〔コラム 机の上の空〕 テレーリエさん 「夢見る人の勝利」
本日付けのニューヨーク・タイムズ(電子版)に、ニコラス・クリストフさんが「夢見る人の勝利(Triumph of a Dreamer )」というコラムを書いていた。
同紙電子版の「最も読まれたランキング」のトップ。
僕も、読んで、泣きそうになるくらい、とにかく感動した。
クリストフさんは、勝利を手にした、その「夢見る人」を「私の英雄だ」と書いていたが、今や、僕にとってもそうである。
で、僭越ながらクリストフさんになり代わり、日本語の「コラム」に書き換えた。
夢見る人の勝利
アフリカのジンバブエの村に、「夢見る人」が生まれたのは、1965年(? 誕生日も?)のことだった。
名前は「テレーリエ」。小学校には一年足らず、通っただけ。11歳で嫁に売られた。殴る夫だった。
それから12年が経った。彼女の住む村に、西側の援助団体の女性リーダーがやって来て、女性たちに、立ち上がりなさい、夢を育てなさい、生活を変えなさい、と語りかけた。
テレーリエさんは、よくは知らないけど、前に聞いたことのある、同じアフリカの女性の物語をぼんやり思い出し、紙に自分の「夢」を書いた。外国に行って勉強する。大学を卒業する。博士になる。
西側援助団体のコミュニティー・アドバイザーとして働き出し、そのサラリーで通信教育を受けるようになった。残ったお金は貯金に回した。
1998年、テレーリエさんは、米国・オクラホマ州立大学から入学許可をもらった。夫に、5人の子どもを連れて行く、というと賛成してくれた。夫も同行する条件だった。
援助団体が飛行機代を援助してくれた。実の母親が牛を1頭、近所の人たちも山羊を売って、お金をつくってくれた。4000ドルを、ストッキングに入れ、腰に括りつけて、オクラホマへと向かった。
留学の夢は悪夢で始まった。住む場所はオンボロ・トレーラー。寒さと飢えに苦しんだ。夫は、「男」の仕事ではないと、家事を拒んだ。代わりに、彼女を殴った。
貧乏暮らし。ゴミの缶の残りを食べたこともあった。勉強をやめようかとも思った。負けたら、ほかのアフリカ人女性のためにならない、と踏みとどまった。
掛け持ちのバイトのかたわら、とれる講義は全部聴き、家事をこなし、殴られ、寝る時間もほとんどなかった。
授業料の滞納で、退学されかかった。大学の当局者が動き、募金してくれた。
キリスト教会が支援に動き、慈善団体が住居を提供してくれた。ウォルマートで働く友だちが、賞味期限切れになった野菜や果物を、わかるように取り分けて置いてくれた。
夫は彼女に暴行したことで、ジンバブエへ送り返された。子どもたちとオクラホマに残った彼女は、大学を卒業、修士のコースへ進んだ。
そこへ、夫が戻って来た。病気になっていた。エイズだった。彼女も早速、検査した。幸い、陰性だった。
夫を見て、かわいそうに思った彼女は世話をして、看病してあげた。死ぬまで看病した。
そして今――彼女は、支援団体でプログラム評価の仕事をするかたわら、ウエスタン・ミシガン大学の博士課程で学んでいる。博士論文は、アフリカにおけるエイズの予防対策。
晴れて、「博士」になる日は、もう、すぐそこだ。来月(12月)の授与式では、ガウンを身にまとう。
テレーリエさんは、昔、ジンバブエの村で、「夢」を3つ、書き付けた紙を、いまでも持っている。3つのうち――留学し、大学を卒業する、という2つには「済み」のチェックが入っている。
残る3つ目に、チェックが入るのは、間もなくだ。
⇒ http://www.nytimes.com/2009/11/15/opinion/15kristof.html?em
Posted by 大沼安史 at 07:11 午後 3.コラム机の上の空 | Permalink