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2010-02-04

〔いんさいど世界〕 「グリーンズボロの4人」 黒人学生らの「座り込み」から半世紀 公民権運動の原点に記念センター

 1960年2月1日午後4時半ごろのことだった。

 米南部ノースカロライナ州グリーンズボロの大型店「F・W・ウールワース」店の「ランチカウンター」に、黒人の若者4人が近づき、空いていたカウンターの席に並んで就いた。

 コーヒーを注文したが、断られた。
 ランチ・カウンターは、黒人が来るところではなかった。人種隔離された、白人客専用の席だった。

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 4人は地元のノースカロライナ農工大(A&T)の1年生だった。間違って、座ったのではなかった。決意して座ったのだ。アメリカの南部から、人種差別をなくす、と。

 4人のうちの1人が、クリスマス休暇を終え、実家のあるニューヨークから、グレーハウンドバスでグリーンズボロに戻って来たとき、バスのターミナルで差別にあったことがキッカケだった。

 大学の寮で仲良くなった4人は話し合いを重ね、白人専用席への「シット・イン」に入ることを決めた。

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 最初の日、4人は午後5時に追い出された。店側がカウンターを早く店じまいしたのだ。

 翌、2日、4人はカウンターに座った。こんどは21人の男子学生と、4人の女子学生が一緒だった。午前11時半から、午後の3時までいた。白人たちの威嚇を無視して、カウンターで教科書を広げた。

 地元の新聞やテレビ局が騒ぎを聞いてかけてつけて来た……。

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 「グリーンズボロの4人」の、非暴力・直接行動の闘いは、こうして始まった。A&T大学の学友だけでなく、他の大学の学生、高校生も座り込みに参加するようになった。

 連日のシット・イン……。黒人女子大の女子大生も――そして遂には白人たちも連帯して参加するようになった。

 人種差別主義者のKKK団も現れた。「爆弾をしかけた」という電話で、外に避難したこともあった。

 座り込みはグリーンズボロの他の大型店にも広がり、間もなく、他の町、他の州に飛び火した。2月の末までに、南部の13州、55の都市に波及した。

 人種隔離撤廃に応じない店に抗議する、ボイコット運動も始まった。

 4月16日、ついに15人の逮捕者が出た。15人はしかし、保釈金も課せられず、釈放された。流れは、変わり始めていた。

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 7月25日――。半年以上前、黒人男子学生4人がシット・インを始めた、そのカウンターで、「F・W・ウールワース」店の黒人従業員4人が食事をとった。同店の経営者が、黒人に対する人種隔離う撤廃したのだ。
 
 その模様を地元紙は、こんな見出しの記事で報じた。「ランチ・カウンターの人種統合は、ここで行われた!」

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 翌1961年の8月までに、南部各地のシット・インに、なんと7万人以上が参加、3000人以上が逮捕された。

 たった4人の「座り込み」は、公民権運動の太い流れに発展したのだ。

 「シット・イン(sit-in)」のアイデアは、さまざまな「○○-in」運動を巻き起こした。モーテルのロビーでの「スリープ・イン」、プールでの「スイム・イン」、映画館での「ウオッチ・イン」……。

 南部における公民権運動の推進母体、SNCC(スニック=学生非暴力調整委員会)が生まれたのも、このシット・イン運動の中からだった。

 南部の人種隔離エリアにバスで乗り込む、「フリーダム・ライダーズ」の運動が始まったキッカケも、このシット・インだった。

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 半世紀後の、この1日。朝8時から、グリーンズボロの、かつて「F・W・ウールワース」店が入っていたビルで、記念式典が行われた。

 「4人」がシット・インを始めた、その現場が、「国際公民権運動センター・博物館」に生まれ変わったのだ。

 フランクリン・マケイン、エゼル・ブレア、ジョセフ・マクニール、デイビッド・リッチモンドの「4人」の果敢な闘いを讃え、公民権運動の息吹を未来に伝える、新たな拠点ができた。

 記念の朝食会を兼ねた式典には、すでに亡くなったリッチモンド氏を除く3人が招待された。黒人指導者のジェシー・ジャクソン氏(A&T大学同窓生)や、オバマ大統領の代理も出席した。

 「4人」を代表して、マケイン氏が挨拶に立ち、スピーチを行った。

 ――黒人を取り囲む状況は大きく変わったが、問題は今なお、山積している。「私たちは、まだまだ前進を続けなければなりません。眠りに就くことを考える以前に、果たすべき約束を、私たちは持っているのです」

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 「センター兼博物館」に改装された「店内」には、「4人」が座ったカウンターが再現された。
 写真で見ると、なんでもない、ふつうのカウンターであり、椅子だった。

 そこに座って、コーヒーを頼む……座り続けて、また次の日もコーヒーを頼む……

 実にシンプルな、非暴力のレジスタンスが、アメリカの南部の政治の風景を一変させたのである。

 1960年、「グリーンズボロの4人」とその仲間たちの闘い。
 それは同じ年、「独立した日本に米軍の基地はいらない」と、実に単純な思いをバネに、安保反対の闘いに立ち上がった、日本の民衆のあのシンプルさにも、どこか似ている。

  

⇒  http://www.sitinmovement.org/home.asp

    http://www.news-record.com/content/2010/02/01/article/fight_must_go_on_speakers_at_breakfast_say

    http://www.news-record.com/content/2010/02/01/article/civil_rights_museum_opens_today

    http://www.news-record.com/content/2010/01/31/article/an_act_of_defiance_that_changed_history

Posted by 大沼安史 at 08:48 午後 1.いんさいど世界 |

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