空から歌が聴こえる Danny Boy
フランスのジャズ・バイオリニスト、ステファン・グラッペリで、「ダニーボーイ」を。
今朝、ネットのラジオでジャズを聴きながら翻訳の仕事をしていたら、耳に飛び込んで来た。グラッペリがダニーボーイを――知らなかった!
⇒ http://onuma.cocolog-nifty.com/blog3/2010/03/danny-boy.html
Posted by 大沼安史 at 07:24 午後 | Permalink | トラックバック (0)
フランスのジャズ・バイオリニスト、ステファン・グラッペリで、「ダニーボーイ」を。
今朝、ネットのラジオでジャズを聴きながら翻訳の仕事をしていたら、耳に飛び込んで来た。グラッペリがダニーボーイを――知らなかった!
⇒ http://onuma.cocolog-nifty.com/blog3/2010/03/danny-boy.html
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父親がイスラエル兵によって戸口で撃たれ、地面に倒れるところ再現する、幼い息子。
これが父親の血の痕だと、土を手ですくってみせる、その幼い息子。
英国のテレビ・チャンネル4のビデオを観た。
⇒ http://www.globalresearch.ca/index.php?context=va&aid=18384
徹底して、ガサの子どもの視線で、彼・女たちのの目で、ガザの悲劇を見つめている。
岡田外相よ、これを見て、イスラエル大使をよびつけ、厳しく抗議せよ!
イスラエル右派政権を支援する米国の言いなりになり、沖縄を売り渡すな!
それが、ガザの子どもたちに対する、日本政府の連帯のしるしである。
Posted by 大沼安史 at 07:07 午後 | Permalink | トラックバック (0)
ロイター電によると、イランのアフマドネジャド大統領は29日、「9・11」について、「大きな陰謀(ビッグ・ファブリケーション)」と述べた。
同大統領はことし1月、「9・11」を「怪しい」と言っていたが、今回はさらに踏み込んだ。
オバマとサルコジによるイラン制裁強化合意の動きに反発しての発言のようだが、国家元首が「9・11」をここまで言い切ったのは、恐らく初めてではないか。
Posted by 大沼安史 at 05:29 午後 | Permalink | トラックバック (0)
愛子さまが、「学校」(学習院初等科)というものに苦しめられているという。
あの愛らしい、愛子さまが……。お気の毒である。皇太子さま、雅子さま、そしておじいさまである天皇陛下、おばあさまである美智子さまのご心痛や、いかばかりか。
#
アメリカで「新しい学校」を訪ね歩いていた頃、「第2学年の壁」といった表現を何かで読んだ憶えがある。(たしか、ジョン・ホルトさんの言葉だったような……)
第2学年、つまり、愛子さまのように小学校の2年生になった時、子どもたちは大きな壁に直面する、というのだ。1年生を終えたあと――「学校」というものの1年を終えた後に覚える「学校化」に対する拒絶反応。
「学校化」がまだ生ぬるいアメリカでもそうなのだから、文科省の画一統制教育を受ける日本の子どもたちは、もっと大変だなと、その時、思ったものだ。
#
アメリカで知った言葉に、もうひとつ、「テリブル・ツー(the terrible twos)」というのがある。これはたぶん、アンファン・テリブルから来た言葉。「畏怖すべき2歳児」あるいは「恐るべき2歳児」とでも訳すことのできる言葉だ。
自分で動き始め、言葉をつかみはじめた2歳児の、めげることのない挑戦、飽くなき好奇心の爆発を指す言葉だ。「世界」をわがものにしようとする、こんな幼児につかまったら、もう大変(?)なことになる。
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そんな好奇心に導かれた、幼児たちの世界の探求にとどめを刺すのが、「8歳=第2学年」であるのだ。
時間を割られ、空間を区切られ、幼児期の「ナチュラルな学び」が「教科の学習」に変質する。ピカピカの1年生の時、気付かなかった「学校」というものの正体が、そこで1年過ごしたことで、あらわなものとなって、魔物のように襲いかかる。
戦時・戦中の統制教育の延長線にある、日本の現代の「学校」(文科省の学習指導要領学校)の抑圧度は、先進国の中で、おそらくはワーストワンにランクされるものだ。発展停止国の北朝鮮並みかも知れない。
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愛子さまに(そして全国の小学校2年生に)今、襲いかかっているのは、おそるべき日本の「統制教育の悪魔」である。
文科省を頂点とする教育ピラミッド(△)が、8歳の子どもたち一人ひとりに対しては逆三角形(▼)の点となって現れ、まるで錐揉みのように、画一化、標準化の全圧力、全重力をかけているのだ。
学校にストレスによる「いじめ」が蔓延し、感受性の強い子が不登校になるものも当然のことである。
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日本の統制教育は戦前・戦中において子どもたちを戦争に総動員することに成功した。戦後は、期待される、画一的で標準的な、権威に従順な人間――産業社会の歯車になる人材の生産に、これまた成功を収めて来た。
しかし、そうした日本型「産業期の学校」の成功も、高度成長とあいまってのこと。産業化が行き詰まり、「ポスト産業社会」が到来すると、時代の転換に乗り遅れた、化石のようなものになってしまった。
そうした「過去の遺物」が官僚統制の惰性の中で、口先では「個性尊重」と言いながら、子どもたちを画一・統制の縛りにかけているのである。
おいたわしいのは、愛子さまだけではない。2年生だけではない。日本の子どもたち全員が、おいたわしいのだ。
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こういう悲惨な教育現場から、愛子さまを――あるいは日本の子どもたちを救う方法はいくつかある。
とりあえず、かんたんなのは(一部の恵まれた家族にしかできないことだが)、「学校」から家庭への連れ戻しである。
家庭をベースに教育する――つまり、ホーム・スクーリングの道だ。
これは家に閉じこもるものではない。家(ホーム)を拠点に、マイペースで行う、積極的な学習でる(もちろん、家でたとえば、フランス語を家庭教師から学んだって構わない)。
愛子さまであれば、葉山の御用邸で海洋生物学を学ぶこともできるし、年に数度は外遊なされ、ルーブルや大英博物館で学ぶこともできるではないか。
もう、ひとつは、東京であれば「東京サドベリー」や「東京シューレ」といったフリースクールに脱出する方法もある。
しかし、これらは、理解ある親を持つ一部の子どもたちに限られた救いの道でしかない。ほんとうに望まれるのは、文科省の学習指導要領学校による画一・統制教育の解体・再構築である。
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愛子さまのお名前は、『孟子』離婁章句下の「仁者は人を愛し、礼ある者は人を敬ふ」から来ているのだそうだ。⇒ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9B%E5%AD%90%E5%86%85%E8%A6%AA%E7%8E%8B
文科省による、日本の今の「学校」は、果たして子どもを愛し、子どもを敬んでいるものだろうか?
日本の「学校」は、子どもたちにとって「仁者」であり、「礼ある者」といえるのか?
孟子と並ぶ、古代中国の哲人、「墨子」はまた「天下互いに兼愛すべし」として、平等の愛の尊さを説いたが、いまの日本の「学校」の選別・相対評価に、「できない子」「変わった子」に対する「愛」はあるのか?
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愛の子たる愛子さまがお苦しみになる、日本の「学校」……
ご両親のお苦しみも想像に難くないが、そんな「学校」に対しては、思い切って退学届けを出すのが一番のように思われる。
考えてみれば、愛子さまが在籍されている「学校」は、その最高学府である大学が、漢字も読めない、未曾有(ゆう)な低学力宰相を生み出したところではないか。
愛子さまに――日本の子どもたちに、笑顔のあふれかえる日が来ることを祈るばかりである。
Posted by 大沼安史 at 02:48 午後 2.教育改革情報 | Permalink | トラックバック (1)
オバマ大統領が思い出したように、アフガンを28日夜、大統領専用機で「訪問」した。
傀儡、カルザイを締め付け、現地米軍に活を入れるためのカブール入りだった。
戦争大統領=オバマ。
あのノーベル平和賞のメダルなど、ホワイトハウスの愛犬の玩具にでもしているのだろう。
#
バグラム基地での演説テキストを読んで、胸が悪くなった。
「あなたがたのような勇敢な男女が――世界の反対側で、アメリカの同胞市民たちのため、いまだ叶うことのなきアメリカ人の夢のため、無私の精神で喜んで任務につこうとする勇敢なアメリカ人がいる限り、あなた方のような人がいる限り、アメリカは耐えしのぎ、希望は恐怖に打ち勝つものと私は信ずる。そして私は信ずる。よりよき日々はすぐそこにある」
オバマ アフガンでの演説⇒ http://www.commondreams.org/headline/2010/03/28-9
#
アフガンでオバマのいう「勇敢なアメリカ人」(米兵)が、どれだけ、すぐ目の前にある、よりよき日を見ることができずに、命を失っているか?
最新でのデータによれば、早くも1000人の大台に達し、「1029人」が戦死しているのだ(NATO軍など全体では1703人)。
⇒ http://www.icasualties.org/OEF/Nationality.aspx
戦死のペースも速まり、ことし2010年の1・2月の戦死者は57人。昨年同期の28人の2倍に達している。ことし最初の2ヵ月の戦傷者数は381人。こちらは3.5倍もの急増である。
⇒ http://www.commondreams.org/headline/2010/03/28-4
#
「勇敢なアメリカ人」(米兵)によって、アフガンではどのような「戦果」が上がっているか?
英紙タイムズのジェローム・スターキー記者は、ことし2月12日、パクチア州のガルデズで起きた事件を、目撃証言をもとに、こう報じている。
⇒ http://www.timesonline.co.uk/tol/news/world/afghanistan/article7060395.ece
米軍とアフガン政府軍兵士による、夜明け前の襲撃で、最初に殺されたのは、家族を守ろうと入り口で立ちふさがった、43歳の現地の警察官とそのきょうだいの男性2人。
同じ機銃の掃射で家の中にいた3人の女性(うち2人は妊娠中。1人は18歳の少女))も銃弾を浴びた。妊娠していた2人は即死、結婚が決まっていた18歳の少女は間もなく死亡したという。
スターキー記者によると、米軍はこの事実を隠蔽、現場に米兵らが到着したときには、犠牲者らはすでに死んでいたと主張。そればかりか、同記者に対する個人攻撃すら続けているそうだ。
警告 ビデオには残酷な映像が含まれています! ⇒ http://rethinkafghanistan.com/blog/?p=1844
#
戦争とは組織的な人殺し以外の何物でもない。
それはどんなに言葉で飾り立てても、奪われた命はかえらないのだ。
「勇敢なアメリカ人たち」の命も、「アルカイダ」がそこに「まだいる」ということだけで殺されなければならないアフガニスタンの人たちの命も、命の尊さにおいて変わりなく、失われたら取り返しのつかない点でも変わりない。
オバマよ、君の演説には血のにおいがする。
欺瞞の言葉で鮮血の戦争を美化するなかれ!
Posted by 大沼安史 at 06:37 午後 1.いんさいど世界 | Permalink | トラックバック (0)
ニッポン管理・統制教育の年度末のコンベアー排出・在庫一掃イベント=卒業式シーズンもたけなわである。
「学業」成ったはずの大学や高校の卒業生諸君の多くは、就職もできない、ピカピカ(?)の「失業1年生」として、焦土のような経済の中に放り出され、大学・高校に進学する卒業生は、教育産業がはぐくむ「未来幻想」の中で、儚い夢を紡ぐ。
日本の学校の卒業式は、日本の教育の失敗を歴史的に凝縮して、過ぎ行く春に物語る、一篇のラプソディー(叙事詩)である。
♪
東京都の教育委員会は、政府・文科省のお先棒を担ぎ、ことしも卒業式の会場で、「君が代」「日の丸」の強制に、ガンディー流の非暴力で抵抗する教師たちに、ビデオカメラのレンズを向けたのだろうか?
特高のような当局者。おぞましいことだ。
経済社会の構造転換に対応することなく、一昔前の画一統制教育を続け、子どもたちの可能性をつぶして、日本の未来を奪い続けて来た、この国の当局者よ!
非難されるべきは骨のある教師たちではなく、この国の教育を窒息させた、君たち当局者ではないか?
♪
テスト、点数、序列、輪切り、偏差値、相対評価、学習指導要領――長い、長い絶望のトンネルを潜り抜けた卒業生たちが歌いたい歌は、「日の丸」の前で、直立不動で「斉唱」する「君が代」ではない。
ほんとうに「合唱」したいのは、「3月9日」(レミオロメン)や「卒業」(尾崎豊)といった「卒業ソング」だ。
文科省は知るべきだろう。卒業式は、卒業生にとって、愚にもつかないお前たちの「支配からの解放」であることを。
「卒業ソング」は 若者・子どもたちの「怨歌」でもあることを。
♪
戦前・中からの統制教育を戦後に持ち越し、権力を延命した当局者よ。
日本の民衆はまだまだ、忘れ去ってはいない。
戦時中、君たちが「蛍の光」を「敵性音楽」といって禁止し、代わりに「修了の歌」を卒業式で強制的に歌わせたことを。
スコットランド民謡が本歌だからといって。
そして「万歳ヒットラー・ユーゲント」を歌わせたことを。
同盟国、ドイツを讃える歌だといって。
♪
日本の民衆はまだまだ、君ら当局者のいい加減さを忘れてはいない。
ベートーベンは盟邦の「ナチス・ドイツ」だから禁止せず――の方針を、ドイツがソ連と不可侵条約を結んだとたんに撤回し、ドイツ軍の対ソ侵攻が始まったら復活させ、1945年(昭和20年)4月にドイツが降伏したとたん、またも禁止したことを。
♪
戦時中、君ら当局者は、若者・子どもたちを繰り上げ卒業させてまで、「死地」に送り込んだものだが、今、君たちはバブル崩壊後の「就職地獄」の最前線に、日本の明日を担うべき若者たちを放り込んでいる。
春3月の、うららな街を今なお右往左往する、黒いリクルート服の若者たち!
管理・統制教育の「広き門」に誘導され、囲いこまれ、選別され、挙句の果てに「厳しい現実」の壁を前に立ち往生する若者たち!
恥を知り、責任をとるべきは、自分たちだけ「狭き門」を潜り抜け、今、権力の座にある当局者たちである。
Posted by 大沼安史 at 10:31 午後 3.コラム机の上の空 | Permalink | トラックバック (0)
今月28、29日に行われるイタリアの統一地方選挙を前に、「紫人間( il popolo viola )」運動という、新タイプに政治運動が盛り上がっている。
本部の事務所もなければ、党首もいない、フェースブックやトゥッターでつながる、ネット運動。ローマの街中に駐車中のオンボロ・キャンピングカー内の一台のノートパソコンによって組織された、まったく新しいタイプの政治運動だ。
なぜ、紫(といっても、赤紫ではなくて、スミレ色=青紫)なのかも、よくわからない。既成政党が使っていない色だから、という説もあるが……。
目指すは、スキャンダルにまみれたベルルスコーニ首相の追い落とし。
イタリアでは昨年12月、ローマでの「ベルルスコーニは要らないデー」のデモに25万人が参加。この3月13日にも同じ規模のデモが行われるなど、追放運動が盛り上がっている。
デモに参加した「紫人間」たちは、スミレ色の服を着て、現政権への抗議の声を上げた。
「紫人間」の現登録者数は、25万7000人だが、政治的な影響力を人員数で判断してならない。民衆の垣根を越えた、連帯運動だから、裾野は広大である。
日本でも、わざわざ政党をつくるのではなく、こうした狙いを定めた、シングル(ダブルでもトリプルでもOK)・イッシューの政治運動づくりは可能なはず。
たとえば、通貨取引税の創設とか、炭素税の民衆直接還元とかといった目標を掲げ、シンボルカラーを立てて民衆運動を立ち上げ、賛成する候補者に投票してゆく……。
「非核3原則の法制化」なら、9条のある日本の美しい姿を目指すものだから、「桜人間(il popolo ciliegio)」運動、なんて、どうだろう?!
⇒ http://www.workersliberty.org/story/2010/03/18/italys-purple-populism
http://www.independent.co.uk/news/world/europe/purple-protests-on-streets-of-rome-1926996.html
http://www.facebook.com/pages/Il-popolo-viola/196502997854
公式サイト ⇒ http://www.ilpopoloviola.it/
Posted by 大沼安史 at 07:46 午後 | Permalink | トラックバック (0)
米国の公共ラジオ局、NPRは24日、ハイチ入りしたブッシュ大統領の“衝撃映像”のビデオクリップを電子版サイトにアップした。
BBCの映像を流したもので、開始51秒後に、ブッシュという人間のどうしようもなさを際立たせる、激写シーンが始まる。
⇒ http://www.npr.org/blogs/thetwo-way/2010/03/handshaking_bush_in_haiti_wipe.html
そう、ハイチの現地人と握手した手を、隣にいたビル・クリントンのシャツの長袖で拭う、衝撃のシーンだ。
スラムでの現地民衆との交歓だから、米国の豪華ホテルでの資金集めパーティーと違うのは分かるが、それにしてもひどい。
ブッシュの手の方こそ、汚れている!……そんなブッシュと「固い握手」を交わした日本のネオコン指導者たちの手も、きれいであるはずがない。
Posted by 大沼安史 at 06:55 午後 | Permalink | トラックバック (0)
米国人の投資コンサルタントを監禁・拉致し、「お金を返せ」と迫った、ドイツのお年寄りグループ4人に対し、ドイツ南部・トラウンスタインの地裁が23日、有罪判決を下した。
4人の被告(夫婦2組、ほかにもう1人が犯行に加わったが、病気で不起訴)は、いずれも年金生活者。
このうち、リーダーの74歳の男性(ローラント被告)には懲役6年の実刑判決が下った。この男性の妻(80歳)は執行猶予1年半。
もう1人の男性(ウイリー被告、61歳)は懲役4年(実刑)、その妻は1年9ヵ月の執行猶予判決だった。
お年寄りたちが「投資」で失った「被害額」の総額は、ざっと3億円(=340万ドル=250万ユーロ)。
余生を過ごす「虎の子」が消えたのだから、「返せ」と迫る気持ちは分かるが、このお年寄りたち、怒りにまかせて、実力行使=犯行に及んでしまった。その手口がけっこう荒っぽかったことから、地元では「年金ギャング(シュピーゲル誌)」とも。
「年金ギャング」に拉致・監禁されたのは、ジェームズ・アムバーン(57歳)という米国人投資コンサルタント。
アムバーン氏は1990年代の終わりから、フロリダを拠点に不動産投資を開始、ドイツ語に堪能なことから、ドイツで出資者を募っていた。
初めのうちは順調で配当もけっこうな額に上ったというが、米国の不動産バブルが弾けたのをキッカケに、2005年以降、経営難に。
「虎の子」を預けていた被告たちとの間で、出資金の返済をめぐってトラブルになった。
で、事件が起きたのは、昨年(2009年)6月。
ドイツの南西部、シュパイヤーにある邸宅に、ローラントとウイリーの2人がアムバーン氏を訪ねた。
アムバーン氏は不在。そこで2人は氏の帰りを待ち、パブから帰宅したアムバーン氏を地面に倒し、粘着テープでサルグツワをはめ、体をぐるぐる巻きに。
手押し車のボックスに押し込んで、それをズタ袋で包み、離れた場所に停めてあった銀色(シルバー!)に「アウディ」まで移動、アウバーン氏をトランクに積み込んだ。
2人はそのまま車を走らせ、500キロ離れた、ドイツ南東部、キーム湖畔にあるローラント被告の別荘を目指した。
途中、アムバーン氏はトランクの中で粘着テープを外し、置いてあったバールで車体を内側から乱打。これに気づいたローラント被告はトランクを開けて、アムバーン氏を殴りつけ、あばら骨2本を骨折させたそうだ。
アムバーン氏がキーム湖の別荘に監禁されていたのは、4日間だけだった。
「金を返す」ふりをして、スイスの銀行へファクスを送り、その中に、かんたんな暗号(不明)で「警察に通報してくれ」とのSOSを仕込んだのだ。
それから数時間も経たないうちに、キーム湖の別荘は、ドイツの対テロ特殊部隊に包囲されたという……。
アムバーン氏はファクスで「救援」を求める前に、一度、逃げ出したことがある。雨の中、パンツ一丁で飛び出し、リゾート地の通りで「ヘルプ!」と叫んだが、2人に車で追いつかれ、「こいつは泥棒だ」ということになって連れ戻されたそうだ。
「こいつは泥棒だ!」――なるほど、「年金ギャング」の主張にも、一理はある。アムバーン氏の場合は「合法」とはいえ、「年金生活者」を狙ったハゲタカのそしりを完全に免れるものなのかどうか?……
"spektakulären Fall von Selbstjustiz"――ドイツのお年寄りたちによる「自己正義のスペクタクル事件」は、さまざまな教訓と反省点を遺したと言える気がする。
DW(英文) ⇒ http://www.dw-world.de/dw/article/0,,5383084,00.html
シュピーゲル ⇒ http://www.spiegel.de/wirtschaft/soziales/0,1518,685248,00.html
Posted by 大沼安史 at 12:55 午前 | Permalink | トラックバック (1)
オバマ大統領が内政の最重要課題としてきた医療保険改革法案が21日夜の本会議で、賛成多数で可決した。
日経新聞 ⇒ http://www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C9381959FE0E0E2E2E18DE0E0E2E1E0E2E3E29F9FEAE2E2E2;at=ALL
ニューヨーク・タイムズ ⇒ http://www.nytimes.com/2010/03/22/health/policy/22health.html?hp
締めくくりの賛成演説を行ったのは、カリフォルニア(サクラメント)選出の民主党下院議員、ドリス・オカダ・マツイ議員だった。
⇒ http://www.matsui.house.gov/index2.php?option=com_content&do_pdf=1&id=2204
ドリス・オカダ・マツイさんは日系3世。1944年にアリゾナ州ポストンの日系人収容所で生まれた。カリフォルニア州立大学のバークリーで心理学を専攻。Wiki ⇒ http://en.wikipedia.org/wiki/Doris_Matsui
亡くなったご主人のロバート(ボブ)・マツイ議員のあとを継いで、2005年に下院議員になった。
僕はアメリカの医療保険改革に基本的に賛成する一人だから、日系人のドリス・マツイさんが審議の締めくくりで、最後の賛成演説をしたことが、すなおに嬉しい。
で、ちょっと彼女のことをネットで調べてみたら、お父さん(2世)はイチロー・オカダといって、ライター(物書き)だったことが分かった。
まさか、日系アメリカ人の戦争体験を書いた有名な小説、昔、読んだ記憶のある、「ノーノーボーイ」の著者、ジョン・オカダのことかと思ったら、違った。でも、関係、あるかも知れない。
上記のニューヨーク・タイムズの記事も、彼女の言葉を引用していた。
可決した法案は、「アメリカの家族、数百万人の生活の質を高める」と。
下院を通った法案は、オバマの言うように、「ラジカルな変革ではないが、主要な改革である」ことはたしかだ。
ドリス・マツイ議員の今後のご活躍を祈る。
Posted by 大沼安史 at 08:58 午後 | Permalink | トラックバック (0)
フランスの選挙で、社会党、共産党、緑の党の「左派連合」が、サルコジの右派に圧勝した。
共同通信 ⇒ http://www.47news.jp/CN/201003/CN2010032201000011.html
3党の党首は、いずれも女性。
社会党:マルティーヌ・オブリー
共産党:マリー・ジョルジュ・ビュフェ
緑の党:セシル・デュフロ
3人そろい踏みの連帯写真は、
⇒ http://www.parti-socialiste.fr/articles/la-gauche-rassemblee-conference-de-presse-de-martine-aubry-cecile-duflot-et-marie-george-bu
日本にも新しい政治の流れをつくりださなければ……。
△ ▼ △
僕が今、できたらいいな、と思うのは、若者・女性・老人を中心とした新党を軸(接着剤)とする、保革を問わない、世直し護憲連合だ。
新党の名前も一応、考えている。
「連帯・日本」……!
Posted by 大沼安史 at 06:22 午後 | Permalink | トラックバック (0)
イラク開戦(2003年3月18日)7周年で、19日、「数千人」(主催者発表、1万人)の人々がホワイトハウスに対し、平和的な抗議行動を行った。
「棺」をホワイトハウスの前に置いて、イラク・アフガンからの即時撤退を求めた。
息子のケイシーさんをイラクで失った「平和の母」こと、シンディー・シーハンさんが「ホワイトハウスの戦争犯罪者とのハネムーンは終わった」と、ブッシュ路線を引き継ぐオバマ大統領に「三行半」を突きつけた。
彼女の決別宣言に対する、デモ参加者の「拍手」は「ほどほど」だった。オバマに、まだ期待をかけたい、というのだろう。
ホワイトハウスの敷地に入ったとして、シーハンさんを含む8人が逮捕された。
米軍を、イラクやアフガンの「敷地」内に、勝手に送り込んでいるのに……。
プロテストは、ニューヨークのタイムズ広場でも行われた。数十人が米軍のリクルートセンター前で抗議。「怒れるおばあちゃん」グループは、「♪ この国は壊れた、アホな戦争のおかげで」と反戦歌を歌った。
ロスやシスコでも数百人規模の抗議が行われた。
Posted by 大沼安史 at 05:17 午後 | Permalink | トラックバック (1)
日本の「浜辺の歌」は世界の人々の心に響く名曲だ。8分の6拍子。ワルツのように回りながら、砂浜を「2人」で歩いてゆく。今を昔に遡る……。
⇒ http://onuma.cocolog-nifty.com/blog3/2010/03/song-of-the-sea.html
Posted by 大沼安史 at 02:24 午後 | Permalink | トラックバック (0)
英紙インディペンデント(電子版)、BBC(英国放送協会)の電子版に、イラク戦争で失明した英軍兵士が、「舌を使って見る」ことに挑戦し、成功している――という記事が出ていて、驚かされた。
インディペンデント ⇒ http://www.independent.co.uk/news/science/blind-soldier-sees-with-tongue-device-1921830.html
BBC ⇒ http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/1220632.stm
クレイグ・ルンドバーグ伍長(24歳)。
3年前、イラクのバスラで、手榴弾の爆発により、両目の視力を失った。
そのクレイグさんが、どうやって「見る」ことができるようになったか?
それは、米国ウィスコンシン州ミドルトンという町の「ウィキャブ(Wicab)社が昨年春に開発した、「プレインポート(BrainPort)」という機器のおかげである。
Wicab 社HP ⇒ http://vision.wicab.com/index.php
英国防省がこの「ウィキャブ」を使ったリハビリ実験を始めたところ、クレイグさんの「目が見える」ようになった。
(米国では昨年時点で、この機器の素晴らしさが報じられている。 ワシントン・ポスト ⇒ http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/07/20/AR2009072002343.html )
ウィスコンシン大学の脳科学者たちが開発したこの機器、大きく分けて二つのパーツに分かれている。
ひとつはサングラスに装着する小型ビデオカメラ。
もうひとつは、カメラが捉えた映像を電気パルスにして、「ロリポップ(板状のキャンディー)」というデバイスに送り込む装置。
この「ロリポップ」には、映像の画素を伝える400ののポイント(点)があり、それを口に咥えることで、舌が電気刺激を感知する。
その刺激で、脳が「映像」を「見る」ことになるのだそうだ。
今のところ「400ポイント(画素)」の解像力だが、数字も読めるし、その気になれば、ロッククライミングもできる(どこを摑んでよじ登るか、ちゃんと「見える」)! ただし、クレイグさんには今のところまだ、盲導犬のヒューゴ君のサポートが必要だ。
ユーチューブ ⇒ http://www.youtube.com/watch?v=xNkw28fz9u0&feature=player_embedded#
同社では今後、「画素」数を4000に10倍増し、「ロリポップ」の小型化を目指すそう。
「ロリポップ」を小型化し、歯の裏側などに装着できるようなれば、食べながら「見る」ことも可能になるのだそうだ。
これは別に戦傷失明者だけのものではない。
日本でも文科省あたりが、目の不自由な子どもたちのために、導入すべきではないか。
Posted by 大沼安史 at 02:11 午後 1.いんさいど世界 | Permalink | トラックバック (1)
アパルトヘイト下の南アフリカで起きた「シャープヴィルの悲劇」――。
移動の自由を奪う人種隔離政策に抗議する黒人住民に対して白人警官が銃撃を加え、69人が死亡、180人が負傷した、大虐殺事件だ。
1960年3月21日、ヨハネスブルクの南、約50キロ、シャープヴィルで起きたこの事件は、アパルトヘイトの残虐に世界の目を向け、歴史を変える原点になった。
アパルトヘイト体制が崩壊した2年後の1996年、ネルソン・マンデラは、シャープヴィルの競技場で、新憲法に署名した。
記念日のこの日、3月21日は、現在、南アの「人権の日」になっている。
その、シャープヴィルの現在を取材した記事が英紙ガーディアンに、スライドショー(写真)付きで出ていた。(警告:虐殺現場の写真が出ています)
⇒ http://www.guardian.co.uk/world/2010/mar/19/south-africa-sharpeville-massacre-anniversary
生き残った元学生活動家が言った。「警官の射撃で死体が転がったあと、空に黒雲が出て、15分間、雨を降らせた。雨は死体の血を洗い流した……」
当時、16歳の女性は、いま76歳。
身重の体を撃たれたが、無事出産したそうだ。
普段着で抗議する民衆に対する無差別銃撃だった。
それから半世紀――。
住民の貧困は改善されない。先月、タイヤを燃やす抗議行動があったそうだ。
Posted by 大沼安史 at 05:34 午後 | Permalink | トラックバック (0)
お彼岸のお墓参りに自転車ででかけた。往復2時間半。
今夜はぐっすり眠れそうだ。
フルートの演奏で、スウェーデンの子守唄を。⇒ http://onuma.cocolog-nifty.com/blog3/2010/03/lullaby-1.html
Posted by 大沼安史 at 09:05 午後 | Permalink | トラックバック (0)
僕はニューヨーク・タイムズのコラムニスト、ニコラス・クリストフ氏のファンである。
なぜ、この人のコラムが好きかというと、それが「希望のコラム」であるからだ。
戦争国家に堕し、社会崩壊が進む「アメリカ帝国」にあって、それでも「希望」を見失わず、ともし火を掲げるコラムであるからだ。
昔、東京特派員をしたこともある、氏の最近のコラム、3篇を、簡単に紹介しよう。
#
【その1】 「赤信号」から始まった話
それは「赤信号」に始まった。2006年、アトランタの交差点。
作家であり実業家のケヴィン・サルウェンが車をとめると、同乗していたお嬢さんのハンナさん(当時、14歳)が、こう言った。
「あの人、もっと安い車に乗っていたら、こっちの人、食べ物にありつけたかも……」
ケヴィンさん一家の車の隣に停車した「あの人」の車は豪華なスポーツカー。路上で物乞いしていた「こっちの人」はホームレス。
信号が変わって車が走り出してからも、ハンナさんの「不平等」に対する抗議が続いた。
お母さんが、つい、大変なことを言ってしまった。「どうしたいの? じゃ、家でも売る?」
お母さんは、家を売ったら、自分たちも宿無しになってしまうのよ、と警告したかったのだろうが、逆効果だった。
ハンナさんは早速、そのアイデアに飛びつき、両親を説得し、家を売ってしまったのである。
広い自宅を売って、その代金の半額で、小さな家を買って引越し、残る半額を基本財産に、利子収入を慈善団体に寄付する社会貢献を始めたのだ!
ああ、なんてクレージーで、素敵なアメリカ人の家族!
1月24日付のコラム ⇒ http://www.nytimes.com/2010/01/24/opinion/24kristof.html?hp
【その2】 世界で学ぶアメリカの若者たち
アビゲイル・ファリクさんは、ハーバード大学ビジネススクールの学生だった2年前、「社会的事業」コンペに応募、優勝し、「グローバル市民の1年」(GCY=GLobal Citizen Year)というNPOを立ち上げた人だ。
高校卒業者を海外に1年間、派遣し、ボランティア活動を通して、「グローバル市民」に育ってもらのが目的。
彼女自身、16歳の夏に、ニカラグアの村でボランティア活動した経験の持ち主。
そう、レーガンが悪魔のように言い立てたニカラグアの民衆とともに生活した体験が、GCY設立の原動力となった。
いま、GCYの一期生が、グアテマラやセネガルで活動中だそうだ。英語を、コンピューターを、ドラマなどを教えているが、学ぶことも多いことだろう。
日本では、アメリカ以上に、大学受験、大学進学で、10代の終わりの若者たちから余裕と夢が奪われているが、高校卒業後、こうした海外経験を積むことは、人生の針路を考える土台になり得るものではないか。
ところで、クリストフ氏自身も、「旅をゲットしよう」プログラムを主宰し毎年、アメリカの学生を1人、海外に派遣している。ことし、選ばれたのは、カンサスの大学生、ミッチ君。アフリカに行って、現地での活動をブログで報告することになっている。
3月11日付 ⇒ http://www.nytimes.com/2010/03/11/opinion/11kristof.html
GCY公式HP ⇒ http://globalcitizenyear.org/about/
【その3】 パーティーしちゃって世界を変えよう!
2004年、アフリカはウガンダの首都、カンパラでのことだった。「平和部隊」のベテラン、アメリカ人女性、トルキン・ウエイクフィールドさんが、遊びに来たお嬢さんと、スラムの通りを歩いてときだった。
泥家の前の道端で、ウガンダの女性(名前はミリー・アケナさん)が手製のアクセサリーを売っていた。
紙でできたビーズの「ジェエリー」だった。「ネックレス」を数個、買い求めた。1個75セント。
ごみに捨てられた紙くずのアクセサリーだった。しかし、その色合いの、そのデザインの素晴らしいこと!
それを身に着けたトルキンさんとお嬢さんに、「素敵ね」の声が集まった。「ごみくずからできたジュエリーなの」と言うと、称賛の声はますます高まった。
「あっ、これだ」と閃いたトルキンさん、スラムに出かけてミリーさんを探し、彼女とその知り合いの「アーチスト」から、ネックレスを225個以上も買い求めた。
こうして、トルキンさんが始めたのが、「ビーズフォーライフ」という、ウガンダのスラムと、アメリカをつなぐ、社会的企業。
貧困撲滅と公正貿易(フェアトレード)を旨とするが、お気に入りのアクセサリーを身につけ、いそいそ出かけける、楽しいパーティーの乗りで参加できる、グローバル格差是正ためのプロジェクトである。
「ビーズフォーライフ」のHP( ⇒ http://www.beadforlife.org/indexA.html)を覗いたら、婚約プレゼントで彼女に1個、買ってあげたとのろける男性の「声」が紹介されていた。
日本にも、お店、できたらいいな。
3月13日付 ⇒ http://www.nytimes.com/2010/03/14/opinion/14kristof.html
#
ニューヨーク・タイムズの電子版有料化が来年から始まる。日本の新聞も、いずれ電子版の有料化に踏み切ることになるだろう。
僕はクリストフ氏のコラムを読みたいから――アメリカの「希望」を知りたいから、有料化されてもアクセスし続けるつもりだ。
電子版有料化(新聞生き残り)の成否は、そこに「読みたい記事」があるかどうか、読みたい記事を書く記者がいるかどうかにかかっている。
日本にもクリストフ氏のような「希望のコラムニスト」が現れてほしいものだ。
Posted by 大沼安史 at 08:49 午後 1.いんさいど世界 | Permalink | トラックバック (0)
中学校の修学旅行で、一番の思い出は、皇居前でのことである。
偶然のことだったが、昭和天皇が、私たちの前を、車でお通りになったのだ。
担任のK先生が、まさに「直立不動」になった姿を、今でも憶えている。
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中学3年生の僕は、担任のK先生(国語の先生で、僕の結婚の仲人になっていただい方だ)の、その時の、まるでバッタのような「直立不動」ぶりに違和感を覚えたものだ。
その違和感は、僕が成人し、新聞記者になって、それから十数年後、「8・15」の東京・武道館での「全国戦没者慰霊祭」での、昭和天皇の振る舞いを知るまで(昭和天皇は、武道館で会場入りする際、決してエレベーターをお使いにならなかった。階段を一歩、一歩、お昇りになったのである)、消え残らず、あり続けた。
昭和天皇は生前、「戦争責任」を、マスコミ代表との記者会見で、問われたことがあった。
そうした「文学の綾」には答られないと、たしか、お答えになった。
その時、僕は昭和天皇に対し、すこしばかり反発を覚えたものだが、今は違う。
「戦争責任」――? 昭和天皇はおそらく、そんな言葉で済まされない、大変な責任をお感じになっていたのだ。
「現人神」に崇められた自分を――戦争を主導してしまった自分を――軍部に、いいように使われた御自分を、痛切に反省されていたと思う。
だからこそ、昭和天皇は「A級戦犯の合祀」のあと、断固、靖国神社の参拝を拒絶されたのではないか。
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私は、らい病(ハンセン氏病)患者のため、一生を捧げた、天下無双の碩学、岩下壮一神父を尊敬申し上げる一人だが、神父が静岡・御殿場の「神山復生病院」の院長として苦闘している当時、昭和天皇のお母上の皇太后が、同病院の支援をしていたことを、重兼芳子さんの『闇をてらすお足音 岩下壮一神父と神山復生病院物語』』(春秋社)を読んで初めて知った。
なぜ、皇太后陛下が、らい病患者の療養所を資金的に支援したか――重松芳子さんは、その理由についてお書きになっていないが、私は自信をもって、そのわけを、その理由を、ハッキリ言うことができる。
昭和天皇は――皇太后の愛息は――、戦前、ヨーロッパ歴訪中、ベルギーのルーヴァン大学を訪ねているのだ。
その時、天皇を、ルーヴァン大学でご案内申し上げたのは――そう、その人こそ、留学中の岩下壮一氏だった!
皇太后は、昭和天皇から聞いて、岩下壮一氏を知ったのではないか。
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ナチスは精神病者をガス室送りしたが、日本の皇室は、らい病患者を守り抜いた――このことは、もっと知られてよい事実である。
一高・東大を首席で通し、学者(哲学者)としての立身出世の道に背を向け、らいの病者とともに、愛と信仰の生涯を全うされた岩下壮一神父(1889-1940)。
清廉なカトリックの神父を、たぶん昭和天皇は尊敬し、皇太后とともに支援の手を差し伸べたのではなかったか。
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昭和天皇は、戦後、「人間宣言」なされた時、そのお優しいお姿に(丈夫ではなく、どちらかといえば、女性的なお姿に)、驚いた国民も多かったと聞く。
それでいいのだ、と僕は思う。
重兼芳子さんは、『闇をてらす足音』の最後に、「付記」として、岩下壮一神父の言葉を、こう書きしるしている。
ゆりかごを動かす者は世界を動かす。
いのちを育てる者は、世界を動かす……靖国参拝を敢えて拒否なされた、昭和天皇もまた、同じ思いでいらっしゃったのだろう。
日本のナショナリズムは、病める者を救う、こころ優しいナショナリズムでなければならない。
Posted by 大沼安史 at 08:02 午後 3.コラム机の上の空 | Permalink | トラックバック (0)
米国南部の黒人による公民権運動を撮り続けた白人カメラマン、チャールズ・ムーア氏が18日、お亡くなりになった。79歳だった。
黒人差別の実態を生々しくとらえたムーア氏の写真は、「ライフ」誌などを通じて、アメリカ国内、さらには世界の人々の目に、差別する側の暴虐を、闘う人々の勇気を、強烈に焼き付けた。
上記、AP電の死亡記事につけられた1枚は、コレッタ夫人の目の前で、警官によって取り押さえれるキング牧師の姿を写したもの。
また、チャールズ・ムーア氏の写真サイト
( ⇒ http://www.viscom.ohiou.edu/oldsite/moore.site/ )には、
歴史の証言写真ともいえる「黒人を襲う2頭の警察犬」や、 「バットで殴る白人」が掲載されているので、こちらも、ごらんになっていただきたい。(Index をクリックするとよい)
ムーア氏はさらに、ドキュメンタリー映画、「私はカメラで闘う」( ⇒ http://video.google.com/videoplay?docid=-
4242786686933713169&ei=OtyfS6nRHpPorAKghbnpCQ&q=charles+moore+i+fight+with+my+camera# ))で、自分の活動を振り返っている。すばらしいドキュメンタリーだ。
ムーア氏は今から6年前(2005年)に、南部の新聞のインタビューにこたえ、こう語った。
「私は私の写真が、私たちの国に、私たちの社会に変化が起きる手助けをしたことを誇りに思っている。私たちは皆、同じ神の子どもであることを示すことができたと、私は誇りを持って言える」
Posted by 大沼安史 at 07:24 午後 | Permalink | トラックバック (0)
2003年3月16日、ガザ地区で、イスラエル軍ブルドーザーに轢かれて死んだ、アメリカ人女性、レイチェル・コリーさん(当時、23歳)の、亡くなる2日前(14日)の映像(中東放送インタビュー)が、米国の平和運動サイト、「コモンドリームズ」に掲示された。
現場でのインタビュー。背後に整地作業をしているらしい、イスラエルの重機が写っている。
井戸の破壊。一緒に夕食をしたパレスチナ人の家族のこと。その子どもたちのこと……。
Posted by 大沼安史 at 06:42 午後 | Permalink | トラックバック (0)
いまのアメリカに sick with している人のために、ホット・クラブ・オブ・カウタウンの解毒剤をダブル(演奏&歌)で。
⇒ http://onuma.cocolog-nifty.com/blog3/2010/03/therell-be-some.html
Posted by 大沼安史 at 09:21 午後 | Permalink | トラックバック (0)
ジェシー・ヴェントゥーラ氏、58歳。米国のミネソタ州の元知事。元プロレスラー。米海軍特殊部隊「シールズ」元隊員。 Wiki ⇒ http://en.wikipedia.org/wiki/Jesse_Ventura
政界引退後は、テレビ番組で、アラスカに配備された「電離層ヒーター=統合物理学兵器 HAARP」の謎に迫る( ⇒ http://www.youtube.com/watch?v=uZOt29NR0FY )など、「アメリカの陰謀」を告発している人。
そのヴェントゥーラ氏が、近著『アメリカの陰謀(American Conspiracies)』の発刊に合わせ、アメリカで人気のネット・ジャーナリズム、「ハフィントン・ポスト(The Huffington Post)」(略称、「ハフポ」)に、「何人かの人々にとって、9・11に起きた出来事の探究は終わっていない(For Some, the Search for What Happened on 9/11 Isn't Over)」を載せた。
それが、間もなく、「ハフポ」の編集方針に合わないとして、急遽、削除されたことが今、波紋を広げている。
アメリカの主流メディアは、なぜか「9・11」疑惑に対して口を噤んでいる。そんな中で起きた、今回の「削除」劇……。自己検閲? 「ハフポ」よ、お前もか?――というわけである。
で、その「幻のハフポ記事」とはそもそも、どんな内容のものだったか?
カナダの「グローバル・リサーチ研」のサイトに「再掲」( ⇒ http://www.globalresearch.ca/index.php?context=va&aid=18100
)されたものを見ると、「世界貿易センタービル(WTC)」(1、2.7号棟)の「崩壊」が「爆破」によるものではないか、と疑問を提起したものだった。
・ WTCは建設当時、最大の航空機だったボーイング707型機(エンジン4基)が時速600マイルの速度で突っ込んでも耐えるように設計されていた。9・11に衝突した航空機はエンジン2基、衝突速度は440、550マイルに過ぎなかった。
・ 現場から、超高性能爆薬の「ナノ・サーマイト」が、コペンハーゲン大学のニルス・ハリット教授らによって発見された。ハリット教授らは「オープン化学物理ジャーナル」に論文を発表。「崩壊」は「爆破」によるものと見ている。
――など、「周知」の「事実」に基づき、疑問を投げかけただけの記事だったが、にもかかわらず、「削除」の憂き目にあってしまった。
果敢さが売り物だったはずの「ハフポ」までも……先日の藤田幸久議員へのワシントン・ポスト紙の「社説・個人攻撃」といい、アメリカでは「9・11」に蓋しようとする巨大な力が、どうも働いているようだ。
「9・11」の虚構が崩れれば、「対テロ永久世界戦争」の根拠も消えるわけだから、アメリカの「闇の権力」としては必死の押さえ込みを続けるしかない。
ヴェントゥーラ氏の近著、『アメリカの陰謀』が、今日、アメリカから届いた。全14章。リンカーンの暗殺に始まり、マルコムX、キング師らの暗殺、政府の麻薬取引関与、「盗まれた大統領選」、「ウォールストリートの陰謀」、9・11、さらには「アメリカ・デモクラシーを終える秘密計画」と、「定番?疑惑」のそろい踏みである。
来年、2011年の「9・11」10周年のヤマ場に向け、ヴェントゥーラ氏の動きにも目を離せなくなった。
無事の健闘を祈る!
Posted by 大沼安史 at 07:39 午後 | Permalink | トラックバック (0)
フランスのシャンソン歌手、ジャン・フェラさんがお亡くなりになった。
⇒ http://onuma.cocolog-nifty.com/blog3/2010/03/la-montagne.html
Posted by 大沼安史 at 04:09 午後 | Permalink | トラックバック (0)
Posted by 大沼安史 at 11:32 午前 1.いんさいど世界 | Permalink | トラックバック (0)
オバマ大統領がノーベル平和賞の賞金140万ドルを全額、ハイチ難民や戦傷兵士の家族、先住民族を含む少数民族の教育などのために寄付することを表明した。
共同通信 ⇒ http://www.47news.jp/CN/201003/CN2010031201000229.html
約束を実行した「有言実行」。
当たり前のことだ。政治家として、大統領としての言動に贈られたものだから、懐にするわけにはいかない。
さて、わが日本の「密約宰相」佐藤栄作氏の「ノーベル平和賞」である。
日本政府(民主党政権)の手で、「核抜き返還」のウソが公式に確認された以上、オスロのノーベル賞委員会としても、佐藤氏への授賞をこのまま放置しておくことはできまい。
佐藤氏が亡くなっている今、「平和賞」を「剥奪」される前に、ウソを突き通して来た政権党の自民党は、せめて賞金だけでも、すすんで「返還」してはいかがなものか?
即時無条件全額。もちろん裏取引・密約もなし――それが潔い、「美しい国」(そういえば、こんなことを、そっと口先に出しておっしゃった、自民党の「若き」3杯目……いや3代目総理総裁がいたなあ……)=日本の武士道というものだろう。
日本の全国民をだまし、ノーベル平和委員会(=世界世論)まで愚弄した、日本政府=政権党(自民党)――その総理総裁だった佐藤氏の責任は重い。
(あの栄ちゃんスマイル=団十郎的リッパな笑顔で、一時的に「密約」のことを忘れ、オスロでの授賞式に出た受賞せざるを得なかった――だなんて! ああ、それにしても、自民党って、なんてかわいそうな?政党なんだ!)
でも、ノーベル平和賞を「詐取」し、メダルばかりか賞金まで懐にして、知らぬ顔の権兵衛では、済まない。
Posted by 大沼安史 at 07:01 午後 | Permalink | トラックバック (0)
英紙ガーディアン(電子版)に、11日、ギリシャのアテネで行われた民衆の抗議デモのビデオが掲載された。
⇒ http://www.guardian.co.uk/world/2010/mar/11/greece-nationwide-strike-austerity-plan
2万人以上が参加した。警察官、消防士、建設労働者、ジャーナリストも街頭に出て、政府の緊縮政策に抗議した。
議会前では石や火炎瓶が投げられ、催涙ガスが発射された。
若者たちも100人ほど「黒覆面」「ヘルメット姿」で加わったそうだ。
地方の中心都市、テッサロキでも1万4千人がデモを行った。
前政権の「巨額赤字隠し」が明るみに出て、奈落の底に突き落とされたギリシャの民衆たち。
日本も下手すると同じ運命をたどることに……。
ギリシャではジャーナリストがデモに参加している。
日本の「組織ジャーナリスト」諸君、ギリシャの2の舞にならぬよう――明日はわが身とならぬよう、「生活を賭けて」、日本の現状にメスを入れてほしい。
(そんな、つまらん「社」、および「局」で「出世」したところで何になる?……)
日本の財政を破綻に追い込んだ者どもの罪状を暴き、盗み出された税金を回収せよ!
Posted by 大沼安史 at 06:06 午後 | Permalink | トラックバック (0)
米連邦議会下院は10日、デニス・クチニチ議員(民主、オハイオ)が提案したアフガンからの米軍撤退決議を、365-65の圧倒多数で否決した。
⇒ http://www.commondreams.org/headline/2010/03/10-10
下院の審議は2時間半に渡って続いたが、この中で、パトリック・ケネディ議員(民主、ロードアイランド)は、取材にも現れない報道陣を、以下のように、痛烈に批判した。
「ここいるプレスは1人、2人、それしかいなじゃないか。エリック・マッサ(下院議員、スタッフに対する性的ハラスメントをした)のことは、24/7(24時間、一週間ぶっ続けで)、テレビで報道している。今、われわれは(もっともっと大事な)戦争と平和を議論しているんだ。30億ドル。1000人もの米兵が死んでいるのに、ここにプレスはいない、プレスはいない!」
「アメリカの民衆が怒っているのはなぜか、分かっているのか? 自分たちが選出して送り出した議会がしていることを何も見ていないからだよ。プレスのせいだ。アメリカ合衆国のプレスは国民的に最も重要な問題を取材していない。この国のために犠牲になった人たちを忘れている。米国の報道界よ、お前たちは今、侮蔑に値する」
⇒ http://www.huffingtonpost.com/2010/03/10/patrick-kennedy-press-cor_n_493848.html
セックススキャンダルは取り上げるが、アフガン戦争の議会審議は、どうせ否決されるから、と取材もしない、というアメリカの主流メディアの、この堕落ぶり!
下院議場で怒り狂ったパトリック・ケネディ議員とは、亡くなったテッド・ケネディ上院議員の息子さんである。
ケネディ一族のエースだ。(ほかにも、暗殺されたロバート・ケネディの息子さんも、市民運動家として活動している)
アメリカ主流メディアの無力は今に始まったことではないが、とくに「9・11」以降はひどい状況だ。
「イラク戦争」など「世界テロ戦争」という「永久戦争」が開始されてからというもの、踏み込んだ取材はあまり見られない。
先日など(8日)、ワシントン・ポスト紙が「9・11のファンダジーを抱く日本の指導的政治家」なる論説を掲げ、民主党の藤田幸久参議院議員のことを個人攻撃していた。
⇒ http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2010/03/07/AR2010030702354.html?sub=AR
ブッシュのポチ論説委員? みっともないったら、ありゃしない!
藤田氏には、僕も2度ほどお目にかかったことがあるが、誠実な、常識をわきまえた、教養のある(政治家には珍しい?)紳士である。
藤田氏は「9・11は陰謀だ」といっているのではなく、不可解な部分が多すぎる、納得の行く解明を、と呼びかけているだけだ。それが結局、アメリカのためにもなると。
ワシントン・ポストもかつては、サツ回りの事件記者2人組がかぎまわって、あのウオーターゲート事件を暴いたことがあるのだから、世界中からわき上がってる、「9・11」の真相究明を望む声に応えてはどうか!
Posted by 大沼安史 at 07:51 午後 | Permalink | トラックバック (0)
主権者=国民に対する、「三位一体」の裏切りだった。
アメリカの核兵器に目を閉じ、ヒロシマ、ナガサキの声に耳を塞ぎ、いちど捨て石にしたオキナワの「買い渡し」を語らなかった、日本の権力者たちによる空前の「政治犯罪」が明らかになった。
「広義の密約だ」などと「有識者会議」がいかに言い繕おうと、この半世紀にわたって「嘘」をつき通して来たことはもう隠せない。
「密約」の有無が分かったことよりも、国民をだまし通す「政治的な犯罪」が、50年もの間、常習的に続いて来た――このことが、今、他の何よりも重大な問題である。
「大本営発表」は、戦前・戦中だけのものではなく、戦後の今に続いていた……。
□ ● □
「鬼畜アメリカ」との戦争に国民を総動員し、国民に途方もない犠牲を強いた戦前からの支配権力が敗戦後も生きのび、こんどは「同盟国・アメリカ」の言うがまま、「平和憲法」を空洞化させ、「沖縄」の人々に過酷な負担を強いて来た。
核兵器を「持たず・つくらず・持ち込ませず」の「非核3原則」も、「アメリカが核兵器を持っている・つくっている・持ち込んでいる」の、実は「核の傘3原則」だった。
表と裏――戦後の日本の支配権力はクソをミソと、ウソをマコトと言い立てて、かつて「神の国」の“建国”に成功した経験とノウハウを活かし、「戦後デモクラシー」の虚構を組み上げて来た。
その「大嘘」がバレた。
「2010年3月9日」は、日本の「歴史(教科書)」を書き換える、画期的な節目の日である。
□ ● □
先のベルリン映画祭で高く評価された、若松孝二監督の『キャタピラー(芋虫)』は、川柳界の小林多喜二、鶴彬(つる・あきら 1909~38年)が告発した「手と足をもいだ丸太にしてかへし」状態にされた戦傷帰還兵とその妻の物語だが、今回、確証された、「政府の大嘘」を考え合わせると、戦後の日本国民は、「目も耳も口も」権力者によってコントロールされて来たのだな――と、つくづく思わざると得ない。
見ざる・聞かざる・言わざる……
見るもの・聞くもの・言うものが、実際、すぐ目の前にあるにもかかわらず、政府によって否定されてきた。国民はうすうす真実を感じつつも、見ザル・聞かザル・言わザル状態を続けざるを得なかった。
「アメリカのポチ」に愚弄され続けた、かわいそうな「3匹のサル」よ!
□ ● □
しかし、自らを哀れんでいてはならない。ウソの歴史に幕を引く弾みを生み出したのは、政権を交代させた、私たち国民の意志であることを、忘れてはならない。
鶴彬にはもうひとつ「暁を抱いて闇にいる蕾」という、有名な作品もあるが、鶴彬の時代、1930年代から70年以上も経った今、とうとう権力者の「ウソの闇」が晴れたのだから、こんどはこれからを生きる私たちが「暁の蕾」を咲かせる番である。
その点でも、「ウソの闇」が、「60年安保50周年」のことし――それも春三月に(5月、6月を前に)明けた意味は大きい。
□ ● □
核の傘さして 歴史のゼロ地点
核小さくひらく 国とりライセンス
核かくし 基地にふる雪もえる雪
これは、私に鶴彬のことを教えてくれた川柳作家、佐藤冬児さん(とおる、本名・享如〔きょうすけ〕)の作品である。
佐藤さんは、小樽の人。寝たきりで国を相手に、在宅投票制度(郵便投票)の復活を求めて裁判を闘い、実質勝訴(制度の再開)を手にした人だ。
時事川柳で、「政府の大嘘」をはっきり見破っていた佐藤さん!
歩くことのかなわなかった佐藤さんは、しかし、原告として、川柳による批判者として最後まで反骨を貫き、主権者としての道を歩き通した、意志の人でもあった。
□ ● □
そして今日は――そう、明けてぞ今日は、めでたき「ウソの時代」からの卒業の日。
「尻尾をかえりみない カメレオンの信条」(佐藤さんの作品)の権力者どもに、三行半を突きつけ、再び歩き出す時だ。
Posted by 大沼安史 at 09:35 午後 3.コラム机の上の空 | Permalink | トラックバック (1)
ハイチは数週間後に雨季を迎えるそうだ。
独誌シュピーゲルは言う。首都ポルトープランスはさならが、ひとつの巨大な難民村と化している。そして全国では、赤十字社調べて130万人もの難民。
大雨が始まり、汚物が溢れ出すと、チフスや赤痢などが大流行する恐れがある。「際限なく」流行する恐れがある。
自衛隊員もたいへんだ。でも、がんばってほしい。無事の活動を祈る。
⇒ http://www.spiegel.de/panorama/gesellschaft/0,1518,682418,00.html
Posted by 大沼安史 at 05:52 午後 | Permalink | トラックバック (0)
ロスで「アカデミー賞」の授賞式が行われた。
女優たちがあでやかなドレスで現れ、男たちはタキシードで銀幕の騎士を気取る、ハリウッド、自画自賛の映画祭。
今年の授賞作リストを眺め、その評判を聞いて、ヘソを曲げた。
★ ★
監督賞や脚本賞など「6冠」に輝いたのは、「ハート・ロッカー」という、イラク駐留・爆弾処理班の米兵「ジェームズ」を主人公にした映画だ。
作家の沢木耕太郎さんはその映画評論「銀の街から」(朝日新聞)に、こう書いていた。
「……どこにどんな爆弾が仕掛けられているかわからない。……いつ銃弾が飛んでくるかわからないのだ。その中を、防護服を着たジェームズは、まるで西部劇のガンマンのように平然と歩いていく。いったい、彼はなぜそのように『勇敢』であり続けられるのか。それは一種の『狂気』ではないのか」
沢木さんによれば、映画は「……冒頭に掲げられた『戦争は麻薬である』というエピグラフ風の言葉に呼応するようなかたちで終わる」そうだが、その結末がどんなに感動的なものであろうと――どんなに涙を誘うものであろうと――あるいはまた、それが「戦争の無意味さ」をいかに「訴えかける」ものであとうと、「イラク戦争の悲惨」と「等身大」で重なり合うものではないはずだ。
「現実」にはあり得ない「ヒーロー」を、「イラク」というこの世の地獄を舞台に創造し、スクリーンに幻影を投射したところで、「アメリカ軍事帝国」による歴史的な犯罪行為を消すことはできない。
この映画が拍手喝采を浴びたとしたら、それはアメリカ人のジョン・ウエイン的な「度胸と勇気」の発現の場を、勇敢にもあえて「イラク」に設定し、おそらくはそれに見合っただけの痛烈なアイロニーを効かせて、エンターテイメントであることを暗黙の前提に、「超越的」あるいは「クール」に(ダスティー・ホフマン的に?)描き出したからだろう。
これをたとえば、米海兵隊に掃討・破壊されたイラクのファルージャの市民が観たら、何と思うか?
★ ★
太地町のイルカ漁を盗撮した「ザ・コーブ」の長編ドキュメンタリー映画賞受賞にも納得のいかない思いがした。
太地町の捕鯨・イルカ漁は、ネイティブな伝統的な漁である。農水省の役人の天下り先が大規模船団を組んで出撃している「南氷洋・クジラ工船・大規模(「調査」)捕鯨」とはまったく性格を異にする。
カナダなど世界の先住民らに認められている、沿岸捕鯨と同種のものである――それを盗撮したようなもの……。
イラクで「100万人」もの民間人の命を奪っているアメリカにとっては、イルカより人間の命の方が軽いのか?
8日付のニューヨーク・タイムズ紙(電子版)によれば、「コーブ」の制作スタッフたちが「アカデミー賞」の選考会を前に、サンタモニカの「すしレストラン」を標的に、鯨肉(クジラ握り、1個60ドル)を摘発する作戦を決行、呼応した連邦政府のエージェントらが家宅捜索し、店のメルセデスの中から鯨肉を押収する捕り物劇があった。
海洋哺乳類保護法違反。最大懲役1年、2万ドルの罰金が課せられる。
⇒ http://www.nytimes.com/2010/03/09/us/09sushi.html?hp
この押収された鯨肉、万が一「南氷洋産」(調査捕鯨の調査済み鯨肉)だなんてわかると、大変なことになってしまうが、それよりも気になるのは、アメリカの食文化の中で市民権を得、「kujira」のグルメを楽しむアメリカ人さえいるにもかかわらず、まるで「オスカー」の「前景気」をあおるように、すしレストランに急襲をかけた連中の、「食文化」に敬意を払わない、傲慢な態度である。
日本の「マック」に肉食を忌み嫌う一団が現れ、牛を殺すなといってハンバーガーを投げ捨て、冷蔵庫のビーフを押収、陸上哺乳類保護法違反(?)だといってヤンキー店長を警察に突き出したら、アメリカ人はどう思うか?
★ ★
この「コーブ」に「賞」をさらわれた「長編ドキュメンタリー」候補作で、僕がとても残念な作品がひとつある。
それは、あの「ペンタゴン文書」をすっぱ抜き、「ベトナム戦争」の正体を暴露した、ダニエル・エルズバーグ博士を描いた、「世界で最も危険な男」である。
⇒ http://carpetbagger.blogs.nytimes.com/2010/02/08/from-the-pentagon-papers-to-the-oscars/?scp=19&sq=%EF%BC%A3%EF%BD%8F%EF%BD%96%EF%BD%85&st=cse
http://movies.nytimes.com/2009/09/16/movies/16dangerous.html?
エルズバーグ博士は、米国防総省(ペンタゴン)の中枢で働き、いかに米国の軍事権力が国民をだましているか、白日の下に曝した、「世界で最も勇敢な男」の一人――ペンタゴンにとっては「最も危険な男」。
その命がけの告発を描いた、歴史的なドキュメントが、「すし屋」を襲うような輩の盗撮作品に負けるだなんて!
★ ★
アメリカの作家・ジャーナリスト、ジェームズ・キャロル氏が書き、僕が訳出したガルブレイス賞受賞作、『戦争の家 ペンタゴン』(緑風出版)――エルズバーグ博士の闘いも描かれている――は、米国の軍事権力、軍産複合体の頂点に君臨する国防総省=ペンタゴンの「惨憺たる勃興」(アイゼンハワー退任演説)の姿を描き切ったものだが、ペンタゴン=五角の「戦争の家(House of War)」を、ある印象的なメタファーで譬えている。
メルヴィルの小説に出て来る、あの巨大な「白鯨」――あの「白鯨」こそ、アメリカ軍事権力の化身ともいうべき、強大な「ペンタゴン」である、と。
「ベトナム」でのたうち、「イラク」で、「アフガン」で猛威をふるう、凶暴な「白鯨」に目を塞ぎ、その「軍事力の世界投射」という現実から目をそらしながら、スクリーンに幻影を投射し続け、民衆の視線をあらぬ方向に誘導するハリウッドは、エリア・カザンのハリウッドではなく、ロナルド・レーガンのハリウッドでしかない。
「白鯨」にのみこまれて、「傷」(ハート)を内向させ、銀幕の幻影に気をまぎらせてはならない。
The Hurt Locker トレイラー ⇒ http://movies.nytimes.com/movie/408490/The-Hurt-Locker/trailers
Posted by 大沼安史 at 10:06 午後 3.コラム机の上の空 | Permalink | トラックバック (3)
独誌・シュピーゲル(電子版)にベルギーの若き女性写真家、アリス・ミーツさん(22歳)の「写真アルバム(スライド)と、彼女に対するインタビューが載っていた。
彼女は震災前からハイチを撮り続けて来た人。
震災で駆けつけた報道写真家とは、一味違った、かかわり方をして来た人だ。
震災前のハイチには彼女のほかに、一人の外国人写真家もいなかったそうだ。
シュピーゲルの電子版のアルバムにも収録されているが、彼女のハイチでの作品――ハイチの少女を写した1枚が、2008年のユニセフ(国連児童基金)の写真賞に輝いている。
ポルトープランスのスラム、「太陽の街」の、汚水の水溜りで写した1枚。
少女の名は「ランダ」。
友だちのところへ駆け戻る瞬間を撮った。豚のいる汚水に写った水色の空。少女の白い服。その強い、一直線のまなざし。
アリスさんは震災の知らせをニューヨークで聞いた。ハイチ入りして「ランダ」を探すと、無事だった。
インタビューで彼女は、なぜハイチか?と聞かれ、昔、最も豊かだった植民地が今、どん底にあえいでいる、その現実を撮りたかった、と答えている。
震災前、人々は貧しくとも明るかった。教会に集まると、歌い、踊った。
震災後、ハイチの人々は挫けてはいない。どこに行っても歌が聞こえる、という。
PKOで現地で活動中の、自衛隊のみなさんも、ハイチの人々からきっと、元気をもらっていることだろう。アリスさんのように、現地の人と交流ができると、いいな!
アリスさんは写真の収益を寄付するなど、ハイチの人々の支援を続けているそうだ。ガンバレ!
アリスさんの愛機は今でも、「キャノン」のはず(2008年ではたしかにそうだった!)。
「キャノン」が彼女のスポンサーになってあげたら、喜ぶはずだ。
アリスさんは自分のHPで英語で「ハイチ写真ブログ」を書き続けている。
のぞいたら、瓦礫の山で眠る男の人の写真が載っていた……。
もういちど、声援をおくる。アリスよ、ガンバレ!
インタビュー ⇒ http://www.spiegel.de/kultur/gesellschaft/0,1518,682337,00.html
スライドの一枚 太陽の街のランダ ⇒ http://www.spiegel.de/fotostrecke/fotostrecke-52627.html
同 息子よ、お前は8歳だった ⇒ http://www.spiegel.de/fotostrecke/fotostrecke-52627-10.html
アリス・スミーツHP ⇒ http://www.alicesmeets.com/
彼女のハイチ 写真ブログ ⇒ http://www.alicesmeets.com/
ユニセフ2008写真賞 受賞インタビュー ⇒ http://blogs.20minutos.es/sextacolumna/post/2009/01/26/interview-with-alice-smeets-winner-of-the-unicef-photo-of-the
Posted by 大沼安史 at 05:58 午後 | Permalink | トラックバック (0)
井上ひさしさんの戯曲、『組曲虐殺』を、「すばる」1月号に載った台本で、紙上観劇した。
小林多喜二をめぐる、井上ひさしさんの評伝劇だ。
台本から、立ち上がる北海道弁。「そんなハンカクセェごどありますか」「ではないかい」――。そしてたとえば、「小樽電気館」(映画館)といった固有名詞。
1971年、新米の新聞記者として、初任地の北海道・根室で「女工節」を聴き、その後、小樽に転勤して、4年間、「多喜二の街」で暮らした私には、懐かしさのこみあげる「舞台」だった。
♪
この戯曲を読んで、私はトルストイの小説、『復活』のことを思い浮かべた。
そこには、似ていて違う――しかし共通するものがあった。
どこがどう似ていているかは、言うまでもない(たとえば、「カチューシャに対するニェフリュードフ」と、「瀧子に対する多喜二」の関係。彼女ら2人がともに「酌婦」だったこと)。
違っているのは、たとえばニェフリュードフが物語の終わりにおいて、人生の新たな旅路を始めようとするのに対し、特高の拷問で殺された多喜二は、その短い人生を終えていることだ。
しかし、違いはもちろんそれだけではない。トルストイの「身代わり」ともいえるニェフリュードフは、体制に憤り、革命運動に理解を示し、貧しい人々、困難を背負った罪人らに同情を寄せ、できる限りの救援をするが、貴族ではない多喜二は、地下に潜って書く、抵抗運動を続けるしかなかった。
ここにトルストイの平和主義と、多喜二の時代のプロレタリア文学の決定的な――大きな差がある。
♪
周知のようにトルストイは日本の「白樺」派に大きな影響を与えた人だ。その白樺派の代表的作家のひとり、志賀直哉が、多喜二あてに出した有名な手紙が、千葉県我孫子市の「白樺文学館」(⇒ http://www.shirakaba.ne.jp/ )に残っている。
その手紙には、たとえば、こうある。「主人持ちの芸術はどうしても希薄になると思ひます。文学の理論は一切見ていないといっていい位なので、プロレタリア文学論も知りませんが、運動意識から独立したプロレタリア小説が本当のプロレタリア小説で、その方が結果からいっても強い働きをするやうに私は考へます」
あるいは、「トルストイは芸術家であると同時に思想家であるとして、然し作品を見れば完全に芸術家が思想家の頭をおさえて仕事されてある点、矢張り大きい感じがして偉いと思ひます。トルストイの作品でトルストイの思想家が若しもっとのさばっていたら作品はもっと薄っぺらになり弱くなると思ひます」。
20歳年下の多喜二に対する、志賀直哉なりの親身(志賀直哉は多喜二と一度、会ったことがある。好感を持ったそうだ!)のアドバイスだが、ここにも「トルストイアン」と、プロレタリア文学者たる「多喜二」の違いが現れている……。
♪
こうした「違い」はもちろん、常識的な解釈で、ほとんど誰もがうなずくことに違いないが、私が実は『組曲虐殺』を紙上観劇して感じたのは、むしろ「復活」との共通性である。
井上ひさしさんはもちろん、トルストイと多喜二の「比較文学論」を書いたのでなく、小林多喜二という人間を書いたのだ。多喜二のプロレタリア文学を批評したのではなく、それを書いた「多喜二」を書いたのだ。それを書いて死んだ「多喜二」を、舞台の上でよみがえらせたのだ。
そのよみがえった「多喜二」が、「トルストイ」に実によく似ている。外見ではなく、その人となりが似ているのだ。
たとえば「ベートーベンのバイオリン協奏曲、作品番号六十一番」を好きだった多喜二!(トルストイも〔ブルジョア?〕音楽が好きだった。「復活」にはたしか、ベートーベンの交響曲第五番のことが出て来る!)
(2人の特高刑事がおしくら饅頭をし、母、妻、そして瀧子もおしくら饅頭を始める姿をみて)「これはもうぼくの、一番新しい、かけがえのない光景だな」と語る、多喜二の平和主義! (階級的な憎悪を否定し、汝の敵――この場合は「特高刑事」――を愛せ、と教えたトルストイ!)
そして「多喜二」は舞台の上で、こうも語るのだ。「わたしは……伏せ字なしでものを言うにいい世の中になればと、そう思っているだけです」と。
この素朴な一念のどこに、志賀直哉の言う「運動意識」「主人持ちの芸術」「のさばる思想家」があろうか?
♪
『組曲虐殺』の最後の場面(「唄にはさまれたエピローグ」)は、多喜二の告別式の「数日後の午後8時過ぎ」。
幕が下りる前に歌われる最後の組曲は「胸の映写機」。
カタカタまわる 胸の映写機
かれらの姿を 写し出す
たとえば
本を読み 歩くすがたを
人さし指の 固いペンダコを
駆け去るかれの うちろすがたを
とむらうひとの 涙のつぶを
本棚に彼が いるかぎり
カタカタまわる 胸の映写機
――カタカタカタ カタカタカタ
カタカタカタ カタカタカタ
カタカタカタ カタカタカタ……
台本の活字からは舞台で歌われた、この最後の合唱がどんな音楽なのかうかがいしれないが、そのメロディーが私たちの今に続く「空間(光景)」を表し、そのリズムが私たちのこの場所に続く「時間(時代)」を刻むものであることは確かなことだ。
それは私たちの未来に続くものであるだろうし、トルストイの時代のロシアにも遡るものであるだろう。
♪
井上ひさしさんの舞台で、「小林多喜二」は「復活」を遂げたのである。
Posted by 大沼安史 at 05:32 午後 3.コラム机の上の空 | Permalink | トラックバック (0)
最近の「朝日」(わが、なお敬愛する)船橋洋一主筆の「日米、奇跡の同盟」論コラムは、悲しすぎるほど、切ないほど、読むに耐えない(おそらく、自分でも分っていると思うけれど……)。
でも、彼の今日の「トヨタ問題」に関するコラムの最後の部分は、よかった!
「トヨタに求められているのは……化石燃料からの決別という決断である」
まさしく、その通り。
日本はすでに「水」で車を走らせるテクノロジーを開発している。
⇒ http://interactive.zogby.com/fuse/messageview.cfm?catid=27&threadid=7495
それがなかなか「実用化」されないのは、日本における(石油メジャーにつながった)既得権益(旧」・石油公団)の妨害があるせいだ。
この「既得権益」につながった勢力が、日本の「水素自動車テクノロジー」を闇に葬ろうとしている……(おそらく)。
そんな折、突如、浮上した、今回の「トヨタ問題」!
「ハイブリット車」憎し、の米保守派の過剰反応だが、船橋主筆の言うとおりである。トヨタよ、こうなったら水素自動車開発=実用化で、諸悪の根源である、軍産複合体の一翼を担う石油メジャーをたたきつぶそうではないか!
ジェームズ・ハンセン博士の言うとおり、地球温暖化は待ったなしなのだから、石油を一滴もつかわない、「水」をエネルギーにした、エコカーの生産に全力を挙げたらいい。
復讐を、全人類になりかわって、徹底的にやりきればいい。
ついでにもうひとつ、トヨタの豊田社長に一言、申し上げると、米国というところは、ミステリアスな「車の事故」(そして航空機事故)の「メッカ」である、ということだ。
一例を挙げよう。
あの「9・11」で、ブッシュ大統領の実弟(マービン・ブッシュ)のベイビーシッターをしていたお手伝いさんの62歳の女性が、ミステリアスな「事故死」を遂げているのだ。
聞けば、マービン・ブッシュが経営する会社は、あの世界貿易センターの電子セキュリティーを担当していたという。
豊田社長よ、もはや臆することはない。
言ってあげなさい。やつらをビビらせるのだ。
朝日の船橋主筆の言うとおり、言っておあげなさい。
トヨタはこれを気に、脱石油の水素自動車の世界普及に全力を挙げます」と。
⇒ http://www.youtube.com/watch?v=bvay28lZiHU&feature=player_embedded#at=105
http://playtoh.wordpress.com/2006/10/18/who-was-bertha-champagne/
http://interactive.zogby.com/fuse/messageview.cfm?catid=27&threadid=7495
Posted by 大沼安史 at 08:37 午後 | Permalink | トラックバック (0)
バンクーバー五輪が閉幕した。オリンピックは「平和の祭典」であるはずだから、あの「ドゥホボル」の人々のことも、きっと紹介されるに違いない――と思って期待していたが、何の報道もなかった。
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「ドゥホボル」(「ドゥホボール」との表記もある)とはいったい何ものか?
ロシア文学者、木村毅さんの著書、『ドゥホボール教徒の話 武器を放棄した戦士たち』(恒文社刊)の「新序」は、こんなふうに紹介している。
「ロシア・コーカサス地方の山奥に発生した土俗宗教……聖書の中の「汝、殺すなかれ」と「悪(暴力)に抵抗するに悪を以てする勿(なか)れ」を中心信条として、ひたすらに平和と無抵抗主義を実行」した人々である。
「ドゥホボル」とはつまり、暴力を否定する、土俗的なキリスト教の教派であり、信者の集団であるわけだ。
そんな「ドゥホボル」の人々が徴兵を拒否し始めたのは、日露戦争の少し前。「徴兵は、人殺しの団体訓練であることに……ふと気づい」て「銃剣を返納し、練兵を拒み出し」た。しまいには納税を拒否するまでに。
帝政ロシアの政府は弾圧をもって応え、強制しようとしたが、頑強な抵抗に遭ったため、ついに国外追放を踏み切る。
その時、「ドゥホボル」の人々の海外移住を支援したのが、非暴力主義の作家、トルストイ。
トルストイは彼らのために小説『復活』を書き上げ、印税を寄付したのだった……。
こうして「ドゥホボル」の人々、約1万4千人が1899年以降、カナダに移住することになる。
#
こうした「ドゥホボル」の子孫たちが、「バンクーバー五輪」となんらかのかたちで交差するのではないか――と期待をかけたのは、オリンピックが「平和の祭典」とされることもあるが、バンクーバーのあるカナダのブリティシュ・コロンビア(BC)州が、「ドゥホボル」の人々が最終的に辿り着いた土地であるからだ。
最初、入植したマニトバ、サスカチュアンが寒冷で農耕に適せず、温暖なBCに移った。
さて、「バンクーバー五輪 ドゥホボル」でネット検索をかけると、早速、うれしい話にぶつかった。
バンクーバーの地元紙、「バンクーバー・サン」紙が2月4日付で、こんな記事を電子版に載せていたのだ。
「ドゥホボル」の、おそらくは3世である、ピーター・レザンソフさん(70歳)――地元の建設会社、「ITC建設集団」CEO(最高経営責任者が、バンクーバーの貧民街、「イ-スト・サイド」に、ホームレスら貧しい人たちのための「マイクロ・ロフト」を建設している、というニュースだった。
ホームレスたちを救う「社会ハウジング」事業――。そこにトルストイ的な博愛の精神が流れているようで、うれしかったわけだが、それだけではなかった。
記事はさらにレザンソフさんのことを、「平和主義者」と書き、本業以外の社会貢献活動も紹介していたのだ。
#
サン紙の記事が、レザンソフ氏の活動として挙げていたのは、ふたつ。
ひとつは、BC州の内陸部にある「セリクーク大学」の「平和センター」を資金的に援助していること。
もうひとつは、トルストイの荘園、ヤースナヤ・ポリャーナにつくられた「レオ・トルストイ博物館」に、「恩返し」で「ベーカリー・カフェ」をプレゼントしたことだ。
「平和センター」のHPをのぞいたら、「国境なき医師団」の代表や、カナダ先住民族のレクチャーが紹介されていた。
ヤースナヤ・ポリャーナの「トルストイ博物館」は、僕が訪問の望みをまだつないでいるところ。レザンソフさん提供の「ベーカリー・カフェ」のテーブルに座る日も、ひょっとしたら来るかもしれない……。
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さて、レザンソフさんのことを知ったついでに、ネットでいろいろ調べてみたら、「ドゥホボル」の人々が現在でも平和運動にたずさわっていることを知って、そこに何か大きな、歴史の流れのようなものを感じた。
たとえば、「イスクラ」(「火花」。そういえばロシア革命の党機関紙の名前もこれだった)という、ネットでも公開しているマガジンには反核運動のエッセイも載っている。
また、「ビクトリア・ドゥホボル・コーラス」という合唱団も活動しており、ネットで彼らの平和の賛美歌を聴くこともできる。
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「ドゥホボル」はカナダ移住後も、政府の強制的な同化政策に対し、全裸でプロテストした人々だ。
カナダに着いてからもさまざまな困難を潜り抜けて来た人々だ。
トルストイに支援されて海を渡り、北米カナダの西部に辿り着き、過酷な歴史の旅路を歩み通した「ドゥホボル」の人々。
「ドゥホボル」――その意味は、「聖霊とともに闘う人々」だそうだ。
バンクーバー・サン ⇒http://www.vancouversun.com/Builder+proud+that+partnership+produced+affordable+rent+Downtown+Eastside/2520556/story.html
http://buildingopportunities.org/blog/index.php/tag/peter-rezansoff/
バンクーバーの「コミュニティー開発協定」⇒ http://buildingopportunities.org/hrservices/community-benefits-agreement.asp
セリカーク大学平和センター ⇒ http://selkirk.ca/research/mir-centre-for-peace/
ドゥホボル 日本語Wiki ⇒ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%9B%E3%83%9C%E3%83%AB
英語Wiki ⇒ http://en.wikipedia.org/wiki/Doukhobor
ドゥホボル・歌ライブラリー ⇒ http://www.doukhoborsonglibrary.com/
ビクトリア・ドゥホボル・コーラス ⇒ http://www.myspace.com/victoriadoukhoborchoir
雑誌「イスクラ」 ⇒ http://www.iskra.ca/
ヤースナヤ・ポリャーナ ⇒ http://www.cnntraveller.com/2007/11/01/peace-dividend/
Posted by 大沼安史 at 08:53 午後 1.いんさいど世界 | Permalink | トラックバック (0)
欧州西部を襲ったハリケーンは猛烈な暴風を伴うものだった。
英紙インディペンデントによると、28日、フランスを直撃したハリケーンで、パリ・エッフェル塔先端の風速計は、風速(時速)108マイル(172.8キロ)を観測。
また、フランスのネット報道では、山岳部の風速は200キロにも達した。
1999年以来の超大型のハリケーン。
地球温暖化は、嵐をさらに凶暴なものにしている……。
フランスの報道 ⇒ http://www.20minutes.fr/article/387790/France-Xynthia-catastrophe-nationale.php
インディペンデント紙 ⇒ http://www.independent.co.uk/news/world/europe/atlantic-storm-kills-55-as-it-rages-across-europe-1913789.html
東京新聞 ⇒ http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2010030102000191.html
Posted by 大沼安史 at 04:20 午後 | Permalink | トラックバック (0)