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2010-03-18

〔コラム 机の上の空〕 ゆりかごを動かす者は世界を動かす……岩下壮一神父と昭和天皇のこと 

 中学校の修学旅行で、一番の思い出は、皇居前でのことである。
 偶然のことだったが、昭和天皇が、私たちの前を、車でお通りになったのだ。
 担任のK先生が、まさに「直立不動」になった姿を、今でも憶えている。

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 中学3年生の僕は、担任のK先生(国語の先生で、僕の結婚の仲人になっていただい方だ)の、その時の、まるでバッタのような「直立不動」ぶりに違和感を覚えたものだ。

 その違和感は、僕が成人し、新聞記者になって、それから十数年後、「8・15」の東京・武道館での「全国戦没者慰霊祭」での、昭和天皇の振る舞いを知るまで(昭和天皇は、武道館で会場入りする際、決してエレベーターをお使いにならなかった。階段を一歩、一歩、お昇りになったのである)、消え残らず、あり続けた。

 昭和天皇は生前、「戦争責任」を、マスコミ代表との記者会見で、問われたことがあった。

 そうした「文学の綾」には答られないと、たしか、お答えになった。

 その時、僕は昭和天皇に対し、すこしばかり反発を覚えたものだが、今は違う。

 「戦争責任」――? 昭和天皇はおそらく、そんな言葉で済まされない、大変な責任をお感じになっていたのだ。

 「現人神」に崇められた自分を――戦争を主導してしまった自分を――軍部に、いいように使われた御自分を、痛切に反省されていたと思う。

 だからこそ、昭和天皇は「A級戦犯の合祀」のあと、断固、靖国神社の参拝を拒絶されたのではないか。

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 私は、らい病(ハンセン氏病)患者のため、一生を捧げた、天下無双の碩学、岩下壮一神父を尊敬申し上げる一人だが、神父が静岡・御殿場の「神山復生病院」の院長として苦闘している当時、昭和天皇のお母上の皇太后が、同病院の支援をしていたことを、重兼芳子さんの『闇をてらすお足音  岩下壮一神父と神山復生病院物語』』(春秋社)を読んで初めて知った。

 なぜ、皇太后陛下が、らい病患者の療養所を資金的に支援したか――重松芳子さんは、その理由についてお書きになっていないが、私は自信をもって、そのわけを、その理由を、ハッキリ言うことができる。

 昭和天皇は――皇太后の愛息は――、戦前、ヨーロッパ歴訪中、ベルギーのルーヴァン大学を訪ねているのだ。

 その時、天皇を、ルーヴァン大学でご案内申し上げたのは――そう、その人こそ、留学中の岩下壮一氏だった!

 皇太后は、昭和天皇から聞いて、岩下壮一氏を知ったのではないか。

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 ナチスは精神病者をガス室送りしたが、日本の皇室は、らい病患者を守り抜いた――このことは、もっと知られてよい事実である。

 一高・東大を首席で通し、学者(哲学者)としての立身出世の道に背を向け、らいの病者とともに、愛と信仰の生涯を全うされた岩下壮一神父(1889-1940)。

 清廉なカトリックの神父を、たぶん昭和天皇は尊敬し、皇太后とともに支援の手を差し伸べたのではなかったか。
 
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 昭和天皇は、戦後、「人間宣言」なされた時、そのお優しいお姿に(丈夫ではなく、どちらかといえば、女性的なお姿に)、驚いた国民も多かったと聞く。

 それでいいのだ、と僕は思う。

 重兼芳子さんは、『闇をてらす足音』の最後に、「付記」として、岩下壮一神父の言葉を、こう書きしるしている。

 ゆりかごを動かす者は世界を動かす。

 いのちを育てる者は、世界を動かす……靖国参拝を敢えて拒否なされた、昭和天皇もまた、同じ思いでいらっしゃったのだろう。

 日本のナショナリズムは、病める者を救う、こころ優しいナショナリズムでなければならない。  
  

Posted by 大沼安史 at 08:02 午後 3.コラム机の上の空 |

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