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2009-10-31

〔コラム 机の上の空〕  「怒力」を!

 人はなぜ悲しむか?――不当に、不法に、不条理に、自分の思い・願いに反して、何事か・何者かを失った時、私たちは悲しむのだ。

 その不当さ、不法さ、不条理さの認識の中から、私たちの「怒り」が生まれる。

 悲しんでだけ、いてはいけない。怒らなければ。

 戦時中、自分の夫が、父が、白木の箱に入って無言の帰還を果たした時、遺族たちは、名誉の戦死を遂げた夫と、父を「誇らしく」思う、不条理な心理操作を強いられた。名誉の戦死――ありがたいことだと。

 悲しむことを許されなかった。少なくとも公式の席では。
 「神国=日本」は、兵士の遺族の悲しみを封印した。
 なぜか? それは「怒り」を封印するためだった。

               *

 どうして、こんな、「神の国・軍国ニッポン」の「過去」を思い出したかというと、「軍事世界帝国=アメリカ」の悲しい現実の一面を、ネット反戦放送局、「デモクラシーNOW(DN)」の番組で知ったからだ。
 ⇒ http://www.democracynow.org/2009/10/27/exclusive_parents_of_soldier_who_killed

 最愛の息子を、イラクでの「自死」という形で亡くしたご両親が、DNに登場し、その無念さを語っていたからだ。

 大統領から、未だに、お悔やみの手紙ひとつ、届いていないと。
 自殺した兵士の遺族には、大統領は、お悔やみの手紙は出さないとの決まりがあるからだ。

 白人の父と黒人の母。
 自死した兵士に、どうしてお悔やみの手紙のひとつも出せないのか?……両親の「悲しみ」は、底深い「怒り」に変わっていた。

               *

 「××力」――「ナントカ力」がブームになって久しいが、「怒る力」――すなわち「怒力(ド・りょく)」を推奨する本を、僕はまだ知らない。

 どうして「怒る力」が、称揚されないのか……新たな「力」として、“デビュー”しないのか?

 たぶん、それは、「怒り」が―プリプリ、プンプン、怒るイメージが、マイナスのものと思われている(思い込まされている)せいだろう。

 たしかに、「当り散らし」はよくないが、その怒りがもし、深い悲しみに起動されたものだのだとしたら、どうか?!

 そう、その通り! 悲しみから生まれる「怒り」こそ、大事にしなければならないものだと、僕は思う。

               *
 
 「怒り」――たとえば、わが畏友、小笠原信之は、間もなく上梓する『ペンの自由を貫いて――伝説の記者・須田禎一』(緑風出版、2500円+税)』の「袖文」に、須田氏が「東大生・樺美智子が権力に虐殺された「60年安保」では、<ともあれ事態の収拾を>と呼びかけた在京「七社共同宣言」の事なかれ主義を徹底批判した」と書いているが(予定稿)、ここにあるのは、ジャーナリストである彼の、悲しみであり、怒りである。

 女子大生が殺された悲しみ、警官隊に弾圧させた、安部信三の祖父、岸信介(ニューヨーク・タイムズ紙のティム・ワイナー氏によれば、岸はCIAの犬だった、卑劣な男だ…そういえば、岸に家を貸していた有名な女優さんは、岸が出ていったあと、家に塩を撒いたそうだ……)への怒りもさることながら、ここに――その根底に、あるのは、朝日の笠信太郎によって主導された、あの一九六〇年の日本のマスコミの裏切り、「7社共同宣言」への悲しみであり、怒りである。

 仮に、「7社共同宣言」が、「岸よ、退陣せよ、安保条約を見直せ」の共同宣言であったなら、戦後日本はどう変わっていただろう。

 「ベトナム戦争」も「沖縄」も、別のかたちになっていたかも知れない。

                *

 僕がDNのこの報道を視聴し、今、どうしようもなく、悲しい怒りを覚えるのは、(そう、それをひとつ挙げるとすれば)イラクのサマワに派遣された自衛隊員の中に、帰国後、自死された方が複数いらした、という事実に対してである。

 日本のマスコミは、派遣隊員が、なぜ、自死まで及んだのか、一行、いや一字たりとも報道しなかった。

 時の小泉首相から、お悔やみの手紙が出たかどうかも(出なかったと思うが)報じられなかった。

                *

 マスコミは「悲しみ」と「怒り」を、忘れてはならないのだ。

 そう、仮に樺美智子さんの死に悲しみを感じていれば――彼女の死と、彼女に手をかけた(憎しみの警棒をふるった)弾圧者の悲しみを、感じていれば、あんな「7社共同宣言」にはならなかったはずだ。あんなふうには、書けなかったはずだ。

 そして今――日本の民衆がくぐり抜けている数々の「悲しみ」を思えば、「怒り」の報道が出ないわけがない。

 日本の若きジャーナリストよ、悲しんでほしい、怒ってほしい。そして、なぜ、そうした事態が起きているか、そもそもの原因を突き止めてほしい。

                *

 君たちに最後にひとつ、お願いしたいことがある。

 アメリカでは、軍事費の「削減」問題が、財政再生の鍵を握るものとして議論されているが、日本では、どうして触れられないんだ?

 雫石上空で全日空機を体当たり撃墜し、釣り船を潜水艦がこれまた体当たり轟沈し、さらには「父子船」をイージス艦が撃沈し、挙げ句の果ては、北朝鮮のミサイル発射を「ただ今、発射しました」と「誤報」した、自衛隊=防衛省(だと……、笑わせる)の無駄な「税金食い潰し」を、君たちはどうして問題にしないのだ?

 悲しむ、のだ、怒る、のだ。

 「怒る力」を、僕ら老いぼれた引退世代以上に、現役世代である君たちこそ、持たねばならない。  

Posted by 大沼安史 at 07:53 午後 3.コラム机の上の空 |

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