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2009-06-01

「平和」をイマジンするために……「M資金」・「六〇年安保」・「九条」のことなど

◎ 以下は、仙台市の市民出版社「本の森」から、近く出版する、小生(大沼)の   小説 『NONOと頑爺のレモン革命』 「あとがき(に代えて)」です。 

                          

 「小説」に「あとがき」が不要なことは百も承知で、この本の読者に知っていただきたいことを「追記」したい。

 それは本書、『平和の聖火』の根幹に、「フィクション」ではない、「事実」があるということである。

 そうした「事実」の基盤の上に、著者である私(大沼)にとって、もうそれ以外あり得ないものとして――著者にとっての「真実」として、この物語は生まれた。

 それは、偶然の積み重ねによるものであったが、必然の成り行きでもあった。

 私という、「戦後日本」を生きて来た、一人の「日本人」の前に、驚くべき「事実」がいくつか現れ、その度に、「物語」の筋道が刻み込まれたのである。

 本書を産み出す最初の動因は、平成十三年(二〇〇一年)の春、私の前に現れた。

 あの独特のピンクの紙面の、「フィナンシャル・タイムズ(FT)」を読んでいた時のことだ。 FT紙の「週末特集」(同年4月7日付)のトップに、ジリアン・テット(Gillian Tett)東京特派員の調査報道記事(Mischief or conspiracy?)が載っていた。

 日米の関係者に取材して書かれた、「還付金残高証明書」をめぐる「謎」に迫るその記事は、実に驚くべき内容で、読み進むうち、われわれ一般の日本人というのは、何も知らない――何も知らされていないのだな、という思いにつくづく囚われた。

 正直なところ、テット記者の記事を読んで、私は初めて「還付金残高証明書」というものを知った。二十五年も新聞記者をして、日本の政治経済や社会問題に首を突っ込んで来たはずなのに、そんなもの、聞いたこともなかった。

 そんな「封印」された事実を、ジリアン・テットという、英国人の若い女性記者は明るみに引き出し、「謎解き」さえ試みていたのである。

 脱帽させられた。

 「シリーズ五十七年・日本国債」とも呼ばれる「還付金残高証明書」は、昭和五十七年(一九八二年)に、日本の「大蔵大臣」が「発行」した、とされるものだ。

 額面は「百億円から五千億円」。発行高は、なんと「数兆円」にも達する。

 この「証明書」は、日本銀行、あるいは第一勧業銀行(当時)に持ち込めば、額面相当の満期十五年の日本国債と交換できる――とされていた。

 日本政府(当時の大蔵省=現・財務省)は、これが世界の金融センターに出回り始めてから十年も経った平成五年(一九九三年)になってようやく、大蔵省のホームページで、詐欺狙いの「偽物」宣言をすることになるのだが、ジリアン・テット記者はこの政府説明を鵜呑みにせず、「秘密と論争」に包まれた「還付金残高証明書」の「起源」を探ろうとした。

 その結果、テット記者は、日本政府の説明とは違った、もうひとつの有力な「説」に行き着く。

 それは主に、かつてケネディ政権でアドバイザーを務めた米国の弁護士、ノルバート・シュレイ(Norbert Shlei)氏の証言に基づくもので、「還付金残高」とは、一九六〇年代にアメリカ側から日本側に「還付(返還)」された対日政治工作資金、すなわち「M資金」の「残高」である、という説だ。

 これによれば、この「還付」された「M資金」の残りを「掴み取った」のは、大蔵大臣、首相を務めた田中角栄ら日本の政治家たち。

 田中角栄はこの還付金を、仲間の名義で「日本国債」を買うことで隠匿したが、七〇年代になって、田中角栄の「取り巻き」たちがその現金化を目論み、問題の「還付金残高証明書」を印刷・発行した。

 そして、一九八〇年代半ばになって、「M資金」の金が盗まれた、との噂が内外に広まり、「残高証明書」の保有者から、補償を求める動きが出た――というのである。

 テット記者は、南米のウルグアイ政府もこの「残高証明書」をつかまされたくちだが、交渉役にA・ヘイグ元米国務長官を立てて、日本政府からの借款の返済に充てることに成功した、という話も紹介している。

 しかし、こうした彼女の調査報道で、一体何が最大の驚きだったかといえば、噂の「M資金」は幻でもなんでもなく、「歴史の現実」だった(可能性がある)と示唆した点だ。

 アメリカが戦後、「M資金」を使って、自民党政権の育成、支援を続けて来たという憶測は昔からあり、私も知らないわけではなかったが、ジリアン・テット記者の報道は、その「残金」の対日返還(還付)という「事実」にも触れ、さらにはその後の使われ方にも踏み込んだもので、「M資金」なるものの「実在」(の現実的可能性)を、私の脳裏にしっかりと焼き付けたのだった。 

 (ジリアン・テット記者は東京勤務のあと、ロンドンの本社に戻って、コラムニストになったが、二〇〇三年には、長銀がアメリカのファンドに買収され、新生銀行になるプロセスの真相に迫った『Saving the Sun』を、そしてつい最近は、世界的な金融大破綻の元凶となった、新型ディリバティブ取引の実態を暴露した、『Fool's Gold』を出している。二〇〇八年には、英国の最優秀ジャーナリストにも選ばれた気鋭のジャーナリスト。そんな彼女だからこそ、東京勤務の最後に、「M資金」という、誰も解けなかった謎の解明に挑むことができたのだろう……)

 「M資金」――なぜ「M」資金であるのか、それすらも分かっていない、この「対日政治工作資金」をめぐる、第二の衝撃は、それから三年後の平成十六年(二〇〇四年)六月、こんどは身近なところからやって来た。

 私が創立にかかわった仙台の市民出版社、「本の森」が、沈没船の引き揚げに意欲を燃やし続ける、仙台市在住の実業家、藤野卓児氏の著書、『眠れる財宝』を出版したのである。

 藤野氏が外国のサルベージ会社に依頼して引き揚げに取り組んで来た「沈没船」こそ、実は本書、『平和の聖火』に出て来る、オランダの病院船、「オプテンノール号」であるのだが、驚くなかれ、この船は戦時中、日本の病院船に改装され、終戦後間もなく、帝国海軍の「財宝・軍需物資」を満載し、帝国海軍の手で「舞鶴(イニシャルは「M」!)」沖に沈められた船であることが、藤野氏のその本で分かった。

 しかも、舞鶴沖の海底に今なお眠る「オプテンノール号」の船腹には、すでに「二十二ヵ所」もの穴が開けられており、「ダイナミックポジションという装置を備えた大型潜水艦によるものと考えられる」とのこと(同書一一六頁)。

 ジリアン・テット記者が調査報道で突き止めた「現実的可能性」の土台の上に、この藤野氏の「発見」を重ねて考え合わせるなら、結論はひとつ――日本海軍が再起の日のために、舞鶴沖の浅海に、軍需物資(タングステンなど)や貴金属類を船ごと沈めていたのを、占領米軍が察知して密かに回収、「(MaizuruのMの)M資金」の暗号名で戦後の対日政治工作に使い、その後、日本側に還付した残金が「残高証明書」に変わり、新たな疑惑の種子となっている――という話の線が、この時、浮かび上がったのだ。

 「ロッキード事件」で田中角栄とともに逮捕された、大物右翼の児玉誉士夫氏は、戦時中、海軍の嘱託として、上海に「児玉機関」を設立、軍事物資の調達にあたり、それを日本本土に(おそらくは、国際法で攻撃してはならないと定められた「病院船」を使って)移送していた人物。

 このこともまた、ひとつの補強材料となって、「M資金」をめぐる「封印」された「歴史の事実の物語」が、私の中で明確な輪郭をもって膨らんで来たのである。

  私の中に生まれ、心の底に錨を下したこの「見方」が、今回、この『平和の聖火』として結晶化するまでには、その後、いろんなことがあったが、中でも大きかったのは、平成二十年(二〇〇八年)八月に出た、ニューヨーク・タイムズ、ティム・ワイナー(Tim Weiner)記者の『灰の遺産(Legacy of Ashes)』(邦訳、『CIA秘録』、文藝春秋社刊)の衝撃だった。

 「CIAの秘密の武器は……冷たい現金だった」という書き出しの、同書「第十二章」は、米国CIA(中央情報局)の対日政治工作を暴露したもので、たとえばそこには、「M資金」残金の日本返還(還付)の裏づけともとれる、

   「一九五七年六月、岸(信介)は(渡米の際、米側に)一連の内密の支払いではなく、CIAによる財政的支援の恒久的な財源を求めた」(Kishi wanted a permanent source of financial support from the CIA rather than a series of surreptitious payments.)  ――といった「事実」の指摘さえあった。 (この点については、私の「個人ブログ」の以下の頁を参照 ⇒ http://onuma.cocolog-nifty.com/blog1/2007/08/post_4ac3.html )

 

 私は戦後の昭和二十四年(一九四九年)の生まれの「七〇年(学生)世代」で、「六〇年安保」(小学六年生だった)の「当事者」ではないが、東大生の樺美智子さんが国会前で亡くなったこと、そしてその日が「六月十五日」だったことは、何かで読んだか聞いたかして心に刻み、これまでずっと忘れずにいた。

 あの、本のタイトルにもなった、「人知れず微笑まん」という言葉とともに……。

 そしてその「樺美智子さん」のことを、彼女と「同年代」の今の若い人(私の知る限りのことだが……)が、「全員!」、「聞いたこともない」ことを知り、私なりに伝える努力をしなければならない、と思い続けて来た。

 私の「M資金」をめぐる「物語」の舞台が「六月十五日の国会前」になり、物語のメーンキャラクターの一人として、樺美智子さんの「再来」のような「ジャンヌ・ダルク」が登場するのは、このためである。

 それともうひとつ、私に『平和の聖火』の執筆を強烈に促したのは、あの小田実(まこと)氏だった。

 私は小田実氏と面識がないから、当然、小説を書けと直接言われたわけでもないが、「ぐずぐずしないで、何か書け」とドヤされているような気がして、大きな励みとなった。

 言うまでもなく、小田実氏は、私たち「七〇年世代」の、(言わせてもらえば)「憧れ」の的だった人だ。「行動力」と「言葉」を持った人だ。「ベ平連」を立ち上げ、反戦・平和運動を続け、あの「阪神大地震」では、被災者を救う市民立法運動を巻き起こし、遂に国会を動かして、法律を創った人だ。

  『平和の聖火』の、もう一人の主人公として、名前の「読み」が違うだけの「小田実(みのる)」氏に決起してもらったのは――「震災難民村・東京コミューン」の「村長」として、国会デモの先頭に立っていただいたのは、市民運動家として、波乱の人生を果敢に踏破した小田氏へのオマージュであるわけだが、私自身に、この『平和の聖火』の執筆を特に強く迫ったのは、病床の小田氏の姿だった。

 癌と闘い続けていた小田氏が、その死のベッドで、最後の小説、『トラブゾンの猫』を、それこそ最後の力を振り絞って口述している(NHKの教育テレビで見た)、その姿だった。

 凄い人だな、と思った。ほんとうに偉いな、と思った。

  『トラブゾンの猫』――トルコの黒海沿岸、トラブソンの「廃墟」に住む、猫たちの物語……。

 どんなストーリーになるのだろう?――と考えているうち、ミヒャエル・エンデの『モモ(MOMO)』の、冒頭のシーンが浮かんだ。

 古代ローマの遺跡のような「廃墟」に住みついた、得体の知れない、謎の少女、MOMO。 「時間」(つまり「歴史」)を盗む「灰色の男たち」の仕掛けを見破り、亀さんの導きで、遂に時間泥棒たちをやっつけるMOMO。

 小田実氏の病床に始まった連想は、「廃墟」を通じて、「MOMO」のイメージを喚起すると同時に、舞鶴沖に沈んだ、オランダの病院船に行き着き、「小田実」と並ぶ、物語のもう一人の主人公、日本人の血を引く「オランダ人女性、NONO」を浮かび上がられた。 (その女性の名前を、なぜ、NONOとしたかについては、本文中の注記を参照)

 政治ファタジーとでも呼ぶべきこの小説には、小田実さん、樺美智子さん以外にも、私に直接、間接的に影響を与えてくれた「人物」が、似通った名前で次々に登場して来る。みんな、私が尊敬申し上げる人たちだ。

 人物だけでなく、現実世界に実在する、私にとって大事な「事実」――たとえば、アメリカのボストン郊外に実在する、「サドベリー校」など――にも総出演してもらった。

 その意味で本書は、還暦を迎えた、「七〇年世代」(といっても、デモの後ろの方でウロチョロしていただけだが……)の一人である筆者の、人生――いや半生の(これが精一杯の)総決算である。

 すでにお気づきのように、私が書いた(いや、書かされた?)、『平和の聖火』のメッセージは、実に単純である。「歴史の封印を解き、歴史の真実を見詰め、平和を、九条を守り抜く」――そう、それだけのことだ。

 ただ、問題は、では、平和を、九条を、どのようにして守り抜くか?――ということ。

 ここでひとつ、ハッキリ言えるのは、平和も九条も、「非暴力」によって守り抜かねばならない、ということだ。

 「平和」を「平和」の中で、守り通して行く。「九条」を「九条」の精神で守り抜いて行く。

 この点に、いささかの間違いがあってはならない。

 権力の否定を、自己の絶対化に変造する過ちは、二度と繰り返してはならない。

  さて、次の問題は、その平和的な手段や如何に、ということだが、そこで登場するのが、誰にでも、いつでも、どこでもできる「イマジン(Imagine)!」である。

 想像こそ、力! 想像こそが、平和をつくる!

 「イマジン!」こそ、「平和」の基本になければならない。

 本書がジョン・レノン氏とオノ・ヨーコさんの「ベッド・イン」で始まり、国会前で、あのようなフィナーレを迎えることになるのも、みな、そのためだ。

  「M資金」のような金で買われたものではない、民衆がデモクラシーの力でもって生み出し、維持し続ける「平和」……『平和の聖火』は、そのための想像力に「点火」するものだ。

 そして、それぞれの心に灯った「平和のキャンドル」が、希望となって輝く。

  望めばいいのだ! 想えばいいのだ。

  War is Over! If you want it!

 戦争はなくなる!みんなで望めば!

  「イマジン」はまた、「平和」も創るが、「愛」も育てる。

 ラブ&ピース。

 憎しみを、敵意を、侮蔑を――イデオロギー対立を、善悪二元論を乗越えてゆくもの、それが「イマジン」による「愛」なのだ。

 不毛な二項対立……それは、たとえば「日の丸」論争についてもいえる。本書でNONOが言うように、「日の丸」の白地の「赤」の向うには、実は「緑」があるのである。そんな視点に立てば、「日の丸」も違って見えるはずだ。

 「イマジン」は「平和」の沃野を拓き、その大地の上で、認め合い、許し合い、ともに創造する、デモクラティックな「愛」を降り注ぎ、世直しの「緑の苗」を育ててゆくものである。

 あの「国会」前で、倒れた「小田実」を助けた、「日本のジャンヌ・ダルク」の少女の名前が「早苗」でなければならないのは、そのためである。

  本書が「九条」を守るのに、いくらかでも役に立てば――そのための想像力を少しでも刺激するものになれば、それは著者として、望外の喜びである。

 イマジン、ラブ&ピース!

                        二〇〇九年六月 仙台・連坊にて

                                 大沼 安史 

 〔追記〕 本書は、拙著、小説『緑の日の丸』(本の森)の続編である。本文中の「注記」を、若者たち、特に子どもたちに対する「呼びかけ」の形にしたのは、この国の未来を担う世代に知ってもらいたいが故である。

Posted by 大沼安史 at 03:51 午後 |

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