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2010-03-31

〔教育コラム 夢の一枝〕 愛子さまのための(日本の子どもたちのための)教育学

  愛子さまが、「学校」(学習院初等科)というものに苦しめられているという。
 あの愛らしい、愛子さまが……。お気の毒である。皇太子さま、雅子さま、そしておじいさまである天皇陛下、おばあさまである美智子さまのご心痛や、いかばかりか。

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 アメリカで「新しい学校」を訪ね歩いていた頃、「第2学年の壁」といった表現を何かで読んだ憶えがある。(たしか、ジョン・ホルトさんの言葉だったような……)

 第2学年、つまり、愛子さまのように小学校の2年生になった時、子どもたちは大きな壁に直面する、というのだ。1年生を終えたあと――「学校」というものの1年を終えた後に覚える「学校化」に対する拒絶反応。

 「学校化」がまだ生ぬるいアメリカでもそうなのだから、文科省の画一統制教育を受ける日本の子どもたちは、もっと大変だなと、その時、思ったものだ。

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 アメリカで知った言葉に、もうひとつ、「テリブル・ツー(the terrible twos)」というのがある。これはたぶん、アンファン・テリブルから来た言葉。「畏怖すべき2歳児」あるいは「恐るべき2歳児」とでも訳すことのできる言葉だ。

 自分で動き始め、言葉をつかみはじめた2歳児の、めげることのない挑戦、飽くなき好奇心の爆発を指す言葉だ。「世界」をわがものにしようとする、こんな幼児につかまったら、もう大変(?)なことになる。

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 そんな好奇心に導かれた、幼児たちの世界の探求にとどめを刺すのが、「8歳=第2学年」であるのだ。

 時間を割られ、空間を区切られ、幼児期の「ナチュラルな学び」が「教科の学習」に変質する。ピカピカの1年生の時、気付かなかった「学校」というものの正体が、そこで1年過ごしたことで、あらわなものとなって、魔物のように襲いかかる。

 戦時・戦中の統制教育の延長線にある、日本の現代の「学校」(文科省の学習指導要領学校)の抑圧度は、先進国の中で、おそらくはワーストワンにランクされるものだ。発展停止国の北朝鮮並みかも知れない。

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 愛子さまに(そして全国の小学校2年生に)今、襲いかかっているのは、おそるべき日本の「統制教育の悪魔」である。

 文科省を頂点とする教育ピラミッド(△)が、8歳の子どもたち一人ひとりに対しては逆三角形(▼)の点となって現れ、まるで錐揉みのように、画一化、標準化の全圧力、全重力をかけているのだ。
 
 学校にストレスによる「いじめ」が蔓延し、感受性の強い子が不登校になるものも当然のことである。

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 日本の統制教育は戦前・戦中において子どもたちを戦争に総動員することに成功した。戦後は、期待される、画一的で標準的な、権威に従順な人間――産業社会の歯車になる人材の生産に、これまた成功を収めて来た。

 しかし、そうした日本型「産業期の学校」の成功も、高度成長とあいまってのこと。産業化が行き詰まり、「ポスト産業社会」が到来すると、時代の転換に乗り遅れた、化石のようなものになってしまった。

 そうした「過去の遺物」が官僚統制の惰性の中で、口先では「個性尊重」と言いながら、子どもたちを画一・統制の縛りにかけているのである。

 おいたわしいのは、愛子さまだけではない。2年生だけではない。日本の子どもたち全員が、おいたわしいのだ。

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 こういう悲惨な教育現場から、愛子さまを――あるいは日本の子どもたちを救う方法はいくつかある。

 とりあえず、かんたんなのは(一部の恵まれた家族にしかできないことだが)、「学校」から家庭への連れ戻しである。
 家庭をベースに教育する――つまり、ホーム・スクーリングの道だ。

 これは家に閉じこもるものではない。家(ホーム)を拠点に、マイペースで行う、積極的な学習でる(もちろん、家でたとえば、フランス語を家庭教師から学んだって構わない)。

 愛子さまであれば、葉山の御用邸で海洋生物学を学ぶこともできるし、年に数度は外遊なされ、ルーブルや大英博物館で学ぶこともできるではないか。

 もう、ひとつは、東京であれば「東京サドベリー」や「東京シューレ」といったフリースクールに脱出する方法もある。

 しかし、これらは、理解ある親を持つ一部の子どもたちに限られた救いの道でしかない。ほんとうに望まれるのは、文科省の学習指導要領学校による画一・統制教育の解体・再構築である。

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 愛子さまのお名前は、『孟子』離婁章句下の「仁者は人を愛し、礼ある者は人を敬ふ」から来ているのだそうだ。⇒ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9B%E5%AD%90%E5%86%85%E8%A6%AA%E7%8E%8B

 文科省による、日本の今の「学校」は、果たして子どもを愛し、子どもを敬んでいるものだろうか?

 日本の「学校」は、子どもたちにとって「仁者」であり、「礼ある者」といえるのか?

 孟子と並ぶ、古代中国の哲人、「墨子」はまた「天下互いに兼愛すべし」として、平等の愛の尊さを説いたが、いまの日本の「学校」の選別・相対評価に、「できない子」「変わった子」に対する「愛」はあるのか? 

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 愛の子たる愛子さまがお苦しみになる、日本の「学校」……

 ご両親のお苦しみも想像に難くないが、そんな「学校」に対しては、思い切って退学届けを出すのが一番のように思われる。

 考えてみれば、愛子さまが在籍されている「学校」は、その最高学府である大学が、漢字も読めない、未曾有(ゆう)な低学力宰相を生み出したところではないか。

 愛子さまに――日本の子どもたちに、笑顔のあふれかえる日が来ることを祈るばかりである。

Posted by 大沼安史 at 02:48 午後 2.教育改革情報 |

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