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2010-03-14

〔いんさいど世界〕 レイチェル・コリーさん7回忌  ガザ包囲1000日

 「3月16日」は、アメリカ人女性、レイチェル・コリー(Rachel Corrie)さんが、23歳の若さで亡くなった命日だ。
 2003年の「その日」、レイチェルさんはガザ地区のパレスチナ人、サミールさんの民家の前で、イスラエル軍のブルドーザーの前に立ちはだかり、轢かれて死んだ。
 ……早いもので、それから7年という歳月が過ぎた。
  レイチェル・コリーさん 記念ウェブサイト ⇒ http://www.rachelcorrie.org/
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 レイチェルさんの、命がけの非暴力プロテストから4年後の、2007年6月に、イスラエルによる「ガザ封鎖」が始まった。それから数え、およそ「1000日」が経過した。
 英紙インディペンデントに、そのガザの現状をつたえる記事が載っていた。
 見出しは、Children of Gaza(ガザのこどもたち)。
 その名の通り、現地の子どもたちを通じて――彼・女らの目を通して、包囲下にある、ガザの人々の苦難をレポートした記事だった。
 記事は女性記者が書いた。Rachel Shieldsさん。そう、同じ、レイチェルさん!
  「ガザのこどもたち」 ⇒ http://www.independent.co.uk/news/world/middle-east/children-of-gaza-scarred-trapped-vengeful-1921047.html
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 記事の冒頭で、ガザの少女、オムスヤティちゃん(12歳)のことが紹介されていた。
 学校の教室で、彼女は1枚の絵を掲げて見せたのだそうだ。そしてその絵のことを言葉で説明したそうだ。
 
 今から2年前、2008年のイスラエル軍ガザ侵攻で、彼女の家は破壊され、ひとつ年下の弟、イブラヒムが殺された、「その日」を描いた絵だった。
 家は、イスラエル軍のF16機がロケットで破壊し、イスラエル軍の戦車が弟を撃った。
 記事には彼女と同い年のマムード君の話も出ていた。イスラエル軍の兵士が家のドアをノックし、父親が頭を撃たれて死んだ日のことが……。
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 同じインディペンデント紙のジョハン・ハリ(Johann Hari)記者が書いた記事( ⇒ http://www.independent.co.uk/opinion/commentators/johann-hari/johann-hari-palestinians-should-now-declare-their-independence-1920130.html
 )によれば、150万人が住むガザ地区では今、70%の人が1日1ドル以下で暮らし、60%の人が「飲み(飲める)水」を奪われている。生活の足も車からロバに戻った。
 そんなガザで、78万人の子どもたちが生きる。
 先のレイチェル・シールズ記者の言葉をかりれば、「瓦礫の山でくぐり、爆弾の痕で遊んでいる」彼・女らは、物心ついたころから、「戦争によって支配されて来た」。
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 どうして、こんな「地獄」が許されているのか?
 米国から年間30億ドルの支援を受け、ユダヤ人入植地を拡大(パレスチナ人を追放)し、まるで昔の南アフリカのようなアパルトヘイト(人種隔離)政策をとる、イスラエル右派政権の強硬姿勢に問題があるのは確かだが、そんなイスラエル当局者の中に、選民意識にもとづく、パレスチナ人に対する蔑視があるのは残念なことだ。
 ハリ記者によれば、イスラエルの指導者、ベギンはパレスチナの民衆を「二本足で歩く獣」と言い、シャミールは「バッタのように、岩や壁で叩き殺す」と言った。
 国のリーダーがこうまで言うのだから、イスラエルの兵士がパレスチナ人を人間とも思わないのも、ある意味で当然のことだろう。
 再びハリ記者によれば、米国の著名なジャーナリスト、リチャード・クレイマー氏はガザで、こんな現場を目撃しているそうだ。
 ――年老いたパレスチナ人の校長先生がいた。毎朝、通学路を通って学校に向かわなければならない。しかし、そこにはイスラエル軍の検問所があり、そこを通ろうとすると、裸になるよう命令される。裸の校長の前を、通学してゆくガザの子どもたち……。
 イスラエルの兵士たちの「ユーモア」!
 レイチェル・コりーさんは、こういう理不尽に抗議して殺されたのだ。
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 折りしも、レイチェルさんのご両親が、イスラエル政府を相手どって訴えた裁判が、ハイファで始まった。
 ご両親が傍聴する法廷で、この(3月)9日、現場で抗議行動をともにしていた英国人の男性が、証言台に立った。
  証言 ⇒ http://www.independent.co.uk/news/world/middle-east/i-saw-israeli-bulldozer-kill-rachel-corrie-1919464.html
 レイチェルさんは瓦礫の山に登り、つっこんでくるイスラエル軍のブルドーザーの運転台に向かって、やめろと叫んだ。
 56トンもあるブルドーザーはそのまま「早足」の速度で衝突、彼女を「4メール」引きずって後退した。
 
 彼女が守ろうとしたのは、パレスチナ人のお医者さんの家だった。
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 彼女が死んで7年。
 彼女を悼む歌が生まれ、劇(「私の名前はレイチェル・コリー」)も上演されている。
  ⇒  http://onuma.cocolog-
nifty.com/blog1/2006/03/__3f29.html
 
  ⇒ http://onuma.cocolog-nifty.com/blog1/2006/04/index.html 
 「恐怖」と闘いながら(亡くなる2日前のインタビューで「怖い」と告白していた)、それでも巨大なブルドーザーに立ち向かって行った、レイチェル・コリーさん。
 7回忌にあたり、その健気な勇気を讃え、連帯の祈りを捧げる。
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 〔参考〕  エイミー・グッドマンさん エッセイ ⇒ http://www.truthdig.com/report/item/rachel_corries_posthumous_day_in_court_20100309/?ln
    デモクラシーNOW 家族へのインタビュー ⇒ http://www.democracynow.org/2010/3/10/family_of_slain_us_peace_activist

Posted by 大沼安史 at 11:32 午前 1.いんさいど世界 |

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