〔コラム 机の上の空〕 んっ? 「原爆投下」?
時々、近くのコンビニで、新聞を買う(仙台の地元紙、河北新報はボランティア先の出版社「本の森」で読む)。
「毎日」か、「朝日」を買う。
先日、買った「朝日」に、若宮さんという論説主幹なる方が長文の記事を書かれていて、それを読み進むうち、「あっ」と思った。
そこに、ヒロシマへの「原爆投下」と書かれていた。
(「原爆投下」――この僕のブログを読んでくれている、学校の先生方には、確認していただきだい。教科書の記述も「原爆投下」になっているのでは?)
「原爆投下」――なぜ、このコトバにこだわるかというと、ジェームズ・キャロルという、僕が尊敬する、アメリカの作家・ジャーナリストの『戦争の家』なる本を翻訳していて、「原爆攻撃(ニュークリア・アタック)」という表現に出会い、その日本語訳を考えているうち、「投下」ではなく、やはり「攻撃」だろうと思ったことがあるからだ。
「原爆投下」――空の上から、被災地に向けて何か救援物資を、空から「投下」したかのような表現!
まるで虐殺者が、無垢の被害者に向け、私はあなたちに「銃弾」を「発射」しただけです、とでも言っているようなものではないか!
まるで、ヒロシマに救援物資を、パラシュートで「投下」したでもいうような、「原爆投下」――。
だいたいが「投下」という「視点」自体が、アメリカ側の視点ではないか!
(そう、今、思い出した。わガ尊敬する「ベ平連」の小田実さんは、「原爆投下攻撃」という表現を、お使いになっていた!……)
トルーマンのアメリカは、まったく無防備の、ヒロシマ・ナガサキという、非戦闘員が暮らす都市に対して(軍事目標ではない都市に対して)、「原爆攻撃」したのだ。
ヒロシマ・ナガサキの「非戦闘員の一般市民」を「殺戮」するため、「原爆攻撃」をしたのだ!
断じて「原爆投下」ではない。
僕は、日本のマスコミの中で最も進歩的であると言う「朝日新聞」さえもが、平気で「原爆投下」といった、(婉曲?)表現を使い続けていることに対して抗議する。
「投下」では、ないだろう? 「攻撃」だろう?
これで何万人も、何十万にも「殺す」のだと、明確に意図した、殺戮のための「原爆攻撃」だったのではなかったのか?
それを君たちは「投下」と言う。
それで済むことなのか? それで一件落着することなのか?
「原爆投下」許すまじ。「ノーモア原爆投下」――
「原爆攻撃」が、無抵抗の、ヒロシマとナガサキという、民衆が暮らす「都市」へ行われた事実を、私たちは忘れてはならない。
Posted by 大沼安史 at 06:38 午後 3.コラム机の上の空 | Permalink