が、在宅投票制度を国が廃止したのは憲法違反だ、と違憲判断を下したのだ。
 「違憲判決!」――裁判を担当していた僕は地裁支部から支社の報道部に電話連絡し、記事を「吹き込んだ」。
 その時、電話に出たのが、なんと支社長のコバキンさん。興奮した僕を落ち着かせ、電話送稿を原稿用紙に書き取って下さった。

 もうひとつ忘れられないのは、小樽で僕が経済を担当していた時のこと。
 小樽のある有力な企業が「倒産するらしい」といううわさが流れた。若い僕は、これは大変だとばかりに確認に走り、それがうわさをさらに拡大させた。「倒産だと道新の記者が言いふらしてる」

 その時、収めてくれたのが、コバキンさんだった。支社長室に呼ばれて入ると、そこにその企業の社長さんがいた。一代でたたきあげたその社長は、何も言わず、僕のことをすこし哀れむ目で見た。

 社長さんは、「道新社会福祉振興基金」に相当な額の寄付をしてお帰りになった。翌日の道新小樽版に、社長さんがコバキンさんに「金一封」を手渡す写真と記事が載った。

           #

 僕は先輩、友人に助けられ、人生をよくやく生きて来た者だが、コバキンさんのことを、故郷・仙台に戻って初めての誕生日の記念にブログに書く気になったのも、そんな感謝の心のなせる業だったに違いない。

 コバキンさんは大正12年(1922年)、北海道・三笠の生まれ。満州・建国大学の出身(建国大学時代のことを『白塔』(新人物往来社)という本にお書きになっている。中国語訳も出たそうだ)。

 先日、札幌のご自宅に、「市民の意見」最新号をお送りすると、お手紙が返って来た。
 そこに、こうあった。「尾田龍馬氏はたぶん、小生同様、学徒出陣一期だと思われます。文系だけが20歳になると徴兵されました」

 「敗戦後、小生は国家という存在、組織、施政に先ず大きな不信感を持ちました。と同時に多数意見(挙国体制)必ずしも正しいとは限らないコトを身にしみて感じ取れました。それだけに同世代を死に追いやった戦争指導者を絶対許せないと思いました」

           #

 お手紙によれば、コバキンさんは今、「私の周辺と大陸」と題した「米寿個展」を目指されている。

 札幌の手稲山の見えるアトリエで絵を描くコバキンさんを想い、BGMで聴いてもらいたいな、と願って、僕が一番大好きな、ステファン・グラッペリのCDをお送りした。

 コバキンさんは「米寿個展」に向け、何を描こうとしているのだろう。

           #

 ブログに書いた記事が、「市民の意見」に再掲され、今、多くの「会員」の皆さんの目に触れている。

 こんな風な読まれ方をしたのは、ブログを始めてから初めてのことだ。
 
 いま、コバキンさん、尾田龍馬氏の風景画を論じたその記事のエッセンスを一筆で描き込み、新しい題名にするとすれば、当然、こうなる。

 「風景は平和である」

 風景の破壊は平和の破壊である。だから、風景を描くことは平和を描くことである……。

 お二人の風景画はそんなふうに描かれ、描かれつつあるのだと思う。

 もう一度、言おう。今度は僕たち自身の問題として言おう。
 

  「風景は平和である」と。
 

Posted by 大沼安史 at 11:12 午前 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2010-04-22

空から歌が聴こえる    おしゃれな恋

 僕が伊東ゆかりさんにゾッコン参っているのがバレバレになってしまうが、いい歌はいい歌だ!⇒  http://onuma.cocolog-nifty.com/blog3/2010/04/post-b833.html

Posted by 大沼安史 at 07:37 午後 | | トラックバック (0)

〔いんさいど世界〕 「御用書き」を超えて ジャーナリズムよ、よみがえれ!

 〔増補版〕

 英紙ガーディアンの電子版のリーダーだったエミリー・ベルさんが、米・コロンビア大学のジャーナリズム大学院に移籍することになった。「デジタル・ジャーナリズム研究センター」を統括するそうだ。
 ⇒ http://www.guardian.co.uk/media/2010/apr/21/emily-bell-to-leave-guardian

 ガーディアンの電子化での実績が評価されたのだろうが、その辞任を――退社を、まるで誇るかのように報じたガーディアンも、さすがガーディアンである(ただし、コンサンタントとしてはとどまる)。

 社を中途退社し、新天地を求めるような人間に悪罵を投げかけることしか知らない、どこかの「組織ジャーナリズム」とは大違いだ。

 

          #

 僕はガーディアン(昔は「マンチェスター・ガーディアン」と言った)を以前、「紙」で購読したことがある。英語が、今よりもっと出来ない頃だったから、手ごわい英語だな、と思ったことを今も憶えている。
 英語の最高級紙!
 それが、いま電子版で、仙台にいても読めるのだ。インターネットが可能にしたことだが、これはありがたいことである。
 しかも、過去のニュースを収蔵した「アーカイブ」を含めて!
 過去記事、アーカイブの無料化は、たとえばルモンドでは掲載から一定の期間を過ぎると有料になる。ニューヨーク・タイムズも(いまのところ)基本的に無料だが、古い記事は有料化されている。
 しかし、ガーディアンは違うのだ。僕のようなものにも、タダで読ませてくれる。

           #

 エミリー・ベルさんの下、インターネットにおける「グローバル・ペーパー」に成長したガーディアン。電子版の読者はどれほどに達しているか?

 答えはなんと「3700万人」近く! 新聞の部数で表現すれば、3700万部近くに達しているのだ。

 これは日本のマス・ペーパー、「読売」の3・5倍。これだけの読者を、ガーディアンは全世界に確保しているのである。

           #

 それでは、ガーディアンの電子版が、それだけの「読者」を何故、確保することができたか?

 それは、ガーディアンが「ジャーナリズムをしている」からである。
 世界の「読者」の期待に応えているからだ。

 僕がガーディアンの電子版で凄いなと思ったのは、たとえば昨年末の「コペンハーゲン環境サミット」での、ブログを利用した「刻一刻報道」である。

 コペンハーゲンの会議で、今何が起きているか、ガーディアンの電子版は、同時並行で速報し続けたのだ。

 そして先進国の対応に反発するサミット関係筋は、ガーディアンに会議資料をリークして、必死に流れを変えようとした……。

           #

 そうした「同時速報性」もさることながら、ガーディアンの電子版がグローバル読者を抱え込むことができたのは、ガーディアンという新聞そのもののあり方である。

 ガーディアンという新聞は、徹底して「反権力」に立場に立ち、「平和」を、「環境保護」を訴える新聞だからだ。

 ガーディアンの権力悪に対する、社会の木鐸としての追求は徹底していて、たとえば「死の商人(兵器産業)」にメスを入れるのに、大学の研究者たちを巻き込む取材態勢をつくり、時間をかけて、あぶり出している。

 あるいはブレア元首相の収入資料を電子版サイトで公開し、どうしてこれほど膨大な収入があるのか、一緒に突き止めないか、と世界の読者に呼びかける、不敵さ!

  イラクの米軍ヘリ掃射虐殺ビデオをすっぱ抜いた「ウィキリークス」とも連携し、電子版に専門のコーナーを開いている。⇒ http://www.guardian.co.uk/media/wikileaks

 ガーディアンとはそういうことをする――してくれる新聞だ、ほんもののジャーナリズムだ……それが電子版に世界の読者を引きつける誘因になっているのである。

 (ガーディアンの電子版では「同じような考えの相手をゲットしてはみませんか?」という「お見合いサイト」もあるが、この電子版で出会った彼女であれば、付き合ってもいいかな、とついつい思ってしまう)

           #

 ガーディアンの電子版の取り組みは、日本の新聞ジャーナリズムの教訓になるべきものだ。

 僕は古巣が北海道新聞(道新)なものだから、どうしても新聞(道新)をベースに考えてしまうが、日本の既存マスコミがもしも「紙」&「デジタル」の両面で巻き返しを図りたいなら、徹底した「同時速報性」――たとえば、国会や道議会の動きの同時速報――と、「社会の木鐸性」を追求する必要がある。

 読者(読み手)の立場に立った、権力におもねらないジャーナリズムが、いまこそ求められているのだ。

           #

 道新には「道警裏金問題」をスッパ抜いた高田昌幸記者のような、世界のどこに出しても恥ずかしくない、正義感のある優秀な記者がいる。

 高田記者のような人間に「紙」&「デジタル」で、たとえばコラムのようなものを徹底的に書いてもらえば、「紙」の読者(道警の心ある警察官を含む)はますます道新を信頼し、「ディジタル」の読者もまた、旧内務省の特高体質を今に残す警察庁全国・地元警察支配の実態に対する疑問を深めながら、道新を支持し、ネットを通じて応援することになろう。

           #

 要は「紙」であれ「デジタル」であれ、「ジャーナリズム」を、どれだけやるかに尽きる。

 ガーディアンのエミリー・ベルさんの電子版リーダーとしての成功は、ガーディアンのジャーナリズムの苦闘の成果以外の何物でもない。

 デジタル・ジャーナリーズムの成功とは、ジャーナリズムの苦闘の結果以外の何物でもないのだ。

 「御用ジャーナリズム」から決別の時。

 あの「スト権スト」の時、政府指揮の「迷惑」大合唱に加わり(加藤周一氏は「迷惑」論を厳しく批判していたなあ……)、「国際貢献」だといってイラク侵略に加担し、イラク人々と連帯しに出かけた「若者たちに」に「自己責任」論を突きつけた、権力ヨイショ、社会の木鐸とはまるで違う「会社のボクたち(?)」――的「御用書き」は、もういらない!

Posted by 大沼安史 at 06:33 午後 | | トラックバック (0)

2010-04-21

空から歌が聴こえる   ちいさな恋

 伊東ゆかりさんの歌だ。40数年ぶり…… ⇒ http://onuma.cocolog-nifty.com/blog3/2010/04/post-ee12.html

Posted by 大沼安史 at 08:07 午後 | | トラックバック (0)

〔いんさいど世界〕 危機のアメリカ 真夜中過ぎのカウボーイ  

 米国のネット紙、「トゥルース・ディッグ(真実を掘り起こし)」のコラムニスト、クリス・ヘッジ氏(ニューヨーク・タイムズの元記者。バルカンや中米などで海外取材を積んだベテラン・ジャーナリスト)は、僕にとって、アメリカの現実に光をあててくれるガイドのような人だ。
 だから、この人のコラムには,、欠かさず目を通すようにしている。
  クリス・ヘッジ ⇒ http://www.truthdig.com/chris_hedges
 
 最近、この人のコラムを読んで、立て続けに2度、衝撃を受けた。

            #
 
 最初のショックは4月12日付、「ある海兵隊員による、われわれみんなのための『自由への行進』」というタイトルのコラム。
 ⇒ http://www.truthdig.com/report/item/one_marines_liberty_walk_for_the_rest_of_us_20100411/
 
 連邦議会下院議員選挙(第24選挙区=ニューヨーク北部ウィチタ地区)に立候補を宣言した、元海兵隊員のアーネスト・ベルさん(25歳)に取材して書かれた記事だった。

 現職の民主党議員を相手に、共和党からの指名も無論ないまま、まるでドンキホーテのように決起し、背中に星条旗を立てながら、「自由への行進」を始めたベルさん。
 その怒りが、コラムを通してこちらの胸まで刺さり込んで来るようで、読んでいて辛かった。

            #

 テキサスの田舎町の出身。父親はアル中。両親の離婚は、ベルさんが13歳の時だった。母の手ひとつで育ち、高校を卒業してすぐ海兵隊に。

 3年ほど前、海兵隊を除隊してテキサスに戻り、大統領選で共和党のマケイン候補を応援した。「そして(共和党の)新保守主義に失望した」。
 ネオコンを嫌いになったが、リベラル・エリートも大嫌いだ。
 イラク・アフガン戦争には反対で、アメリカの中央銀行、FED(連邦準備制度)は廃止、ウォールストリートの支援は認めず、失業者の即時救済を要求する――。

 草の根の怒りと政治不信。それがベルさんを決起させた。

 彼自身、離婚を経験し、いま3歳になる1人娘のシングルファーザー。大工仕事もこの不況でなくなった。
 追い詰められたベルさんは何をしたか?
 ニューヨーク州の州兵に昨年、登録したのだ。このまま行けば、アフガンに送られるのは必至だが、2万ドルの登録ボーナスの魅力には勝てなかった。

 労働力を売ることのできなくなった失業者――それも幼い子の若い父親が、兵役に志願し、自分の命を売らなければならない、アメリカという国の悲惨さよ!

            #

 次のショックは、クリス・ヘッジ氏の4月19日付のコラム、「チョムスキー氏は、『こんな状況を見たことはない』と言った」から。
 ズシンと来るコラムだった。

 世界的な言語学者で、反戦・世直し運動家であるノーム・チョムスキー氏が、ヘッジ氏のインタビューに対し、こう答えていたのだ。

 「私はこんな状況(いまのアメリカの現状)を、私の人生の中で見たことがありません。(1928年生まれの)私は(大恐慌後の)1930年代のことも憶えています。私の家族も全員、失業していました。今より、もっとひどい状況でした。しかし、そこにはまだ希望があった。人々は希望を持っていた……それが今や、なくなってしまった。この国のムードたるや、恐るべきものがあります」

 希望のなくなったアメリカ。
 チョムスキー氏はまた、いまのアメリカの姿は、「保守もリベラルも、既成政党はことごとく憎悪され、消えていった」ドイツのワイマール末期と「非常に似ている」と指摘し、カリスマ的な「救世主」が出現したら、一気に持っていかれる危険性を警告していた。

 つまりはアメリカにおいて、ファシズムの危機が目の前に迫っている……。

            #

 底の抜けたあとの真空を、ファシズムが襲い、埋めかねない、絶望のアメリカ――。
 25歳のシングルファーザー、元海兵隊員、アーネスト・ベルさんが勝ち目のない戦いに敢えて決起したことに、最初は的外れのような違和感を覚えた僕だが、チョムスキー氏の警告を知った今となっては、「自由への行進」を続け、「あくまでアメリカの憲法を守りぬき、政治の再生を求める」というベルさんの心意気に敬意を表しなければならない。

 ベルさんは、たった一人の同伴者(失業した配管工の方だ)の男性とともに、2人だけで「自由への行進」を続けていたそうだ。

 まるで、ジョン・ボイドとダスティー・ホフマンが共演した、あの1969年公開の映画、『真夜中のカウボーイ』のように。
 ⇒ http://www.youtube.com/watch?v=jnFoaj8utio

 映画はニューヨークでの夢に破れ、バスで敗走する結末を迎えたが、ベルさんの闘いはなお継続中である。

 ベトナム戦争という「真夜中」を過てぎ、イラク・アフガン戦争に始め、金融危機も重なって、今、未明の深い闇の中にあるアメリカ。

 夜明けは、もしかしたら来ないのかも知れない。

 

Posted by 大沼安史 at 06:26 午後 1.いんさいど世界 | | トラックバック (0)

2010-04-20

〔いんさいど世界〕 ロススダ谷のマルゴルザータ 森を守ったポーランドの乙女

 環境保護のノーベル賞、2010年のゴールドマン環境賞の受賞者が発表された。⇒ http://www.goldmanprize.org/

 ことしの受賞者は6人。
 中に、マルゴルザータ・ゴルスカさんという、ポーランド人女性が。

 ポーランドの――というより、ヨーロッパの最後の、手付かずの森を守りぬいた女性だ。

 それも、ポーランド政府が「決定済み」のハイウエー建設計画を覆したというのだから、たいしたものである。⇒ http://www.goldmanprize.org/2010/europe

 彼女を中心に、ポーランドの仲間が連帯し、欧州委員会を動かし、昨年、ついにルートの変更を勝ち取った。

 守り抜いたのは、ロススダ谷の原生林。
 その森を迂回することになったのは、ワルシャワとヘルシンキを結ぶ「ヴィア・バルチカ・エキスプレスウエー」。

 その谷の様子を、彼女たちの運動を知るには、以下のビデオを観るとよい。
 ⇒ http://www.youtube.com/watch?v=Hgd93rxQyfY

 地元の農民と手を組み、ブリュッセルの欧州委員会を動かすなど、粘り強い運動を8年間も続けて、ついにロスタダ谷を守った!

 そのマルゴルザータさんが、英紙ガーディアンに、なぜ森を守ることができたかを振り返る文章を寄せていた。⇒ http://www.guardian.co.uk/environment/cif-green/2010/apr/19/how-to-successful-activist

 その中に「教訓」が書かれていた。何よりも頑強に、そして忍耐強くあれ、と。

 上記のビデオに、計画案を作成した政府の役人が、ハイウエーのルートを、ロスタダ谷を断ち切るかのように「一直線」で結んだ地図が出て来た。
 その原ルートの「一直線」の横に、新しく引かれた、谷を大きく、ゆるやかに迂回する、一本の「曲線」。

 マルドザータさんの受賞は、効率一辺倒の直線型開発の時代の終わりを明確に告げるものだ。

 そう、たしかに「自然」の中には、どこまでの貫いてゆく、切り裂くような直線はない。水平線さえも、まあるい。

 産業社会の無知で傲慢な開発幾何学は、彼女たちが守った、ロスタダ谷の原生林の前に屈し、ひれ伏した……。

Posted by 大沼安史 at 05:45 午後 1.いんさいど世界 | | トラックバック (0)

2010-04-18

空から歌が聴こえる  Whiskey in the jar 

  アイルランドのロックバンド、シン・リジィ (Thin Lizzy)は、「ポスト70年」世代の時代のリズムを刻み込んだバンドだ。この肯定と否定を聴け!

 ⇒ http://onuma.cocolog-nifty.com/blog3/2010/04/whiskey-in-the.html

Posted by 大沼安史 at 09:01 午後 | | トラックバック (0)

〔コラム 机の上の空〕 高城高が帰って来た!

 日曜の夕べ。ベランダに出て洗濯物を取り込もうとしたら、まだ湿っていた。風はすこしあったのに……。晴れてはいたが、湿度は高かったようだ。

 午後、今日は日曜日だからと自分に言いきかせ、机の上に積んどいた本を手にとり、1人掛けのソファで読み始めた。

 仙台の出版社、「荒蝦夷」(あらえみし)から数年前に出た、高城高(こうじょうこう)氏の「X橋付近」(ハードボイルド傑作選)。

 冒頭に収められた表題作、「X橋付近」を読んで、感心した。大学生が書いたものとは、とても思えない文章。江戸川乱歩が称賛したのも当然である。

           #

 仙台の「X(エックス)橋」――昔、(国鉄)仙台駅の北側にあった。線路をまたぐ橋自体より、いかがわしい一帯を指す代名詞だった。

 昔の暗いケバケバしさは、今はきれいさっぱり、区画整理されて消え、「X橋」の名を憶えている人もだんだん少なくなっている。

 「X橋付近」が雑誌の「増刊宝石」に出たのは、昭和30年(1955年)のこと。作者、高城高氏は東北大学文学部英文科の学生だった。

           #

 高城高――乳井(にゅうい)洋一さんのペンネームである。
 乳井さんは、僕が北海道新聞の社会部の記者だったころ、職場の上司だった人だ。社会部のデスク。
 僕は今から30年ほど前、札幌で、乳井デスクの下で働いていたのだ。

 昔、推理小説を書いていた人だとは僕も聞いて知っていたが、自分からは一言もおっしゃらなかった。

 飄々としていて口数の少ない人……というのが、僕の第一印象だったが、実は違っていた。ある時、その「話言葉づかい」の見事さに驚いたことがあった。

 これから始めようという、「学校社会」なる年間教育企画の打ち合わせの席で、乳井さんが担当デスクとして企画の趣旨説明をした時のこと。

 乳井さんはアメーバのたとえで、「教育界」=「学校社会」の実体を語ってみせた。心の中で、僕は思わず、拍手していた……。

           #

 新聞社で乳井さんと一緒に仕事をしたは、その時だけ。僕はその後、新聞社を中途退社して、それっきりになってしまったが、乳井さんは現役を終えたあと、推理小説作家としての長い沈黙を終え、「高城高」として復活。昨年には、その復帰第一作、「函館水上警察」(東京創元社)を出し、「2009年、このミス」のランク入りを果たした。

 この30数年ぶりの新作は、明治の函館を舞台にした推理小説。短編を連作でつないだもので、ほかに、若き日の森鴎外と英国の外交官、アーナスト・サトウが函館の丘の上で話を交わす「坂の上の対話」という佳品が収録されている。

 先月、この最新作を読んだ僕は、作家・高城高の出発点となった「X橋付近」の頁を今日、ようやく開き、今しがた、話の筋を辿り終えたのだった。

           #

 この「X橋付近」で、僕が社会部記者だった頃、ふと思ったミステリーが解けた。どうしてこの人は、推理小説を書いていたことを一言の言わないのだろう?……という疑問が解けた。

 本の付録の池上冬樹さんによる解説と、ご本人のあとがきで、外勤の新聞記者と作家の「二足のわらじ」を履くことが、どれだけ難しかったか(新聞社の社内の雰囲気において)触れてらしたのだ。

 「社を辞めて書け」「記者としての筆が荒れるぞ」……

 僕も同じ新聞社に25年もいたから、乳井さんが作家としての活動を停止せざるを得なかった、あの独特の空気を、いまなお膚で感じることができる。

           #

 乳井さんはしかし、売れっ子の作家としての活動は休止したが、執筆活動は継続されていた。アイヌの文化のことや、ベーリング海峡が地続きだった頃のことを調べ上げ、本を出されてもいる。

 創作は中止していたが、知的な蓄積作業は着実に続けられていたのである……そのことは、「函館水上警察」を一読すれば、よくわかる。

 乳井さんはことしで75歳。「X橋付近」には、仙台の現地跡で撮影された写真も載っていたが、社会部のデスクの頃と、そんなに変わらない、若々しいお姿。

 推理小説作家、高城高――こと、乳井洋一さんの完全復活を喜ぶ。 

Posted by 大沼安史 at 07:18 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

〔ビデオ NEWS〕 「3・20 法政大・普天間シンポ」 沖縄大学学長の桜井国俊さんらが講演 

 雑誌「世界」の5月号で、この3月20日、東京の法政大学で、「シンポジウム普天間-いま日本の選択を考える-日米安保と環境の視点から」が開かれていたことを、遅ればせながら知った。
 日本(沖縄、一部政党機関紙を除く)の主流マスコミによって「総シカト」されたシンポジウムだった。(こうした主流マスコミは、いずれ「自民党」と同じ運命をたどることになろう……)

 その中で、沖縄大学学長の桜井国俊さんがこう話していた。

 「もう安保はけっこう、米軍基地はけっこう、もし必要なら、本土のみなさん、自分で引き受けてください」

 ⇒ http://www.youtube.com/watch?v=9oERs0vSVvY&feature=related

 日本の主流マスコミはなぜ、海兵隊よ、日本を、沖縄を出てゆけ、出てゆかないなら、安保を破棄するぞ、と言えないのか。
 日本の「本土権力」は、あれこれアドバルーンを上げつつ、移転先が「見つからない」「反対している」を口実に、「普天間」の永久存続を図ろうとしているのではないか。

 「聖戦」の敗戦を生きのびた日本の「本土権力」は、鬼畜である米軍と素手も同然で地上戦を戦わせた沖縄の人々に、戦後は一転して鬼畜の基地を押し付け、「本土」の平和と繁栄を謳歌して来た。

 とんでもないことをして来たものだ! 

Posted by 大沼安史 at 12:49 午後 | | トラックバック (0)

2010-04-17

〔いんさいど世界〕 米軍ヘリ・イラク住民掃射 虐殺の現場に駆けつけた米軍兵士らによるイラク犠牲者家族への「謝罪の手紙」が告発するもの 

 「ウィキリークス」への内部告発ビデオで明るみに出た、バグダッド郊外で
の米軍ヘリによる住民掃射事件――。
 
 虐殺の現場に派遣され、奇跡的に生き残った幼い兄妹を救助した米軍地上部隊の兵士を含む米兵2人が、犠牲になったイラク人家族に対して、「謝罪」の公開状をネットに掲げた。
  ⇒ http://www.antiwar.com/blog/2010/04/16/collateral-murder-veterans-apologize-to-iraqi-families/       

 「イラクの人々に対し、和解を求めるとともに責任をとるための公開状(オープンレター)」と題された謝罪の手紙を書いたのは、米陸軍ブラボー歩兵中隊に所属していた、イーサン・マッコード、ジョシュ・スティーバーの復員兵(除隊)2人(いずれも陸軍特技兵)。

 両氏は虐殺事件が起きた、バグダッド郊外、新バグダッドに配備され、1年2ヵ月にわたって、任務に就いていた。

 米軍ヘリ・アパッチの機関砲掃射による虐殺事件の際、スティーバー氏は現場に派遣されなかったが、マッコード氏は仲間とともに現場に駆けつけ、車(ヴァン)の中から、幼い兄と妹2人を救出した。兄妹の父親は他の11人のイラク人男性とともに現場で殺されが、2人は負傷したものの無事だった。
 
 (この兄妹については、本ブログ掲載の次のビデオを参照。⇒ http://www.commondreams.org/headline/2010/04/07-0 
 幼い兄妹の父親は、現場で殺された。
「ウィキリークス」のビデオには、マッコード氏の救出の模様が写っている)

          #

 謝罪の手紙は「私たちは、私たちの言葉やこの行動が皆さんが失ったものを決して元に戻すことができないとの自覚とともに、あなたに、あなたの家族に、そしてあなたのコミュニティーに対して、いまこの手紙を書いています」と前置きしたあと、「2007年7月」のその日のことを、こう記している。

 「マッコードは兄妹をヴァンから引き下した時、米国に残した自分の子どもたちの顔が目に浮かびました。スティーバーは同じ中隊に所属していましたが、その日は現場にいませんでした。しかし、スティーバーもまた、その他、多くの機会に、あなたがた、そしてあなたがたのコミュニティーに対して苦痛を与えたのです」と。

          #

 2人はさらに、
 「この(ウィキリークス」への漏洩)ビデオで写し出された行為は、この戦争の日常茶飯事です。これが米国主導の、この地域で行われているものの本質です」

 「私たちは、あなた方の愛する人を殺傷した責任を認め、アメリカ人に対しては『神と祖国』の名において訓練され、遂行されているものとは何なのかを訴えているのです」

 「私たちは冷たい心であまりにも多くの機会に行動したけれども、みなさんに対して行ったことを忘れてはいません」

 ――と述べて、自らの「戦争責任」を認めたあと、

 「私たちの政府は、みなさんを無視するかも知れません……しかし、遅ればせながら言うのですが、私たちの政府が示す価値は、私たちを最早、代表していません」

 ――と言い切り、最後に、こう訴えている。

 「どうか私たちの謝罪を、私たちの悲しみを、私たちのみなさんへの思いを、そして私たちの米国内からの変化への献身を受け容れていただきたい。みなさんに、そしてみなさんお愛する人に起きたことに対して責任のある、この戦争と軍事政策に反対の声を上げることに、私たちは最善を尽くします。私たちは、私たちが引き起こした苦痛を耐え忍んでいるみなさんに対し、どんなサポートができるか、心を開いて、お聞きしたいと思います」

          #

 2人は、この公開状に賛同署名する米兵を募っているそうだ。

 ブッシュよ、ラミーよ、チェイニーよ、恥を知るがよい。

 ワシントンの権力者たちは、「一兵卒」に罪を転嫁せず、指導した者、命令を下した者として「戦争責任」を認め、引き受けなければならない。

 謝罪文を書くべきは、お前たちである。  

Posted by 大沼安史 at 11:26 午後 | | トラックバック (0)

〔NEWS〕 反核、平和を愛する日本の作家死す ルモンドが井上ひさしさんを追悼 

 フランスのルモンド紙(電子版)が17日、井上ひさしさんの追悼記事を載せた。

 記事は井上さんを「熱心な反核活動家で平和を愛する人」と紹介、作家の大江健三郎さんと「9条の会」を結成したことや、「ナガサキ」をテーマにした作品が未完のままに終わったことなどに触れている。

 記事はさらに、「原爆は日本人に向け投げられただけではなく、全人類に対しても投げられた」との、井上さんの訴えを紹介している。

 フランスでは井上さんの「12人の手紙」が、仏訳で出版されているそうだ。

 ⇒ http://www.lemonde.fr/carnet/article/2010/04/16/hisashi-inoue-ecrivain-japonais_1334945_3382.html

Posted by 大沼安史 at 05:26 午後 | | トラックバック (0)

2010-04-16

〔ビデオNEWS〕 イラク人掃射 米軍アパッチヘリはボーイング社製

 ユーチューブに、米ボーイング社のPRビデオと、2007年の同社製、米軍アパッチヘリによるイラク住民掃射映像を組み合わせた告発ビデオが登場した。
 ⇒ http://www.youtube.com/watch?v=U1M7xpRV5cc

 ナレーションは歌う! 「私たちは知っています。なぜ、ここにいるのか、を」
 「テクノロジーを生み出すのは、自由にとって重要不可欠だ」

 「自由」を守る軍事産業、ボーイング。
 イラクの人々は――世界の人々は知っている。
 なぜ、「アパッチ」がつくられるのか?――を。

 ビデオにこんな数字が出ていた。2008年の1年間だけで、ボーイングは軍事だけで310億ドルを受注した、と。 

Posted by 大沼安史 at 04:57 午後 | | トラックバック (0)

2010-04-13

〔追悼コラム 机の上の空〕 井上ひさしさんの屋根の下で

 井上ひさしさんがお亡くなりになった。今春、お仕事を再開されるものと信じていたから、ショックだった。

 今朝、仙台の東北放送のラジオ番組で、予定を変え、井上ひさしさんの思い出を語った。

 控え室での事前の打ち合わせで、僕は声を詰まらせ、ディレクターの水嶋氏を心配させてしまった。

          #
 
 台本のないブッツケの本番。僕は井上さんがお亡くなりになった鎌倉市佐助のご自宅のことから話し始めた。

 僕ら、仙台と一関(岩手)の仲間が、「本の森」というミニ出版社を創立した、13年前のこと。僕は井上さんの鎌倉の自宅を訪ねたことがある。

 木造の大きな家。中に入って見上げると、陣屋のような巨大な梁が縦横に走っていた。

 「頑丈な家でした。井上さんの家は、まさに本の山。本は重いので、頑丈なつくりにしたのでしょうね。鎌倉の新居に移る前に住んでいた千葉の家、本の重みで床が落ちちゃいましたから……。そう、千葉の家に戻った井上さんが買って来た本を一冊、上に乗せたら、そのとたん床が抜けたそうです……」

          #

 井上ひさしさんは鎌倉の自宅が本であふれかえると、トラックで故郷、山形県川西町の町立図書館に送り出していた。一度、川西に行って覗いたことがあるが、書庫、文庫のレベルを超えた、本格的な図書館だった。そこに並んだ、本を見て、井上さんの本選びのセンスのようなものを感じた覚えがある。

          #

 井上さんの「本好き」を紹介しようと、思わず口にしたエピソードだったが、アナウンサーの根本氏が笑ってくれたこともあり、僕にとってはよかった。センチになって、言葉を詰まらせずに済んだからだ。

 調子に乗った僕は、「井上さんは東仙台のカトリックの施設から、仙台一高に通っていたのですが、昔はのんびりしたもので、井上さんは昼間から、仙台の一番町にあった名画座で、ちょっしゅう映画を観ていたそうです。で、ある時、井上さんの隣に妙齢の女性が座り、なんと井上さんの腕をつかんだんだそうです――婦警さんでした」などと、余計なことまで口走ってしまった。

 やはり、心のどこかが、苦しかったようだ……。

          #

 番組の本番途中、スタジオのデスクに、水嶋ディクレターが、1冊の文庫本を差し入れてくれた。新潮文庫の『井上ひさしと141人の仲間たちの作文教室』。水嶋氏がたまたたま、カバンに入れていたものだ。

 実は、この文庫本、元になった単行本は、僕ら、「本の森」が創立記念で出版したもの。(今なお「本の森」で発売中。ロングセラーです! ⇒ http://homepage2.nifty.com/forest-g/book/070.html

 井上さんが中学時代を過ごした一関で開いた「作文教室」の録音テープを「起こして」まとめた本だ。

 そして何を隠そう、「テープ起こし」の栄誉に預かった者こそ……北海道の新聞社を中途退社し、ふるさと仙台に戻ったばかりの、弱冠(?)46歳の「僕」であった……。

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 僕らの「本の森」は、この井上さんの「1冊」があったから――そして、井上さんの背中の一押しがあったから、生まれ、これまで続いて来たわけだが、ラジオ番組で、僕は、井上さんの一関での作文教室が、井上さんのボランティアだったことを語り、併せて井上さんに教えていただいた「恩おくり」という言葉を紹介した。

 「恩おくり」――誰かから受けた恩をその人に返せなかった時、他の人に自分が受けた恩を伝える「恩おくり」。

 「井上さんは中学生の時、お世話になった一関に、作文教室で『恩送り』したのですね」

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 井上さんは仙台でも作文教室を開き、「恩おくり」してくださったが、仙台に対しては、実は『ムサシ』というお芝居でも、こっそり、別のかたちで「恩送り」してくださったのです――と僕は続けた。

 「仙台名物の笹かま(ぼこ)をPRも、ちゃんとしてくださったのです」と(どんなふうなPRか?……これはお芝居を観て、確認なさってください)。

          #

 番組で僕はもうひとつ、井上さんから直接聞いた「仰天の新事実」を伝えた。

 僕が井上さんに(あの大長編の『吉里吉里人』について)、書くのにどれだけかかったのですか、と聞いた時のことだ。

 井上さんの嬉しそうな返事に、僕はあやうく腰を抜かしそうになった。

 「1週間です!」(ほんとに井上さんは、僕にこう言った!)

 たぶん、肉付けと推敲は抜いてのことと思われるが、それにしても凄すぎである。井上さんは、「遅筆堂」どころか、たいへんな「筆力」の持ち主だった!

          #

 僕は新聞記者時代から、井上ひさしさんの「日本語」をお手本にし、今なお真似ているが、このブログ、「机の上の空」のタイトルも実は、井上さんが親しかった司馬遼太郎さんの「坂の上の雲」と、井上さん自身の「下駄の上の卵」の「パクリ」。

 いま、日本の僕らの机の上に青空はあるのか? 机上の空論、何が悪い?――とばかりに意気込んでつけたタイトルである。

          #

 でも、享年75歳……。いくらなんでも、あまりに早すぎる。
 芝居の台本書きと「9条の会」の平和運動を両肩にかつぎ、遂に力を使い果たされたのだろうが、それにしても惜しまれる。
 
 朝日新聞で、内橋克人さんが経済評論家らしく、「日本社会、日本人の心のインフラ、心の基盤を作り続けた」とコメントしていたが、僕もその通りだと思う。

 生意気にひとつ、僕なりに付け加えさせていただけば――あの鎌倉の家の梁が目に浮かぶものだから……――、井上さんは心の基盤ばかりか、日本人の心の上部構造を言葉で築き上げた人だと、僕は思うのだ。

 井上さんは病院から帰って間もなく急変し、お亡くなりになったと聞くが、その時、井上さんは自分が立ち上げた言葉の梁の堅牢さを、自分の目でしかと確かめ、それを見上げながら息をお引取りになったのではないか。

          #

 井上ひさしさんは僕らに、寸分の狂いもない、汚れのない言葉で組み上げた、頑丈で安心できる「日本の文化の屋根」を遺してくれたのだと、僕は思う。

 そして、その屋根の下で生きることができる幸せに、僕は感謝する。

          #

 一度、井上さんをJR仙台駅まで、車でお送りしたことがある。

 別れ際、僕の方を振り返って、どういうわけか、僕を名前で呼んでくれたことがある――その声を、あの笑顔とともに、僕は忘れない。

  
 ○ 本ブログの井上ひさしさんに関する記事

 〔コラム 机の上の空〕 小林多喜二、「復活」の組曲
 ⇒ http://onuma.cocolog-nifty.com/blog1/2010/03/post-5d58.html

 〔コラム 机の上の空〕 「再戦、御無用!」 「英霊」たちが教える「九条流」免許皆伝の極意  井上ひさしさんの『ムサシ』(台本)を読む
 ⇒ http://onuma.cocolog-nifty.com/blog1/2009/05/post-ab63.html 

Posted by 大沼安史 at 05:02 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2010-04-12

空から歌が聴こえる  A Nightingale Sang In Berkeley Square 

 仙台は今夜、雨。

 ⇒ http://onuma.cocolog-nifty.com/blog3/2010/04/a-nightingale-s.html

Posted by 大沼安史 at 10:17 午後 | | トラックバック (0)

2010-04-11

〔いんさいど世界〕 隠蔽工作を打破 真実を報道 「ウィキリークス(WikiLeaks)」のネット情報レジスタンス

 「ウィキリークス(WikiLeaks)」――すでに、ご存知の方も多いことでしょう。
 よくは知らない、という方でも、「ウィキペデア」なら、ご存知ですよね。
 グローバルなインターネット百科事典。日本語版もあって、僕なども一日に何度も利用しています。
 
 「ウィキ」とは、インターネット上の文書(情報)のこと〔乱暴な定義ですが〕、「ペディア」とは「知識」のこと……だから、「ウィキペデア」。

            #

 そこで「ウィキリークス」。ウィキはもう分かってますから、あとは「リークスLeaks)」の意味が分かれば――。
  「リーク」、つまり秘密の漏洩の複数形。隠蔽工作でもみ消された秘密文書(情報)を暴いてネットで公開し、世界のみんなで「真実」を共有しようというプロジェクトなんです。 ウィキリークス公式 HP ⇒ http://www.wikileaks.org/

 本ブログでもお伝えしましたが、その「ウィキリークス」が、最近、とんでもないスクープを放ちました。

 2007年の7月、イラク郊外で、米軍ヘリが路上のイラク人の群れを機関砲で掃射、12人を殺害する場面を、ヘリの機上から実写したビデオ(音声付)をHPに掲載。それがユーチューブなどで転載され、一気に世界の人びとの知りところとなりました。 ユーチューブ・ビデオ ⇒ ⇒ http://www.youtube.com/watch?v=QJ_zTrjMhX8&feature=player_embedded#

 実はこの虐殺事件、殺された人々の中に、西側通信社、ロイターの現地人カメラマンと助手の2人が含まれており、ロイター通信は米国の情報自由法を使い、ヘリ映像の公開を求めていたのですね。そして、アメリカの国防総省は公開を拒否していた。

 それが、「ウィキリークス」に出た! 米軍(あるいは米政府当局者)の誰か――いわゆるディープスロートが、リーク(漏洩)したのですね。おそらく、義憤にかられてのことでしょう。

            #

 衝撃の映像でした。子どもたちを含む路上の人群れを掃射しまくる。そして「ナイス、グッド・シューティング」などと言って讃え合う。「戦争」というものの実態が、「実況中継」で明るみに出たわけですから。

 日本政府が「支持」した「イラク戦争」とは、こんな真実の一面を含むものだったのですね。

            #

 この「ウィキリークス」が出来たのは、2006年12月のことでした。創立の中心になった人は、ジュリアン・アサンジさんという、30歳代のオーストラリアの男性です。今も、サイトの「エディター(編集人)」として活躍している人ですが、その世界で知る人ぞ知る、超有名な(コンピューター)ハッカーなのだそうです。

 ハッカーというと他人のサイトに侵入して悪さをする悪玉のイメージもありますが、この方はいわゆる「善玉ハッカー」。

 権力者(政府、大銀行など)が報道機関に脅しや圧力をかけ、真相に蓋している現状を打破しようと、この「真実」共有サイトを立ち上げたわけです。

 アサンジさんが思い立った原点にあるのは、あの1969年の「ペンタゴン文書」の漏洩事件。ダニエル・エルズバーグ博士の勇気ある「公表」で、「ベトナム戦争」の「真実」が明らかになった事件ですが、エルズバーグ博士は裁判にもかけられた(結局、無罪になりましたが)。
 そういう「リスク」を負うことなく、封印された「真実」をネットで全世界に伝えようと、アサンジさんは「ウィキリークス」をつくった。

 世界トップクラスの(善玉)ハッカーのサイトですから、セキュリティーは万全、「投稿者」の秘密は完璧に守られている(匿名の漏洩で身元を突き止められたケースは一度もないのだそうです)。だから、米軍ヘリ虐殺映像のような「投稿」もあるのですね。

            #

 エディターのアサンジさんとスポークスマンのダニエル・シュミット(シュミットは変名)のほか、フルタイムで5人のスタッフが運営にあたっているそうです。ほかに協力スタッフが1000人。経費は個人献金、企業のお金は拒否。

 これまで全世界から寄せられた機密文書(情報)は、なんと120万件。全部で1000万頁もの量だというから凄いですね。 マザー・ジョーンズ誌記事 ⇒ http://motherjones.com/politics/2010/04/wikileaks-julian-assange-iraq-video

 では、この「ウィキリークス」で、これまでどんな「真実」が暴露されて来たか?

 喜劇的な例を挙げますと、アメリカの国防総省の当局者が、「ウィキリークス」のサイトを覗いて、米軍からみの情報があまりにも「流出」しているのに驚きました。で、米陸軍の反諜報活動部局が、リークした人間はクビだ、と部内メールを出した。それがそのまま、「ウィキリークス」にアップされたそうです。 英紙インディペンデント ⇒  http://www.independent.co.uk/news/world/politics/how-wikileaks-shone-light-on-worlds-darkest-secrets-1938729.html

 米軍のグアンタナモ収容所における捕虜尋問手続き文書が載ったのも、ここ。
 昨年暮れの「コペンハーゲン環境サミット」の前、イギリスの環境科学者を中心としたメールのやりとりが暴露されることがありましたが、それも実は、ここが「火元」だったそうです。

 何から何まで、といった感じですが、僕がひとつ、凄いな、と思ったのは、スイスの巨大企業、「トラフィグラ」社による、アフリカ・アイボリーコーストへの廃棄物不法投棄事件の証拠文書の暴露ですね、

 この会社はその巨大な力にものを言わせ、あちこちで裁判を起こし、メディアの「口封じ」に出た。裁判費用ってバカになりませんから、メディアとしては一時退却を迫られることもある。

 この時、「ウィキリークス」が「全文」を「公開」した! 
 いったん「表」に出たら、もうどうしようもないわけです。

            #

 こんなことをしているわけですから、エディターのアサンジさんがアフリカ・ケニアに滞在中(それも警備つきのアジトで)、ケニアの権力者の汚職を暴いたことで暴漢に襲われる(無事でした)など、大変な目にもあって来ている。

 「差し止め」訴訟も100件を超しているそうですが、なんとかクリアしてここまで来たのだそうです。

 そんな「ウィキリークス」に今、強~い助っ人が現れています。
 金融危機でメチャクチャにされた北大西洋の氷の国、アイスランドが、サポーターとして名乗りを上げた。
 新政権が後押ししているわけですから、これは「公式サポーター」と言えるわけですね。

 で、アイスランドの政権がいま何を進めているか、というと、「アイスランド・モダン・メディア・イニチアチブ」というプロジェクト。

 一言で言えば、この「氷の国」を、世界の「ジャーナリズム・ヘイブン」、言論の自由を守る拠点にしようというプロジェクトなんです。(「ヘイブン」とは、避難港の意味)

 ここに本拠を置くジャーナリズムに、言論の自由、情報源の秘匿の権限、外国での提訴からの保護など、身分保障を与え、都合の悪い「真実(情報)」をひた隠しにする権力者どもを懲らしめよう、という画期的なものなのですね。

 このプロジェクトに「ウィキリークス」のアサンジさんも協力しているそうです。 アイスランド ⇒ http://www.guardian.co.uk/world/2010/feb/12/iceland-haven-freedom-speech-wikileaks 

http://www.guardian.co.uk/media/organgrinder/2010/feb/15/wikileaks-editor-excited-iceland-journalism 

            #

 「真実」隠しは、日本の権力者のお家芸。沖縄・核の「密約」なんか、氷山の一角どころか、カケラでもないかも知れませんね。

 「存在しない」とか「外務省にはない」とか、ひどすぎです。

 でも、ひそかに心を痛めている内部関係者もきっと多いはず。
 でも、なかなか踏み出せない。家族を抱えて、2の足を踏んでいる人も多いはず。

 そろそろ、「ウィキリークス」のような、身元セキュリティー完璧保証の日本語の「ジャーナリズム・ヘイブン」を、アイスランドに立ち上げる時かも知れません。
 
 

Posted by 大沼安史 at 12:00 午後 | | トラックバック (2)

2010-04-09

〔コラム 机の上の空〕 「戦争の家」の道化師 オバマ プラハにサーカス巡業 「核の傘」で「世界」転がし

 アメリカのオバマ大統領が8日、チェコのプラハで、ロシアのメドベージェフ大統領とともに「ニューSTART」なる「核軍縮条約」に調印した。

 調印後、オバマは言った。
 「ニューSTART条約は前を向いた、重要な第一歩だが、長い旅の一歩に過ぎない」
 While the New START treaty is an important first step forward, it is just one step on a longer journey.

 長い旅の重要な第一歩(?)。またも「スタート(始まり)」、片足を踏み出しただけ――2010年の「プラハの春」において、「核の長い冬」はさらに続くことになった。
 悪夢の道はどこまで続くのか。

          #

 名ばかりの「プラハの春」――。「核軍縮」も名ばかりだった。

 ● 発効から7年以内に両国の戦略核弾頭の「配備」数をそれぞれ「1550」に制限する……

 条約の「柱」であるこの「合意」自体、無意味なものなのだ。
 制限するのはあくまでも「配備」された戦略核弾頭。「未配備」、つまり単なる「備蓄」分は含まれない。

 それに、この「1550」の「数字」の意味!
 「1」は「1」にあらず、「1」は「20」でもあり得る、不思議な算術が採用された。

 この「1=20」とは、ニューヨーク・タイムズ紙が挙げたトリックの一例。米軍のB52爆撃機の搭載核弾頭は20発(14の空中発射型巡航ミサイル、6発の重力爆弾)だが、「ニューSTART」では、これをひとまとめにして「1」とカウントするのだそうだ。⇒ http://www.nytimes.com/2010/03/31/world/europe/31start.html

 何が「核軍縮」! 実態はむしろ、「核軍拡」ではないのか!

          #

 プラハでの調印後、ロシアのメドベージェフ大統領が行った発言(リマーク)の英訳が、ホワイトハウスの公式HPに一時的に掲載されたが(その後、削除!)、そこにこんな表現があった。

 「われわれは信じている――そして、これこそ、われわれの希望であり立場だが――、この条約は核攻撃力における、質的、あるいは量的な(XXX 聞き取りできず)がないという条件付きでのみ、有効なものであり、運用できるものだと、われわれは信じている」
 We believe -- and this is our hope and position -- we believe that the treaty can be viable and can operate only provided there is no qualitative or quantitative (inaudible) in place in the capabilities ……

 ホワイトハウスがなぜか「聞き取る」(聞き取りたくなかった、かも……)ことができなかった(XXX)の部分に入るべき言葉を、ロシア政府になりかわって補充するなら、たとえば「ごまかし(deceptions)」あたりが最有力候補になるだろう。

          #

 「新条約」では、核の「運搬手段」を未配備を含め、双方、計「800」に削減することで合意したが、米空軍はすでに「X51 ウエーブ・ライダー」という、とんでもない「新運搬手段」の開発を進め、飛行実験にすでに成功しているのだ。

 マッハ5とも6とも言われる、超・超音速爆撃機。地球のどこへでも1時間以内に到達する、超・高性能。

 「核兵器」(システム)とは「弾頭」と「運搬手段」の結合のことだから、「弾頭」は現状通りでも「運搬手段」が飛躍的に向上すれば、「核兵器」(システム)としての破壊力は一気に強まる。

 メドベージェフが恐れる「質的・量的なXXX」とは、この種のことを指すのだ。

  X51 ⇒ http://www.boeing.com/defense-space/military/waverider/index.html

       http://www.msnbc.msn.com/id/30477653/

          #

 こうなると、オバマが仕掛け、メドベージェフを合意のテーブルに就かせた、この「ニューSTART」なるもの、その正体はもはや明らか。

 オバマには「核軍縮」など本気で取り組みつもりなどさらさらないのである。「核軍縮」に名をかりた、対イランに対する威嚇。

 英紙ガーディアンなどは、「ニューSTART」の照準は、「イラン」に向けられたものだと言いきっている。
 ⇒ http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2010/mar/26/nuclear-weapons-deal-us-russia-iran

 プラハから、テヘランに向け、「ニューSTART」なる「政治ミサイル」を撃ち込んでみせたオバマ!

 それを「核なき世界」への「夢」で覆い隠し、即時核廃絶を願う世界の人々の心を手玉にとったオバマ!

 君はそこまで――米国の軍事権力、すなわち「戦争の家」の魔術師にまで、成り下がってしまったのか?
 まるで、「核の傘」の上で「地球の未来」を弄ぶ、「世界ころがし」の道化ではないか?

          #

 たったの1年で、これだけの変身。世界の救世主として現れた男の、この墜落ぶり。

 オバマはベストセラーになった自伝に「挫けざる希望(Persistent Hope)」というタイトルをつけていたが、核廃絶の希望を踏みにじりながら、非核の希望を語ることはできない。

 このオバマに対抗するように、「反核の神父」として世界に知られる、アメリカのジョン・ディア神父は、昨年出した自伝に「挫けざる平和(Persistent Peace)」という題を付けていた。

 今、神父が活動するニューメキシコ州は、ヒロシマ・ナガサキの原爆の製造地であり、現在も米国の核開発の最重要拠点になっている、いわば「核の原罪の地」である。

 そのニューメキシコは、オバマが核開発予算の大盤振る舞いをしたものだから、空前の「核の特需」に沸き立っている。

          #

 2月末の日曜日、ニューメキシコ州ロスアラモス――。雪と雨、雹が降る中、ディア神父ら50人の人々が、原爆誕生の地、ロスアラモス研究所の前で、核廃絶を願って祈りを捧げた。

 プラハでの核のサーカスと、ロスアラモスでの非核の祈り。

 ディア神父は、こう書いている。

 「疑いもなく。私たちの祈りは応えられる。私たちの心の武装は解かれる。そして、いつの日か私たちの武器は解体される。平和の祝福はあの山の雪のように、私たち全てに降り積もることだろう」
 Undoubtedly, our prayers will be answered, our hearts will be disarmed, one day our weapons will be dismantled. And the blessings of peace will fall upon us all like mountain snow.
  ⇒ http://ncronline.org/blogs/road-peace/peace-vigil-los-alamos

 アメリカの「戦争の家」の炉心にあたるロスアラモス。

 オバマが陰で軍事予算を注ぎ込んでいるその場所を、ディア神父は、「地球上で最も邪悪な場所( it is the most evil place on earth )」と言った。 

 
          

Posted by 大沼安史 at 03:38 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2010-04-08

〔NEWS〕 「撃ち続けろ、撃ち続けろ、撃ち続けろ、撃ち続けろ」 「ナイス、グッドな掃射だぜ」 米軍ヘリ 機関砲掃射による虐殺 全交信

 「デモクラシーNOW」が、米軍ヘリのイラク民衆に対する機関砲掃射ビデオをめぐる米兵らの通信の一部始終(トランスクリプト)を掲載した。
 
 以下はその拙訳……。僕なりの、怒りをこめた日本語訳である。

               ◇

米軍兵士1:あそこに立っている、あの連中、見える?
US SOLDIER 1: See all those people standing down there?

兵士2:ぬかるなよ。やつらが見えるポジションをとれ。
US SOLDIER 2: Stay firm. And open the courtyard.

兵士1:はい、了解。たぶん、20人くらい。ひとかたまりになって。間違いありません。
US SOLDIER 1: Yeah, roger. I just estimate there’s probably about twenty of them. There’s one, yeah.

兵士2:そうか、わかった。
US SOLDIER 2: Oh, yeah.

兵士1:でも、はっきりしない。
US SOLDIER 1: I don’t know if that’s—

兵士3:ヘイ、こちら司令部、「マムシ1-6号」どうぞ。
US SOLDIER 3: Hey Bushmaster element, Copperhead one-six.

兵士2:武器を持っている。
US SOLDIER 2: That’s a weapon.

兵士1:間違いない。「ホテル 2-6号」、「クレージー・ホース 1-8号」
US SOLDIER 1: Yeah. Hotel two-six, Crazy Horse one-eight .

兵士4:「マムシ1-6号」、司令部「ブッシュマスター 6-ロメオ」「了解」
US SOLDIER 4: Copperhead one-six, Bushmaster six-Romeo. Roger.

兵士1:武器を持っている何人かを確認。間違いなし。あいつは武器を持っている。「ホテル 2-6」号、「クレージーホース 1-8号」。武器を持っているのは、5、6人だ。掃射の許可を。
US SOLDIER 1: Have individuals with weapons. Yep, he’s got a weapon, too. Hotel two-six, Crazy Horse one-eight. Have five to six individuals with AK-47s. Request permission to engage .

兵士5:了解。わが陣地の東に展開する友軍なし。戦闘に自由に従事可能。以上。
US SOLDIER 5: Roger that. We have no personnel east of our position. So you are free to engage. Over.

兵士2:了解。戦闘に従事する。
US SOLDIER 2: All right, we’ll be engaging.

兵士1:了解。行くぞ。やるぞ。でも今は、やつらを殺れない。建物の陰に隠れてしまった。
US SOLDIER 1: Roger, go ahead. I’m gonna—I cant get ‘em now, because they’re behind that building.

兵士3:司令部、どうぞ。こちら、「マムシ 1-6」号。
US SOLDIER 3: Hey Bushmaster element, Copperhead one-six.

兵士1:あの男、手榴弾発射装置(RPG)を持っている!
US SOLDIER 1: He’s got an RPG!

兵士2:了解。RPGを持った男を照準にとられた。
US SOLDIER 2: Alright, we got a guy with an RPG.

兵士1:発射します。OKですね。
US SOLDIER 1: I’m gonna fire. OK.

兵士2・いやダメだ。ちょっと待て。様子を見よう。
US SOLDIER 2: No, hold on. Let’s come around.

兵士1:建物の陰。いま見ているすぐそのすぐ後ろの。
US SOLDIER 1: Behind building right now from our point of view.

兵士2」:OKだ。出てくるのを待つぞ。
US SOLDIER 2: OK, we’re going to come around.

兵士1:「ホテル 2-6」号。RPGを持った男を捕捉。発射準備完了。だめた、うまく撃てない(t—yeah を hit—yeahと解釈)。撃っている奴を捕捉。でも建物の陰だ。こん畜生!
US SOLDIER 1: Hotel two-six, I have eyes on individual with RPG, getting ready to fire. We won’t—yeah, we got a guy shooting, and now he’s behind the building. God damn it!

兵士5:違うよ。やつは、照準のすぐ目の前。そう一時の方向。だから、見えないんだ。
US SOLDIER 5: Uh, negative. He was right in front of the Brad, about there, one o’clock. Haven’t seen anything since then.

兵士2:この(ののしりの言葉)。ゲットしたら、撃て。
US SOLDIER 2: Just [expletive]. Once you get on, just open up.

兵士1:撃つさ。
US SOLDIER 1: I am.

兵士4:やつらを視認。4台のハムビ車両に向かっている。そっちにいってるぞ。
US SOLDIER 4: I see your element, got about four Humvees, out along this—

兵士2;見えてるか。
US SOLDIER 2: You’re clear.

兵士1:大丈夫。掃射。
US SOLDIER 1: Alright, firing.

兵士4:撃ち殺したら教えてくれ。
US SOLDIER 4: Let me know when you’ve got them.

兵士2:一斉掃射だ。皆殺しだ。
US SOLDIER 2: Let’s shoot. Light ‘em all up.

兵士1:行くぞ、撃て!
US SOLDIER 1: Come on, fire!

兵士2:撃ち続けろ、撃ち続けろ、撃ち続けろ、撃ち続けろ。
US SOLDIER 2: Keep shootin’. Keep shootin’. Keep shootin’. Keep shootin’.

兵士6:「ホテル」、こちら司令部2-6.こちら司令部2-6。引き揚げるぞ。今!
US SOLDIER 6: Hotel, Bushmaster two-six, Bushmaster two-six, we need to move, time now!

兵士2:了解。8人の敵との戦闘行動に従事。
US SOLDIER 2: Alright, we just engaged all eight individuals.

兵士1:まだ2人いる。掃射を続行。
US SOLDIER 1: We saw two birds. We’re still firing.

兵士2:了解。
US SOLDIER 2: Roger.

兵士1:やったぜ。
US SOLDIER 1: I got ‘em.

兵士3:「6-2」号、こちら「2-6」号。次の任務に移動。
US SOLDIER 3: Two-six, this is two-six, we’re mobile.

兵士2:おっと。ごめん。何が起きているんだ?
US SOLDIER 2: Oops, I’m sorry. What was going on?

兵士1:くそったれたことさ、カイル。
US SOLDIER 1: God damn it, Kyle.

兵士2;ごめん、ハハハ。おれ、撃ったぜ。わからせて、やったぜ。だいたいのところ8人。戦闘で殺したわけさ。RPGにカラシニコフ、持っていた。「ホテル 2-6」号、「クレージホース 1-8」号。
US SOLDIER 2: Sorry, hahaha, I hit ‘em—Roger. Currently engaging approximately eight individuals, KIA, RPGs and AK-47s. Hotel two-six, Crazy Horse one-eight.

兵士1:よく、やったぜ。見よろ、あの野郎どもの死体を!
US SOLDIER 1: Oh, yeah, look at those dead bastards.

兵士2:ナイス、グッドな掃射だぜ。
US SOLDIER 2: Nice. Good shootin’.

兵士1;ありがと。
US SOLDIER 1: Thank you.

兵士2:怪我したのが1人。這って逃げようとしてるぜ。
US SOLDIER 2: One individual appears to be wounded, trying to crawl away.

兵士3:了解。そっちに向かう・
US SOLDIER 3: Roger, we’re going to move down there.

兵士2:了解。撃ち止めだな。
US SOLDIER 2: Roger, we’ll cease fire.

兵士1:そうだな。もう撃たない。おい、あの男、立ち上がっているぞ。
US SOLDIER 1: Yeah, we won’t shoot anymore. He’s getting up.

兵士2:でも、そいつ、武器を持っていない?
US SOLDIER 2: If he has a weapon, though, in his hand?

兵士1:いや、持っていないな。見ていないから。交差点の角に向かって、這っているの、見えるよね。よし、照準に収めた。やつの近くに威嚇射撃したぞ。君らも掃射を加えたようだな。どうなったら見ることにしよう。
US SOLDIER 1: No, I haven’t seen one yet. I see you guys got that guy crawling right now on the curb. Yeah, I got him. I put two rounds near him, and you guys were shooting over there, too, so we’ll see.

兵士3:わかった。了解。
US SOLDIER 3: Yeah, roger that.

兵士4:司令部3-6へ。こちら「ホテル 2-7」。どうぞ。
US SOLDIER 4: Bushmaster three-six Element, this is Hotel two-seven. Over.

兵士3:「ホテル 2-7」、司令部7.どうぞ。
US SOLDIER 3: Hotel Two-Seven, Bushmaster Seven. Go ahead.

兵士4:了解。指揮下にあることを確認したかっただけ。どうぞ。

US SOLDIER 4: Roger. I’m just trying to make sure that you guys have my turf. Over.

兵士3:了解。指揮下にあることを確認。
US SOLDIER 3: Roger, we got your turf.

兵士2:お前さん、何言ってるんだよ。余計なこと言わずに武器を手にしな。
US SOLDIER 2: Come on, buddy. All you gotta do is pick up a weapon.

兵士1:あのバン、どこへ行った?
US SOLDIER 1: Where’s that van at?

兵士2:死体のそばにだ。
US SOLDIER 2: Right down there by the bodies.

兵士1:わかった。
US SOLDIER 1: OK, yeah.

兵士2:司令部、クレージーホース。現場に人が集まっている。たぶん、遺体と武器を回収しに。
US SOLDIER 2: Bushmaster, Crazy Horse. We have individuals going to the scene, looks like possibly picking up bodies and weapons.

兵士1:撃たせてくれ。撃ってもいいか?
US SOLDIER 1: Let me engage. Can I shoot?

兵士2:了解。でも待て。「クレージーホース 1-8」、掃射の許可を求めている。
US SOLDIER 2: Roger. Break. Crazy Horse one-eight, request permission to engage.

兵士3:でも、負傷者を救出してるんだろう?
US SOLDIER 3: Picking up the wounded?

兵士1:そうだけど、おれたち、掃射の許可を求めてるんだ。許可しろよ、撃たせろよ。
US SOLDIER 1: Yeah, we’re trying to get permission to engage. Come on, let us shoot!

兵士2:司令部、こちら「クレージホース 1-8」。
US SOLDIER 2: Bushmaster, Crazy Horse one-eight.

兵士1:やつら、助け出そうとしている。
US SOLDIER 1: They’re taking him.

兵士2:司令部、こちら「クレージホース 1-8」。
US SOLDIER 2: Bushmaster, Crazy Horse one-eight.

兵士4;こちら司令部ー7。続行を許可する。
US SOLDIER 4: This is Bushmaster seven, go ahead.

兵士2:了解。黒のSUV車かボンゴトラックを捕捉。遺体を収容中。掃射の許可を。
US SOLDIER 2: Roger. We have a black SUV—or Bongo truck picking up the bodies. Request permission to engage.

兵士4:司令部ー7、了解。こちら、司令部ー7。了解。戦闘に従事せよ。
US SOLDIER 4: Bushmaster seven, roger. This is Bushmaster seven, roger. Engage.

兵士2:「1-8」、従事します。完了。
US SOLDIER 2: One-eight, engage. Clear.

兵士1:やれ!
US SOLDIER 1: Come on!

兵士2:殲滅、殲滅。
US SOLDIER 2: Clear. Clear.

兵士1:われら、戦闘に従事。
US SOLDIER 1: We’re engaging.

兵士2:掃射しまくり。完了。
US SOLDIER 2: Coming around. Clear.

兵士1:了解。やっているね……。
US SOLDIER 1: Roger. Trying to—

兵士1:完了。
US SOLDIER 2: Clear.

兵士1:聞こえたよ。やつら、見えない。土煙で見えない。
US SOLDIER 1: I hear ‘em—I lost ’em in the dust.

兵士3:いや、見える。
US SOLDIER 3: I got ’em.

兵士2:道路の真ん中にバンが。死体は12人から15人。
US SOLDIER 2: Should have a van in the middle of the road with about twelve to fifteen bodies.

兵士1:そうか、ちゃんと見てくれ。(ヘリの)風防ガラス越しにな、ハハ。
US SOLDIER 1: Oh yeah, look at that. Right through the windshield! Ha ha!

 ⇒ http://www.democracynow.org/2010/4/6/massacre_caught_on_tape_us_military

Posted by 大沼安史 at 08:50 午後 | | トラックバック (0)

〔NEWS〕 米軍ヘリ イラク住民機関砲虐殺事件 オバマよ、生き残った幼ない兄と妹の目を見よ、声を聞け!

 「ウィキリークス」が米軍内の内部告発者の提供による、2007年、バグダッドで起きた、米軍アパッチヘリによる住民虐殺事件の実写映像は、とりわけイラクの人々の怒りを燃え立たせている。
 
 アルジャジーラは、当時、現場に居合わせ、負傷しながらも生き残った2人の子ども(兄と妹)へのインタビューを含む、ニュース映像を流した。 

 ⇒ http://www.commondreams.org/headline/2010/04/07-0

 幼い兄妹の父親は、現場で殺された。「なぜ、撃ったのか」と兄。「アメリカ人は私と兄と父を殺したいと思った」と妹。

 その大きな黒い瞳は、オバマよ、君を見ているのだ。米軍最高司令官よ、2人の声を聞くがよい。

Posted by 大沼安史 at 04:37 午後 | | トラックバック (0)

2010-04-06

〔重要 NEWS〕 バグダッド郊外 米軍アパッチヘリ 住民ら10数人を30ミリ機関砲で掃射・虐殺 内部告発ビデオを「ウィキリークス」が公開

 ◇警告 このビデオには残虐な映像が含まれています。

 ⇒ http://www.youtube.com/watch?v=QJ_zTrjMhX8&feature=player_embedded#

 内部告発情報をネットで公開している「ウィキリークス」は、米軍のアパッチヘリがバグダッド郊外で、イラクの住民たちを低空から機関砲(口径30ミリ)で掃射、約12人を殺戮する模様を実写したビデオを公開した。

 機関砲を掃射したアパッチヘリによる実写ビデオ。
 米軍関係者が「ウィキリーク」に「漏洩(リーク)して明るみに出た。

 ヘリ虐殺が起きたのは2007年7月12日の日中、バグダッド郊外、新バグダッドでのこと。
 アパッチヘリが上空を飛行中、住民の一部が銃を手にしているのを発見、銃を持たない非武装の人々が路上で立ち話しているところへ、機関砲掃射を加えた。

 殺害されたイラク人の中に、ロイター通信バグダッド支局で働く、運転助手とカメラマンの2人が含まれていたことから、ローター通信では米軍に対して調査を要求、情報自由法に基づき、ヘリ搭載カメラによる実写ビデオ映像の公開を求めていたが、米軍は正当な戦闘行為であるとして拒否していた。

 その実写ビデオが今回、リークにより公開されたことで、米軍の隠蔽工作が明らかになった。

 実写ビデオは、たしかに銃を持ったイラク人男性を映し出しているが、ただ銃を持ってぶらぶらしているだけで(自警のためとみられる)、敵対行動をとってはいない。

 実写ビデオは米軍の残虐行為の「証拠」となるもの。米軍はイラクでも、ベトナム戦争時の「ソンミ虐殺事件」のような行動をとっていたわけで、国際的な非難がさらに強まりそうだ。

 英紙ガーディアンによると、今回のビデオ「公開」の前に米軍は、アフガニスタンで女性3人を殺害した米特殊部隊が、隠蔽を図るため、女性の遺体から銃弾を摘出していたことを認めていた。

 戦争とは、戦場とは、こういうことが起こる場所なのだ。

 今回、明らかになった実写ビデオには、通信の音声も録音されている。
 「ナイス!」「グッドシュート」「サンクス」――なんということ……。

 「ウイキリークス」ではいま、アフガンでの新たな米軍による残虐映像の公開に向け、準備中だそうだ。
 
    ウィキリークスHP ⇒  http://www.wikileaks.org/
  ガーディアン ⇒ http://www.guardian.co.uk/world/2010/apr/05/wikileaks-us-army-iraq-attack

      ウィキリークス Wiki ⇒ http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikileaks

Posted by 大沼安史 at 07:01 午後 | | トラックバック (0)

2010-04-05

〔教育コラム 夢の一枝〕 「ゆとり」と「脱ゆとり」に共通する「いうとおり教育」の病理

 「小学教科書 ページ25%増」(主見出し)「文科省検定 ゆとり教育と決別」(副見出し)――こんな新聞記事が先だって、朝日新聞の1面のトップに載っていた。

 

  「25%増」――スーパーの食品売り場でみかける「○○増量」に似ているな、と思った。日本の小学生の学力、25%も一挙、増量!
 すばらしい決め科白ではないか!

 そして「ゆとり教育と決別」――国語辞典(角川必携国語辞典)を見たら「決別」とは「(いとまごいを述べて)きっぱり別れること」と出ていた。
 これまた、胸のすくような、なんとも決然たる宣言ではないか!

         #

 来年度から全国の全小学校で使われる全9教科の検定結果を、文科省が年度末を見計らったように「発表」した。この春の新学期からではなく、来春から使用される、新ピカピカ教科書! 朝日の記事のリードによれば、来年、2011年4月に本格実施される新しい学習指導要領が「脱ゆとり」へ大きく踏み出したのに合わせた内容、だそうだ。

 「脱ゆとり」――文科省がこねあげたキャッチらしいが、冬の厚着から解放されたような、なにかうれしいことがありそうな、春らしい文句だ。

 国語辞典によれば、「脱」には「ある状態からのがれでる」の意味もあるそう。そんな「脱」が「ゆとり」の前についているものだから、いまにも「ゆとり教育」という、お仕着せ(ワンサイズ・フィッツ・オール)のSサイズ画一教育から、みんなそろって大脱出できそうな、解放感にあふれた、すばらしい宣伝文句ではある! しかも、「大きく踏み出す」というのだから、すごい!

         #

 でも、この1面の「発表」記事、なんか嘘っぽい――で、社会面のサイド記事はどうなっているだろうと、頁をめくったら、「分厚い教科書 先生大変」「教えきれるか心配」という見出しの関連記事が出ていた。
 
 (「ゆとり教育」の薄い教科書でも大変だったから)現場の先生たちが「教えきれるか心配」なのは当然のこと。

 なんのことはない、「脱ゆとり」どころか、「零ゆとり」――「ゆとり」もクソもない、超過密教育が始まるだけのことなのだ。

 2面の関連記事で、脱ゆとり」が「決別」する「ゆとり教育」の旗振り役を務めてきた「ミスター文科省」こと寺脇研氏が、こう言っていた。「全部詰め込めばパンクする」と。

 同感である。
 そもそも「ゆとり教育」は、「詰め込み教育」による学力低下を反省して生まれて来たもの。
 それを再び、「脱ゆとり」と看板を書き換え、「詰め込み教育」に戻すだけのこと。

 「脱ゆとり」でいよいよ起きる「学力崩壊ビッグバン!」――文科省とは、自らの過去に学ぶことすらできない(忘れることだけは上手な)――「お役所教育」の大本営なのか……。

         #

 さきほど僕は寺脇研氏の「パンク」論に賛成だと言ったが、彼が旗を振った(なんだか、一人だけ悪者にされているみたいで気の毒である……)とされる「ゆとり教育」に賛成だったわけではない。
 (残念&悲しいことに)何人かの友人以外、誰も聞いてくれる人はいなかったが、僕は「反対」だった。
 
 となると、今回の「脱ゆとり」に対して、僕はもろ手を挙げて「賛成」してもよさそうなものだが、ここでもまた「反対」である。

 なぜか?

 「ゆとり」であれ「脱ゆとり」であれ、文科省のお役所教育は、さきほども述べたワンサイズ・フィッツ・オール……たった一種類、たったひとつのサイズを、子どもたち全員に無理やり着せる「画一・統制教育」でしかないからだ。

 本来、せいぜいガイドラインにすぎない学習指導要領に「法的拘束力」(?)を持たせ、全国全ての「学校」に統制の縛りをかけ、現場を――子どもたちを、教師たちを、窒息させて来たことでは、「詰め込み」も「ゆとり」も変わりない。「脱ゆとり」も、その「いつか来た道」にあるものだから、失敗はすでに約束されているといっていい。

 日本の政府権力は「税金をつかって公共事業をやれば景気はよくなる」と言い続け、天文学的な財政「赤字」の山を築き上げて来たが、文科省の「いうとおりにやれ」教育も、同じような失敗の繰り返しの中、「赤点」の山を積み上げて来たのである。

 たとえば、「駅前留学」に出かけ、ブタのようなウサギのぬいぐるみを抱きながら、「学校」ではまったく身につかなかった英語力を「スクール」でゲットしなければならない、日本の「学校英語教育」の惨憺たる結果を見よ! 

         #

 問題は、新教科書の厚みやページ数ではない。以前、削除されていた内容が復活したことでもない。

 問題は――子どもたちの「学力」をウンヌンするのであれば……そんなに子どもたちの「学力」が心配であるなら、「学力」が身につく方法を示すことである。

 文科省のキャリア(上級役人&とくに教科書調査官)たちは、「教員叩き」や「検閲」にばかりに精出していないで、その暇があったら、自らすすんで教室に「天下り」し、文科省の、天下無双、無謬の指導要領に従って教鞭を振るえば、こんなにすごい「学力向上」が実現できるのでありま~す、と実技指導してみてはどうか!

 新学習指導要領の実施まで、まだ1年もあるのだから、文科省直伝の「模範授業」(もちろん、「結果」も合わせて)をビデオに収め、その素晴らしき「学力向上・脱ゆとり・教育テクニック」視聴覚教材を全国の現場に配布してはどうか!

 (余談だが、文科省はとくにキャリアたちを、財務省がキャリアを税務署長に出して現場教育をしているように、荒れる教育現場に――それも校長ではなく、一線の教員として出向させ、成果を出したところで本省に呼び戻してはどうか?)

         #

 ……どうもやる気がないようだから、よりかんたん(?)な提案をしよう。

 たとえば、「学力世界1」のフィンランドのように、新教科書を使うもなにも、その全てを現場の教師たちの裁量にまかせてみたらどうか?

 えっ? 「日本の教育」には合わない……そんな外国かぶれの「フィンランド出羽守(デハのかみ)」式の言い草はやめろ、だって?

 ああ、結局はお役所・統制教育の権益を守るだけの、この国の「教育国粋主義」の病理よ!……

 (追記 先日、司馬遼太郎さんと井筒俊彦さんの対談を読んだら、空海に対するプラトンの影響の可能性を熱く語り合っていた。ペルシャ、中国を経由した古代ギリシャの影響……。それはどうも法隆寺の柱に対してのみ及んだことではないらしい……)

 (再追記 空海さまは長安でペルシャ文字を見たことで、「かな」をお考えになったのではないかな!!……)

 

Posted by 大沼安史 at 04:34 午後 2.教育改革情報 | | トラックバック (0)

2010-04-03

〔いんさいど世界〕  救世主(?)現る 

 もうすぐ、花祭り。お釈迦さまの誕生日です。
 この世――現世。現代世界は、四苦八苦。

  人々はなおも戦争や貧困に苦しめられています。お釈迦さまもさぞかし嘆き悲しんでおられることでしょう。

        #

 ラジ・パーテルさん(37歳)。ロンドンに生まれ、現在、サンフランシスコに住んでいる、社会運動(世直し)の活動家であり著述家です。

 それもお釈迦さまと同じ「インド人」。
 ただし、ご両親はお父さんは南太平洋のフィジー、お母さんはケニア出身のインド人。ラジさん自身、お釈迦さまのようにインドで生まれたわけではありません。しかし、一度、インドに出かけ、ロンドンに戻って来たことがある――(ささいなことですが、これまた決定的な「証拠」となる事実! 憶えておいてください)

        #

 実はこのラジ・パーテルさん、『無の価値(The Value of Nothing)』という、世界的なベストセラーの著者。

 それでテレビに引っ張り出されたり、ネットで紹介されたり、今やすっかり「世界の有名人」になっている「時の人」ですが、あるニューエイジ系の世界的な新興宗教団体の信者たちから「救世主(マイトレーヤ)」に祭り上げられ、そっちの方でもたいへんな話題になっている方です。

 あまりの信者の熱狂ぶりに、本人が「私、救世主じゃありません」とキッパリ否定しても、「いや、あなたは救世主。私たちが授かった予言では、あなたは自分が救世主であることを否定なされることになっている」といって、信じてくれないんだそうです。ちょっと困ったものですね。

        #

 で、ラジさんを「救世主」と崇める新興宗教団体ですが、これが英国のスコットランドの人が「マスター」となって広めている団体なんですね。その「マスター」の方が、「救世主」の到来を予言していた。

 ①救世主として現れる方は、1972年にお生まれになった方だ(そう、ラジさんは、その年の生まれ!②そして1977年に、インドからロンドンに旅して来る(ラジさんはインド生まれでないのですが、そう、1977年に父親に連れられ、インドに旅してロンドンに戻って来たことがある!―― 

 ピッタシカンカ~ン&ピンポ~ン(「ピンポイント」から来た言い方なんでしょうか?!)。
 こうなると、「信者」じゃなくても、「救世主」と思いたくなってしまいますよね。

        #

 ①と②については偶然の一致ということもあり得るでしょうし、その条件にあてはまる人は多いはず。でも、ラジさんが「救世主」に祭りあげられた決定打は、お書きになったベストセラー、『無の価値』の中身にあるようです。

 僕が尊敬するカナダの女性活動家、ナオミ・クラインさんも「絶賛」しているというので、早速、取り寄せ、目を通してみたのですが、うわさに違わず、凄い、すばらしい!

 悲惨と混乱の極にある現代世界の「世直し」を呼びかける内容!

 ラジさんて、オックスフォード、LSE、コーネルで経済学を勉強された方で、博士号(開発経済学)の持ち主。

 それも学窓にこもるのではなく、現場でたたきあげた実践的な知識人なのですね。 

        #

 で、この『無の価値』の中身をちょっとだけ紹介しますと、ラジさんは大英帝国時代のアイルランド出身の作家、オスカー・ワイルドの、「人は皆、あらゆるものの価格は知っているが、ものの価値は何も知らない(Nowadays people know the price of everything and the value of nothing)」という警句を引いて、本の題名とし、そこから書き出しています。

 そのタイトル通り、この本は、あらゆるものに値段をつけ(たとえば、人間にも値段をつける=奴隷制はその例)、取引の対象とする、規律なき市場原理主義(強者による市場と通じた強奪)を批判する一方、人間が取り戻さなければならない「価値」の復興と、そのためのグローバルな「世直し」を呼びかけたマニフェストでもあるわけです。

        #

 ラジさんが紹介している「世直し」の実例をひとつ。

 「ビア・カンペシーナ」(スペイン語で「農民の道」)は、市場原理主義の農業に抵抗する、国際的な農民の連帯運動です。その一翼を担う、米国フロリダのトマト摘み取り労働者たちの闘い――アグリ・ビジネスと戦って、待遇改善を手にした――は、その先駆的な勝利の事例だそうです。

 フロリダのトマト摘み取り労働者の闘いの場は、「イモカレー」(なんだか、インドのカレーの一種のように聞こえますが、アメリカ先住民族の言葉で「マイホーム=我が家」の意味)というところで、すぐそばには「ナポリ」という名の、アメリカの大金持ちたちが遊びに来る最高級別荘地があるそう。

 虐げられた人々の、団結と抵抗の中から、トマトという食べ物を、価格ではなく価値として、それを実際につくりだしている人々の人間として価値を認知させる運動が生まれ、勝利を手にしたのだそうです。

        #

 ラジさんは自分が「救世主」であることを明確に否定していることは冒頭で申し上げましたが、なぜそうかというと、世直しは救世主がやるものではなく、民衆がやるものだから、というのですね。

 そしてその民衆とは、「諸権利を要求する権利」を持った人々――つまり、世界中の人々のことだそう。

 「人間としての権利を要求する権利」「価格(値段)ではなく価値」――いまの世の中で、これが一番大事なことだと訴えるラジ・パーテルさん!

 その言葉には、救世主ではないにせよ、救世の響きが、あるような気がします。

 人間の「権利」と、その生み出す「価値」を守れ!――希望のメッセージですね。

 ⇒ http://www.nytimes.com/2010/02/05/us/05sfmetro.html

   http://www.guardian.co.uk/world/2010/mar/19/raj-patel-colbert-report-benjamin-creme

  「ビア・カンペシーナ」 ⇒ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%8A

 

Posted by 大沼安史 at 11:53 午前 1.いんさいど世界 | | トラックバック (0)