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2009-07-15

〔For the Record〕 「ヒロシマ・記憶の閃光」 三宅一生さんがニューヨーク・タイムズに寄稿(7月14日付) 全訳〔非公式・拙訳〕

 拙訳(非公式・全訳)

  ヒロシマ・記憶の閃光(A Flash of Memory )
   三宅一生(ISSEY MIYAKE)

 ことし4月、オバマ大統領は、核兵器なき世界の平和と安全を追求すると誓った。彼は核兵器の単なる削減ではなく、廃絶を呼びかけたのだった。彼の言葉は、私の中に深く埋もれていたものを呼び覚ました。私がこれまで、話したくないと思っていたものを甦らせた。

 私はその時、分かったのだ。私には、オバマ氏が「閃光」と呼んだものを生き延びた一人の人間として、声に出して訴える、個人的で道徳的な責任がある、と。

 1945年8月6日、最初の原爆が私の町、ヒロシマに投下された。私はそこに、いた。わずか7歳だった。目を閉じると、誰も経験してならないものが、まだ見える。まばゆい赤い光。直後に立ち上がった黒い雲。逃げようとして、あらゆる方向に走る人たち――私はいま、その全てを想い出す。私の母は放射能を浴びて、3年経たないうちに死んだ。

 私はあの日の記憶を、あの日の思いを、誰かに伝えようとしたことは一度もなかった。うまくは行かなかったが、私はそれを背後に置き去りにして、忘れようと努めて来た。破壊ではなく、創造することが可能な、美と喜びを運ぶものを考えようとしながら。私は被服デザインのフィールドに魅かれて行った。その理由はひとつに、それがモダンで楽観できる創造的なものだったからだ。

 私は、過去に自分のことを決めさせまいと努めた。ラベルを貼られるのがいやだった。「原爆を生き延びたデザイナー」――。だから、私はヒロシマに関する質問を、いつも避けて来たのだ。それは、私を落ち着かない気分にさせた。

 しかし、私は今、分かっている。世界から核兵器を一掃しなければならないとしたら、私はそれを議論しなければならないことを。8月6日の世界平和の日に、あの運命の日を記念する日に、オバマ氏をヒロシマに招く運動が生まれている。私は彼が招待を受けることを希望する。私は過去に拘ろうというのではない。アメリカの大統領のゴールは、未来の核戦争をなくそうとするものだと、世界に対して告げたいからだ。

 先週、ロシアと米国は核兵器の削減合意に調印した。これは重要な出来事だった。しかし、私たちは、ナイーブであってはならない。一人の人間だけで、ひとつの国だけで、核戦争を押し止めることはできない。日本の私たちは核武装した隣人、北朝鮮からの脅威とともに生きている。他の国々が核のテクノロジーを取得した、とのレポートもある。平和の希望を生み出すには、世界の人々はオバマ大統領の声に、自分たちの声を合わせなければならない。

 もしもオバマ氏がヒロシマの平和橋を渡ることができれば――その橋の欄干は、日系アメリカ人の彫刻家、イサム・ノグチが、彼自身の東と西の絆と、憎しみを乗り越えた人間同士の協力を記念して、デザインしたものだ――、核の脅威を恐れることのない世界を創造する、現実的で象徴的な一歩となるだろう。ひとつの歩みは、世界平和に、一歩、近付くことである。

⇒   http://www.nytimes.com/2009/07/14/opinion/14miyake.html?partner=rss&emc=rss

Posted by 大沼安史 at 02:58 午後 |

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