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2010-02-02

〔コラム 机の上の空〕 「可能性の証」を生き抜いた人 ハワード・ジン氏をJ・キャロル氏が追悼

 米国の作家・ジャーナリスト、ジェームズ・キャロル氏が、盟友、ハワード・ジン氏の死を悼む追悼コラムを、ボストン・グローブ紙に書いた。
 ⇒  http://www.boston.com/bostonglobe/editorial_opinion/oped/articles/2010/02/01/zinns_life_was_a_testament_to_possibility/

 「ジンの人生は、可能性に対する証だった」と題するコラムは、ジェームズ・キャロル氏がその大著、『戦争の家ペンタゴン』(拙訳・緑風出版)の中で紹介していた、旅客機のなかでのジン氏の、あるエピソードから書き起こされていた。

 国内線のフライトに搭乗した時のことだった。いつものように、機長のアナウンスがあった。何気なく聞いているうちに、驚いた。機長の名前は、ジン氏の記憶に焼きついた名前だった。

 スチュワーデスに自分の名前を書いたメモを渡し、機長に届けてくれ、と頼んだ。
 間もなく、機長がジン氏のもとにやって来た。思っていた通り、機長はあの、ジン氏の忘れもしないパイロットだった。

 あいさつを交わしたが、機長とジン氏の対面は、ぎこちないもので終わった。
 それはそれで仕方のないことだった。
 機長はすぐ操縦席に帰って行った。ジン氏はちょっと悲しかったが、ジン氏の側の機長に対する絆はそこで断ち切られなかった。ジン氏はその機長との奇縁を思い出として保持し、キャロル氏に語ったのだ。「元気そうでよかった」と。

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 その機長とジン氏が出会ったのは、その数年前、1967年のことだった。
 場所は――当時の北ベトナムのハノイ。

 ジン氏はダニエル・ベリガン神父とともに、米軍のパイロットの捕虜3人を引き取りにハノイ入りし、連れて帰った捕虜の1人がその機長だった。

 なぜ、ジン氏はベトナム戦争の最中、北ベトナム政府の申し出に応え、米兵を引き取りに出かけたか?

 それはジン氏自身が、第二次世界大戦中、欧州戦線で爆撃機に乗っていたからだ。いつ撃墜されるかわからない危険な任務に就いていたからだ。撃ち落されたパイロットの気持ちを理解できる体験があった。

 このハノイ行きに対して当時は、北ベトナムのプロパガンダにまんまと乗せられて――など反発も強かったが、ジン氏とベリガン神父は雑音に耳を塞ぎ、やり抜いたのだった。

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 ジン氏の訃報を聞いて、キャロル氏はふと、ジン氏から昔、聞かされたこのエピソードを思い出した。
 なぜ、このエピソードを思い出したか?――それは、もちろん、この挿話に、ハワード・ジンという友の、人間としての全てが凝縮されている、と考えていたからだ。

 戦争に私は反対だから――という「驚くべきシンプルさ」と、人と人とのつながりを大事にする、「(他者に対する)まれに見る包容力」。それがジン氏にはあり、それがジン氏という人間の本質だった――と。

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 真実の率直な言明と他者との共感は、歴史学者のジン氏を上下関係にとらわれない、平和と社会正義を求める運動家とした。「自分の学識をひけらかすことの決してない人だった。複雑さに適応し、それに囚われてしまうことのない人だった」。

 だから、ジン氏の「声」は、世代から世代へと引き継がれ、繰り返し聞かれることになったのだ。

 ジン氏の行くところ、若者たちが集まり、ジン氏を歓迎した。「そのありさまを私は1960年代の終わりにも、そしてついこの2ヵ月前にも、目の当たりにした」と、キャロル氏は書く。

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 ジン氏は心から「若者には特別な倫理的な洞察力が備わっていると信じ、その若い心に訴えかけた」人だった。

 そして、非難の言葉をただ投げつけるのではなく、「アメリカは必ずや、自分自身を乗り越えてゆく」と信じた人だった。

 アメリカが自分を乗り越えるとは、新たな可能性に向かって進み、今とは違った未来を手にすることである。

 その可能性を、その人生でもって示し、一生をその証(あかし)として生き通した人、それがジン氏だと、キャロル氏は追悼コラムを結んでいた。

 その通りだと思った。
 キャロル氏もコラムを書き終えて、たぶんそうだったはずだが、ベトナム戦争世代の一人である私もまた、コラムを読み終え、熱いものが瞼ににじんだ。

Posted by 大沼安史 at 05:54 午後 3.コラム机の上の空 |

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