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2009-12-29

〔いんさいど世界〕 朝日タイガーズは、不滅です!

 もう幾つか寝ると、寅年のお正月。トラ……タイガー。そんな新しい年にふさわしい(?)話題をひとつ。

 来年はバンクーバー・オリンピックの年ですが、そのカナダ西海岸の都市、バンクーバーに、ほんとうに強くて、立派なトラ(タイガー)たちがいたことをご存知でしょうか?
 バンクーバーに、私たち日本人の鑑のような、偉くて強い「トラさん」たちがいたことを?

 その名も「フーテンの寅」ならぬ、「朝日のトラ」たち。
 今日はその「朝日のトラたち」……「朝日タイガーズ」がかつてバンクーバーにいて、ほんとうに凄い、金字塔を立てていたことを紹介したいと思います。

 〔実は僕がこの朝日タイガーズのことを知ったのは、つい先日のこと。カナダのクラシックの女性作曲家、アレクシナ・ルイエさんという方――「天国の歌」を作曲した人です――のことを調べていて、どういうわけか、この「バンクーバーのトラたち」にめぐり遭いました。「天国」と「トラ」の、素敵なめぐり遭い!〕

 前置きが長くなりました。で、さっそく本題に戻ると、この「朝日タイガーズ」――英語では Asahi Tigers――は、野球のチーム。バンクーバーの日系社会から生まれ、カナダの日系社会の苦難の歴史を支えた、たいへんなチームでした。

 ただの草野球チームではありません。白人のチームと対戦し、地元リーグで何度も優勝しました。これは戦前ことですが、親善でカナダを訪問した「東京巨人軍」と戦った記録も残っています。これは1926年(昭和元年)のことですが、バンクーバーで、「ジャイアンツ・タイガーズ戦」があったということですね。

 さて、さきほど日系社会の苦難の歴史を支えたチームだと紹介しましたが、バンクバーを含むカナダの日系社会は、厳しい歴史の試練を2度、乗り越えています。その2度の試練を、日系人たちは負けじ魂と団結で克服してゆくのですが、「朝日タイガーズ」はその都度、日系社会を支える中心的な役割を果たしました。

 最初の試練は、日系移民に対する差別との戦いですね。明治時代の、日本からの移民は最初、主に漁業を営むのですが、勤勉な日本人の働きに脅威を感じた白人たちに漁業権を奪われたこともあったそうです。
 そうこうしているうち、バンクーバーにも、パウエル街を中心に日系人の居住区――ジャパンタウンとかリトル・トーキョーと呼ばれていました――が生まれましたが、日系人に対する差別は相変わらずだったそうです。

 そんな時、日系人としての誇りと団結を保とうと、パウエル街のジャパンタウンで結成されたのが、この「朝日タイガーズ」でした。1914年(大正3年)のことです。
 記録によれば、当時、パウエル街にマツジロウ宮崎さん、通称「馬車松」さんという方がいて、店を開いていました。その「馬車松」さんが監督になって、選手たちに「タマゴご飯」を食べさせからグランウンドに送り出していたそうです。

 「朝日タイガーズ」のホームは、地元の公園の「パウエル球場」。そこに朝の7時に集まっては練習していたそうです。

 ノンプロのカナダ太平洋鉄道の白人チームなどのリーグ戦を戦うようになったのは、4年後の1918年。翌1919年にはリーグ初優勝を果たしました。

 白人チームを相手に勝った! これは当時の日系社会としては凄いことですね。 審判がエコヒイキで、けっこう汚い判定があったそうですが、じっと耐えて、フェアプレーに徹したそうです。(1935年には、あまりの汚い判定に抗議してリーグを一時脱退したそうです)

 そして1920年代になってチームは、〔バンクーバーの野村監督といわれた……これは嘘です!!!〕ハリー宮崎監督の下で、いよいよ全盛期を迎えます。
 この頃にはもう、チームはバンクーバーの日系社会と一体化していました。9歳から11歳の子どもたちで「クローバー」と呼ばれる「4軍」、12~14歳で「ビーバー」と呼ばれる「3軍」、15歳から上の子で「アスレチックス」と呼ばれる「2軍」を組織し、分厚い選手層の中から「1軍」の選手が抜擢される体制が組まれていたそうです。

 野球帽にはAの文字。胸に日の出マークがついたり、縦にASAHIといれたユニフォーム姿。そんなタイガースの選手たちは、日系の若い女性の憧れも的だったそうです。楽天の「まーくん」みたいなものですね。

 相手は雲をつく白人の大男たち。しかし、こちらは小柄な日系人。で、どうやって戦ったかというと、「ブレイン・プレー」、つまり頭脳プレーで立ち向ったそうです。
 要は盗塁とバント。リーグの決勝戦で、ノーヒットで3対0で勝ったこともあるそうです。こつこつ当てるバッティング。イチロー選手のような人が、勢揃いしていたわけですね。

 こうして「朝日タイガーズ」は1926年、地元リーグの最高峰、「ターミナル・リーグ」で初優勝し、その後、1930、32、34、36、37……という具合にリーグ制覇を重ねてゆきました。1938年には、地元リーグのほか、太平洋北西部日系リーグでシアトル・ファイフを倒すなど「3冠」を達成したそうです。
 この頃がチームの最全盛期ではなかったでしょうか。

 当時の名選手を挙げると、投手では「変化球のミッキー前川」、「パウエル街の火の玉投手」ナギー西原、伝説の最後のエース、カズ菅……。
 この最後のエースのカズ菅さんは打者としても凄い人で、リーグの首位打者に5回なっている人です。それも打率が4割以上といいますから、イチロー選手の上を行ってますね。

 「朝日タイガーズ」はこうして、バンクーバー日系社会の誇りと団結の中心になり、地位向上に大きな役割を果たして来たわけですが、この栄光のチームに――地元の日系人に、間もなく「運命の年」がやって来ます。

 1941年(昭和16年)――。この年の6月、「朝日タイガーズ」はまたも優勝を飾るのですが、それがチームとしての最後の試合になりました。
 2ヵ月後、日本軍が真珠湾を不意打ち攻撃し、続いてカナダ軍が駐留する香港を襲ったからです。
 〔アメリカやカナダにあれだけ移民を送り出しておきながら、不意打ちしたんですね……移民たちのことなんか気にしなかったのでしょうね……〕

 バンクーバーにいる2万2000人の日系人は「敵性外国人」とされ、カナダの奥地のゴーストタウンなどにキャンプに送られました。
 スーツケースを2個だけ、携行を許されて。
 財産は漁船も車も家も家財道具も、みんな没収です。

 最初の冬はとくに厳しかったそうです。テント生活を強いられたキャンプもありました。廃屋には水道もなければ電気もない。よく耐え抜いたものです。

 そうして強制収容所2回目、1943年の春を迎えます。そこで日系人たちは何を始めたか?

 「朝日タイガーズ」の人たちは、4箇所のキャンプにバラバラにされていたのですが、それぞれのキャンプで、スーツケースに忍ばせて来た野球の道具を取り出しました。そう、キャンプで野球を始めたです。
 
 最初はいい顔をしなかった白人の監督官たちも、そのうちにプレーすることを認めるようになり、白人チームとの試合も行われるようになりました。
 そしてなんとその年、1943年7月1日のカナダ独立記念日には、4つの日系人キャンプの対抗試合が行われ、選手・応援の観客(日系人)がレモンクリーク・キャンプに集まって、再会を喜び合い、久しぶりに野球を楽しんだのだそうです。

 「野球」が、「朝日タイガース」の選手たちが、苦しみのどん底に叩き落された日系人社会をここでも支えきったのですね。
 〔それを認めたカナダ人の白人監督官=マウンテン・ポリスの皆さんも、偉いと思いますね……〕

 そして終戦――。キャンプの日系人たちはしかし、そこでで放り出されてしまいます。「朝日タイガーズ」の選手たちも、トロントに流れて洗車の仕事についたり、散り散りになりました。
 戦後、野球を続けることができたのは、前述のカズ菅選手ただ一人。マイナーリーグのプロ、モントリオール・ロイヤルズの入団試験にパスして、活躍しただけです。

 そうして戦後の苦難な生活に立ち向かった「朝日タイガーズ」の人たちですが、カナダの人たちは彼らを忘れてはいませんでした。

 「最後の試合」から58年が過ぎた2003年に、「朝日タイガーズ」は「カナダ・野球の殿堂」入りを果たしたのです。

 その記念式が開かれたのは、トロントのメジャー球団、ブルージェイズの本拠地、スカイドーム。
 そこに往年の名選手たちが集まって、始球式を行った。
 その時のビデオを見ると、観客席の日系人は泣いていましたね。

 ところで、「朝日タイガーズ」のホームグラウンドだったバンクーバーの「パウエル球場」ですが、ことし2009年の夏に、公園(オッペンハイマー公園)の再整備事業で、老朽化したバックネットが撤去されたそうです。
 バンクーバー市の公園当局は、「朝日タイガーズ」を記念した新しいバックネットを建てる計画でいます。

 それにしても、バンクーバーの日系社会は、「朝日タイガーズ」を中心に、よくぞ試練に耐え続けた、と感心させられますね。

 カナダでは2003年に「眠れる虎」という、「朝日タイガーズ」に焦点をあてたドキュメンタリー映画が制作されているのですが、そのナレーションで、「野球」は日系人社会の「和」、チームワークの素晴らしさと、戦うサムライ精神にぴったり合ったスポーツだ、といった意味のことを指摘していました。たしかにその通りだと思いますね。

 絶望的な苦難にもめげず、戦い続けて栄冠をつかんだ、日系人たち。再び、ドキュメンタリー映画の言葉をかりれば、「(白人〔社会〕という)ゴリアテ〔巨人〕に立ち向かった勇敢なダビデ」、「朝日タイガーズ」の選手たち。

 彼らの負けじ魂を考えれば、日本の今の不況なんて、たいしたことじゃありませんね。

 間もなくバンクーバー五輪――。
 日本の選手たちには、地元カナダの日系人たちの応援にも応え、「朝日タイガーズ」の心意気に思いを致し、がんばってもらいたいですね。

 ナショナル日系博物館・ヘリテージセンター2007 ⇒ http://www.virtualmuseum.ca/Exhibitions/Asahi/chapter.php?loc=ja-JP&view=building

 ビデオ 「眠れる虎―アサヒ。ベースボール物語(Sleeping Tigers: The Asahi Baseball Story)」2003年制作 ジャリ・オズボーン監督 ナショナル・フィルム。ボード・オブ・カナダ 50分52秒 ⇒ http://www.nfb.ca/film/sleeping_tigers_the_asahi_baseball_story/

Posted by 大沼安史 at 11:21 午後 1.いんさいど世界 |

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