〔 コラム 机の上の空〕 ニッポン 卒業狂詩曲
ニッポン管理・統制教育の年度末のコンベアー排出・在庫一掃イベント=卒業式シーズンもたけなわである。
「学業」成ったはずの大学や高校の卒業生諸君の多くは、就職もできない、ピカピカ(?)の「失業1年生」として、焦土のような経済の中に放り出され、大学・高校に進学する卒業生は、教育産業がはぐくむ「未来幻想」の中で、儚い夢を紡ぐ。
日本の学校の卒業式は、日本の教育の失敗を歴史的に凝縮して、過ぎ行く春に物語る、一篇のラプソディー(叙事詩)である。
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東京都の教育委員会は、政府・文科省のお先棒を担ぎ、ことしも卒業式の会場で、「君が代」「日の丸」の強制に、ガンディー流の非暴力で抵抗する教師たちに、ビデオカメラのレンズを向けたのだろうか?
特高のような当局者。おぞましいことだ。
経済社会の構造転換に対応することなく、一昔前の画一統制教育を続け、子どもたちの可能性をつぶして、日本の未来を奪い続けて来た、この国の当局者よ!
非難されるべきは骨のある教師たちではなく、この国の教育を窒息させた、君たち当局者ではないか?
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テスト、点数、序列、輪切り、偏差値、相対評価、学習指導要領――長い、長い絶望のトンネルを潜り抜けた卒業生たちが歌いたい歌は、「日の丸」の前で、直立不動で「斉唱」する「君が代」ではない。
ほんとうに「合唱」したいのは、「3月9日」(レミオロメン)や「卒業」(尾崎豊)といった「卒業ソング」だ。
文科省は知るべきだろう。卒業式は、卒業生にとって、愚にもつかないお前たちの「支配からの解放」であることを。
「卒業ソング」は 若者・子どもたちの「怨歌」でもあることを。
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戦前・中からの統制教育を戦後に持ち越し、権力を延命した当局者よ。
日本の民衆はまだまだ、忘れ去ってはいない。
戦時中、君たちが「蛍の光」を「敵性音楽」といって禁止し、代わりに「修了の歌」を卒業式で強制的に歌わせたことを。
スコットランド民謡が本歌だからといって。
そして「万歳ヒットラー・ユーゲント」を歌わせたことを。
同盟国、ドイツを讃える歌だといって。
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日本の民衆はまだまだ、君ら当局者のいい加減さを忘れてはいない。
ベートーベンは盟邦の「ナチス・ドイツ」だから禁止せず――の方針を、ドイツがソ連と不可侵条約を結んだとたんに撤回し、ドイツ軍の対ソ侵攻が始まったら復活させ、1945年(昭和20年)4月にドイツが降伏したとたん、またも禁止したことを。
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戦時中、君ら当局者は、若者・子どもたちを繰り上げ卒業させてまで、「死地」に送り込んだものだが、今、君たちはバブル崩壊後の「就職地獄」の最前線に、日本の明日を担うべき若者たちを放り込んでいる。
春3月の、うららな街を今なお右往左往する、黒いリクルート服の若者たち!
管理・統制教育の「広き門」に誘導され、囲いこまれ、選別され、挙句の果てに「厳しい現実」の壁を前に立ち往生する若者たち!
恥を知り、責任をとるべきは、自分たちだけ「狭き門」を潜り抜け、今、権力の座にある当局者たちである。
Posted by 大沼安史 at 10:31 午後 3.コラム机の上の空 | Permalink

















