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2010-02-14

〔コラム 机の上の空〕 もう一人の「龍馬」が、そしてわが敬愛する「コバキン」さんが、教えてくれたこと 

 龍馬――「りょうま」と読む。今、流行の「坂本龍馬」のことではない。「尾田龍馬」氏のことだ。

 尾田龍馬――オダ・リョウマ。私にとっては、坂本龍馬以上の存在である。
 
 彼こそ、絵画というものを、そして平和というものを、そしてその両者の、切り裂いてはいけない関係を、この飲み込みの遅い私に、最終的なところで、ようやく教えてくれた人であるからだ。

 これまで私が、さまざまな人の教えをもとに、考え続け、少しわかりかけていたことを、ダメ押しで開示してくれた人――それが私の、尾田龍馬氏である。

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 私が尾田龍馬氏の「絵」をはじめて見たのは、昨年夏のことだ。元・ベ平連の吉川勇一さんの紹介で入会させていただき、購読を始めた「市民の意見」(NO.115)の表紙に、尾田龍馬氏が描いた『宇和島の風景』と『自画像』がカラーの複製で載っていたのだ。

 作者紹介に、こうあった。「1919(大正8)年8月29日、愛媛県宇和島市に生まれる。県立宇和島中学校卒業後、1939(昭和14)年4月、東京美術学校油絵科入学……」
 「……1944年(昭和19)年11月10日。関東州柳樹屯にて戦病死。享年25歳」。

 画学生、尾田龍馬氏が遺した、故郷、宇和島の山村の絵と自画像だった。(長野・上田、「無言館」所蔵)

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 宇和島の山間の村の風光と、陰影に富んだ自画像を見て、ふたつとも、この人の「世界」と「生」を描いた絵だと思った。

 世界を写生する自分、写生する自分を写生した画像――。

 「写生」とはよく言ったものだ。
 風景画を描く人間にとって、風景とは自分が写した生であり、自画像を描く人間にとって、その自画とは自分の生を写したものである。

 この二つの「絵」には明らかに、写し描いた生の肯定があった。生きている自分が写しているふるさとの風景があり、生きている、描き手である自分の姿がそこにあった。

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 その人と、その風景と――それを抹殺したのが「戦争」だった。

 死期を悟った尾田龍馬氏は、中国・関東州の病院で、姉のため、ハンカチに芍薬の花の絵を描いた。

 ハンカチは遺骨とともに、姉のもとに届けられた。

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 私は、この尾田龍馬氏の絵を見ながら、一昨年、東京・駒沢大学駅前の画廊で、見た一枚の絵を思い出した。

 私の新聞社の先輩である、小林金三氏の個展会場で見た、一枚の絵。

 小林金三氏は、60年安保当時、安保反対の論陣を張った北海道新聞の論説委員のひとり。旧満州・建国大学の出身で、戦後、日中友好にも力を傾けた人だ(「ベトナム日記」(理論社)、「論説委員室」(彩流社)、「白塔」(新人物往来社)など著書多数)。

 小林金三氏(コバキンさん)は新聞社を退職後、札幌の手稲山のふもとにで、画業に専念してきた。「手稲山はオレのサンビクトワールだ」と言って。

 その山荘のアトリエで描かれた一枚の絵に、私は個展会場で釘付けになった。
 冬の山の林間を描いた絵。雪の結晶のような、深みのある、そして鋭い、白と藍色の構図。

 その絵を見て、思った。これが何の飾り気もない、コバキンさんの満州であり、手稲山麓であり、彼の人生であるのだな、と。

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 コバキンさんは北海道新聞の小樽支社長を務め、小樽を愛し、小樽の街並みを描き続けた人でもあるが、同じ小樽ゆかりの、評論家、吉田秀和さんが、セザンヌの絵を論じた大著の中で、セザンヌには「モデレ」と「モデュレ」の総合があったと指摘したことを(うろ覚えながら)覚えている。

 世界をつかみ(モデレ)、それを己の生において様式化(モデュレ)し、そうして描かれた風景画(もしくは自画像)――それが、セザンヌだと。

 絵とはそれほどまでに、自分を通して世界に迫り、世界に迫ることで自分を表すものなのだ。

 尾田龍馬氏の、おだやかな風景画と、コバキンさんの裂帛たる、真冬の絵に共通するものがここにある。

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 私は尾田龍馬氏の遺した絵を見て、ここに「9条」がある、圧倒的な平和の肯定と戦争否定があると思ったものだが、コバキンさんの絵にも、同じように訴えかけてくるものを感じる。

 そこにある、山の絵を、今を生き、その山を見ている、オレが描く……そのことを否定するものを、オレは憎む……その、動かしがたい、単純な真理!

 コバキンさんは先日、札幌で、後輩の記者たちと一夕をともにし、「60年安保」当時の思い出にふれて、「難しい時代に論説委員を務めたのは、一種単純化する発想だった。例えば、独立国なのに外国軍の基地があっていいのか、アジア各国とも相互不可侵条約を結ぶべきだ――と主張した。外国軍の基地を持ったままで若い人に国家を考える心が生じるはずがないではないか」(会の参加者のメモより)と語ったそうだが、私はこの発言に、余計な夾雑物を排除し、本質を見切って、それだけを描き込む画家の目を、どうしても感じてしまう。

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 近頃、わが日本国では、「奇跡の安保条約」などと言って、「日米軍事同盟」を誉めそやす言説が溢れているが、コバキンさんの発言(と絵)には、尾田龍馬氏の遺作の絵と同様、あってはならないものを――人が生きる風景を、その風景を生きる人を破壊するものを、一直線に裁断するものがある。

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 ことしは「60年安保50周年」――。
 当時、東京の某大手新聞社に、整理記者として勤めていた歌人、島田修二氏(1928~2004年)は、こんな歌を詠んでいる。

   是是非非と両成敗の論なしてよく笑うなり記者の立場は
   生くるための擬装の中に真実は消えしか政治記者彼の場合に

 こうした権力に迎合する態度こそ、当時、北海道新聞・東京論説委員室にあって、コバキンさんが憎み、戦ったものであり、戦時中、四国の画学生、尾田龍馬氏が当時において、ひそかに蔑んだものであろう。

 島田修二氏は、樺美智子さんが殺された日に、こんな歌も詠んでいる。
  
   いのち守らんための抗議に処女死にて原理論絶ゆ駅までの道に

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 余計な言説=その原理論さえも無用な、奪われてはならない、かけがえのない生の世界――それこそ、コバキンさんの描いた、あの白と藍色の冬の山林の世界であり、尾田龍馬氏が遺した、緑ゆたかな「宇和島の風景」である。

Posted by 大沼安史 at 07:07 午後 3.コラム机の上の空 |

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