〔コラム 机の上の空〕 男はリヤカーの上から、田んぼの女を見ていた……映画「キャタピラー」に思う
ベルリン国際映画祭のコンペティションにノミネートされた日本映画、「キャタピラー」に主演した寺島しのぶさんが見事、最優秀女優賞に輝いた。
世界最高の演技をみせた、寺島しのぶさんはもちろん素敵だが、その演技をディレクションし、この「芋虫(Caterpillar)」という、変わったタイトルの映画を作り上げた、若松孝二監督は偉大である。
73歳――。おそらくは、おのれの監督人生の総決算(その第一作)をするつもりで撮った映画だろう。
エロス、暴力、連合赤軍事件……ここ数年、世界的に再評価が進んでいたことは、僕も聞き及んではいたが、それにしても、日本の戦後の面の皮を一気に剥ぎ取る、すごい映画をつくったものだ。
#
映画の公式HP( ⇒ http://www.wakamatsukoji.org/top.html)に、「静かな田園風景の中で、1組の夫婦を通して戦争のおろかさと悲しみを描く、若松孝二の新境地といえる作品が完成した」とある。
たしかにその通りだが、そこにあるのは、もちろん「小津安二郎」ではない。カンヌ映画祭で受賞した「砂の女」の「勅使河原宏」でもない。
あくまでも、あの懐かしい「若松孝二」である。
HPの「予告編」や「あらすじ」紹介を見ただけで断定するのはよくないことだが、「戦時中、昭和20年」を舞台にした「歴史もの」であっても、「若松孝二」は、あくまでも「若松孝二」である。
#
公式HPの「イントロダクション」に、こんな監督の言葉が掲げられている。
「平和の為の戦争などはない。戦争は人間屠殺場である。」
ストレートに真実を衝く言葉だし、それはまったくもってその通りだが、それよりも僕の胸を強く打ったのは、ドイツの新聞、「フランクフルター・アルゲマイネ」紙に載っていた、紹介記事についた一枚のスチール写真だった。
⇒ http://www.faz.net/s/Rub553B6C59A6C8447398FD82FD9A3C410B/Doc~E29D190BBF06A44EB8F74CF9D4B82E885~ATpl~Ecommon~Scontent.html
「拡大」して見てほしい(+のポチをクルック)。リヤカーに乗った、「生ける軍神」、四肢を失った「久蔵」が、田んぼでひとり働く「シゲ子」を、小高いところから見ているシーン。
水田の広々とした四角と、リヤカーの狭い四角。戦争を痛烈に否定する――戦争を囲い込み、戦争で失われたものを回復し、再生を図る、平和の構図がここにある。
#
これは推測だが、若松孝二監督は「水田」を、「生(いのち)」と「平和」のメタファーとして描いたような気がする。
アルゲマイネ紙によれば、帰還した「久蔵」の変わり果てた姿を見て、「シゲ子」がショックのあまり、飛び出してゆくシーンがあるらしい。
駆け出した「シゲ子」が、本能的に向かった先はどこか?
そう、それは、「水田」――。
彼女は、いのちと平和の、田んぼに向かったのだ
#
若松孝二監督は、重傷を負った帰還兵を描いた、アメリカ映画「ジョニーは戦場に行った」や、江戸川乱歩の「芋虫」に触発されて、この映画と撮った、と「朝日」に出ていたが、発想の根っこにはたぶん、反戦川柳作家、鶴彬の「手を足をもいだ丸太にしてかえし」も、あったはずだ。
「手と足をもいだ芋虫」となった男を、捨てない女。
若松孝二監督の「水田」は母性の――日本の母のメタファーでもある。
Posted by 大沼安史 at 08:52 午後 3.コラム机の上の空 | Permalink