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2010-02-28

空から歌が聴こえる 今日の1曲は  Help Me Make It Through The Night

 カントリーの名曲を、愛し合う、2人のデュエットで!

 ⇒ http://onuma.cocolog-nifty.com/blog3/2010/02/help-me-make-it.html

Posted by 大沼安史 at 05:19 午後 | | トラックバック (0)

〔NEWS〕 バンクーバー発 5大陸に広がれ 炭素税の輪 

 先に紹介した、ジェームズ・ハンセン博士の警世の書、『私の孫たちを襲う嵐』から、「炭素税」にからむ大事な話を、もうひとつ。

 博士によれば、冬季五輪が開催中のカナダ西海岸、バンクーバーのある「ブリテッシュ・コロンビア(BC)州」は、「炭素税」を導入した先進地なのだそうで。

 中道右派の州政府政権が、ガソリン等化石燃料の消費に課税する炭素税導入を表明したのは、2008年2月のこと。実際の導入は、その年の7月。たった5ヵ月の早業だった。

 昨年(2009年)5月の州知事選挙で「存廃」が争点となったが、現職が勝利。存続が決まり、今に至っている。
 反対していた野党も、支持を表明したそうだ。

 なぜ、BC州民は「炭素税」に「イエス」と言ったのか?
 それはそれによって所得税が減税になるからだ。

 ハンセン博士の「炭素税提案」は、すでに述べたように、もっとラジカルだが、基本線はBCの炭素税の理念と同じである。

 日本では神奈川県で検討が始まっているが、うごきがにぶい。

 日本のバンクーバー五輪取材班には、閉会式のあと、すこしBC現地にに居残ってもらって、ぜひとも、「炭素税」の好調な飛翔ぶりを取材してもらいたいものだ。 
 

  BCの炭素税選挙については ⇒  http://greeninc.blogs.nytimes.com/2009/05/14/british-columbias-carbon-tax-survives/

  神奈川県 炭素税を検討 ⇒ http://www.pref.kanagawa.jp/osirase/kankyokeikaku/cool/lpro6.html

Posted by 大沼安史 at 05:11 午後 | | トラックバック (0)

2010-02-27

〔NEWS〕 負けるな日本! 「ジャパン・バッシング」に対し、米国から連帯の声 米国債を売って、在日米軍基地を見直せ!

 TOYOTAを公聴会でさらしものにするなど、米国のジャパン・バッシングが続いている。そんな中、負けるな日本!――と声援をおくる米国人ブロガーが現れた。

 マイク・ウィトニーさん。(ワシントン州在住のフリーランスの方らしい)
 その最新の記事、「鳩山首相はどうやったら、“ジャパン・バッシング”を止めることができるか」が、いろんなサイトに「転載」されて、注目を集めている。

 マイクさんはトヨタに対し、修理と補償に全力を傾けるよう求めるとともに、米国内で環境汚染・破壊を続ける米国企業を見逃し、イラクでは戦争で100万人もの人々を殺害した自国、連邦議会の姿勢を厳しく批判。

 鳩山首相に対して、
 ①保有米国債を毎週5%のペースで売却し続ける②在日米軍基地問題を見直す(存続を考える)委員会を設ける、など、対抗策をとるよう提案している。

 マイクさん、いわく。「日本は国として名誉を守る必要がある」。

 連邦議会のとくに石油メジャーの影響下にある共和党の議員らは、脱石油のハイブリット車を走らせているトヨタが気に入らないのだろうな。

 あのゴーマンな日本たたき。そのどこに、「奇跡の日米同盟」があるのか?…… 

⇒  http://www.informationclearinghouse.info/article24865.htm

Posted by 大沼安史 at 08:47 午後 | | トラックバック (1)

〔NEWS〕 米国の建築家らが「9・11 世界貿易センター(WTC)#1・2・7の倒壊」で、連邦議会に再調査、真相究明を要求

 米国の建築家・技術者でつくる「9・11の真実のためのA&E(アーキテクツ&エンジニーアズ)」が、WTCの倒壊の真相を究明するため、独立した調査を求めて、連邦議会に対する請願活動を展開している。

 すでに1072人の建築専門家が署名。ほかに大学の建築学科の学生など7042人が賛同の署名を行っている。

 同組織は、サンフランシスコの建築家、リチャード・ゲイジ氏が創設したもので、専門的な立場から、WTCの北棟(1号棟)、南棟(2号棟)、7号棟の3棟の倒壊は、「爆破」によるものと見ている。

 WTCはデトロイトを拠点に活躍した日系の世界的な建築家、ミノル・ヤマサキ氏の設計による。
 飛行機の体当たりで、全面的に崩れ落ちるような、もろい構造ではなかったはずだ。

 日本の建築専門家も、専門家として、意志表示をするなり、なんらかのアクションを起こすべきだろう。

 来年は「9・11」10周年。

 ⇒ http://www.ae911truth.org/

 付記 デトロイトの近くに「アップランド・ヒル・ファーム・スクール」というフリースクールがあって、いちど訪ねたことがある。

 ミノル・ヤマサキ氏のお嬢さんのケイティーさんもかかわっていた。

 平和を大切にする人々だった。

 ミノル・ヤマサキ氏の記念碑的建築を「爆破」した者らよ、出て来い!

 
  ★ 参考 WTC北棟(1号棟)の「爆破」崩壊映像 

 ミネソタ大学ダルース校の名誉教授、ジェームズ・フェッザー氏(科学哲学、「9・11の真実を求める学者たち」創始者)らが指摘するように、タワーの手前の角に近い部分などで、下に向かって連続的に爆発が起きている。
⇒  ⇒  http://www.youtube.com/watch?v=7VmOQg2_DBU&feature=player_embedded# 

Posted by 大沼安史 at 07:58 午後 | | トラックバック (0)

2010-02-26

空から歌が聴こえる 今夜の1曲は  Oh Cumberland

 マトレイサ・バーグ(Matraca Berg)の歌唱。
 ふるさとの川はありがたきかな!
 ⇒ http://onuma.cocolog-nifty.com/blog3/2010/02/oh-cumberland.html

Posted by 大沼安史 at 07:56 午後 | | トラックバック (0)

〔コラム 机の上の空〕 ハンセン博士が緊急提言! 「炭素税」を導入し、全家庭に還元せよ! 

 米国NASA(航空宇宙局)ゴダード研究所の所長でコロンビア大学教授のジェームズ・ハンセン博士は、「地球温暖化」に対し、必死で警鐘を鳴らし続けている人だ。

 人類は今や、後戻りのできない「ティッピング・ポイント(破局点)」に近づいているとして、石炭・石油の化石燃料の使用停止・削減を主張する、地球温暖化問題の世界の第一人者である。

 そのハンセン博士が昨年暮れに出した『私の孫たちを襲う嵐(Storms of My Grandchildren)』という本を読んでいて、200頁を過ぎたところで、ようやく「希望」に辿り着いた。

 絶望的な気分で読み進んでいたものだから、博士の「提案」のところに来て、ほっと息をついたのだ。まだ「希望」は、ある……!

            #

 ハンセン博士の「提言」で、「なるほど」と思ったのは、「炭素税(カーボン・タックス)」の導入提案である。

 仕組みはいたってかんたん。その国における「化石燃料(石炭・石油・天然ガス)」の「最初の販売」(炭鉱・油田などからの出荷、外国からの輸入)に対して「炭素税」を課税、課税額を段階的に引き上げ、「化石燃料」の価格を上げてゆくことで、消費を削減する、というものだ。

 ここまでは「炭素税」の課税をめぐる、常識的な議論だが、ハンセン博士の提案のユニークさは、その税収の配分法にある。

 ハンセン博士は「(米)政府は信用できないから」といって、全国民に対する「直接均等配分(配当)」を求めているのだ。

 博士によれば、二酸化炭素1トンあたり、115ドルの「炭素税」を課税すれば、年間6700億ドルの税収になる。これを成人の国民全員に平等に分配すると、単純計算で年間3000ドル(月250ドル)。子どものいる家庭(世帯)に加算する分配方法を採れば、年間8000~9000ドルもの「炭素配当金」を支給することが可能だ。

 分配方法も実にシンプル。各家庭の銀行口座に直接振り込んだらいい、という提案である。

 このハンセン博士の「炭素税」提案で、もうひとつ「なるほど」と思ったのは、その「累進性」の指摘である。

 お金持ちは、海外旅行にでかけたり、貧しい人より(化石)エネルギーを消費するが、ということはすなわち、それだけ「炭素税」の負担が大きくなる。
 博士によれば、アメリカの人口の(所得の低い方から数えて)6割が、「炭素税」導入によって、差し引き計算で「得」をすることになるそう。逆に、残る4割の富裕層は「損」することになる。

 つまりは、「格差是正」、貧困層の救済にもつながるわけ。
 それで化石燃料の消費を(二酸化炭素の排出を)削減できるわけだから、一石二鳥の卓抜なアイデアだ。
 日本でも、さっそく導入すべき、貴重な提案ではないか! 

            #

 昨日(25日)、僕の住む仙台は、まだ2月だというのに、最高気温が14度に達する、汗ばむ陽気だった。

 ハンセン博士の『私の孫たちを襲う嵐』という本のタイトルではないが、「地球温暖化」の危機は、人類の未来をも奪う、深刻な局面に踏み込んでいるのかも知れない(ハンセン博士は、そう断言している!!!!)。

 博士の言う、後戻りのできない「ティッピング・ポイント(破局点)」とは、最早、制御不能となり、増幅の一途をたどり出す、地球温暖化の暴走ポイントを指す。

 あのマイクロフォンとスピーカーが音を拾い、出し合って一気に増幅する、あのハウリング現象(それもスイッチを切れない)と同じことが、地球環境で起きる。

 いまや、待ったなし、なのかも知れない(博士は「待ったなし」だと言っている)!

 ◇ ハンセン博士のHP ⇒ http://www.columbia.edu/~jeh1/

 付記 提言  ハンセン博士の「片腕(研究のパートナー)」をされている方は、サトー・マキコさんという日本人女性科学者だ! (1970年、阪大のご卒業とか!)。

 日本のマスコミよ、ぜひとも、サトー博士(ニューヨーク在住)に取材してください! 

 あるいは彼女を日本にお呼びして、日本語で、わかりやすく講演していただいたらいい!!!

 地球温暖化の危機がどれだけ深刻なものか、彼女に教えていただいたらいい!

Posted by 大沼安史 at 06:37 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2010-02-25

〔いんさいど世界〕 黒人運動指導者 「マルコムX」の暗殺45周年 撃たれた「マルコムX」を最後に介抱した女性が、日系活動家、ユリ・コチヤマさんだったことをご存知ですか?

 「2月21日」は、黒人運動指導者、「マルコムX」が、ニューヨーク・ハーレムのホールで演説中、撃たれて死んだ命日である。
 1965年のその日に悲劇は起きた。ことしはその45周年にあたる。

 それを記念して、「デモクラシーNOW」が、暗殺の半年前の「マルコムX」の演説の映像を放映した。⇒  http://www.democracynow.org/2010/2/22/malcolm_x_by_any_means_necessary

 はにかむような、その知的な顔。
 39歳の早すぎる死。惜しい指導者を失ってしまったものだ。 

 さて、「マルコムX」の暗殺事件に関し、「知る人ぞ知る」エピソードをひとつ、ここで紹介しておきたい。
 それは、ステージに撃たれた、仰向けに倒れた彼の元へ、客席から駆け寄り、その顔を膝の上に乗せて介抱した、日系の女性がいたことだ。

 ユリ・コチヤマさん。1921年、カリフォルニア生まれの人権活動家。ハーレムで、「マルコムX」と活動をともにしていた人だ。
 彼女のWiki ⇒ http://en.wikipedia.org/wiki/Yuri_Kochiyama

 その彼女が2年前に、デモクラシーNOWのインタビューを受け、暗殺の模様を生々しく語っていた。ユリ・コチヤマ デモクラシーNOWでの証言 ⇒ http://www.democracynow.org/2008/2/20/civil_rights_activist_yuri_kochiyama_remembers

 それによると、会場で「いざこざ」が起き、マルコムXのボディーガードらがそっちに注意を向けていたその隙をついて、「銃弾13発」が撃ち込まれたそうだ。

 頭を膝の上に乗せ、「マルコムX」の言葉を聴き取ろうとしたが、息をするのも苦しげで、最後の言葉はなかった。
 彼女は「お願いだから、マルコム、生きてちょうだい」と声をかけたそうだ。

 ユリ・コチヤマさんと「マルコムX」の出会いは、その1年前、ニューヨーク・ブルックリンの裁判所でのことだった。(ブルックリンの裁判所には、僕も一度、裁判を傍聴しに行ったことがある)

 若い黒人たちに囲まれた彼に向かって、彼女は「私にも握手してちょうだい」と叫んだ。
 「なぜ?」
 「あなたが、みんなにしてあげていることのために」
 「僕が何を?」
 「あなたは方向を与えている」

 そういうと彼は手を差し出し、彼女と握手したそうだ。

 日系の女性活動家と黒人運動家の出会いは、ともに活動する中に発展し、その後、1年間、続いた。

  マルコムX 日本語Wiki ⇒ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%83%A0X

 

Posted by 大沼安史 at 06:24 午後 1.いんさいど世界 | | トラックバック (0)

2010-02-24

〔いんさいど世界〕 自爆攻撃を中東で始めた男、ヒズボラ(神の党)イマード・ムグニーヤ、「モサド」の自動車爆弾に死す 2年前の暗殺事件を英作家がレポート そこから浮かび上がる「神の国・日本」につながる悲しい事実!

 ドバイでの「ハマス」軍事指導者暗殺事件で、イスラエルの諜報機関「モサド」の活動に対し、世界の厳しい目が集まっているが、今から2年前、シリアのダマスカスで起きた、同じ親イラン・イスラム過激派組織、「ヒズボラ(神の党)」の軍事部門の指導者、イマード・ムグニーヤ暗殺事件の詳細が、「モサド」研究の権威をして知られる、英国の作家、ゴードン・トーマス氏によって明らかにされた。

 「モサド」の実態を白日の下にさらす、衝撃のレポートである。

 そこで同氏が、23日付の英紙インディペンデント紙に寄稿した記事の要点を、以下に紹介することにしよう。「モサド」という組織の秘密活動を暴露しているだけではなく、私たち日本人の胸を衝く、ある悲しい事実が、同氏によって提示されているからだ。

 まずは、イマード・ムグニーヤの暗殺事件について。

 イマード・ムグニーヤが、シリアの首都ダマスカスのイラン文化センター前の路上で、駐車中の車に仕掛けられた爆弾で暗殺されたのは、2008年2月12日の夜だった。
 同センターではイラン大使が主催する「イラン革命」を記念したレセプションが開かれており、ムグニーヤは車を降りて、センターへと歩き始めところを爆殺された。

 このムグニーヤというレバノン人は、暗殺されるまで、ビン・ラディンに次ぐ、ナンバー2の黒幕テロリストとして国際手配されていた男だった。
 1983年にレバノンで起きた、米海兵隊の宿舎爆破事件(241人を殺害)も、この男の指揮によるものだ。

 イスラエルのネゲブ砂漠にある「モサド」の本部で、ムグニーヤに対する暗殺命令が下されたのは、決行日のわずか9日前、2008年2月3日のことだった。

 前日、ベルリンのエージェントが、ムグニーヤの「顔写真」を入手していた。写真は保秘回線で電送され、本部に届いていた。

 ムグニーヤが最後に姿を現した、1980年の「ヒズボラ」の集会の際の写真と、似てもにつかぬ「顔」がそこにあった。

 ムグニーヤはベルリンのシュプレー川沿いにある、旧「シュタージ(東ドイツ国家秘密警察)」の整形クリニック(「ベルリンの壁」崩壊後も存続)で整形手術を受けていたのだ。

 つりあがった両目、とがったアゴ、いれかえられた歯並び……手術後、クリニックで撮影された写真は、まるで「別人」のものだった。

 3人の実行犯が選ばれた。「モサド」の旅行部門がフランス、スペイン、ドイツの実在の人物の偽造パスポートを用意、エア・チケットの手配を行った。

 3人はそれぞれ「自分」のアイデンティーと、職務質問されたときの「答え」を暗記し、ヨーロッパ経由でダマスカス入りした。

 かねて用意してあった、アジトのガレージで爆弾を製造、レンタカーの座席のヘッドセットに装着した。

 ダマスカスの地理、市街地の模様は、イスラエルの偵察衛星の偵察写真であらかじめ学習していた。ムグニーヤの「新しい顔」の画像は、3人がそれぞれ持ったケータイに収められていた。

 当日午後9時、イラン文化センターに向かって、銀色のミツビシ・パジェロが近づき、停車した。ドアを開けて降りた男がいた。新しい顔を持ったムグニーヤだった。爆弾を仕掛けた駐車中のレンタカーに向かって歩き出した……。

 ――以上が、暗殺事件の一部始終の要約だが、ゴードン・トーマス氏によれば、「モサド」は1980年のヒズボラ集会で撮影されたムグニーヤの写真を徹底解析し、その時点ですでに顔面に整形手術を受けた形跡のあることを確かめ、ベルリンの整形クリニックを突き止めたそうだ。

 また「モサド」は、1980年撮影の写真をもとに、心理学者ら専門家のチームに、「Rida(リダ=遠隔深層分析)」という手法を使い、ムグニーヤの性格、行動パターンを突き止めようともしていたという。

 さて、ここから、私たちの「日本」につながる、胸の痛む事実がひとつ、浮かび上がる。

 トーマス氏によれば、「モサド」が「リダ」を駆使してムグニーヤの心理・行動パターンを突き止めようとしたのは、子どもに毛の生えたような若者まで平然と自爆テロリストにリクルートし、中東全域に送り込んでいる、ムグニーヤの「内面=心理的宇宙」を理解するためだったという。

 ムグニーヤという男こそ実は、中東で「自爆テロ」をスタートさせ、大規模に展開した黒幕だった!

 では、ムグニーヤは「自爆テロ」というアイデアを何処から得たのか?

 トーマス氏の「答え」の部分を、そのまま訳して紹介しよう。

 「このヒズボラのテロリストの黒幕は、ヒズボラの機関紙、アル・サビアとアル・アブドに載った、第二次世界大戦の日本のカミカゼ・パイロットたちの自己犠牲を讃える記事を読んでいた」
 
 The Hizbollah terrorist mastermind had read an account of the Second World War Japanese kamikaze pilots in Hizbollah's own newspapers, Al Sabia and Al Abd, which had praised the pilots for their sacrifices.
 
 Kamikaze は Tsunami 同様、世界語化した日本語で、中東などで自爆テロが行われるたびに報道で使用され、それを目にするたびに切ない思いにとらわれて来たが、それが「偶然の一致」ではなく、日本の「特攻隊」に「ルーツ」を持つものだとは知らなかった!

 私もまた、戦時中、米国の軍艦に向かって飛び立ち、死んでいった特攻隊員の(そして遺族、友人の)胸中を思うと、悲しくてたまらなくなり、同時に、「特攻」を命じた者に対して怒りを禁じえない一人だ。

 当時の軍の中枢は、いったい、どんな心理で、あのような行動をとったのだろうか?

 ゴードン・トーマス氏によれば、「モサド」のムグニーヤに対する「リダ」分析では、「最終結論」は得られなかったという。
 

 ゴードン・トーマス氏の記事 ⇒  http://www.independent.co.uk/news/world/middle-east/mossads-most-wanted-a-deadly-vengeance-1907327.html

  イマード・ムグニーヤ Wiki ⇒  http://en.wikipedia.org/wiki/Imad_Mughniyah 

Posted by 大沼安史 at 07:25 午後 1.いんさいど世界 | | トラックバック (0)

2010-02-23

〔NEWS〕 「日本のデモクラシーを尊重せよ!」 「沖縄」基地問題で米国の市民組織、「正義の外交」が運動を開始

 米国の市民組織、「正義の外交」が、沖縄の「普天間」問題で、日本の民主主義の声を尊重せよ、と、オバマ大統領、連邦議会へのアピール運動を繰り広げている。
⇒  http://salsa.democracyinaction.org/o/1439/p/dia/action/public/?action_KEY=2237

 頼もしい限りのことだ。

 日本では外務省と、その手先と化した大マスコミによって、「外交の継続性」「日米同盟の強化」の大合唱が続いているが、アメリカの草の根から、こういう「まともな声」が出ていることは、どうしたわけか、一切、報じていない。

 情けないというか、恥ずかしい、限りである。

 恥ずかしいといえば、岡田外務大臣、ほんと、恥ずかしい、というか、かわいそうだったなあ。

 オーストラリアで、「南氷洋・日の丸・大量捕鯨」問題に対し、どれだけ反発があるか、外務省から、ちゃんと知らされずに、「歴訪」を始めたんだよな。

 現地の世論を動向を、いちはやく本国政府に伝えるのが、(国民の税金で維持されている)外務省の務めだろうに。(あの真珠湾攻撃前の、「最後通牒」をきちんと手渡せなかった、あのずさんな仕事ぶりが思い出される!)

 ついで言えば、「トヨタ」も、ほんとに気の毒だなあ。アメリカが「トヨタたたき」をどう仕掛けようとしているか、外務省から何の警告も受けていないわけだから。(何のために北米局があり、大使館があるんだ!!! 全員、キャリアはクビだ!!!)

 で、話を戻して、岡田外相にお願い!

 岡田さん、「沖縄」に関し、アメリカでも「日本のデモクラシーの判断を尊重せよ」という声が高まっているのだから、海兵隊は今すぐ、日本&沖縄から出ていきなさい、と言いなさい。

 それが主権(デモクラシー)国家の外務大臣というものでしょう? 違いますか? 

Posted by 大沼安史 at 06:07 午後 | | トラックバック (1)

2010-02-22

〔ビデオ NEWS〕 チョスドフスキー教授が予言 米・NATO・イスラエルが対イラン攻撃へ 中国・ロシアを巻き込む「第3次世界大戦」の恐れ

 カナダ・グローバル・リサーチ研のM・チョスドフスキー教授が20日、ロシアの英語衛星テレビ、「ロシア・ツデー」に出演し、

 ① 米・NATO・イスラエルがイラン攻撃に向けて、態勢を整えている 

 ② 中国・ロシアを間接的に狙ったもので、「第3次世界大戦」の可能性をはらんでいる

 ③ 戦争準備態勢は2004年に始まり、「イランの核」を世界の脅威とするキャンペーンを進めてきた

 ④ 中東は石油の6割、イランは1割を埋蔵している戦略的な地域。狙いは石油だ

 ――などと指摘、対イラク攻撃に「ミニ核」が使用される恐れもあると警告した。

 信頼すべきチョスドフスキー教授(オタワ大学)が、ここまで公然と「開戦を予告」したのは、僕の知るところ、これが初めて。要警戒である。

 米・NATOが「対イラン攻撃」を既定のこととして準備をしている――と考えると、オバマの「アフガン増派」のほんとうの狙いが見えてくる……。

⇒  http://www.youtube.com/watch?v=C4p1kD8CZX8&feature=player_embedded

Posted by 大沼安史 at 10:05 午後 | | トラックバック (0)

〔コラム 机の上の空〕 男はリヤカーの上から、田んぼの女を見ていた……映画「キャタピラー」に思う

 ベルリン国際映画祭のコンペティションにノミネートされた日本映画、「キャタピラー」に主演した寺島しのぶさんが見事、最優秀女優賞に輝いた。

 世界最高の演技をみせた、寺島しのぶさんはもちろん素敵だが、その演技をディレクションし、この「芋虫(Caterpillar)」という、変わったタイトルの映画を作り上げた、若松孝二監督は偉大である。

 73歳――。おそらくは、おのれの監督人生の総決算(その第一作)をするつもりで撮った映画だろう。
 エロス、暴力、連合赤軍事件……ここ数年、世界的に再評価が進んでいたことは、僕も聞き及んではいたが、それにしても、日本の戦後の面の皮を一気に剥ぎ取る、すごい映画をつくったものだ。

          #

 映画の公式HP( ⇒ http://www.wakamatsukoji.org/top.html)に、「静かな田園風景の中で、1組の夫婦を通して戦争のおろかさと悲しみを描く、若松孝二の新境地といえる作品が完成した」とある。

 たしかにその通りだが、そこにあるのは、もちろん「小津安二郎」ではない。カンヌ映画祭で受賞した「砂の女」の「勅使河原宏」でもない。
 あくまでも、あの懐かしい「若松孝二」である。

 HPの「予告編」や「あらすじ」紹介を見ただけで断定するのはよくないことだが、「戦時中、昭和20年」を舞台にした「歴史もの」であっても、「若松孝二」は、あくまでも「若松孝二」である。

          #

 公式HPの「イントロダクション」に、こんな監督の言葉が掲げられている。
 「平和の為の戦争などはない。戦争は人間屠殺場である。」

 ストレートに真実を衝く言葉だし、それはまったくもってその通りだが、それよりも僕の胸を強く打ったのは、ドイツの新聞、「フランクフルター・アルゲマイネ」紙に載っていた、紹介記事についた一枚のスチール写真だった。
⇒ http://www.faz.net/s/Rub553B6C59A6C8447398FD82FD9A3C410B/Doc~E29D190BBF06A44EB8F74CF9D4B82E885~ATpl~Ecommon~Scontent.html

 「拡大」して見てほしい(+のポチをクルック)。リヤカーに乗った、「生ける軍神」、四肢を失った「久蔵」が、田んぼでひとり働く「シゲ子」を、小高いところから見ているシーン。

 水田の広々とした四角と、リヤカーの狭い四角。戦争を痛烈に否定する――戦争を囲い込み、戦争で失われたものを回復し、再生を図る、平和の構図がここにある。

          #

 これは推測だが、若松孝二監督は「水田」を、「生(いのち)」と「平和」のメタファーとして描いたような気がする。

 アルゲマイネ紙によれば、帰還した「久蔵」の変わり果てた姿を見て、「シゲ子」がショックのあまり、飛び出してゆくシーンがあるらしい。

 駆け出した「シゲ子」が、本能的に向かった先はどこか?

 そう、それは、「水田」――。
 彼女は、いのちと平和の、田んぼに向かったのだ   

          #

 若松孝二監督は、重傷を負った帰還兵を描いた、アメリカ映画「ジョニーは戦場に行った」や、江戸川乱歩の「芋虫」に触発されて、この映画と撮った、と「朝日」に出ていたが、発想の根っこにはたぶん、反戦川柳作家、鶴彬の「手を足をもいだ丸太にしてかえし」も、あったはずだ。

 「手と足をもいだ芋虫」となった男を、捨てない女。

 若松孝二監督の「水田」は母性の――日本の母のメタファーでもある。

   

Posted by 大沼安史 at 08:52 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2010-02-21

〔いんさいど世界〕 世界の視線にさらされる「モサド」

 イスラエルの諜報機関、モサド(Mossad)に対し、世界の視線が集中しています。

 先月(1月)19日夜、湾岸のドバイのホテルで起きた、ハマス指導者暗殺事件。
 その一部始終(ホテルの一室での犯行現場を除き)をとらえた監視カメラの映像を、ドバイ警察が公開、そのビデオ映像がネットを通じ全世界へと流れたことで、ハマスと対立するイスラエルの諜報機関、モサドに対し、疑惑の目が注がれています。

 (監視カメラがとらえた一部始終については、本ブログ既報を参照)

 空港、ホテル内の監視カメラがとらえていた、いかにもスパイ集団らしい、組織立った作戦の遂行ぶり。
 真向かいの部屋から、ハマス指導者の部屋に侵入した、2人組、2チームのの実行犯は、テニスのラケットを持つなど、観光客の出で立ち。
 現場のホテルを入れ替わり立ち替わり現れては、さりげなく警戒の目を光らせる、3組の監視グループ。

 暗殺グループは当初、11人と見られていましたが、ドバイ警察のその後の調べで、18人に上っていたことが判明しました。
 犯人たちが英国などの偽造パスポートを持っていたことも分かっています。

 さて、ドバイ警察が99%の確立で、暗殺の実行犯と名指しする「モサド」ですが、その活動ぶりが表面化し、それもビデオ映像で、全世界に流れたのは初めてのこと。

 あらためて、ヘブライ語で「機関(組織)」の意味の、この影のスパイ組織に対し、注目が集まり、さまざまな報道がなされています。

 英紙ガーディアンの中東エディターのイアン・ブラック氏は、共著の『イスラエルの秘密戦争』で、その内幕をあばいた、有名な「モサド」の専門家。そのブラック氏が同紙に書いた記事で、「モサド」とは一体、どんなことをしているのか、見ることにしましょう。⇒ http://www.guardian.co.uk/world/2010/feb/19/ian-black-mossad-dubai

 テルアビブ港に近い、閑静な路上で昨年11月、若い男が駐車中の車の下部に、爆弾らしきものを取り付けているのを見つけ、警察に通報しました。警官が現場に駆けつけ、逮捕したところ、男は「モサドのエージェント」だと主張したそうです……そう、まさしく男の言うとおり。模擬爆弾を使った「練習」でした。

 地元のテレビ局のローカル・ニュースとして流れ、それでおしまい。
 イスラエルという国は、こうした「影の部分」を持った国なのですね。

 イアン・ブラック記者によれば、2年前のちょうど今頃、シリアのダマスカスで、レバノン・ヒズボラ(神の党)の軍事部門指導者が乗ったジープが爆破されたことがあるそうです。イスラエルは今回のドバイ事件のように認めていませんが、シリアの首都まで入り込んで、すごいことやったな――もちろん「モサド」が――と評判になったそうです。

 「モサド」は1948年のイスラエル建国とともに出発した組織で、ナチ戦犯のあのアイヒマンを捕らえたりもしていましたが、パレスチナ紛争の激化に伴い、暗殺行為をも組織的に行うようになる。

 そして、1972年のミュンヘン・オリンピック。
 イスラエルの選手11人が、パレスチナ過激派組織「黒い九月」に殺害されると、「モサド」が直ちに復讐の乗り出し、ヨーロッパ各地で作戦を展開、最終的に同じ人数、11人(ほかに誤認で1人)をしとめた。「モサド」の名が世界に知れ渡ったのは、この時のことです。

 秘密の諜報機関ですから、その全貌はうかがい知れないわけですが、いちど、1990年に、「モサド」出身者が暴露本を出しことがあるそうです。

 そしてそこで明らかにされたのが、「キドン(ヘブライ語で「銃剣」)」という暗殺実行班の存在。

 もしかしたら、今回のドバイ事件でも、「キドン」が暗躍したのかも知れませんね。

 しかし、今回のドバイ事件、「モサド」なら監視カメラの存在など確認済みのはずですし、カメラに撮影されて「面」が割れることなど分かっているはず。
 (現にイスラエルでは、ある新聞のエディターが、犯人の一人と「そっくり」で、大騒ぎになったそうです) 

 にも、かかわらず、ハマスの軍事部門指導者をどうして、ああした「派手」なかたちで消し去ったのか?

 ドバイはイランとの接点。殺されたハマスの幹部は武器購入などでドバイを訪れていたとみられています。
 その幹部をなぜ、いまなぜ、「面割れ」覚悟で暗殺したのか?

 イスラエルがハマスに対して戦争を仕掛けようとしている、との観測もあり、今後のイスラエルの動きから目を離すことはできません。

  
 モサドWiki ⇒ http://en.wikipedia.org/wiki/Mossad  

 ドバイ警察公表 監視カメラ撮影 ビデオ (2部構成)⇒ http://www.youtube.com/watch?v=l9xMkX98VVE&feature=PlayList&p=7026F981D8700CF9&playnext=1&playnext_from=PL&index=40

   http://www.youtube.com/watch?v=B4x1ztwISCQ&feature=PlayList&p=7026F981D8700CF9&playnext=1&playnext_from=PL&index=41

Posted by 大沼安史 at 12:16 午後 1.いんさいど世界 | | トラックバック (0)

2010-02-20

空から歌が聴こえる 今夜の1曲は  Rose

 ルドヴィコ・エイナウディ (Ludovico Einaudi)のバラを。

⇒ http://onuma.cocolog-nifty.com/blog3/2010/02/rose.html

 親友が訪ねてくれた。親友が、わたしにあることを命令した。

 命令に応え、よく考えてみることにした。

Posted by 大沼安史 at 11:21 午後 | | トラックバック (0)

2010-02-19

〔コラム 机の上の空〕 「対等な日米同盟」 倒錯の水平変換アクロバット

 日本とアメリカの関係を「日米同盟」などといって、さも「対等」な関係とに思わせるミトクラシー(神話化政治プロパガンダ)が、日米安保50周年のことし、日本国内において(片面的に)盛んだ。

 1910年の韓国の植民地化を、「韓国併合」といわず、「日韓併合」と、さも「対等な合同」であるかのように思わせた(当時の外務省の役人による、狡猾な命名)策略を「逆立ち」させたような、「日米同盟強化」キャンペーンの大合唱ではある。

 ほかの分野はさておき、こと「軍事」において、日米の間にどんな「対等」な関係があるというのだろう?

           #

 米国の軍事ウオッチャー、フリーダ・ベリガンさんは、反核・反戦運動に生涯を捧げた、フィリップ・ベリガン氏(1923~2002年、1999年には、コーンといわれる、核ミサイルの弾頭の覆いを製造する工場に侵入するなど、非暴力・直接行動によるプロテストを続けた、カトリックの元神父である。拙訳、『戦争の家ペンタゴン』参照)のお嬢さんだ。彼女もまた、父親同様、断固、平和を求める立場に立つ。
 
 そのフリーダさんが書いた最新のレポートで、日本政府が米国から、2008年に8億4000万ドルもの兵器を購入していたことを教えていただいた。
 800億円も――たった1年間で。

 この数字は米国防総省(ペンタゴン)が公開している資料に基くものだそうだ(日本のマスコミは報道しているのかしら?……)。

 世界第10位の輸入額。内訳は出ていない。何を買っているのだろう? 

 これに対して、輸出元の米国全体の兵器取引額は、2008年において、どれほどのものだったか?

 連邦議会調査局の調べでは、この年、全世界の兵器取引(額)の7割近く、378億ドルに達した、というのだ。3兆円を超える規模。

 フリーダさんはこの点を突き、アメリカはいまや「グローバル兵器独占体」だ、と指摘しているが、まさにしかり。軍事帝国・アメリカは、ぶっちぎりのナンバーワン、「死の独占商人」と化しているわけだ。

 そんなスーパー軍事大国、アメリカを相手に、日本はどんな「対等」な軍事同盟と維持しているというのか? 
 
           #

 「沖縄」問題、ひとつとってもわかるように、日本が単なる軍事隷属国に過ぎないことは、最早、誰の目にも明らか。

 日本のマスコミが「奇跡の安保条約」だなんのと、最近、糊塗作業に懸命なのは、この事実を必死で覆い隠そうとする、シジフォス的「神話化」キャンペーン以外の何物でもないだろう。

 実態としては、かつての「南ベトナム政府(軍)」、いまの「アフガニスタン政府(軍)」と、それほど違いがないはずなのに……。
 
           #

 フリーダ・ベリガンさんによると、オバマ政権は新年度予算で、アフガン政府軍向けの武器供与に60億ドルを計上しているそうだ。

 アフガンは今や、米国の軍事産業のぼろもうけマーケット。アフガン戦争でアフガンは、米国の兵器メーカーの「大消費地」と化したわけだ。

 そういうアメリカと「対等な、奇跡の同盟」だと?……

 「少し前までは最新鋭」だった兵器を売り込まれ、買わせられているだけのことではないか!

 このマゾヒズム的快感(?)に支えられ、主従(タテ)関係の現実を、水平化(ヨコ=対等)した幻想として見せかける、アクロバチックなまでの倒錯劇よ!
 

 フリーダさんのレポート ⇒ http://www.tomdispatch.com/post/175207/tomgram%3A_frida_berrigan%2C_pimping_weapons_to_the_world/ 

 

Posted by 大沼安史 at 07:06 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2010-02-18

〔NEWS〕 年金運用損 なんと9兆6670億円! なのに、独法理事長(日銀出身)は多額のボーナスをゲット! ウォールストリートのハゲタカに「投資一任」!

 厚生年金、国民年金の積立金を管理・運用している「年金積立金管理運用独立行政法人(管理運用法人)」が平成20年度に出した運用損が、なんと「9兆6670億円」に達していたことが、同法人のネット公開資料で判明した。

 「9兆円」とも「10兆円」ともいわれていた「運用失敗」の、国民への付け回し額が、これでハッキリした(もちろん、公表された数字が「正確」であることを前提とした話だが……)。

 ざっと、9兆7千億円……天文学的な損失である。

 にもかかわらず、日銀出身の理事長は、平成20年度に1986万4千円もの高給をはんでいる。うち賞与(ボーナス)は563万3千円。

 これだけ運用損を出しながら、高額なボーナスを懐にするとは恐れ入った。

 本来ならクビ=解雇ものだと思うが、いかがなものか?
 所管の長妻厚生大臣にうかがいたいものだ。

 同法人の「平成20年度業務概況書」をさらに詳しく眺めて、またも愕然とした。「運用受託機関」に、ウォールストリートのハゲタカどもが名を連ねているではないか!

 ゴールドマン・サックス(GS)、JPモルガン……

 GSは言うまでもなく、今回のギリシャ国家財政破綻危機で、財政赤字隠しをした張本人として、国際社会から指摘されている、トンデモ・ハゲタカである。

 そんなところに「投資一任」(同、92頁)していたというのだから、あいた口がふさがらない。

 理事長の川瀬隆弘なる人物は、日銀の企画局長をした人物。理事には、厚生労働省健康局総務課長をしたキャリア官僚が出向者として名を連ねている……。

 あなたがたは、「投資一任」しただけのこと、私たちには責任はありません、と言い張るおつもりか?

 われわれ国民はコツコツ年金を積み立てているのだ。積み立て期間が足りないと、積み立てした分をゴッソリ、国にもっていかれたりもしている。

 こういう不正義を、長妻大臣よ、あなたは今後とも見過ごすおつもりか?

 年金を払わないというなら、積み立てた分を返しなさい!

 9兆7千億もアナを開けた、独法幹部に責任をとらせ、退職金を含め、報酬を年金基金に返すように言いなさい!

  それが社会正義というものではありませんか?

 (まさか、国民のトラの子・年金基金が役所の「特別会計」の赤字隠しに使われている、なんてこと、ないでしょうね?!……)

 ⇒ http://www.gpif.go.jp/index.html 

    http://www.gpif.go.jp/kanri/pdf/kanri03_h20_p04.pdf

 
 

Posted by 大沼安史 at 07:49 午後 | | トラックバック (0)

2010-02-17

空から歌が聴こえる 今夜の1曲は 黄昏のビギン

 夏川リみさんが歌うと、この歌の革新性が、また一段と鮮やかなものになる!

⇒ http://onuma.cocolog-nifty.com/blog3/2010/02/post-ff39.html

Posted by 大沼安史 at 10:18 午後 | | トラックバック (0)

〔NEWS〕 ドバイ警察 ハマス指導者のホテル暗殺事件 一部始終をビデオで公開

 湾岸のドバイの超高級ホテルで、1月19日夜、ハマスの指導者が、何者かに暗殺された事件で、ドバイ警察は、ホテルや空港などを監視カメラによる、犯行グループの映像を公開した。

 犯行グループは、暗殺実行チーム(2人1組)を2チーム、作戦の監視チームを3チーム、投入するなど、組織的な連係プレーで、イスラム過激派、ハマスの指導者、ハマムード・アブフー氏(50歳)を、ドバイの最高級ホテル、アル・ブスタン・ホテルの「230号室」で殺害した。

 警察の検死では、同氏は、脳内血圧の急上昇で死亡したとされる。どのような手口で、殺害されたかは明らかにされていない。

 ニューヨーク・タイムズ紙によると、アブフー氏はシリアを拠点として活動していたハマスの指導者で、軍事部門のリーダーのひとり。これまでイスラエルの暗殺の企てを何度も潜り抜けて来た人物だった。

 暗殺されたアブフー氏がドバイの空港に到着し、入国手続きを済ませたのは、空港の監視カメラによると、1月19日午後3時20分。

 同氏は同3時25分、空港近くのアル・ブスタン・オテル、230号室にチェックインした。

 同氏のドバイ入りを、暗殺グループは事前に察知しており、犯行(午後8時27分前後)の8時間ほど前から、活動を始めていた。

 暗殺グループのリーダー格とみられるのが、ガイルという女性とケヴィンという男性(英紙インディペンデントによると、英国籍の実在に人物のパスポートを所持していたらしい)。

 ドバイ入りするなり、アル・ブスタン・ホテルの近くのホテルにチェックイン、ショッピングセンターで、他の暗殺チームと合流し、作戦を開始した。

 監視チームを3チーム配置し、アル・ブスタン・ホテルの「230号室」の真向かいの「237号室」を確保。

 暗殺実行犯の2チーム(計4人)が、一時外出からホテルに帰って来たアブフー氏の部屋に侵入。殺害したあと、ドバイ空港から全員、出国した。

 アブフー氏が遺体で発見されたのは、翌20日の午後1時半だった。

 水際立った犯行の手口からみて、イスラエルのモサドの仕業と見られる。

 ドバイはイランとの関係も深い「窓口」で、アブフー氏はイラン関係者と接触したものとみられる。

 英紙インディペンデントによると、ドバイはイランの国際金融の窓口の役割を果たしており、それが米国の怒りを買って、先の金融危機に追い込まれた。

 まるで、ジョン・ルカレのスパイ小説を地で行ったような、暗殺事件。

 こんなことを、イスラエルはいつまで繰り返して行こうというのか。 
 

⇒     http://thelede.blogs.nytimes.com/2010/02/16/assassins-of-hamas-official-caught-on-tape-dubai-says/?scp=1&sq=Dubai%20killing&st=cse

       http://www.nytimes.com/2010/01/30/world/middleeast/30dubai.html

Posted by 大沼安史 at 09:20 午後 | | トラックバック (0)

2010-02-16

空から歌が聴こえる 今夜の1曲は 何日君再來

 先日、歴史劇の舞台に、テレサ・テンさんのこの歌が突然、流れ、なぜか、涙をこぼしてしまった。

⇒  http://onuma.cocolog-nifty.com/blog3/2010/02/post-c59b.html

Posted by 大沼安史 at 11:32 午後 | | トラックバック (0)

〔コラム 机の上の空〕 「平和の母」の Mythocracy 批判

 愛息のケイシーさんをイラク戦争でなくした米国の反戦運動家、「平和の母」こと、シンディー・シーハンさんが、最近、『Mith America(神話のアメリカ)』という本を電子出版した。

 その「新刊」をめぐる彼女のエッセイ、「現代のプロパガンダが狙うもの:Mythocracy(神話政治)」が、ネット・ジャーナリスムのサイトで紹介されていたので、読んでみた。大事なことに気づかされ、励まされる、シンプルなエッセイだった。

          #

 神話(ミス)と統治(クラシー)の合成語、「ミトクラシー」。
 捏造された事実をプロパガンダで神話化することによって「真実」とみせかけ、民衆を統治するデマゴギー政治を指す。

 アメリカの一般大衆は、「ミトクラシー」によって、どこまでデマゴギーを注入されているか?

 その現実の一端を彼女は、行きつけのスポーツクラブで、「スーパー・ボウル」(アメフト優勝決定戦)の日に見たという。

 試合開始の時間になり、ガラガラになったプールで泳いだりしたあと、ホットバスに浸かり、居合わせたビルという名の初老男性と、こんな話を交わしたそうだ。

  ビル あなたのやっていることは、戦死した息子さんの名を汚すことだよ。
  彼女 そうかしら? 息子は非合法で非道徳的な戦争で殺されたの。息子の名を汚したのは、この国よ。
  ビル でも、やつらが「9・11」で、わしらを攻撃して来たんだ。
  彼女 えっ、「9・11」で、誰が攻撃して来たの?
  ビル イラクとサダム・フセインだよ。
      …………

 2人の会話はさらに続くが、これで十分だろう。
 彼女より年上の、ビルという男性に対する、アメリカ右翼権力による、ミトクラシーの勝利!
 「私の‘スポーツクラブ仲間’のビルは、(この国の)右翼に完全にプロパガンダされてしまっていた……」

          #

 こうした「ミトクラシー」に負けないため――いや、それに対して、民衆の「革命」で応えるために、彼女は新著を出したのだそうだ。
 そう、「革命(レヴォルーション)」を起こそうと、彼女は言い切っている!

 どんなふうに「革命」を起こすのか?
 彼女の呼びかけは、実に素朴で単純だ。たった4つのことを呼びかけているだけ。

 「まず、われわれはミトクラシーの現実を生きている事実を、しっかりつかむ」
 「次に、その神話をどんどん暴き立ててゆく」
 「そして団結して、(支配階級である)ドロボー階級(Robber Class)に抵抗する」
 「最後に、(トップ・ヘビーになった、このミトクラシー)帝国が近い将来、ひっくり返ることを見通す」

 体制の神話を破り、民衆が連帯して抵抗すれば、それで「革命」は成る、というわけだが、彼女はさらにダメ押しで、「これは、わたしたちが勝つに決まった革命だ」と言い切る。

 理由は、ふたつ。
 ① ドロボー階級(1%の超少数派)は、われわれ一般大衆に寄りかからざるを得ない。
 ② われわれの方が人数が圧倒的に多い。

          #

 彼女はエッセイの冒頭に、フランスの思想家、ジャック・エリュールの、こんな言葉を掲げていた。
 「現代におけるプロパガンダの目標は、最早、世論を変えることではない。そうではなく、活発な、神話的な信念を湧き起こすことだ」

 こうした「現代におけるプロパガンダ」は、もちろん、私たちの日本においても、教育、メディアを通じ、今もって――いや、ますます強力に、盛んに行われていること。

 その「幻想」をどう切り裂き、その正体をどう暴いてゆくか?

 「ミトクラシー」を脱神話化する――最低でも、神話化づくりに加担しない。

 現代におけるジャーナリズムの死活的な使命は、ここにある。 

⇒  http://cindysheehanssoapbox.blogspot.com/2010/01/order-info-for-myth-america-ii.html

http://dprogram.net/2010/02/15/the-goal-of-modern-propaganda-mythocracy-cindy-sheehan/

Posted by 大沼安史 at 11:00 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

2010-02-15

空から歌が聴こえる 今夜の1曲は  Slumber My Darling

 アメリカのアリソン・クラウスさん! 一耳ぼれ、してしまった!

 今夜も、前回に続いて、ララバイを!

⇒ http://onuma.cocolog-nifty.com/blog3/2010/02/slumber-my-darl.html

Posted by 大沼安史 at 09:07 午後 | | トラックバック (0)

〔NEWS〕 その名も弱きを助ける「ロビン・フッド・税」 世界の経済学者が緊急導入を提唱 日本流に言ったら「遠山の金さん・税」ってことかな?

 英紙インディペンデント(電子版、15日付)に、「桜吹雪」が目に浮かぶ、痛快な記事が載っていた。

 ハーバード大学から京都大学まで、全世界およそ350人の経済学者たちが、通貨など国際的な投機に対して「緊急課税」を求めている共同声明を公開状のかたちで発表したのだそうだ。
 (日本からは誰が署名したのだろう? 伊東光晴さんは、たしか京都大学の名誉教授じゃないかしら)

 ジョセフ・スティーグリッツらノーベル経済学賞受賞者2人を含むエコノミストたちの呼びかけは、通貨、株式、その他証券類などの投機に0.05%の課税をせよ、というもの。

 「この課税はすでに十分、練り上げられたアイデアである。今回の世界金融危機は、規制されざる金融の危険性と、金融セクターと社会のリンクが崩壊した姿を、私たちにまざまざと示した。このリンクを修復し、金融セクターが社会に対して返済するべき時である」

 This tax is an idea that has come of age. The financial crisis has shown us the dangers of unregulated finance, and the link between the financial sector and society has been broken. It is time to fix this link and for the financial sector to give something back to society.

 なかなかの啖呵。悪党どもめが、返しやがれっ!!――てなわけ。   

 このアイデア、ご存知のように一般には、言いだしっぺのアメリカの経済学者の名前を冠して「トービン税」と呼ばれたり、世界の貧困問題や環境問題のための「国際連帯税」と言われているものだが、インディペンデント紙は「ロビン・フッド・税」と呼んでいる。

 義賊、ロビン・フッドよ、シャーウッドの森から出て来て、シティーやウオールストリートの金融ドラゴンどもをやっつけろ。やつらが濡れ手に粟でぼろもうけした上がりを、貧者にばらまけ――という次第。

 (ただし、この「ロビン・フッド税」――インディペンデント紙の「創作」ではない。英国では、すでにフツーに使われている言葉だ。たとえば、⇒ http://robinhoodtax.org.uk/

 日本流に言えば(翻訳すれば)、「ネズミ小僧次郎吉・税」と相成るが、ここはやはり「遠山の金さん・税」といった方が、なんかカッコいい。
 杉良太郎さん(と、ついでに、僕が大好きな伍代夏子さん)をイメージできるし……

 ま、国際的な投機に課税するのもいいが――もちろん、大賛成だが、と同時に、今やアフガン戦争などすぐやめにして、ジャージー島とかケイマン諸島とか、租税逃れのタックス・ヘイブンに対する「上陸(侵攻)作戦」を決行するときではないのか?!

 日本の政権も、たとえば日本銀行のシニョレージぼろ儲けウハウハ「株主」どもから株券を取り上げ、ホームレスや貧困家庭の支援に回すべきではないのか?! 

 次の参院選では、「ロビン・フッド」……あ、いや「遠山の金さん・マニフェスト」の登場に期待したい。

⇒  http://www.independent.co.uk/news/business/news/hundreds-of-ecomomists-call-for-tax-on-currency-speculation-1899534.html

Posted by 大沼安史 at 08:54 午後 | | トラックバック (0)

2010-02-14

〔コラム 机の上の空〕 もう一人の「龍馬」が、そしてわが敬愛する「コバキン」さんが、教えてくれたこと 

 龍馬――「りょうま」と読む。今、流行の「坂本龍馬」のことではない。「尾田龍馬」氏のことだ。

 尾田龍馬――オダ・リョウマ。私にとっては、坂本龍馬以上の存在である。
 
 彼こそ、絵画というものを、そして平和というものを、そしてその両者の、切り裂いてはいけない関係を、この飲み込みの遅い私に、最終的なところで、ようやく教えてくれた人であるからだ。

 これまで私が、さまざまな人の教えをもとに、考え続け、少しわかりかけていたことを、ダメ押しで開示してくれた人――それが私の、尾田龍馬氏である。

            #

 私が尾田龍馬氏の「絵」をはじめて見たのは、昨年夏のことだ。元・ベ平連の吉川勇一さんの紹介で入会させていただき、購読を始めた「市民の意見」(NO.115)の表紙に、尾田龍馬氏が描いた『宇和島の風景』と『自画像』がカラーの複製で載っていたのだ。

 作者紹介に、こうあった。「1919(大正8)年8月29日、愛媛県宇和島市に生まれる。県立宇和島中学校卒業後、1939(昭和14)年4月、東京美術学校油絵科入学……」
 「……1944年(昭和19)年11月10日。関東州柳樹屯にて戦病死。享年25歳」。

 画学生、尾田龍馬氏が遺した、故郷、宇和島の山村の絵と自画像だった。(長野・上田、「無言館」所蔵)

            #

 宇和島の山間の村の風光と、陰影に富んだ自画像を見て、ふたつとも、この人の「世界」と「生」を描いた絵だと思った。

 世界を写生する自分、写生する自分を写生した画像――。

 「写生」とはよく言ったものだ。
 風景画を描く人間にとって、風景とは自分が写した生であり、自画像を描く人間にとって、その自画とは自分の生を写したものである。

 この二つの「絵」には明らかに、写し描いた生の肯定があった。生きている自分が写しているふるさとの風景があり、生きている、描き手である自分の姿がそこにあった。

           #

 その人と、その風景と――それを抹殺したのが「戦争」だった。

 死期を悟った尾田龍馬氏は、中国・関東州の病院で、姉のため、ハンカチに芍薬の花の絵を描いた。

 ハンカチは遺骨とともに、姉のもとに届けられた。

           #

 私は、この尾田龍馬氏の絵を見ながら、一昨年、東京・駒沢大学駅前の画廊で、見た一枚の絵を思い出した。

 私の新聞社の先輩である、小林金三氏の個展会場で見た、一枚の絵。

 小林金三氏は、60年安保当時、安保反対の論陣を張った北海道新聞の論説委員のひとり。旧満州・建国大学の出身で、戦後、日中友好にも力を傾けた人だ(「ベトナム日記」(理論社)、「論説委員室」(彩流社)、「白塔」(新人物往来社)など著書多数)。

 小林金三氏(コバキンさん)は新聞社を退職後、札幌の手稲山のふもとにで、画業に専念してきた。「手稲山はオレのサンビクトワールだ」と言って。

 その山荘のアトリエで描かれた一枚の絵に、私は個展会場で釘付けになった。
 冬の山の林間を描いた絵。雪の結晶のような、深みのある、そして鋭い、白と藍色の構図。

 その絵を見て、思った。これが何の飾り気もない、コバキンさんの満州であり、手稲山麓であり、彼の人生であるのだな、と。

           #

 コバキンさんは北海道新聞の小樽支社長を務め、小樽を愛し、小樽の街並みを描き続けた人でもあるが、同じ小樽ゆかりの、評論家、吉田秀和さんが、セザンヌの絵を論じた大著の中で、セザンヌには「モデレ」と「モデュレ」の総合があったと指摘したことを(うろ覚えながら)覚えている。

 世界をつかみ(モデレ)、それを己の生において様式化(モデュレ)し、そうして描かれた風景画(もしくは自画像)――それが、セザンヌだと。

 絵とはそれほどまでに、自分を通して世界に迫り、世界に迫ることで自分を表すものなのだ。

 尾田龍馬氏の、おだやかな風景画と、コバキンさんの裂帛たる、真冬の絵に共通するものがここにある。

           #

 私は尾田龍馬氏の遺した絵を見て、ここに「9条」がある、圧倒的な平和の肯定と戦争否定があると思ったものだが、コバキンさんの絵にも、同じように訴えかけてくるものを感じる。

 そこにある、山の絵を、今を生き、その山を見ている、オレが描く……そのことを否定するものを、オレは憎む……その、動かしがたい、単純な真理!

 コバキンさんは先日、札幌で、後輩の記者たちと一夕をともにし、「60年安保」当時の思い出にふれて、「難しい時代に論説委員を務めたのは、一種単純化する発想だった。例えば、独立国なのに外国軍の基地があっていいのか、アジア各国とも相互不可侵条約を結ぶべきだ――と主張した。外国軍の基地を持ったままで若い人に国家を考える心が生じるはずがないではないか」(会の参加者のメモより)と語ったそうだが、私はこの発言に、余計な夾雑物を排除し、本質を見切って、それだけを描き込む画家の目を、どうしても感じてしまう。

           #

 近頃、わが日本国では、「奇跡の安保条約」などと言って、「日米軍事同盟」を誉めそやす言説が溢れているが、コバキンさんの発言(と絵)には、尾田龍馬氏の遺作の絵と同様、あってはならないものを――人が生きる風景を、その風景を生きる人を破壊するものを、一直線に裁断するものがある。

           #

 ことしは「60年安保50周年」――。
 当時、東京の某大手新聞社に、整理記者として勤めていた歌人、島田修二氏(1928~2004年)は、こんな歌を詠んでいる。

   是是非非と両成敗の論なしてよく笑うなり記者の立場は
   生くるための擬装の中に真実は消えしか政治記者彼の場合に

 こうした権力に迎合する態度こそ、当時、北海道新聞・東京論説委員室にあって、コバキンさんが憎み、戦ったものであり、戦時中、四国の画学生、尾田龍馬氏が当時において、ひそかに蔑んだものであろう。

 島田修二氏は、樺美智子さんが殺された日に、こんな歌も詠んでいる。
  
   いのち守らんための抗議に処女死にて原理論絶ゆ駅までの道に

           #

 余計な言説=その原理論さえも無用な、奪われてはならない、かけがえのない生の世界――それこそ、コバキンさんの描いた、あの白と藍色の冬の山林の世界であり、尾田龍馬氏が遺した、緑ゆたかな「宇和島の風景」である。

Posted by 大沼安史 at 07:07 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (0)

〔いんさいど世界〕 My Way カラオケ殺人事件

  そろそろ――といってもまだ早すぎですが、職場で人事異動が行われる時季。二次会のカラオケが盛り上がる季節です。

 皆さんの「持ち歌」(18番)は何でしょう? 僕の場合はアン・ルイスさんの「グッバイマイラブ」(ポイ捨てされるタイプなものですから……)ですが、ひょっとして「マイ・ウエー」だなんて人、いませんか?

 今朝は、その、My Way の話題を。
 ニューヨーク・タイムズ(電子版)の、「最も歌われた……あ、いや、読まれた記事」の「第一位」の座を、たしか3日間にわたって守り続けた記事です。

 書いたのは、ノリミツ・オオニシ記者。同紙が誇る、日系カナダ人の、エース記者です。フィリピン発、2月7日付、「死の和音を奏でるシナトラ・ソング」という見出しのついた記事。

 シナトラとはもちろん、「マイ・ウエー」のフランク・シナトラさんのことです。

 なるほど、トップを張った記事だってことが、読んでみてよくわかりました。
 なにしろフィリピンでは、なぜか、「マイ・ウエー・カラオケ殺人事件」(現地では、マイウエー・キリングって言ってるんだそうです)が、過去10年間に6件も起きているというんですから。

 それでフィリピンでは、「マイ・ウエー」を曲目から外してしまうカラオケ店が相次いでいるそうなんですね。

 しかし、それにしても、「マイ・ウエー」が、マイ・人生のジ・エンドに、どこでどうつながるのか?

 ノリミツ・オオニシ記者によると、その因果関係に定説はまだないそうですが、有力な説がないわけではない。

 どうも、この歌の歌詞に殺意が生まれる秘密があるようなんですね。

 フランク・シナトラさんが歌っているこの歌の歌詞は、ポール・アンカさんがシナトラに捧げたものなんですが、大御所を持ち上げるというか、歌の帝王にふさわしい歌詞を考えたというか、どうもゴーマンに聞こえるところがあるんですね。

 なにしろ、I did it, my way. オレ、やり切ったぜ、オレ流で。なんか、もんくアッカ?! っていうわけですから。

 あのシナトラ流に、朗々と、しかも自信たっぷり、「オレ、やったぜ」と歌われたら、う~ん、そんな気持ちにもなるかもしれないなあ~???!!!

 そういえば、
 I faced it all and I stood tall;
 And did it my way.

 オレは立ち向ったぜ、雄雄しく
 そしてオレは、オレ流でやりとおしたのさ

 ―― なんて詞もありますから。
 フィリピンも貧富の差が激しく、最後まで苦しい人生を送らざるを得ない人が多いわけでもあるし……???

 しかし、歌い手の立場で言えば、その人にはその人の人生しかないわけですから、「オレ流」でやって来た、と歌うしか、ないのですね。
 誰しも、マイ・ウェーしか、ないのですから……。

 だから、そこに―― ♪ I did it, my way. と声はりあげ、歌い上げたその時――僕はここが決定的瞬間だと思うのですが――「下手くそ」とか「ば~か」なんて野次や笑いが飛んだら、憎しみの炎、メラメラ瞬間湯沸し機状態になってしまいますよね。

 フィリピンってところはカラオケが盛んなところで、朝から路上カラオケしてる風景もよくみられるそうですが、中にはホステスさんがいるカラオケ店もある。そこで「マイ・ウエー」を歌って、好きな彼女の面前で恥をかかせられたら……ってこともあるようです。もちろん、オオニシ記者がレポートで言ってることですが……

 しかし、カラオケってもともと、歌を通じて連帯の輪を広げ、絆をたしかめるもの。カラオケがカンオケに直結するようなことは、あってはならないことですね。

 そんな願いをこめて、オオニシ記者は、記事を、カラオケ店で出会った、2人のフィリピン人男性へのインタビューで結んでいます。

 2人は生活が厳しいから、憂さ晴らしにカラオケで歌っているのだそうです。
 年下の42歳の男性が「悩むんじゃない、悩みに悩ませておけ!」ってフィリピンのことわざをオオニシ記者に紹介し、2人して大笑いしてみせたそうです。

 そして最後に、年上の62歳の男性がこう言った。「マイ・ウエー殺人」が起きるのは、「誤解や妬みがあるからだ。あってはいけないことだね」と。

 「誤解や妬み」のない歌声の輪よ、カラオケから生まれよ!

 でも、誤解や妬みは人事異動にはつきもの。カラオケで歌うなら、ケセラセラとか、ラブソングが無難なのかも知れないなあ~!?
 
 
⇒  http://www.nytimes.com/2010/02/07/world/asia/07karaoke.html?em

Posted by 大沼安史 at 12:11 午後 1.いんさいど世界 | | トラックバック (0)

〔写真 NEWS〕 バンクーバー 五輪開会式に2万5000人の抗議デモ 一般市民がほとんど

2557728_2 バンクーバー在住の本ブログの読者から、以下のような「写真ニュース」が送られて来た。
 
 開会式の日だけで2万5千人のデモでした。ホームレスだけはあやまりです。一般市民がデモにはほとんどでした。市が税金を大きくつかいすぎ、教育費を含むいろんなところからのカット(学校閉鎖を含む)で市民の不満が充満しています。市の借金は孫の代までの返済です。

 日本のマスコミが報じない、この現実!

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Posted by 大沼安史 at 10:21 午前 | | トラックバック (0)

2010-02-12

〔ハイチ NOW〕 チョムスキー氏らが公開状 「ハイチ民衆の力の行使こそ最も重要な目標でなければならない」

 米国のノーム・チョムスキー氏をはじめ、カナダなどのハイチ民衆支援組織代表、現地ジャーナリストら9人による連名の公開状が、英紙ガーディアンに掲載された。

 1月22日付けの記事で、少し時間が経っているが、ハイチ問題の核心を衝き、ハイチ支援のあり方を問う内容なので、全文(記事中のリンクは除く)を拙訳で紹介したい。

 日本政府が自衛隊員を国連のPKO要員として派遣した今こそ、チョムスキー氏らの訴えに耳を傾けねばならない、と思うからだ。

                ◇

   Haitian empowerment must be the prime goal

 私たち公開状の署名人一同は、ハイチの震災犠牲者に不可欠な救援物資を届けるのに、スキャンダラスな遅延が起きていることに強い怒りを感じる。米政府が、救援物資の分配よりも外国人兵士の増強を優先した結果、どれほどの人が不必要な死を迎えなければならなかったか知れない。私たちは現地の米軍司令官らに、救援活動の実施の指揮をハイチの指導者たちの手に即刻戻し、現地の当局者を支援するというならば、排除するのではなく彼らを即刻援助するよう要求する。

 「セキュリティー」や「暴力」に対する、取り憑かれたような外国の懸念は、ポルトープランスの路上における、ハイチ民衆の忍耐と連帯のレベルの現状をみれば、否定される。米国と国連の当局者は長い間、続いてきたパターンを維持し、ハイチの民衆とその代表たちを、完全にお門違いの恐怖と猜疑心で扱い続けようとしている。私たちは事実上の支配者であるあなた方に、ハイチの民衆が今回の危機に対処する力を強めうる、あらゆることをなすよう求める。私たちはまた、当然の帰結として、ハイチにおいて最も支持され、最も人々を士気を高めることのできる政治指導者、ジャン・ベトラン・アリスティド(彼の率いる政党は、この国の民主的な選挙の最終回で国会の議席の90%を獲得している)が、2004年、米国、カナダ、フランスの後押しで政権の座から追われ以来、憲法違反の亡命状態に置かれている今の立場から帰国できるよう、それを即刻認めるよう要求する。

 もしもハイチの復興作業が外国軍兵士と国際開発機関の監督下で続けられるなら、それはハイチの大多数の民衆の利益にはならない。私たちは国際社会の指導者たちにハイチの主権を尊重し、国際的な支援の方向性を、新自由主義や低賃金労働による搾取、非政府機関による施しに向いたものから、ハイチ自国政府、及びハイチの政府機関に向かうものへと切り替えるよう求める。私たちはフランスがハイチに対して負っている巨額な負債を全額、それも今すぐ支払うよう要求する。

 そして何よりも私たちは、ハイチの復興活動が、全てを包みこむ、ある目標に向けたガイダンスの下に、進められることを要求する。そのガイダンスとは、ハイチの民衆が政治的にも経済的にも自らの力を行使することである。

⇒  http://www.guardian.co.uk/world/2010/jan/22/haitian-empowerment-prime-goal

Posted by 大沼安史 at 10:17 午後 | | トラックバック (0)

〔ハイチ NOW〕 国連PKO部隊は「出てゆけ」 ハイチ震災難民がデモ

 HaitiAction.netによると、2月11日、ポルトープランスで、ハイチの震災難民が、国連のPKO司令部に対して、「ハイチから出てゆけ」と抗議デモを行った。
 
 震災難民はポルトープランスだけで30万人に達しており、疫病が広がる中、プレヴァル政権と国連の被災者救援活動の無能・腐敗ぶりに対して不満が募っている。

 デモ隊は米軍が占拠している空港に向かって行進。国連PKO司令部の前で、ハイチ国警に阻止された。

 〔大沼・注〕 この記事を読んで、「国連のPKO」だから、ハイチの現地の人々に歓迎されるはずだ――などと簡単に信じ込んではならない、と思った。

 記事を引いた下記サイトの他の記事を読むといい。ハイチ民衆とともにあったジャスト神父を、国連のPKO部隊が「射殺」したとの告発記事が出ている。、国連PKO部隊がスラムの「太陽の町」でも虐殺事件を起こしている、との告発記事もある。

 もちろん、日本の自衛隊が派遣される前の話ではあるが……。 

⇒  http://www.haitiaction.net/News/HIP/2_11_10/2_11_10.html

Posted by 大沼安史 at 09:14 午後 | | トラックバック (0)

〔NEWS〕 熱波 リオを襲う 体感で50度以上 前日・前々日はブラジル南部で32人が死亡

 熱波が17日(水曜日)、ブラジルのリオデジャネイロを襲った。
 観測では「40度Cを大きく超え」、体感では「50度C以上」にも達したそうだ。

 15、16日にはリオの南350キロ、サンパウロに近いサントスで、老人32人が熱波で死亡した。

 リオでは16日(火曜日)、最高気温46.3度Cを記録した。

 南半球ではこの「夏」、オーストラリアにも熱波が襲い、シドニーで連日、40度を越えるなど、地球暑熱化が際立っている。

 もしかしたら地球は、後戻りのきかない「ティッピイング・ポイント」に到達しているのかも知れない…………!!

⇒  http://www.google.com/hostednews/afp/article/ALeqM5hNQaqAMnwvIsEmuWYAZG1aDYtHZw

  一方、北半球の「真冬」のインドのデリーでは7日に最高気温が30・1度を記録する異常な暑さになったが、その後、気温は下がっているようだ。
 ⇒ http://www.ptinews.com/news/511353_Minimum-temperature-dips-in-Delhi

Posted by 大沼安史 at 05:54 午後 | | トラックバック (0)

2010-02-11

〔NEWS〕 英紙ガーディアンが地球温暖化・メール漏洩(クライマト・ゲート)事件について全面的な調査報道を実施

 コペンハーゲンでの「環境サミット」を前にした昨年11月、地球温暖化問題の研究拠点である、英国イースト・アングリア大学気候調査班のEメールが大量の漏洩し、温暖化否定論者のキャンペーンの「材料」とされた事件を調査していた英紙ガーディアンが、その結果を電子版で公表した。

 同紙の調査結果の電子版での公表は、漏洩された全Eメールを含むもので、世界の科学界に対してコメントを求め、あの事件とは何だったか、事実関係を究明する一方、温暖化否定論者による、サウンドバイト、すなわち「つまみ食い(いいとこ出し)」による事実の歪曲による、「温暖化否定」キャンペーンに使われたことなども明らかにしている。

 同紙は、自ら下した結論(推定を含む)に対する所見を今後とも客観的にレヴューしてゆく態勢を整え、この問題に対する調査報道をさらに深化してゆく構えだ。

 電子版を通じ、「公開性」と「双方向性」を追求しようとする同紙の姿勢は、ネット時代の新たな報道のあり方を提起したものとしても注目される。

 さて、同紙の環境専門家、フレッド・ピアス氏による、調査報道結果(2月9日付)は、12項目(パート)に及ぶ、長大なものだ。

 その中から、ひとつだけ、調査結果を紹介すると、「パート2」で、メールの漏洩で勢いづいた、温暖化否定論者(政治家)によるキャンペーンの「嘘」が暴かれている。

 前アラスカ州知事のサラ・ポーリンや、共和党のジェームズ・インホフェ上院議員らが、1999年に発せられた漏洩メールに「トリック」とか「(温度)の低下を隠す」という言葉があるのを知って(誰かに知らされて)、地球の気温が低下している事実に蓋するものだと、ワシントン・ポスト紙への寄稿などで非難の大合唱を上げたが、それが実はまったく違った意味で使われたものだということが、同紙の調査で判明した。

 メールが言及した「トリック」とは、1998年発表論文でのグラフ化のデバイスを指すものであり、その98年時点では、地球気温の低下という「温暖化の不在」現象は(起ころうとはしているものの)まだ起きていなかったのだ。

 同紙の調査報道は、「ホッケーのステック」グラフ問題、「年輪」問題、中国の気象観測所のロケーション問題などに対しても、まるで科学論文のような厳密さでその真相に迫っているので、関心のある方はお読みになっていただきたい。 

 この2日間、仕事の合間を縫って、プリントアウトしていた「調査報道」結果に目を通して来たが、さすが環境報道で世界をリードするガーディアン紙ならではの力作である。

 ⇒ http://www.guardian.co.uk/environment/2010/feb/09/climate-change-data-request-war
 (上記は「パート1」のリンク。記事の右サイドに「パート2~12」までのリンクが張られています) 

Posted by 大沼安史 at 05:42 午後 | | トラックバック (0)

2010-02-09

空から歌が聴こえる  今夜の1曲は  Sweeter Than You

 窓の外で、こっちのほうが、甘くて、おいしいよ、と、焼き芋屋の「笛」が呼んでいるけど、いや、違う。 あかぎれした、カサカサな心に、しっとり来るのは、この歌の方だ。⇒  http://onuma.cocolog-nifty.com/blog3/2010/02/sweeter-than-yo.html

 それに、僕の台所には、ゆでたジャガイモが1個、まだある。

 チンすれば、食べれる……!!!???

 

Posted by 大沼安史 at 08:36 午後 | | トラックバック (0)

〔NEWS〕 メダルより住まいを! バンクーバーで「貧困オリンピック」プロテスト

 冬季五輪の開催地、カナダ・バンクーバーで7日、「貧困オリンピック(Poverty Olympic)」と銘打った抗議行動が行われたそうだ。
 
 ロイター電が報じた、小さなニュースだが、何か深く問いかけるものがある。

 デモは、ホームレスたちに対する支援を求めたもので、200人以上が参加したそうだ。

 デモが行われたのは、バンクーバーの貧民区、「ダウンタウン・イーストサイド」。

 バンクーバーでは2002年以来、ホームレスが373%も増加、現在2660人(英紙ガーディアン)に達している。

 「1億6600万ドルもかけてスケートリンクをつくっても、路上で寝ているわれわれには、何の意味もない」――これは、7日のデモで、ホームレスの男性が語った言葉。記憶にとどめるべき訴えだ。

 3日付けの「ガーディアン」には、ホームレスのこんな「予言」が紹介されていた。

 「間もなく、クリーンアップ(ホームレスの一掃)が始まるんだ」

 華やかな冬のスポーツの祭典、オリンピックの「ブラック・アイ(恥)」となるホームレスの追い出しが始まる、と予言しているのだ。

 大都会の谷間の、路上をさすらう、51歳の男性の、予言の言葉。

 メダルの前に、ホーム=Home(住まい)の授与を!

⇒  http://www.commondreams.org/headline/2010/02/08-4

  http://www.guardian.co.uk/world/2010/feb/03/vancouver-winter-olympics-homeless-row

Posted by 大沼安史 at 06:15 午後 | | トラックバック (1)

2010-02-08

〔いんさいど世界〕 ハワード・ジン氏を悼む最善の道 草の根の運動を組織せよ! ラルフ・ネーダーが呼びかけ 航空機事故でなくなったミネソタ選出の上院議員、ポール・ウエルストーン氏の遺志を継ぐ運動をモデルに

 米国の活動家、ラルフ・ネーダー氏が「ハワード・ジンさんを悼む最善の道」と題した追悼文を、進歩派のネット新聞「コモン・ドリームズ」に書いていた。

 読み進むうち、「ポール・ウエルストーン(Paul Wellstone )」氏の名前が目に飛び込んで来た。いつかこのブログで書きたい思っていた「ポール・ウエルストーン」氏!

 あの、無念の航空機事故でお亡くなりになった、このミネソタ州選出の上院議員の「遺志」が、いまアメリカの草の根に根付いていることを知ってうれしくなった。ネーダー氏は、ウエルストーン議員が遺したものと同じ流れの中で、人を育て、人々を組織する運動をつくり、ハワード・ジンさんの遺志を引き継いでいかねばならない、と書いていたのだ。

 ミネソタ州選出の上院議員、ポール・ウエルストーン氏が夫人、長女とともに、謎の航空機事故で亡くなったのは、2002年10月25日のことだ。

 ミネソタの名門、カールトン・カレッジの政治学の教授から、「ミネソタ農業・労働者党」の候補として連邦議会上院議員選挙に挑み、見事、当選をしたのは1990年のこと。

 ジン氏同様、反戦・平和の進歩主義の立場を貫き、上院議員として湾岸戦争、さらにはイラク戦争に、断固反対した。

 僕がこの人に関心を持ったのは、その航空機事故による墜落死に対し、「9・11」問題を追及していた、マイケル・ルパート氏が、その著書、『ルビコンを渡る』で暗殺説を提起していたからだ。

 このルパート氏の「暗殺説」には、僕を説得するものがあったが、それはともかく、議員の事故死のあと、息子さんのデイビッドさん、マークさんの2人が「ウエルストーン・アクション」という、草の根活動家を育てるNPOを立ち上げ、活動していることは、ネーダー氏のジン氏追悼文を読むまでは知らなかった。

 早速、ミネソタ州セントポールに本拠を置く「ウエルストーン・アクション」のHPにアクセスして見た。
 なるほど、ネーダー氏が推奨するだけある組織だった。
 
 活動の中心は「キャンプ・ウエルストーン」。全米各地で開いている、草のの根の活動家を育てる「2泊3日」のワークショップで、2003年以来、1万6000人が受講し、巣立っている。

 学生相手の「キャンプ」、労働者のための「キャンプ」も開いているが、先住民族(インディアン)の活動家も育てているのには感心させられた。
 僕は昔、ミネソタの先住民族による「サバイバル・スクール」を見学したことがあるが、社会の最底辺に落としこめられたネイティブたちに対しても、「ウエルストーン・アクション」は、連帯の手を差し伸べていた!

 この「ウエルストーン・アクション」は、今年の年末の「中間選挙」を重視し、そのための運動の組織化に入っているが、その動きを見ても、アメリカ社会における「下からの変革」の胎動のようなものを感じる。

 「ウエルストーン・アクション」はミネソタ発の運動だが、これに呼応する形で、ジン氏の地元、ボストンからも(あるいは、ジン氏がかつて公民権運動にかかわったアトランタからも)、きっと民衆による政治改革のアクションが生まれるに違いない。

 ハワード・ジン氏の逝去は残念でならないことだが、ジン氏なきあとに空虚な穴は残らない。湧き上がり、噴き出て、溢れかえる民衆の運動が、きっと大きなうねりとなって広がるはずだ。 

 昔、べ平連の小田実さん、鶴見俊輔さん、吉川勇一さんらが、ジン氏らと海を超えて連帯したように、ジン氏、そして小田実氏の遺志を継ぐ運動が、日本でも広がってほしいものだ。

 60年安保半世紀の今年、日米軍事同盟を超える、日米民衆の連帯よ、再び!!!

                  ◇

 ラルフ・ネーダー氏の呼びかけ ⇒ http://www.commondreams.org/view/2010/02/06-0 

  ポール・ウエルストーン氏のWiki ⇒ http://en.wikipedia.org/wiki/Paul_Wellstone

  「ウエルストーン・アクション」⇒ http://www.wellstone.org/about-us

 暗殺疑惑 ⇒ http://www.alternet.org/story/14399/

Posted by 大沼安史 at 06:05 午後 1.いんさいど世界 | | トラックバック (0)

2010-02-07

〔コラム 机の上の空〕 「9条の会」の大江健三郎氏に問う 「1960年の安保闘争」を「最大の危機」とした「朝日」に対し、あなたは批判もせず、これからもコラムを書き続けるおつもりですか?

 朝日新聞の船橋洋一・主筆が2月4日朝刊のコラム、「日本@世界」で、「新たな同盟像をどう描く」との見出しで、社説記事を書いていた。

 驚くべきことが書かれていた。
 「日米同盟は、戦争の敗者と勝者と2度を戦わないことを誓い、『信頼と和解』を築いた同盟である。言葉と文化を異にする両国が、その後ここまで信頼関係を深めたという点で、それは現代の奇跡といってよい」

 な、なんと、現代の奇跡! その「日米同盟」の影で、言葉(漢字)をともにする日中両国が、戦後ここまで「信頼と和解」を築かなかったのは、これ、まさに歴史における異常な汚点、といってもいいのに――と思わず、言い返したくもなるくだりである。

 船橋氏の「朝日」主筆としてのコラムには、こんな箇所もあった。「日米同盟」の再定義するにあたって、「互恵原則」というものを、こう考えたい、とする船橋氏の指摘である。

 船橋氏によれば、「互恵原則」とは、「共通の脅威と課題」に対応するための「共同の義務」だという。 

 「互恵」という言葉に、どうして「共通の脅威」が出てこなければならないのか?

 ちなみ、わが尊敬する国語学者、大野晋氏による「国語辞典」では、「互恵」とは「国家間で、特別の便宜や利益をあたえたり受けたりすること」とある。そのどこにも「共通の脅威」の影はない。

 しかし、ともあれ「朝日」の主筆、船橋氏の主張は明快である。「半世紀に及ぶ(日米)同盟史には危機も漂流もあった。最大の危機は1960年の安保条約改定をめぐる安保反対闘争だったろう」と言うのだから。

 船橋氏にとって、あるいは船橋氏を主筆する「朝日」にとって、今や「60年安保闘争」は、日米同盟の最大の「危機」でしかないのだ。安保闘争を、最大の危機としてしかとらえられない、朝日の主筆!
 
 まあ、「朝日」が今、そういう立場をとろうというのだから、それはそれで結構、こちらとしては読まなきゃ(購読しなければ)いいだけのこと――ということにもなるが、「朝日」を愛読して来た私としては、この船橋氏(この方も私は、これまで尊敬申し上げて来た!)の主筆としての主張に対し、「夕陽妄語」の加藤周一氏がもしご存命でありせば、どんな反応をされたか、考え込まざるを得ない。

 これは私の想像ではあるが、加藤氏が健在であれば、容赦のない徹底的な批判を、船橋氏に加えたのではないか?

 しかし、加藤周一氏はもちろん、すでに鬼籍にお入りになられた方だから、意見をお聞きしたいと思っても、最早、いかんともしがたい。

 そこで私は、ここで何としても――是非とも、お聞きしたいのだが――加藤周一氏と一緒に「9条の会」を立ち上げた、同じように朝日新聞にコラムを持つ、大江健三郎氏に、朝日の主筆の「社説」に対する意見を、ぜひとも、おうかがいしたい、と思うのだ。

 大江さん、あなたは、船橋氏及び「朝日」の立場に対して、どんな態度を表明されるのですか?

 あなたは、「60年安保」に対する人々の抵抗を「奇跡の日米同盟」の「最大の危機」としてしかとらえない「朝日」に対し、批判もせず、 今後とも執筆をなされるおつもりですか?

 ここでぜひとも、あなたのご考えをお聞かせ願いたい。

 それこそが、あなたがふだん、口を酸っぱくしていっておられる「知識人の責任」というものではないですか。

 大江氏よ、「60年安保」とは何だったか、船橋氏に言っておあげなさい!

 樺美智子さんを殺したものこそ、奇跡の「日米同盟」だった、と言っておあげなさい!

 大江さん、お願いします。「9条」の名において、ぜひとも、船橋氏に反論を加えていただきたい!

 お願いします!    

Posted by 大沼安史 at 08:08 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (1)

〔NEWS〕 石油マネーが温暖化否定キャンペーンを支援 権威ある英紙が報道

 インディペンデント紙(電子版)は7日、地球温暖化を否定するキャンペーンに、オイル・マネーが投じられている、と報じた。

 同紙に名指しされた、キャンペーンの背後に潜むキープレーヤーは「エクソン・モービル」社で、過去数年間だけで数十万ドルを、温暖化に疑問を投げかける人々に寄付したという。

 オイル・マネーは、自由市場主義を唱え、地球温暖化を否定する、米国の「アトラス経済研究財団」、英国の「国際政策ネットワーク」といったシンクタンクに投下されている。

 うち「アトラス」は2008年に、同社から10万ドルを受け取っている。

 同紙によれば、「アトラス」は温暖化を否定する、30を超す外国のシンクタンクを支援している。

 まさか、日本には、そんな油まみれの金で買われた「識者」はいないはず、だが……。

⇒  http://www.independent.co.uk/environment/climate-change/thinktanks-take-oil-money-and-use-it-to-fund-climate-deniers-1891747.html

Posted by 大沼安史 at 05:46 午後 | | トラックバック (0)

〔いんさいど世界〕   「ボー語」  人間の言葉が、ひとつ消えた! 

 ひとりの老女が亡くなり、人間の言葉がひとつ、消えた。
 ベンガル湾に浮かび、アンダマン諸島。その諸島のネイティブ言語のひとつ、「ボー(Bo)語」が、最後の語り手、ボア・サーさん(85歳)の死去で、推定6500~7000年の歴史を終えた。

         #

 インド領、アンダマン諸島は、コルコタ(カルカッタ)の南南東、1200キロの海上に、ほぼ南北に連なる。
 この諸島は、10の異なった言語を持つ、いわば言葉の宝庫で、言語学者のフィールドとなっている。

 そのうちのひとつ、「ボー語」の「語り部」であるボア・サーさんは、両親が亡くなってから、「話し相手」もなく、ただ一人、心の中で、ボー語を守って来た。仕方なく、ヒンドゥー語の方言を身につけ、それでコミュニケーションをして来た。

 10の言語を持つアンダマンの先住民は、かつて5000人を超えていた。英国の植民者が侵入した19世紀以降、持ち込まれた疫病で人口が減り、いまではわずか57人を数えるのみだそうだ。

         #

 ボア・サーさんの死でボー語を語る人をいなくなったが、せめても救いは、インド人女性言語学者、アンビダ・アビさんの手で、ボブ・サーさんの「声」が、録音されていることだ。

 アンビダ・アビさんが主宰する、Voga というインターネット・サイトに入ると、ボブ・サーさんの歌声を聞くことができる。 ⇒ http://www.andamanese.net/songs.htm

 どこか、日本語にも通じる、やさしい声。
 
 ila do jara tekh dunya ……

 「どおーっという音とともに、木が倒れ、大地が揺れた」

 やさしい声の中に、悲しみがあるように聴こえるのは、どうしたわけか。

         #

 ところで、ボア・サーさんとは、どんな人だったのか?

 Voga サイトによれば、夫がいたが、捕まって、半年間、牢獄に入れられたという。誰が逮捕したのだろう? 戦時中、アンダマンには、日本軍がいた……。

 明るい性格で、よく笑う人だったそうだ。他の人にも感染する笑いだったそうだ。

 そんな彼女が残念がっていたのことが、ひとつ。
 それは、ボー族が、英国植民者という異人と接触してしまったことだ。
 アンダマン諸島の北センンティネレーズ島には、センティネレーズ族という、文明とのと触を拒んだ先住民が住んでいて(この先住民は2004年のツナミの際、上空のヘリに、矢をうちかけたことで知られる)、ボー族も、そんなふうに生きることができたなら、部族も部族の言葉も守れたはずだ、という嘆きだ。

          #

 アンダマン諸島の言語は世界で最も古い言語のひとつとされ、言語の系統もさまざまだそうだ。

 先ほど、どこか日本語に似ていると、ボサ・サーさんが遺したボー語の歌(録音)の印象を述べたが、日本語の起源をインド南部のタミル語にみる有力な説があることを考えると、なんらかの共通点があるのかも知れない。

          #
 
 2004年のツナミが押し寄せた時、ボア・サーさんは木に登って、助かったそうだ。
 「文明」のツナミはそれ以上の力で、島の民とその言葉を奪った。

 それはこんど自衛隊がPKOで派遣されるハイチで、15世紀末に起きた出来事の再現でもある。
 
 「金(ゴールド)」に目がくらんだコロンブス率いる一隊によって、「アラワク」という先住民(インディアン)とその文化・言語が、奴隷化、強制労働、疫病で一掃されたのである。

 NGO「サバイバル・インターナショナル」によると、いま現在、全世界で30の先住民族が、絶滅の危機にさらされている、という。

 Voga サイト⇒  http://www.andamanese.net/

 BBCの報道 http://news.bbc.co.uk/2/hi/south_asia/8498534.stm

 インディペンデント紙の報道 ⇒http://www.independent.co.uk/news/world/asia/with-the-death-of-boa-sr-her-people-and-their-songs-fall-silent-forever-1890047.html

   アンダマン諸島 Wiki  ⇒ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%9E%E3%83%B3%E8%AB%B8%E5%B3%B6

 「サバイバル・インターナショナル」 ⇒ http://www.survivalinternational.org/tribes

Posted by 大沼安史 at 12:16 午後 1.いんさいど世界 | | トラックバック (0)

2010-02-06

空から歌が聴こえる  今日の1曲は  The Ice Hotel

 花巻・山口山の冬は厳しかったんだろうな…………

⇒ http://onuma.cocolog-nifty.com/blog3/2010/02/the-ice-hotel.html

Posted by 大沼安史 at 07:13 午後 | | トラックバック (0)

〔いんさいど世界〕 拉致、そして拷問 パキスタン人女性科学者 アフィア・サディキさんがニューヨークで「裁判」にかけられるまで

 「冤罪」が確定した「横浜事件」を思わせる、パキスタン人女性科学者に対する裁判がニューヨークで続いている。

 2月3日、裁判の陪審が下した評決は「有罪」だった。「アルカイダ」とつながりがあると疑われた女性科学者が、アメリカがアフガニスタンに設置した「秘密監獄」内で、米兵に向けて銃を発射した、との検察当局の主張を認めたのだ。

 女性科学者を支援している人権団体や、パキスタンまで出向き彼女の軌跡を取材したジャーナリストは、女性科学者が拷問を受けたことや、銃を発射したとする罪状そのものに疑惑があることを告発、年内に予想される判決へ向け、注意を喚起している。

 このパキスタン人女性科学者は、アフィア・サディキさん(37歳)。MITに学び、ブランダイス大学で認知科学(神経科学)の博士号を取得した。
 在米中、パキスタン人男性と結婚、3人の子をもうけたが、離婚し、パキスタンに帰国した。

 アフィアさんが「3人」の子どもとともに、パキスタンのカラチで突然、行方不明となったのは、2003年のこと。
 人権団体の「国際正義ネットワーク」などによると、アフィアさんは子どもたちと一緒にパキスタン当局によって拘束され、米当局の命令で、尋問と拷問にさらされたという。

 消息を絶っていたアフィアさんが、アフガニスタンのガズニーで、長男と一緒に(他の2人の子は一緒ではなかった!)いるところを「発見」されたのは、2008年7月のこと。

 「化学薬品」(アフィアさんのことを取材している、米国のフリージャーナリスト、ペトラ・バトラシービッチさんによると、ただの化粧品)と、銃器のスケッチ(同じく、マッチを使うオモチャのガンの絵)などを「所持」したとして、米当局にテロを計画していると疑われ、アフガン内の「秘密監獄」に拘束され、取り調べを受けた。

 最終的に彼女がニューヨークに移送され、裁判を受けることになる(この移送による裁判も違法性が問われている)「事件」が起きたのは、2008年8月、アフガンのバグラム米運基地にある「秘密監獄」でのこと。

 アフィアさんが「M16ライフルを米兵に向け、発射した」ことで、殺人未遂事件として起訴された。

 (仮に銃撃事件があったとしても、身柄を拘束されていたアフィアさんがどうしてM16を手にすることができたのか、米兵に負傷したものが一人もおらず、アフィアさんだけが負傷したのはなぜか?――など、「事件」そのものがフレームアップによる可能性が強い)

 アフィアさんはアメリカに対する不信と恐怖から裁判そのものを「拒否」する姿勢を見せ、法廷で米当局によって拷問を受けたことを証言し、裁判そのものの違法性を訴えたそうだ。

 なぜ、米当局がアフィアさんにテロリストの疑いをかけたか、には、それなりの「根拠」がある。アフィアさんがパキスタンに帰国後、再婚した相手が、「9・11」の「黒幕」とされるパキスタン人の甥だったからだ。

 しかし、そんな「疑い」だけで人を拉致し、拷問にかけ、犯人に仕立てて裁判にかける、ブッシュ政権以来の強引な米当局の姿勢は、戦前・戦時中の、多喜二を殺し、横浜事件をデッチ上げた、軍国日本の、あの凶暴な無法ぶりを思わせるもので、容認することはできない。

 アフィアさんは拷問によって、心に深い傷を負っているそうだ。精神に変調をきたしているという。

 判決は年内に予想されるが、下手すると終身刑になる。

 アフィアさんを支援している「国際正義ネットーワーク」では、裁判の不当性と国際社会に訴える一方、カラチで彼女と一緒に消えたまま、行方不明になっている、彼女の子ども2人(当時、4歳、1歳半)の行方を追っている。

 
 アフィアさんの裁判を伝える「デモクラシーNOW」の報道番組⇒  http://www.democracynow.org/2010/2/4/ignoring_torture_claims_and_questionable_evidence

 米国の女性ジャーナリスト、ペトラ・バトラシービッチさんが「ハーパーズ・マガジン」(2009年11月号)に書いた記事 ⇒ http://www.harpers.org/archive/2009/11/0082719

 英ガーディアン紙の記事 ⇒ ⇒  http://www.guardian.co.uk/world/2009/nov/24/aafia-siddiqui-al-qaida/pri

 アフィアさんに関するWiki ⇒ http://en.wikipedia.org/wiki/Aafia_Siddiqui

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2010-02-04

〔いんさいど世界〕 「グリーンズボロの4人」 黒人学生らの「座り込み」から半世紀 公民権運動の原点に記念センター

 1960年2月1日午後4時半ごろのことだった。

 米南部ノースカロライナ州グリーンズボロの大型店「F・W・ウールワース」店の「ランチカウンター」に、黒人の若者4人が近づき、空いていたカウンターの席に並んで就いた。

 コーヒーを注文したが、断られた。
 ランチ・カウンターは、黒人が来るところではなかった。人種隔離された、白人客専用の席だった。

         #

 4人は地元のノースカロライナ農工大(A&T)の1年生だった。間違って、座ったのではなかった。決意して座ったのだ。アメリカの南部から、人種差別をなくす、と。

 4人のうちの1人が、クリスマス休暇を終え、実家のあるニューヨークから、グレーハウンドバスでグリーンズボロに戻って来たとき、バスのターミナルで差別にあったことがキッカケだった。

 大学の寮で仲良くなった4人は話し合いを重ね、白人専用席への「シット・イン」に入ることを決めた。

         #

 最初の日、4人は午後5時に追い出された。店側がカウンターを早く店じまいしたのだ。

 翌、2日、4人はカウンターに座った。こんどは21人の男子学生と、4人の女子学生が一緒だった。午前11時半から、午後の3時までいた。白人たちの威嚇を無視して、カウンターで教科書を広げた。

 地元の新聞やテレビ局が騒ぎを聞いてかけてつけて来た……。

         #
 
 「グリーンズボロの4人」の、非暴力・直接行動の闘いは、こうして始まった。A&T大学の学友だけでなく、他の大学の学生、高校生も座り込みに参加するようになった。

 連日のシット・イン……。黒人女子大の女子大生も――そして遂には白人たちも連帯して参加するようになった。

 人種差別主義者のKKK団も現れた。「爆弾をしかけた」という電話で、外に避難したこともあった。

 座り込みはグリーンズボロの他の大型店にも広がり、間もなく、他の町、他の州に飛び火した。2月の末までに、南部の13州、55の都市に波及した。

 人種隔離撤廃に応じない店に抗議する、ボイコット運動も始まった。

 4月16日、ついに15人の逮捕者が出た。15人はしかし、保釈金も課せられず、釈放された。流れは、変わり始めていた。

         # 
 
 7月25日――。半年以上前、黒人男子学生4人がシット・インを始めた、そのカウンターで、「F・W・ウールワース」店の黒人従業員4人が食事をとった。同店の経営者が、黒人に対する人種隔離う撤廃したのだ。
 
 その模様を地元紙は、こんな見出しの記事で報じた。「ランチ・カウンターの人種統合は、ここで行われた!」

         # 
 
 翌1961年の8月までに、南部各地のシット・インに、なんと7万人以上が参加、3000人以上が逮捕された。

 たった4人の「座り込み」は、公民権運動の太い流れに発展したのだ。

 「シット・イン(sit-in)」のアイデアは、さまざまな「○○-in」運動を巻き起こした。モーテルのロビーでの「スリープ・イン」、プールでの「スイム・イン」、映画館での「ウオッチ・イン」……。

 南部における公民権運動の推進母体、SNCC(スニック=学生非暴力調整委員会)が生まれたのも、このシット・イン運動の中からだった。

 南部の人種隔離エリアにバスで乗り込む、「フリーダム・ライダーズ」の運動が始まったキッカケも、このシット・インだった。

         # 

 半世紀後の、この1日。朝8時から、グリーンズボロの、かつて「F・W・ウールワース」店が入っていたビルで、記念式典が行われた。

 「4人」がシット・インを始めた、その現場が、「国際公民権運動センター・博物館」に生まれ変わったのだ。

 フランクリン・マケイン、エゼル・ブレア、ジョセフ・マクニール、デイビッド・リッチモンドの「4人」の果敢な闘いを讃え、公民権運動の息吹を未来に伝える、新たな拠点ができた。

 記念の朝食会を兼ねた式典には、すでに亡くなったリッチモンド氏を除く3人が招待された。黒人指導者のジェシー・ジャクソン氏(A&T大学同窓生)や、オバマ大統領の代理も出席した。

 「4人」を代表して、マケイン氏が挨拶に立ち、スピーチを行った。

 ――黒人を取り囲む状況は大きく変わったが、問題は今なお、山積している。「私たちは、まだまだ前進を続けなければなりません。眠りに就くことを考える以前に、果たすべき約束を、私たちは持っているのです」

         # 

 「センター兼博物館」に改装された「店内」には、「4人」が座ったカウンターが再現された。
 写真で見ると、なんでもない、ふつうのカウンターであり、椅子だった。

 そこに座って、コーヒーを頼む……座り続けて、また次の日もコーヒーを頼む……

 実にシンプルな、非暴力のレジスタンスが、アメリカの南部の政治の風景を一変させたのである。

 1960年、「グリーンズボロの4人」とその仲間たちの闘い。
 それは同じ年、「独立した日本に米軍の基地はいらない」と、実に単純な思いをバネに、安保反対の闘いに立ち上がった、日本の民衆のあのシンプルさにも、どこか似ている。

  

⇒  http://www.sitinmovement.org/home.asp

    http://www.news-record.com/content/2010/02/01/article/fight_must_go_on_speakers_at_breakfast_say

    http://www.news-record.com/content/2010/02/01/article/civil_rights_museum_opens_today

    http://www.news-record.com/content/2010/01/31/article/an_act_of_defiance_that_changed_history

Posted by 大沼安史 at 08:48 午後 1.いんさいど世界 | | トラックバック (0)

2010-02-03

〔NEWS〕 オバマ政権 核兵器予算 6億ドル以上増額し70億ドル規模に レーガン時代初期以来の伸び オバマよ、君にヒロシマに来る資格はない!

 オバマ政権の2011会計年度(2010年10月~)の核兵器予算が70億ドルを超えるものになっていることが、分かった。
 前年度対比で6億2400万ドルもの増額。
 
 これだけの核兵器予算の伸びは、レーガン時代の初期以来のものだという。

 核兵器の備蓄を減らす、との国際公約とは裏腹に、核戦力の近代化による増強を目指すオバマ政権。

 米国の核監視団体、「ロス・アラモス・スタディー・グループ」の代表は、「上院共和党」に対するオバマ政権の「完全降伏」だと批判している。

 米政府国家核安全保障局のダゴスティノ局長は、「アメリカは軍縮へ向け、最高の核兵器工場、核科学者、核技術者、エンジニアを持つ必要がある」と語っている。

 核軍縮のための核戦力の増強?!

 オバマよ、君にヒロシマに来る資格はない。 

⇒  http://www.commondreams.org/headline/2010/02/01-11

Posted by 大沼安史 at 08:38 午後 | | トラックバック (0)

2010-02-02

空から歌が聴こえる  本日の1曲は   愛してはいけない

 ひさしぶりに、日本の歌を。

 ぼくの大好きな懐メロだ。1970年前後の歌だったと思う。歌のフレームが大正時代っぽくって好きだ。今でも、2、3ヵ月に一度は、口ずさんでいる。

  ⇒ http://onuma.cocolog-nifty.com/blog3/2010/02/post-aa33.html

Posted by 大沼安史 at 08:02 午後 | | トラックバック (0)

〔コラム 机の上の空〕 「可能性の証」を生き抜いた人 ハワード・ジン氏をJ・キャロル氏が追悼

 米国の作家・ジャーナリスト、ジェームズ・キャロル氏が、盟友、ハワード・ジン氏の死を悼む追悼コラムを、ボストン・グローブ紙に書いた。
 ⇒  http://www.boston.com/bostonglobe/editorial_opinion/oped/articles/2010/02/01/zinns_life_was_a_testament_to_possibility/

 「ジンの人生は、可能性に対する証だった」と題するコラムは、ジェームズ・キャロル氏がその大著、『戦争の家ペンタゴン』(拙訳・緑風出版)の中で紹介していた、旅客機のなかでのジン氏の、あるエピソードから書き起こされていた。

 国内線のフライトに搭乗した時のことだった。いつものように、機長のアナウンスがあった。何気なく聞いているうちに、驚いた。機長の名前は、ジン氏の記憶に焼きついた名前だった。

 スチュワーデスに自分の名前を書いたメモを渡し、機長に届けてくれ、と頼んだ。
 間もなく、機長がジン氏のもとにやって来た。思っていた通り、機長はあの、ジン氏の忘れもしないパイロットだった。

 あいさつを交わしたが、機長とジン氏の対面は、ぎこちないもので終わった。
 それはそれで仕方のないことだった。
 機長はすぐ操縦席に帰って行った。ジン氏はちょっと悲しかったが、ジン氏の側の機長に対する絆はそこで断ち切られなかった。ジン氏はその機長との奇縁を思い出として保持し、キャロル氏に語ったのだ。「元気そうでよかった」と。

          #

 その機長とジン氏が出会ったのは、その数年前、1967年のことだった。
 場所は――当時の北ベトナムのハノイ。

 ジン氏はダニエル・ベリガン神父とともに、米軍のパイロットの捕虜3人を引き取りにハノイ入りし、連れて帰った捕虜の1人がその機長だった。

 なぜ、ジン氏はベトナム戦争の最中、北ベトナム政府の申し出に応え、米兵を引き取りに出かけたか?

 それはジン氏自身が、第二次世界大戦中、欧州戦線で爆撃機に乗っていたからだ。いつ撃墜されるかわからない危険な任務に就いていたからだ。撃ち落されたパイロットの気持ちを理解できる体験があった。

 このハノイ行きに対して当時は、北ベトナムのプロパガンダにまんまと乗せられて――など反発も強かったが、ジン氏とベリガン神父は雑音に耳を塞ぎ、やり抜いたのだった。

          #

 ジン氏の訃報を聞いて、キャロル氏はふと、ジン氏から昔、聞かされたこのエピソードを思い出した。
 なぜ、このエピソードを思い出したか?――それは、もちろん、この挿話に、ハワード・ジンという友の、人間としての全てが凝縮されている、と考えていたからだ。

 戦争に私は反対だから――という「驚くべきシンプルさ」と、人と人とのつながりを大事にする、「(他者に対する)まれに見る包容力」。それがジン氏にはあり、それがジン氏という人間の本質だった――と。

           #
   
 真実の率直な言明と他者との共感は、歴史学者のジン氏を上下関係にとらわれない、平和と社会正義を求める運動家とした。「自分の学識をひけらかすことの決してない人だった。複雑さに適応し、それに囚われてしまうことのない人だった」。

 だから、ジン氏の「声」は、世代から世代へと引き継がれ、繰り返し聞かれることになったのだ。

 ジン氏の行くところ、若者たちが集まり、ジン氏を歓迎した。「そのありさまを私は1960年代の終わりにも、そしてついこの2ヵ月前にも、目の当たりにした」と、キャロル氏は書く。

           #

 ジン氏は心から「若者には特別な倫理的な洞察力が備わっていると信じ、その若い心に訴えかけた」人だった。

 そして、非難の言葉をただ投げつけるのではなく、「アメリカは必ずや、自分自身を乗り越えてゆく」と信じた人だった。

 アメリカが自分を乗り越えるとは、新たな可能性に向かって進み、今とは違った未来を手にすることである。

 その可能性を、その人生でもって示し、一生をその証(あかし)として生き通した人、それがジン氏だと、キャロル氏は追悼コラムを結んでいた。

 その通りだと思った。
 キャロル氏もコラムを書き終えて、たぶんそうだったはずだが、ベトナム戦争世代の一人である私もまた、コラムを読み終え、熱いものが瞼ににじんだ。

Posted by 大沼安史 at 05:54 午後 3.コラム机の上の空 | | トラックバック (1)

〔ハイチ NOW〕 国連PKO隊員 震災で「77人」が犠牲に …… それとは別に、ハイチPKOでは「1・12」の前に「57人」もの犠牲者が出ている そこに自衛隊員は派遣されようとしている!!

 ハイチの大地震で、現地で活動していた国連PKO隊員、77人がお亡くなりになった。国連がサイトで発表した。
⇒ http://www.un.org/en/peacekeeping/missions/minustah/memoriam.shtml

   http://www.un.org/en/memorial/haiti/

 なお、本ブログ既報の通り、これとは別に(震災以前において)、ハイチPKO活動では、すでに57人が犠牲になられている。

⇒ http://www.un.org/en/peacekeeping/missions/minustah/facts.shtml

 以下は、この国連サイトからのコピー。

Fatalities (prior to 12 January 2010)
37 military personnel
7 police
8 international civilian personnel
5 local civilian personnel
_____
57 total

 国連サイトでは「数字(人数)」が出ているが、それぞれの人にそれぞれの人生が、家族があったはず。

 恐らくは、主に銃撃を受けてのこととは見られるが、どのような状況で、お亡くなりになったのか、日本の外務省はもちろん、把握しているはずだ。(知らずに、防衛省と一緒に「対米貢献PKO」の旗を振った、とは言わせない!!!)

 マスコミは、国民の「自衛隊ハイチ派遣」に対する判断材料として、「57人」の死亡状況を報じるべきだろう。

Posted by 大沼安史 at 01:09 午後 | | トラックバック (0)

2010-02-01

〔NEWS〕 英大学の環境Eメール漏洩はおそらく外国情報機関によるもの

 コペンハーゲンでの環境サミットを前に、英イースト・アングリア大学気象研究班の数百件ものメールが漏洩した問題で、英政府の前・首席科学者であるデイビッド・キング卿は、おそらくは外国情報機関による組織されたハッキングだ、と言明した。

 英紙インディペンデントが伝えた。

 キング卿はブレア政権で政府のチーフ・サイエンティストを務めた英国科学界の重鎮。

 同紙のインタビューに対し、キング卿は、メールの漏洩はコペンハーゲンつぶしのためだった可能性があることを示唆した。

 キング卿はさらに、メールはハッキングは、外国、あるいは環境保護に反対する米国のロビイストのために、プロのチームが行ったもの、と語った。

 メールは同大学のバックアップ・サーバーから、過去13年にわたり、盗み出されていた。
           ◇

 外国の情報機関とはどこか? 石油資本に「買い取られた」政府の情報機関の仕業だとしたら、一番に疑われるのは、米国のNSAだろう。

 情報機関が、なんと世界の世論操作に動いているこの現実!

 これは前代未聞の、たいへんな「暴露」である。

⇒  http://www.independent.co.uk/environment/climate-change/climate-emails-hacked-by-spies-1885147.html

Posted by 大沼安史 at 07:32 午後 | | トラックバック (0)

〔いんさいど世界〕 「こっちを見ろ、恥を知れ、これで終わりじゃないぞ」 息子をイラクで亡くした父親がブレアに投げつけたかった言葉

 息子をイラクで失った父親が、英政府のイラク戦争調査員会でのブレア元首相の証言の場に立ち会った。

 レグ・キイズさん。
 英軍の憲兵だった息子のトムさんが、バスラで他の5人の憲兵とともに殺害されたのは、6年半前のこと。
 以来、レグさんは、ブッシュとともにイラク戦争を始めたブレアが、調査委員会に召還される「この日」を待ち続けていた。

 そのレグさんが、ブレアの証言後、英紙ガーディアンに手記を寄せた。

          ◇

 ブレアの証言は、29日の金曜日に行われた。レグさんはマスコミのインタビューもあって、2日前に独り、ロンドンに出た。奥さんのサリーさんは心痛のあまり病に倒れ、レグさんに同行できなかったそうだ。

 水曜日、27日の午後、レグさんは英国の議事堂前の広場で、アル・ジャジーラのインタビューを受けた。テレビのクルーは、レグさんが携行したトムさんの遺影を芝生の上のベンチに置いて、撮影を始めた。

 その時、陽がさしたそうだ。そして遺影の笑顔を輝かせたそうだ。まるでトムさんが、議事堂の方を見るような、光の反射だったそうだ。レグさんの目から涙が流れたそうだ。

          ◇

 翌日、レグさんは大帝国戦争博物館に立ち寄った。6人のユダヤ人がナチの銃殺隊に処刑される寸前の写真があった。16歳くらいの少年が、片方の手で心臓を守り、残る手を、慈悲を求めてナチの兵士に伸ばしていた。

 それを見て、レグさんはトムさんたちの最期のようすを思った。報道によれば、憲兵の一人は赤ちゃんの写真を示し、命乞いしたという。

 遺体で帰国したトムさんの体には銃弾31発が撃ち込まれていた。遺体のまぶたを開けると、そこにあの緑の瞳はなかった。白く、濁った目に変わっていた。 

          ◇

 ブレアが証言する金曜日は、朝から雨だった。会場の会議センターには、抗議のデモ隊が詰めかけ、厳戒態勢が敷かれていた。午前中のブレアの証言は、遺族室のテレビで見た。

 ブレアが神経質そうにしていたのは、最初の10分間だけ。すぐに落ち着きと自信を取り戻した。「まるで調査委員会の委員たちを自分の好きな場所に連れ出し、わき道にそらせて、独り満足して引き揚げでもするような」態度に見えた。

 午後、証言の部屋への入室が許可された。遺族たちはブレアのすぐ後ろに座った。
 父親はブレアの様子を観察した。昼休みに、遺族の女性から、ブレアが朝、証言のため入室し、ペットボトルの水を飲もうとしてキャップを開けた時、手が少し震えていた、と聞かされていたからだ。

 が、震えはすでに消え、今や何も恐れる必要もない「傲慢なブレア」がそこにいた。

 ブレアはノートを広げていた。付箋がついていて、質問のたびに、用意した回答の箇所を開き、ながながと答えた。委員会の質問事項を事前に知って、準備して来たように思えた。

 ブレアは「私は信じている」「私の判断では」を何度も繰り返した。

 「サダムのWMD」に関する質問があった。結局は、存在しなかったイラクの大量破壊兵器。イラク戦争を正当化した、幻のWMD。

 レグさんは、6年半、待ちに待ったその瞬間が、ついに来たと思った。
 ブレアに対し、戦争責任が突きつけられる、その瞬間が……。

 が、ブレアの答えは、彼の「判断において、信じていた」。
 まるで宗教的な信条の告白。

 レグさんはメモに、「なんと幼稚(ナイーヴ)な!」と書き付けた。

 調査委員会のチコット卿が「ずいぶんと代価を支払った教訓でしたね、ミスター・ブレア」と聞いた。ブレアが答えた。「もしも私たちが一つ教訓を得るとしたら、崩壊した国を占領すると、そこに長いこといなければならなくなる、ということです」

 レグさんはメモに、再び「ナイーヴな!」と書いた。

          ◇

 レグさんはそんなブレアの証言を聞きながら、怒りがこみあげてくるのを覚えた。唇を真一文字に結んで堪えた。

 ブレアの後ろ髪は潔癖なほど撫で付けられ、首筋はきれいに剃り上げられていた。まるで蝋人形のように。

 髪を丁寧に撫で付けている後姿を見て、レグさんは思った。

 ならば「イラク戦争」を、どうしてもっと丁寧に、慎重に考えられなかったのか、と。

 調査委員会の委員長、チルコット卿が「後悔していますか、ミスター・ブレア?」と訊いた。「No,No regrets.」――これがブレアの答えだった。

 傍聴席から、「ミスター・ブレア、悔やまなければならないことがあるだろうが」と、声が上がった。「そうだ、戦死者を悔やまないか」と、別の傍聴者が言った。
 遺族の母親2人が、すすり泣きを始めた。その母親たちに目もくれず、退室するブレアに、傍聴者から罵声が飛んだ。「ブレアの人殺し野郎が!」

 母親の一人が声を上げて泣き出した。息子の写真を入れたロケットを握り締めながら。
 彼女がつけていたバラの一枝が、床に落ちた。

 自分でも驚いたことに、レグさんはその場で、一言も発しなかった。

          ◇

 その夜、帰りの列車の中でレグさんは、ブレアが退室しようとした時、どうして声を上げなかったかと後悔した。ブレアに投げつける言葉は、用意していた。しかし、泣き咽ぶ母親たちの姿を見て、声を失った。

 レグさんは手記の最後に、ブレアに投げつけるはずだった言葉を書いた。

 「ブレア、私を見ろ! 男として情けない言い訳ばかりするな。自分ばかりか、イギリス軍にも恥の上塗りをしたんだぞ。これで終わるわけじゃなんだぞ」

 これで終わるわけじゃない……レグさんはしかし、「これで全て終わったと、私は知ってはいたが」という一文で、手記を結んでいた。

          ◇

 こうした遺族の手記を、紙面に全文掲載するガーディアン紙!

 同じくブレアの戦争責任を追及するインディペンデント紙も、わが敬愛する、パトリック・コバーン記者の「ブレアは嘘つきというよりも、むしろアホとして自分の見せていた」との解説記事を、トップで扱っていた。

 英国ではまだ、ジャーナリズムが機能している。

⇒  http://www.guardian.co.uk/uk/2010/jan/31/reg-keys-blair-chilcot-iraq-inquiry

  http://www.independent.co.uk/news/uk/politics/the-evidence-of-witness-69-blair-has-shown-himself-more-a-fool-than-a-liar-1884347.html

Posted by 大沼安史 at 06:13 午後 1.いんさいど世界 | | トラックバック (0)