« 〔コラム 机の上の空〕 アフガン déjà vú | トップページ | 〔いんさいど世界〕 12月8日 「平和の女神」 リメンバー! ジャネット・ランキン! »

2009-12-04

〔コラム 机の上の空〕 加藤周一さんの声が聴こえる 「考えてからだ」

 僕は加藤周一氏と面と向かって話したことはない。物理的に一番近づいたのは、80年代の後半、東京のプレスセンターでの講演会でのこと。講演を終え、お帰りになる加藤周一氏の、約1メートルの至近距離まで近寄ることに成功した。声をかけようにもかけられなかった。(加藤氏はメキシコから帰ったばかり。ジーパンを穿いてらした!)

 僕はつまり、加藤周一さん(「氏」と呼び続けるのは嫌だから、ここからは「さん」付けにさせていただく)には一度も「会った」ことはないのだが――対面して謦咳にふれたことは全くないのだが、「直接」話したことがある!

 4、5分だったろうか? 7、8分だったろうか? いずれにせよ、ほんの短い時間のことだったが、僕の記憶の中で、今なお、加藤周一さんの言葉が――加藤周一さんの声が、鮮明に甦る。

 1991年12月26日のことだったと思う。
 当時、僕は、銀座にあった北海道新聞(道新)東京支社の外報部に所属していた。上司の外報部長は、東(ひがし)功さん(道新の社長になった人だ。北京特派員時代、民主化運動を取材し、『北京の路地裏』という本を書いた。僕の「恩人」である東さんのことも、いずれ機会を見て書きたいと思っている……)。

 前日の25日は、「ソ連」が遂に幕を閉じた日。
 26日の夕刊の作業が終わったあと(午後1時過ぎ)、東さんから、「ソ連の終わり」を歴史的に総括する文章、誰かに書いてもらおうと思うんだけど、誰がいいかな?――と訊かれた僕は、早速、竹内芳郎さんと加藤周一さんのふたりの名前を挙げた。

 東さんの即決で、僕が電話で、二人にお願いすることになった。できれば、お二人に書いていただく。紙面は確保する。しかし最低、どちらか一人に書いてもらいなさい――。これが東さんの僕への指示だった。

 最初に電話したのは竹内芳郎さん。
 竹内芳郎さんは言うまでもなく、マルクス主義哲学から言語論まで展開された方。一面識もない僕の必死のお願いを、最後にはようやく聞き入れて下さり、その日の6時まで、原稿を書いて下さることになった。(この時、竹内芳郎さんが書いてくれた文章は、ロシア革命をフランス大革命と比較したもので、ほんとうに凄いものだった!)

 竹内さんの自宅まで、「少年君」(アルバイトの学生)に車で原稿を取りに行ってもらう手配を済ませた僕は、続いて加藤周一さんの家に電話を入れた。
 竹内さんもそうだったが、電話口に出たのは、加藤周一さん本人だった。

 僕はなぜ加藤周一さんに原稿を書いてもらいたかったか?
 それはもちろん、加藤周一さんが加藤周一さんであったからだ。それともうひとつ、僕が加藤周一さんのファンであったからだ。

 いうまでもなく、加藤周一さんは68年のソ連軍チェコ侵攻の際、自ら車を運転して現地・プラハに乗り込み、あの『言葉と戦車』を書いた人。
 僕は僕で、加藤周一さん自慢の手料理がハンガリー料理であることまで知っている、ミーハーと言われても仕方ないくらいのファンだった。

 懸命に、原稿をお願いする僕に、加藤周一さんは戸惑われたようだった。「今すぐには……」とおっしゃられる加藤周一さんに、僕は食い下がった。
 OKしてくれない加藤周一さんに向かって、僕はなおも迫った。
 その時だった。
 加藤周一さんが電話口で笑ったのだ。
 ホッ、ホッ、ホ~と。

 そして、笑いを含んだ声で、こう、おっしゃられた。「考えなければ書けない。だから、いますぐはできない」と。

 それでも引かない僕に、加藤周一さんはもういちど繰り返した。「考えてからだ」
 
 そこで僕は、東さんからの目の合図で「失礼しました」と電話を切ることになるのだが、僕はひょっとして、僕の頼み方が悪くて断られたのかな、と不安になった。

 しかしその不安は、翌日27日の朝刊の在京各紙に、加藤周一さんの寄稿はもちろん、コメントさえ載っていないのを見て、さらなる加藤さんに対する傾倒へと転化したのである。(そしてついには、僕の初めての小説、『緑の日の丸』に、「加藤真一」という「偽名」で登場していただくことになる……)

 「考えなければ書けない」「考えてからだ」――これまで一人、自分の胸の中に秘めて大切にして来た宝物のような、加藤周一さんのこの「言葉」は、加藤さんの、あの巨大な知的な営為の中心線を貫くものであり、本来、著述する者、自分の意見を表明する誰もが、その活動の基底に据えねば成らない、知的な構えというべきものであろう。

 「考えなければ書けない」「考えてからだ」という言葉……そして、困った奴だなとでも言いたげな、愉快そうな、あの笑い声。

 今振り返れば、1991年暮れの加藤周一さんとの「数分間」は、僕のその後の活動に、方向性を与えてくれた「数分間」だったと思う。自分はどう考え、何をどう書いて生きて行きたいのか、という方向性を。

 方向性……加藤周一さんはたしか、こうお書きになったことがある。
 目標とは距離ではない。方向である、と。

 
 加藤周一さんが亡くなられて、もう一年が経つ。
 僕が新聞で訃報を知ったのは、横浜の自宅アパートでのことだった。あっと思った瞬間、地震でもないのに、部屋に積み上げていた本の山がひとつ崩れた。

 将棋の駒遊びの「金」のように、一冊だけ、僕に向かって、ムーンサルトを決めた本があった。
 不思議なことに、加藤周一さんの本だった。

                 *   *

 〔お知らせ〕 きょうだいブログ「教育改革情報」、再開のお知らせ  

 休眠状態にあった「教育改革情報」を再開します。身体的、精神的に持ち直してきたのと、わずかながら時間的な余裕が出て来たので、僕の「本籍」である、教育問題に対し、こんご目を向けてゆきます。

 時々、覗いてください。⇒ http://onuma.cocolog-nifty.com/blog2/  

  

Posted by 大沼安史 at 12:20 午後 3.コラム机の上の空 |

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 〔コラム 机の上の空〕 加藤周一さんの声が聴こえる 「考えてからだ」:

» ガラス瓶に手紙を入れて トラックバック ガラス瓶に手紙を入れて
少し前の日本を知る方々が、手紙をガラス瓶に入れ海原へと流して下さいました。このブログの浜辺へとたどり着いた、これらのメッセージが、現代・未来を生きる皆さまの心へ届きますように---。 続きを読む

受信: 2009/12/04 13:20:49

» 加藤周一のこころを継ぐために トラックバック 再出発日記
ふと気がつくと、加藤周一の命日(12月5日)を過ぎていました。12月4日に岩波ブックレット「加藤周一のこころを継ぐために」が出版されました。この本は今年6月2日に行なわれた九条の会の講演会「加藤周一の志をうけついで」を元に解説を加え、加筆したものである...... 続きを読む

受信: 2009/12/08 13:20:27